5/17参政党・神谷宗幣の東大五月祭講演に対する「しばき隊」や「サヨク」による襲撃なんてそもそも存在しない与太話なので、そういう話をしたがる田舎の弱者に引っ張られないようにしましょうね。
【結論】
東大五月祭での参政党講演中止は「左翼の襲撃」などではない。偏差値65の学生たちが「小麦粉で死ぬ」と主張するエセ科学の滑稽さに耐えきれず、知性の前提として拒絶しただけの当然の帰結である。
【ポイント3選】
- 襲撃の幻影: 「しばき隊の弾圧」は田舎の弱者がすがる惨めなファンタジーに過ぎない。
- エセ科学の罪深さ: 「サザンが8」と言い張るオカルトを科学として持ち込む厚顔無恥。
- 客観的真実: 藤倉吉郎のカメラが暴いた「座り込み10人ちょっと」という実力行使なき現実。

東大五月祭「襲撃デマ」の滑稽さ——田舎の弱者がすがる「しばき隊」という幻影
事の顛末はすでに明らかだ。東京大学の学園祭「五月祭」において、参政党・神谷宗幣の講演が中止に追い込まれた。これを受け、ネット上の自称保守界隈は「左翼の襲撃だ」「しばき隊による言論弾圧だ」と色めき立ち、大騒ぎを演じている。
結論から言う。そんな事実は一切存在しない。全ては幻影。完全な与太話である。
騒動の本質は、右翼だの左翼だの、言論の自由だのといった高尚な次元にはない。極めてシンプルで残酷な現実がそこにあるだけだ。
「お前、小麦粉食べたら死ぬ言うてるやつ、東大生が講演してくれるなと思うの当たり前でしょうがよ」

小麦粉で死ぬと叫ぶカルトと「偏差値65」の残酷なコント
学問の府である大学。そこに、どんな思想を持った人間を呼ぶのも本来は自由である。参政党の主張を聞いてみたいと考える学生が一部にいたとしても不思議ではない。だが、思想以前の「知性の前提」というものがある。
偏差値65を超えた人間たちだ。知の最前線で学ぶ学生たちが、「小麦粉を食べたら死ぬ」と本気で主張する人間の話を、果たして黙って拝聴するだろうか。
「絶対聞かんやろ。指さして笑いものにするに決まってるやんけ」
彼らは暴力的な衝動に駆られて集団リンチを企てたわけではない。ただ純粋に、知的な耐え難さを表明しただけだ。アホを呼ぶな。この一言に尽きる。
「サザンが8」と言い張るエセ科学に学問の門は開かれない
参政党が持ち込むのは思想ではない。エセ科学である。「ジャンボタニシで米が作れる」「波動米がどうした」。彼らの主張は、既存の科学的知見を根本から無視したオカルトの類だ。
「平たく言うたらな、『お前らサザンが9や思てるかもしれんけど、実はサザンは8なんや!』って大真面目に言うてんねん。誰がそんなヤツの話聞くねん」
右だ左だというイデオロギー対立に持ち込むことすら、学問に対する冒涜である。ただ普通に賢い学生たちが、「アホな話を聞きたくない」と拒絶した。それ以上でも以下でもない。
【深夜の脳内実況】
なぜネットの連中は、すぐ「しばき隊の仕業だ!」と騒ぐのか。簡単である。彼らには「東大生からシンプルに知性をバカにされて拒絶された」という残酷な現実を直視する勇気がないからだ。だから「凶悪な左翼組織による不当な弾圧」という、自分たちが被害者になれる分かりやすいファンタジーに逃げ込む。X(旧Twitter)なんて、今や田舎の弱者のオナニー装置でしかない。

「被害者」を演じるエセ科学の卑劣な手口と、ひろゆきの正論
彼らの最も悪質な点は、自らの妄言を「科学」として強弁し、あわよくば被害者のポジションに座ろうとするその手口にある。
麻原彰晃との決定的な違い——「科学」を騙る罪深さ
過去には、麻原彰晃が大学の学園祭に呼ばれた事例が存在する。これを引き合いに出し、「オウムは良くて参政党はダメなのか」と嘯く者もいるが、次元が全く異なる。
麻原彰晃を大学に呼ぶという行為そのものは悪趣味であり、肯定されるべきではない。しかし、呼ばれる側の「論理の筋」だけを見れば、麻原の方がまだ通っていた。なぜなら、麻原は最初から「これは科学ではない」「宗教という観念体系である」と宣言し、既存の科学とは別の土俵で勝負を挑んでいたからだ。
対して神谷宗幣はどうか。
「アイツらは違うでしょ。右とか左とかの前に『科学はこっちや』言うてんねん。小麦粉食べたら人が死ぬというのは客観的証拠のある科学や言うてんねん。本質的にチャウやんけ」
ひろゆきの正論——大学の研究を否定しながら大学にすがる滑稽さ
普段、私は彼をそこまで評価しないが、今回ばかりは全面的に同意せざるを得ない発言があった。ひろゆき氏の指摘である。

「大学の研究を否定していながら、大学のイベントには出演したいとか意味が分からん」
「ほんまこの通りですよ。完全に正論。従来の科学を否定するヤツが、なんで学問の場で講演したがるねん。お前らの居場所ちゃうぞって話や」

現場の事実が突きつけるデマの真相——誰も暴れてなどいない
ここまで論理を整理した上で、現場の「事実」を確認する。ネット上のデマがいかに虚無であるか、客観的証拠が完全に証明している。
藤倉吉郎のカメラが捉えた「座り込み10人ちょっと」の真実

ジャーナリストの藤倉吉郎氏が現場でカメラを回し、克明なレポートを残している。彼の報告によれば、建物内で座り込みをしていた学生は「10人ちょっと」。大半が普通の東大生であり、日頃カウンター活動をしている者でもなかった。外部のカウンター勢力は敷地外で抗議を行っており、学生たちとの連携すら存在しなかった。
さらには、教室の鍵を開けなかったのも、階段を封鎖していたのも、抗議する学生ではなく「五月祭のスタッフと参政党側」であったという事実。
「実力行使なんて誰もしてへん。10人ちょっとの学生が、差別やデマを持ち込まないという誓約書への署名を求めて座ってただけ。どこに『しばき隊の襲撃』があんねん。藤倉のカメラ回ってるんやぞ。後から映像出てきて恥かくから、妄想で語るのやめとけや」
外部の人間が来て何が悪い?「学園祭」という空間の前提
最後に、「外部の活動家が入り込んでいた!」と騒ぐ連中にも引導を渡しておく。
「あのな、学園祭やねんから、外部の人間来るに決まってるやんけ。学生証持ってる人間しか入れん学園祭がどこにあんねん」
大学という空間は本来、外部に対して開かれている。学園祭となればなおさらだ。中高の文化祭ですら外部の人間は来る。ましてや大学である。仮にそこに、左翼だろうが右翼だろうが、共産党だろうが日本保守党だろうが、外部の人間が来ていたとしても「何ら問題はない」。
「だって学園祭だから。以上、解散。この話はこれで終わりや」
知性の欠如を指摘されただけの出来事を、「政治的弾圧」にすり替えて騒ぐ田舎の弱者たち。彼らが縋り付く幻影は、事実の前にあまりにも惨めに崩れ去るのである。

【検証用ソース】事象の裏付け
- 東大五月祭での講演中止と「左翼襲撃」デマに対する怒り(01:21〜)
- サザンは8と言い張るようなエセ科学の異常性についての嘲笑(02:39〜)
- エセ科学を客観的な証拠がある科学だと言い張る神谷宗幣の罪深さ(03:48〜)
- 麻原彰晃は「科学ではなく宗教だ」と名乗っていたため神谷よりもマシという比較(02:39〜)
- ひろゆきの「大学の研究を否定しながら大学にすがる意味が分からん」という正論(06:18〜)
- 藤倉吉郎のカメラによる客観的証拠と現場レポート(07:22〜)
- 建物内で座り込んでいたのは東大生10人ちょっとという事実(08:36〜)
- 学園祭である以上、外部の人間が来るのは当たり前という一蹴(10:59〜)

あのね、ここまで読んでくれた人なら、今回の東大の騒動がいかに高尚な思想対立なんかじゃなくて、単なる「エセ科学への拒絶」やったかっていう、身も蓋もない残酷な現実が分かってもらえたと思うんですよ 。
でね、ここからがまた滑稽な話なんですけど。 このただの知性による拒絶をですね、あろうことか1969年のあの「三島由紀夫vs東大全共闘」になぞらえて、なんかエモく語り出す知ったかぶりの「ファッション保守」が湧いてきたんですわ 。佐々木俊尚とかね 。
もうね、聞いててこっちが恥ずかしくなるんです。 お前ら、あの有名な一枚の写真しか知らんからそんな寝言が言えるんやと 。あの時の三島が、全共闘の学生たちに論理で秒殺されて、どうしようもなくなって学生に媚び売って下ネタで笑い取ろうとしてた、いかに惨めで滑稽なピエロやったか、全く知らんのですよ 。
太宰治っていう圧倒的強者と、石原慎太郎っていう暴力的な天才に挟まれて、どこにも行けずにコンプレックス抱えて、筋トレと切腹の妄想に逃げ込むしかなかった、等身大の三島由紀夫の哀れな真実 。 次回の記事では、本職の変態である僕の目線から、その辺の偽装保守たちが絶対に知らない「本当の三島由紀夫の滑稽さ」について徹底的に解剖させてもらいます 。
もしお時間許すなら、このまま次の記事にも付き合ってもらえたら嬉しいですね。知ったかぶりしてる連中の底の浅さを笑う準備をして、お待ちしてますわ。




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