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【前編】「選挙に勝ったらカラスが白くなる」と信じ込む知的弱者どもへ:斎藤元彦のテニス自爆が暴いた『カルト的民意論』の終焉

冷徹なデジタルガバナンスの崩壊と、オピニオンの鋭利さを表現するハイコントラストなデザイン。背景は深いダークグレーから黒のグラデーション。画面中央に、ひび割れたガラス細工の「裁判所の天秤」または「投票箱」を配置。その背面から、X(旧Twitter)のデータストリームを象徴する鮮烈なネオンブルーの冷たい光と、AI分析のグラフラインがデジタルノイズのように走っている。感情論をパージした、知的で硬質な「観測装置」の質感を強調。 Neon/Primaryカラーは避け、 desaturated blue と clean white のみで構成。

5/22(金)朝刊チェック:いよいよ限界を迎えつつある高市早苗の「小保方戦略」


【結論】
選挙で勝てば違法行為や倫理違反すら免罪されると信じ込む斎藤元彦の支持者どもの「カルト的民意論」を徹底解体する。自由主義という法の支配や基本的人権の枠組みを欠いた純度100%の民主主義は、容易に独裁と少数派へのヘイトを生み出す近代のバグを孕んでいる。マジョリティの暴走を力ずくで喰い止める対抗運動において大衆の共感を求めるのは知的惰性であり、狂った慣性をねじ曲げるのは圧倒的な反感の数理である。
【ポイント3選】

身内の犯罪を目撃する日常の破壊: 斎藤知事の奇行を見せつけられる精神的負荷は、親の万引きを目撃する子供と同等の不条理な苦痛である。
自由主義なき民主主義の地獄: 「勝てば官軍」とばかりに法令や倫理を凌駕する民意至上主義は、独裁やヘイトを肯定する近代のバグそのものである。
反感こそが運動の真の指標: 慣性運動を続ける多数派に挑む対抗運動の本質は、大衆の共感ではなく、真逆のベクトルが放つ圧倒的な反感である。

【完全版】動画タイムスタンプ&要約辞書

【クリックで展開】全173箇所のタイムスタンプと要約を表示(動画の取扱説明書)

1. 「勝てば官軍」という病理――斎藤元彦が暴いた民意至上主義のグロテスクな正体

身内の万引きを目撃する精神的負荷:なぜ兵庫県知事の奇行は我々の日常を破壊するのか

なぜ、最近こんなに胃の腑がキリキリと痛むのか。なぜ、原因もわからず毎日こんなにヘトヘトに擦り切れているのか。その不条理な疲弊の正体は、ニュースの向こう側の政治対立などではない。斎藤元彦という、まともなロジックすら通じない異常者の奇行を、毎日の暮らしの中で強制的に見せつけられ続けている精神的負荷そのものだ。 倫理もルールも一切通用しない存在がトップに居座る歪んだ現実は、私たちの日常を根底から腐らせる毒素として機能している。

職員が現場で必死に耐え、ボロボロになりながら漏らす生の悲鳴を直に受け止めてしまうと、一人の人間として、その歪んだ重圧に押し潰されそうになる。「いや、もうガチでメンタルやられてんのよ。メンタル削られてます」(昨日と同じ話をしますけどね、これだけは綺麗事抜きで吐き出させてください。)昨日も言いましたけど、やっぱ帰りしなに職員さんにポロポロっと内情を言われたのが、一番きついな、うん。

  • 「親の万引き」と「子供の相談」という冷徹な数理: スーパーへ行って、父親、母親、子供2人の4人で買い物してる家族連れの親が万引きしているのを直接目撃する。これでも十分にきつい。だが、それ以上に人間の心を抉るのはその先だ。公園のベンチでコンビニ弁当を広げてたら、隣に子供が2人座ってきてね、その子供同士が「なぁ、うちのお父ちゃん、買い物行ったら万引きしはんねん……」って怯えながら内情を相談し合っている声を聞いてしまう。親の凶行を直接目撃する不快感よりも、残された子供たちが犯罪の重圧に怯え、ポロポロと涙を流すようにして追い詰められている生の悲鳴。これほど人間の心を抉り、精神を破壊するものは存在しない。今、あの組織の現場で起きているのは、まさにこの「子供たちの悲鳴」そのものなのだ。私は声を大にして言い続けなあかん。この不条理な現実を、絶対にこのまま放置してはならん。

片山前副知事の県議選出バという「乞食の予定調和」と情報開示請求の罠

「『片山が県議選に出る』という一報に、世間は右往左往して騒ぎ立てているが、こんなものハッキリ言って『食い詰めた乞食の予定調和』に過ぎない。地方のド田舎に巣食う閉鎖的な権力構造の中で、議員という立場に縋り付く以外に飯を食う術も、残りの人生を維持する代替手段も持たない老醜なのだから、そう動くのは当然の帰結。あんな醜悪な公職復帰の足場固めは、驚くには値しない既定路線なのだ。」

「片山が県議選に出る言うてみんな騒いでるけど、意外か? あんなもん、当たり前やんけ」(本人がまったく気づいてへんだけで、こっちからしたら、こんなありがたい話はないんですよ。)いや、俺昨日からびっくりしてんだけど、片山が県議会議員選挙に出る言うてるのを見て、みんなわーわーぎゃーぎゃー騒いでる。でもな、それってそんなに意外ですか?言うてお前らの周りにおったんやろ。片山のおっさんが議会とかうろちょろしてんのを見てたはずやんけ。もう乞食やねんから。あれしか生活の糧ないねんから、しゃあない。目に見えてたやんけ、ずっと言われてるやんけ。あの田舎の人の権力構造として、あの流れで言うと、議員になるしか飯食っていかれへんやん。あの生活ならありうる、あの性格ならありうるって話じゃない。人生、残りの人生それしかないねんから、そう動くのは当然の帰結なんです。

しかし、この醜悪な公職復帰への足場固めは、対抗する側にとっては驚くべき「チャンスの到来」に他ならない。一般私人の立場に留まっている間は、その不透明な資金の流れや闇の人間関係を法的に追及することは困難を極めるが、ひとたび公職者という開かれた場所に舞い戻ってくれば、状況は180度反転する。国家が認めた合法的な全裸化ツールが牙を剥き、こちらから合法的に「当てに行ける」格好の標的として舞台に上がってくれるのだから、むしろ大歓迎すべき事態なわけです。

  • バッジがついた瞬間に牙を剥く、国家が認めた「合法的な全裸化ツール」: 本人気づいてへんけど、バッジついたら情報開示請求の対象者になるねん。本人、バッジついたら開かれた場所でいろんなやつから聞かれんねん、話。今は一般人やから当てに行かれへんけど、県議会議員になったら合法的にいくらでも当てに行けんねんから。そやからアホやねんて、やってることが。頭悪い、田舎臭いの、でしょ。なんやったら、もう是非当選して欲しいんやけどね。ほんであれやで、1年もあったら政治資金収支報告書まくれんねんで。こんなありがたいことないですよ。今、片山の通帳なんか見に行かれへんよね。でもな、20ヶ月待ったら政治資金収支報告しまくれんねんで。もう特例作って片山さん選挙なしで、先に議員になってくれ言うてくれた方が、俺としてはそっちの方が楽やねんけど。向向からわざわざ追及の手が届く舞台へ上がってきてくれるんやから、こんなありがたい話はない。まさに至れり尽くせりですよ。己の食い扶持のために公職にしがみつく老醜が、自ら進んで「合法的な全裸化」の刑場へ歩みを進める姿は、哀れみを通り越して極上の喜劇である。

2. 自由主義なき民主主義の地獄――100%の民意が独裁とヘイトを生む数理

冷戦期に「民主主義陣営」と呼ばれなかった理由:東側諸国には民主主義「しか」なかったという逆説

現代の知的退行がもたらした最大の弊害は、「民主主義」を全能の免罪符として祭り上げる風潮だ。近代国家の健全なガバナンスは、意思決定の手続きである「民主主義」と、個人の権利や法の支配を保護する「自由主義」という、車の両輪が絶妙な均衡を保つことで初めて成立する。1980年代のベルリンの壁崩壊以前の冷戦期、西側諸国は自らの体制を「民主主義陣営」とは決して自称しなかった。そこには極めて冷徹な思想史的背景が存在した。ソ連や北朝鮮、中国といった独裁国家の正体は、民主主義の欠如ではなく、個人の権利や法の支配(自由主義)を欠いた、民主主義「しか」存在しない数の支配の地獄だったからだ。

「キューバとか北朝鮮とか中国とか昔のソ連は、民主主義がないんではなくて、民主主義しかないねん」(今日配信予定の僕のメルマに書いてることですけども、ちょっと耳を傾けてみてください。)ベルリンの壁があった時に西側諸国――アメリカ、日本、カナダ、フランス、イギリス、ドイツのことを、当時は「民主主義陣営」とは言わずに「自由主義陣営」って言うてたのよ。なんでそう言うてるか言うたらね、ソ連とか北朝鮮とか中国は、むしろ「民主主義国家」だからですよ。革命という、最も最も民主的な手法で政体を作り上げ切ってて、その革命を今でも認証し続けてるから。数の力、すなわち「人民の意思決定」という手続きしかない国家がどういう結末を迎えるか、冷戦期の構造を見れば一目瞭然でしょう。100%民主主義しかないからああなってるからこそ、あえて「自由主義陣営」って言ってるんです。だからこそ、近代社会には民意を相対化するもう一つの軸が必要なんです。選挙で勝ったから、数が上回ったからといって、法律や個人の自由といった原理原則を覆してはならない。民主主義という暴走しかねない車輪を、自由主義というもう一つの車輪で制御するからこそ、近代国家はまっとうに動いていけるということです。

選挙に勝ったら飲酒運転も無罪になるのか?法令と倫理を凌駕する「カルト的民意論」の破綻

自由主義の担保なき純度100%の民主主義は、容易に絶対独裁と少数派へのヘイトへと直結する。国民投票で6割、7割の賛成を得れば、独裁体制の構築も、不当な人権侵害も合法化されるという近代のバグが、民主主義そのものに内包されている。「選挙で勝ったのだから法令違反も不問に付される」「民意がすべての法規を凌駕する」と言い張る斎藤信者どものロジックは、この恐るべきバグを悪用したカルト的思想そのものである。選挙に勝ったやつが「カラスが白い」と言い張ったところでカラスが白くならないのと同様に、民意は万能の神ではない。告示の前の日に飲酒運転で検挙された奴が、選挙で当選したからといって「民意によって飲酒運転は不問に付されました」などということがあってたまるか。法令違反は法令違反、ダメなものはダメだ。

「国民投票して6割、7割の人が『この人が独裁者になっていい』って言うたら、それ民主主義やん」(そっから先、何年独裁体制が維持されようが、プロセスのうえでは立派な民主主義の結末なんですわ。)我々には、いくら多数派であっても絶対に覆してはいけない原理原則がある。それは法治主義であったり、法のもとの平等であったり、立憲主義であったり、財産権の保護であったりという、民意では覆してはいけないルールです。当選したんやから飲酒運転で逮捕したらあかんって、それダメでしょ。絶対にあってはならんことですよ。どれだけ多くの人が投票用紙にその人の名前を書いたとしても、法律違反は法律違反。こんな当たり前の道理すらねじ曲げて、「勝てば官軍、民意さえあれば何をしても許される」という歪んだ全能感を許してしまったら、社会の安全も秩序も一瞬で崩壊してしまいます。民意という片輪だけで暴走する車は、必ず独裁という名の崖から転落する。私たちが今、何よりも守るべきは、選挙の勝敗や数の暴力をはるかに凌駕する「法治主義」というもう一つの決定的な車輪なんやということです。数の暴力さえ集めれば、あらゆる犯罪行為も倫理の逸脱も「美しい民意」として白白と捏造できると信じ込む狂信者どもは、自由主義の法廷から永久に退場させられるべき知的弱者である。

3. 反感こそが真のKPIである――「運動論」に共感を求めるアドバイザーどもの知的惰性

昭和18年夏の日本で「国防婦人会」に共感されてどうするつもりやねん

権力やマジョリティの暴走に対して異議を申し立てる対抗運動において、しばしば物知り顔の自称アドバイザーや批評家どもが口にするのが「そのやり方では一般大衆の共感が得られない」「もっと穏健に、共感を呼ぶ方法に変えるべきだ」という言説である。これらは、現実の泥にまみれることを拒む者たちの、極めて知的惰性な机上の空論に過ぎない。多数派が狂気に向かって慣性運動を続けている状況下において、その運動に「共感」を求める行為は、最大公約数のカルト権力に自ら吸収されにいく自殺行為に他ならない。歴史的な危機において真に必要なのは、狂った多数派からの共感ではなく、冷徹な対峙である。

「そのやり方だったら、共感が得られない」そう言うやつがいるでしょ。(ね、ここ大事なんで切り抜いてほしいんですけど。)いや、そうかもわからんのですよ。そんなやり方だったら共感得られへんかも分からんし、実際そうかもわからん。でもね、共感を得てしまったら、それこそ「斎藤元彦」になってまうねん。「より共感を得る方に、より共感を得る方に」という価値判断を正しいとしてしまったら、結局は「選挙に勝ってる人と同じことを言い、同じことをやる」しかなくなってまうわけです。だから、共感を得ようとすること自体が間違いなんですよ。世の中の大半の人に「こいつらおかしい」と思われることこそが、本当の正解なんです。なぜなら、世の中の大半の人はその人を支持している(=現状を肯定している)んだから、現状を変えるための「有効な運動」というのは、必然的に共感を生まない形になるはずなんです。

  • 歴史に学ぶ視点: 昭和18年夏の日本に必要だったのは、国防婦人会に共感されない言説だったはずです。常に、こう考えたらええの。「自分は常に、昭和18年の夏の日本に生活している」と思えばいいんですよ。その時に本当に有効な運動がどうであったかと言えば、多数の市民から大反感を受けていたはずなんです。「いや、それは机上の空論だ」と批判する声もあるでしょう。――ですが、それは嘘です。

ベクトルと数列の証明:マジョリティの慣性運動を力ずくで止めるための「反感の数理」

多数派が狂気に向かって全速力で慣性運動を続けている社会において、その暴走を止めるための『有効なアプローチ』とは何か。それは大衆の共感を呼ぶ穏健な手法などでは断じてない。義務教育の算数(ベクトルや数列)すら理解できないアホなアドバイザーどもは『共感が得られない』とドヤ顔で忠告してくるが、その足し算と引き算の向きは根本から間違っている。 巨大な質量が右へ進もうとする時、彼らの『共感』を得るために寄り添うということは、その数列の伸びを背後から助長することと同義だ。必要なのは、彼らの進行方向とは『完全に真逆のベクトル』に向けて、強烈な反感の力を真っ正面から衝突させることだけ。大衆から『こいつらのやり方はおかしい』と凄まじい反感を買うこと、その反感の数(KPI)こそが、狂った多数派の数列の伸びを力ずくでへし折る唯一の数理的な刃なのだ。

「有効な運動というのは、共感を生まない形になる。どれだけ反感を買ってるかがKPIなんですよ」(「そのやり方では共感が得られない」なんてドヤ顔でアドバイスしてくる奴は、そもそも足し算と引き算の向きが根本から間違えてるんです。)よく、強力なマジョリティに対抗しようとする時に、「そのやり方じゃ大衆の共感が得られないぞ」って偉そうに忠告してくる奴がいるでしょ。あれ、完全に論理が破綻してるんです。ベクトルで考えたら分かるし、数列で考えたら一発で分かる。多数派がこっちへ前進しようという時に、彼らの共感を得ようと思ったら、自分たちも一緒に同じ方向へ進むしかない。そうすると、いつまで経っても多数派は多数派のまま、その勢力を拡大し続けるだけなんです。だから「共感が得られない」というアドバイスは、そもそも論理的に矛盾してるんです。多数派の勢いを止めるためには、彼らとは完全に真逆のベクトルへ突き進む必要がある。逆方向への強烈な力がぶつかるからこそ、多数派のこっちへの数列の伸びが止まって、こっちへ流れを引き戻すことができるんやから。それなのに「共感を得よう」とするのは、相手に寄り添っているということやねんから、向こうの数列の伸びを裏から助けているのと同じことなんです。つまり、有効な対抗運動というのは、構造として「共感を生まない形」にならざるを得ないっちゅう必然的な数理がある。単純な話でしょ。

  • 共感など一切無視して逆風を制した、安倍晋三と産経新聞の冷徹な正解: 2009年に民主党が政権を取った時の産経新聞のTwitterをみんな覚えているでしょうか。衆議院総選挙で自民党が下野することが決まった時、産経新聞がやったことは、まあ下品なネガティブキャンペーンでした。でもな、産経新聞は大正解なんですよ。世の中が民主党政権の方に行ったんやから、それと完全に逆方向のことをやったやん。その後、安倍晋三がやったことも世間からの反感しかないですよ。ほんでもずっと安倍晋三は下品に文句言い続けたでしょ。そりゃ下品でしたよ。共感なんか得ようと一言も思っていなかったんですから。綺麗事でマジョリティに媚びを売っている間は、巨大な時代の慣性を止めることなんて絶対にできへん。だからこそ、「そのやり方では共感が得られない」なんて冷や水を浴びせてくるやつは、ハッキリ言ってやる気のないやつなんです。戦うフリをして安全圏に留まるだけの「共感」を綺麗さっぱり捨て去り、圧倒的な「反感」を引き受けながら真逆のベクトルを貫き通すこと。それこそが、暴走する多数派の数列を力ずくでへし折り、時代をひっくり返すための唯一無二の戦略なんやということです。狂った大衆に「共感」を求める運動など、ぬるま湯の中で傷を舐め合うだけの不妊の儀式であり、どれだけ凄まじい反感の火の粉を散らせるかだけが、歴史の慣性をねじ曲げる唯一の刃となる。

4. 「87%の気持ち悪い」という真の多数派――マジョリティのネガポジ反転

GrokのAI検索が弾き出した冷徹なファクト:斎藤元彦は「圧倒的マイノリティ」である

神戸まつりにおけるテニス事件という、斎藤元彦の決定的な醜態が白日の下に晒されて以降、SNS空間における勢力図は、これまでの熱狂的な擁護一辺倒から劇的な地殻変動を起こしている。X(旧Twitter)に新たに実装された最先端のAI検索機能であるGrok(グロック)を回すと、感情論を一切挟まない冷徹なファクトとして、彼らの「虚構の民意」を完全に粉砕した。あの事件に対する言及の実に87%が「気持ち悪い」という強烈な拒絶反応であり、擁護の言説はわずか13%の泡沫に過ぎないという現実。これこそが、民意を盾に暴力を振るってきたカルト信者どもに突きつけられた冷厳な真実である。

「うるさいマイノリティ、黙れ」(これまで「民意、民意」と数の暴力を振りかざしてきた連中に、今こそ特大のブーメランを食らわせてやる時です。)あの神戸まつりのテニスの斎藤元彦の気持ち悪さというのが、とりわけ東京の女性Twitterユーザーに強烈に響いてる。昨日公開されたXの新しいGrokのAIを使った検索機能を回してみたら、なんと斎藤のあの神戸まつりに言及してる中で、87%が「気持ち悪い」って言うてんのよ。対して「斎藤さんかっこいい」は、たったの13%。さて、民意は今どっちにありますかね?

だから、今こそこう言わなきゃいけないんです。「お前らはマイノリティやから黙れ」と。お前らマイノリティなんか黙れよ、と。お前ら、今まで自分たちが勝ってた時は、こっちに向かって「マイノリティやから黙れ」って散々言うてきたんやから、当然そやろ。あいつらは今、完全にマイノリティにひっくり返ったんですよ。

  • 13%に転落した「かつての多数派」へ突きつける冷徹なデジタル民意: あの斎藤元彦支持者を見たら、「お前はマイノリティやから黙れ」って真っ正面から言うたるべきよね。だって、それがあいつらのずっと言ってきたロジックなんやから。だってあいつら、データの上でも完全に少数派やねんもん。「気持ち悪い」って言ってる方が圧倒的なマジョリティなんだから、我々は胸を張ってマジョリティです、あなたはマイノリティですって言ってあげればいいんです。いや、これをそう、これこそを「ブーメラン」って言うんです。これまで民意が全てだ、勝てば官軍だ言うてたやつに、民意が真逆に出た冷厳なデータを見せてやればいいんですよ。だからもう、何一つ日和る必要はない。胸張って言っていっていいんです、「うるさいマイノリティ黙れ」ってね。今や、大手を振って現場に出て活動してんのなんて、まともな論理の通じない精神異常者しかいないですよ。現場へ行ったら一発で分かるでしょ。数の力で法律も倫理もねじ曲げられると信じ込んでいた連中が、自分たちの崇拝した「民意」という名の刃によって自滅していく。これからは我々が圧倒的な多数派として、その歪んだ少数派を冷徹に包囲し、毅然と引導を渡してやるということです。

自己の正当性を「所属属性」にしか依存できない弱者どもの精神構造と「マイノリティ」という刃

自分という個人の足で立つ知性も精神力もない彼らは、自分が『日本人』であるとか『選挙で勝ったマジョリティ』であるといった、外側の看板をかぶらなければ息すらできない。彼らが寄りかかっているその『民意の大樹』は、立派なメタセコイアの巨木などではない。たもちゃんのちんちん並みに矮小で、お粗末極まりない突起物でしかないのだ。 その貧相な拠り所を真っ正面から『お前は客観的に見て圧倒的マイノリティ(少数派)だ』と突きつけ、ラベリングを剥ぎ取ってやること。これこそが、他者を排斥して全能感に浸っていたレイシストどもの息の根を止める、最も冷徹で致命的な一撃となる。

「あいつらは自分の所属先でしか自己を規定できない、能力と精神の両方が弱い人たちなんですよ」(「よらば大樹の影」と信じ込んでヘイトに酔っている連中に、その縋っているものの圧倒的な小ささを真っ正面から突きつけてやるべきです。)斎藤さんの支持者というのは能力と精神の両方が弱い人しかいないので、自分自身の規定を、自分がどこに属してるかでしか考えられへんのよ。だから平気で「斎藤頑張れ、朝鮮人死ね」なんて言うのよ。自分が日本人という属性に属してるというところにしかアイデンティティがないから、そういう歪んだヘイトを普通に言えるわけです。あいつらは、斎藤が選挙に勝ったという、目の前に叩き出された「数」という答えにしかコミットできない。だからあいつらの中では、「斎藤頑張れ、朝鮮人死ね」「斎藤頑張れ、クルド人出ていけ」が何の脈絡もなくワンセットになってしまう。自分という個人の足で立てないからこそ、勝ったマジョリティという看板にぶら下がり、そこから外れた他者を排斥することでしか、自らの存在を証明できないんです。

  • 「メタセコイアの大樹」に寄りかかっていると錯覚する、哀れな弱者たちの全能感: で、そいつらをギャフンと言わせんのは、正面から「いや、お前の本当の所属先って、そこ(圧倒的少数派の異常者)やねんけど」って事実を突きつけてあげることやんけ。お前、自分の所属先でしか、自分が弱いから自分のことを規定できひんかも分からへんけど、それ「よらば大樹の影」と思って勝手に酔ってんの?それ大樹ちゃうで。たもちゃんのちんちんぐらいの大きさしかないで、ってハッキリ言うたるねん。お前が寄りかかってるのは、それ立派なメタセコイアの木やと思ってるかも分からんけども、たもちゃんのちんちんみたいなもんやでって、めちゃくちゃちっちゃいでってね。そやから、彼らの大声に日和ったり怖がったりする必要なんてこれっぽっちもないんです。目と目を真っ正面から向かい合わせて、その目に向かって「お前らはマイノリティや」って堂々と言うたったらええ。お前らが数の力という幻影に酔って、ヘイトを垂れ流して何考えてんのか知らんけど、客観的なデータを見たら「お前らアホちゃうか」ということ。自分自身の拠り所を持たない精神の弱い連中が、必死で縋りついているその歪んだ神輿がいかに矮小で哀れなものであるか。今度は我々が圧倒的なマジョリティとして、その目を開かせてやるということです。

「そもそも、自分の正当性をマジョリティであることにしか求められない精神の弱さこそが、すべての元凶やねん」(勝てば官軍の神輿に乗らんと息もできへん連中が、勝手に自滅していく滑稽な構造についてお話ししましょう。)俺なんかね、夜中に中島みゆき聴いて、一人で酒飲んで泣いとるようなガチの変態でマイノリティやからね。自分を羽の生えたダンゴムシくらいの新種やと思っとる。だから、マイノリティって言われるのはむしろ誇らしいし、「はい、そうですけど何か?」で終わる話なんよ。それなのに、自分の個としての足で立てない弱者どもは、多数派という神輿にぶら下がらんと息すらできへんわけです。これって、布団かぶって寝る時にさ、「なんで俺はディーン・フジオカみたいな人生ちゃうねやろ……」ってもがき苦しんどる狂気と全く一緒なんです。自分が何者でもないという不安を、ただ「マジョリティ側に属している」という記号だけで薄めようとしとる。

  • 「まいのりてぃ」という手垢に怯える、差別者たちの滑稽なブーメラン: 斎藤信者のアホどもは、英語の「Minority」が単に「野党」とか「少数派」っていう数理的な意味しか持ってへんことも知らんから、ひらがなの手垢がついた「まいのりてぃ」の意味しか分からん。だから、マイノリティって言われた瞬間に、自分たちが普段差別しとる朝鮮人やクルド人と同じバスケットに入れられたと勝手に勘違いする。そうやって被差別の烙印を勝手に押された気になって、布団の中で血反吐吐くほどもがき苦しむわけよ。他者を排斥することでしか自らの正当性を証明できない空っぽなマジョリティ信仰が、今や自分たちを締め出す刃へと反転している。数の幻影に踊らされ、自らが作り出した差別の檻に怯える哀れな連中など、そのまま布団の中で勝手にのたうち回らせておけばええっちゅう話です。

(マジョリティ、マイノリティ、タモっティ……あ、今のは全然おもろなかったな。完全に滑ったわ、スベッティや。人のネタもらうのはやっぱりあかんね。首くくって死ねよいう話や、知らんやそんなもん。……まあ、それは置いといて、笑。)

そんな思いってええやん、遠慮必要なん?こちらが何か不当な攻撃をしたわけでもない、ただ客観的な言葉を投げただけなのに、向こうが勝手に被害妄想を膨らませて、勝手に苦しんどるだけやねんから。そんな連中の歪んだ認知に対して、なんでこっちが配慮したり、言葉をマイルドに選んでやったりせなあかんのよ。勝手に思っとるだけやねんから、そのまま勝手にのたうち回らせておけばええっちゅう話です。だからね、あいたらの的外れな大声や脅しに日和る必要なんて、一切ありません。これまで「民意」だの「多数派」だのという記号にぶら下がって傲慢に振る舞ってきた連中に対して、これからはただ、冷徹に客観的な現実を突きつけてやればいい。目と目を真っ正面から向かい合わせて、堂々とお前らはマイノリティやって、言うたったらええんです。自分たちの放った差別の刃が、そのまま特大のブーメランとなって自らの首を絞めていく。その滑稽で哀れな姿を冷ややかに見下ろしながら、私たちはこの当たり前の道理を盾に、正々堂々と現実を語り続けていこうじゃありませんか。自らを「多数派という全能の神」と勘違いし、法をも踏みにじってきたレイシストどもに対し、今こそ冷徹に「お前らこそが薄汚いノイズ、うるさいマイノリティだ。黙れ」と引導を渡してやるべきである。

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