【土曜雑感】「菅野完」チャンネルの今後についてのご相談2026/5/9
【結論】
伝統芸能が滅びる理由は「時代の変化」ではなく、松竹の「経営ごっこ」と店を開けない怠慢にある。行政が最初のギア(パトロン)となり、シネコン横の歌舞伎幟で大衆を巻き込む「文化の保護」の真髄を語る。
【ポイント3選】
- アホな自己顕示欲: 権力誇示を経営と勘違いし、道頓堀から芝居小屋を消し去る松竹の異常な判断
- ヒーロー気取りの驕り: 200年続いた文化が自分たちの代で滅びると勘違いする、経営者の無知と傲慢
- 文化の種蒔き: 行政の金でギアを回し、コナンを見に来た子供に玉三郎の幟を見せる本物の文化戦略


「あのね、今からこの最終回の第4回で、道頓堀から芝居小屋を消し去る松竹のアホな『経営ごっこ』と、日本の文化がどうやって殺されようとしてるかっていう話をガーッと喋るんやけど。
ちょっとその前に聞きたいんやけど、もしかして第1回から第3回の記事、すっ飛ばしていきなりここ開きました?
いや、別にええんですよ。いきなりこの最終回から読んでもらって、「ああ、菅野が松竹っていう会社にキレてるんやな」って消費してもらう分には、別にこっちも止める権利なんかないですから。 でもね、それやとホンマに、むちゃくちゃもったいないなと思うんですよ。というのもね、俺の中ではこれ、第1回から第4回まで、全部『ひとつの同じ病理』について語ってる、1本の太い線で繋がった話やからなんですよ。
第1回ではね、40分でAIのAPI繋いだだけで『俺はAI使いこなしてる』ってイキるYouTuberの薄っぺらさを、落語の『本寸法』の凄みと対比させて話しました。 第2回では、その文脈(コンテキスト)が分からん大衆が『ブラジルの寿司』みたいなテレビの弱者いじめの笑いに毒されて、結果的に吉村洋文や斎藤元彦みたいな『生理的に暗い』連中を権力に押し上げてしまったって話をしました。 ほんで第3回では、その病理が国のど真ん中まで侵食して、皇室に自分から入りたがる異常者たちのグロテスクさを生み出してるってことを、『泰葉天皇』っていう極限のブラックジョークで笑い飛ばしたんです。
表層だけなぞってイキる詐欺師。 ジャンルも文脈も間違えたまま消費する大衆。 血筋や権力に自己顕示欲だけで群がる異常者。
この狂った土壌が全部積み重なった、その『行き着く先の絶望』として、この第4回の「伝統芸能の破壊」の話があるんですよ。 せやからね、第1回から順番に俺が積み上げたロジックと怒りの「文脈」を共有してないまま、いきなりこの第4回の結論だけ読んでも、俺がホンマに何に対して絶望して、何を守らなあかんとキレてるのか、その「一番腹の底に響くバイブス」みたいなもんが、半分も伝わらへんのちゃうかなと思うんですよね。
もちろん、強制なんか絶対にしませんよ。「そんな長いこと菅野の能書き付き合ってられるか」って言うんやったら、そのままこのページ読み進めてもろたらええんです。 でも、せっかくここまで辿り着いてくれたんやったら、一旦ページを遡って、第1回の『知性の話』から順番に味わってもらった方が、この最終回の怒りが何十倍も立体的に見えて、絶対におもろいと思うんやけどな……。
どうですかね、急がば回れって言いますし、ちょっとだけ前の記事から、俺の仕掛けた文脈に付き合ってみてもええんちゃいます?」
道頓堀から芝居小屋を消滅させる、松竹の「アホな自己顕示欲」
松竹座をゲームセンターに変える判断――権力誇示を経営と勘違いした男たち
あのね、俺は歌舞伎という芸能そのものは本当にすごいと思ってるんですよ。あんな総合芸術、世界中探したってないですよ。でもね、今、歌舞伎というジャンルがむちゃくちゃになってるのは、100%、いや120%、松竹っていう「会社」が悪いんです。
会社の経営を「自分の力の誇示」と勘違いしてる奴がマネジメント側にいるんだなってことは、透けて見えるんですよ。「人を動かすこと」「金を動かすこと」が経営だと思い込んで、人に言うことを聞かせることがマネジメントなんだと勘違いしてるグロテスクな連中が上にいる。
今月で閉館して建て直すって言うてる大阪の松竹座ですよ。昔からの中座はとっくにゲームセンターになって、UFOキャッチャー置かれてる。百歩譲って、できて30年の建物の老朽化で建て直すとか、時代が変わって興行が厳しいから移転するという理由は分かりますよ。でもね、自己判断で「道頓堀から芝居小屋をゼロにします」っていう答えを出せてしまう段階で、異常じゃないですか?
150席の小さな箱すら残さない「社会的責任」の完全なる放棄
俺が経営者やったらどうするか。ビル1棟売って建て替えるにしても、200席でも150席でもええから、絶対にちっちゃな「箱(劇場)」を道頓堀に1個残すんですよ。同業他社から「あんなライバルにもならん小さい箱残して」って笑われるかも分からんけど、とりあえず箱だけは意地でも残す。
ほんで、年に1回でええから坂東玉三郎が来て芝居するんやったら、この150席の箱で一席8万円で売るんですよ。4日間だけ興行打ったら元が取れるやろっていう計算を、俺やったら絶対にする。
それが、文化を扱う企業としての「社会的責任」ってもんでしょ。でも今の松竹のやってることは、「俺はこんだけ力持ってるんだぞ」「これだけの金を動かせるんだぞ」って周りに誇示することがお商売やと勘違いしてる。アホらしいにも程があるんですよ。

伝統芸能は「時代」では滅びない。単に「店を開けていない」だけだ
200年続いた文化が、たかだかお前らの代の10年で滅びるわけがない
松竹はね、愛之助と心中するつもりなのか知らんけど、「上方歌舞伎はもう客が入らん、滅んだ」みたいな顔してますけどね。俺に言わせりゃ、上方歌舞伎が滅びるはずがないんですよ。
あれはね、時代がどうのこうのじゃなくて、「やってないから滅びる」だけなんです。千鳥の大悟のネタじゃないけど、「店閉まってるな〜」ってやつですよ! やってないから流行らんだけで、ちゃんと店開けてやりゃ流行るんですよ。
現に、文楽(浄瑠璃)のおさらい会なんか、みんな必死で営業してるのもあるけど、ちゃんと客呼んでるやないですか。神戸の新開地の喜楽館かて、あんなとこ寄席作って誰が来んねん言われてたけど、ちゃんと客入ってるでしょ。
あんなね、至近距離で義太夫の太棹聞いてみい。「ベーン、ベーン」って、あれベースギターと一緒やからね。腹の底に響くバイブスで、真横であの音量で「ここは紀の国、日高川っ!」って語られたら、人間誰でも「おおっ!」ってなるに決まってるんですよ。流行らんのちゃうねん。やってへんから客が来えへんだけやねん。

「自分が歴史上最大の急激な変化を目撃している」というヒーロー気取りの驕り
だいたいね、「時代の変化で伝統芸能に客が来なくなった」って言うてる経営者。お前それ、だいぶ調子乗ってるよねって話ですよ。
200年、300年と続いてきたもんというのは、その間にも今あなたが感じている以上の、ものすごい時代の変化の浮き沈みを経てきてるんですよ。それがいきなり、今のたかだか10年、お前らの代で「もう時代に合わないから滅びます」って、なぜそんなおこがましい判断ができるのかが分からない。
お前らは、自分の前の200年、300年の間の人が誰も見たことがないような、歴史的で急激な時代の変化を「自分だけが目撃してるんだ」って思いたいんでしょ? お前、どんだけヒーロー気取りやねんって話ですよ。お前はそんな悲劇のヒーローになれるほど特別でも素敵でもない。
200年前から同じもんが目の前に残ってるなら、普通の知性があれば「なぜこれは滅びずに続いたんだろう。なるほど、こんなに素晴らしいからなんだ」っていう風に頭が働くはずでしょ。それを「時代のせい」にして文化を殺すのは、ただの驕りなんですよ。

文化を「1速から2速へ」引き上げるためのパトロン(行政)の役割
最初のギア(重いトルク)さえ入れれば、あとは200年の力で自動的に加速していく
じゃあ、その「店を開ける」ための金を誰が出すねんって話です。芝居や芸能ってのはね、鶏と卵じゃないんですよ。「やる」から流行るんです。「やる」から人が育つんです。
でも、ゼロから動き出して、車のギアを1速に入れるところ、そして1速から2速に入れるところには、一番重いトルク(力)とお金がかかる。近代社会において、そこに文句も言わずにポンと金を出す本物のパトロン、それが行政の役割なんですよ。
1速から2速に引き上げる一番重いところさえ行政が面倒を見たったら、2速から3速、3速から4速へは、200年以上残ってきた「伝統の力」で勝手に回っていくんです。客がつかないはずがないのよ。それが文化に対する正しい金の使い方ってもんでしょ。

シネコンの隣に歌舞伎の幟を立てろ――文脈を知らない大衆を巻き込む戦略
だからね、道頓堀にシネコン(複合映画館)を持ってきたらええんですよ。今やったら映画『名探偵コナン』でしょ。100億円超えるような映画目当てで、ちっちゃい男の子や女の子が「お父ちゃん、コナン連れてってやー!」言うて道頓堀を歩いてくる。
そのシネコンの手前にね、ちっちゃくてもええから歌舞伎の箱を置いとくんです。ほんで、表に「片岡仁左衛門丈へ」「片岡愛之助丈へ」っていう漢字ぎょうさん書いた巨大なのぼりをカーッと斜めに立てとくねん。
コナン見に来た子供が「お母ちゃん、あれ何?」って聞く。お母ちゃんは「私も難しいこと分からへんけど、なんか漢字ぎょうさん書いてありますな」って言う。「お父ちゃんあれ何?」「難しいこと俺に聞くな」言うて、そのまま映画館に入っていく。

……それでええねんて!!
子供は意味なんか分からんでええの。でも「なんか漢字ばっかり書いた旗が立ってたな。坂東玉三郎って誰やろ?」っていう記憶だけが残る。それが文化の種蒔きなんですよ。
子供に無理やり歌舞伎を見せる必要なんかない。文脈を知らない大衆を、ただ「そこにある」という風景だけで巻き込んでいく。吉村洋文みたいな薄っぺらい政治家が「万博で培った能力で大阪の文化を世界へ発信」とか寝言言うて、カジノ(IR)の島作って狂奔してますけどね、ほんまグロテスクですよ。行政がやるべき「文化の保護」ってのは、そんなんやのうて、こういうことなんですよ。

【検証用ソース】事象の裏付け
- 会社の経営を「人を動かす・金を動かす・自分の力の誇示」と勘違いしている松竹の経営陣。(02:25:43)
- 歴史ある松竹座を自己判断でゼロにし、中座のようにゲームセンターにしてしまう異常さ。(02:30:09)
- 採算度外視でも150〜200席の小さな箱を残し、年に1回玉三郎を呼ぶのが企業の社会的責任である。(02:35:50)
- 「時代が変わったから」ではなく、単に店を開けていないから客が来ないだけという真実。やりゃ流行る。(02:39:22)
- 200年続いたものが、自分たちの代のたった10年で滅びると判断する傲慢さ。(02:44:56)
- 過去200年になかった急激な変化を自分が見ているという、経営者のどんだけヒーロー気取りやねんという批判。(02:46:01)
- 0から動き出し、1速から2速に入れる一番重いトルクのところを行政が支援すべき理由。(02:42:44)
- 2速に入れば、あとは伝統の力で勝手に3速、4速へと回っていく。(02:43:49)
- コナンを見に来た子供が、意味もわからず「片岡仁左衛門」「坂東玉三郎」の幟を見るという文化の種蒔き。それでええねん。(02:59:24)

「ということでね、4回にわたってえらい長々と喋ってしまいましたけど。
AIでイキるYouTuberの話から始まって、ダウンタウンのお笑いに毒された大衆が吉村洋文や斎藤元彦みたいな『暗い』権力者を選んでまう病理。ほんで皇室論争を海老名家のお家騒動で笑い飛ばして、最後は松竹の『経営ごっこ』による文化破壊の話までいきましたけどね。
これ、一見バラバラのテーマに聞こえるかもしらんけど、俺ん中では全部同じ根っこの話なんですよ。 要はね、コンテキスト(文脈)も分からん、歴史の重みも分からんくせに、ちょっと表層が変わっただけで『自分が歴史的で急激な変化を目撃してるヒーローや』って勘違いしてる連中が、偉そうに世の中を回してる気になってるっていう、そのグロテスクさの話なんです。
それに乗っかって、ブラジルのケチャップ太巻きみたいなもんを『これが一番うまいんや』って無自覚に食わされてる大衆がおる。その結果、落語みたいな弱者を排除しない『本寸法』の知性が追いやられて、キノコが生えそうな陰湿な連中がのさばってしまってるわけですわ。
でもね、200年、300年残ってきたもんっていうのは、そんな連中のたかだか10年や20年の『経営ごっこ』や『お商売』で滅びるような、やわなもんやないんですよ。ただ単に『店閉まってるな〜』ってだけで、ちゃんと箱を残して、店を開けさえすれば絶対に流行るんです。そこに行政の重いトルクをどう効かせるかっていうのが、本来の『政治』とか『文化の保護』ってもんでしょ。
別にね、明日から全員で寄席に通おうとか、歌舞伎を見に行こうなんて言うつもりは全くないです。子供に無理やり見せる必要もない。 ただ、次に道頓堀を歩く時とか、テレビで薄っぺらい政治家が『万博で培った大阪の文化を世界へ』とか寝言を言うてるのを見た時にね、『ああ、こいつら文化の文脈なんも分かってへんな』って、ちょっと立ち止まってシニカルに笑えるような、そういう視点を持てたなら、それでええんちゃうかなと思うんです。
コナン見に行った子供の記憶に『なんか漢字ぎょうさん書いた旗立ってたな』って残るだけでええように、この全4回の話が、皆さんの頭の片隅に何かの『種』として残ってくれたら、こんなに嬉しいことはないですね。
ま、何時間喋ってんねんって話ですけど、そろそろ落ちますわ。さようなら。」




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