PR

第4回:マルクスが予言したトランプの正体と、国会前に現れた「30代の孤独なデモ」

ビジュアル: 夕暮れの国会(あるいは重厚な政治建築)を背景に、一人でプラカードを提げて歩く若者のシルエット。 構図: 背景には、スマホを見つめて群れる顔のない大衆のぼやけた姿を配置し、手前にピントを合わせた「たった一人で立つ若者」を対比させる。 トーン: これまでの重苦しい色調(セピアや血の赤)から一転して、夜明け前や夕暮れの「澄んだ青(ブルーアワー)」を基調とし、静かながらも確かな希望を感じさせるトーン。


朝のニュース解説 2026/4月20日:高市内閣支持率低下の衝撃

【結論】

政治や文化という上部構造が、トランプ的なむき出しの資本主義(下部構造)にひれ伏す絶望の時代。単純接触効果が切れて支持率を急落させる高市内閣と、ネットのタコツボで群れる弱者たちを尻目に、国会前には「個」として自立した30代の軽やかな市民運動が現れている。この「ヨーロッパ基準」の風景こそが、日本に残された最大の希望である。

【ポイント3選】

  • マルクスの予言と文化資本の欠如: 経済が政治を支配する現状はマルクスの予言の成就であり、トランプ的ポピュリズムは京都の「関所」のような文化資本を金で蹂躙する野蛮である。
  • 天の岩戸と単純接触効果の切れ目: 高市内閣の支持率急落(53%)は、メディアから雲隠れしたことで大衆の「単純接触効果」が切れただけの滑稽な現象に過ぎない。
  • 年寄りの情念からの脱却: ルサンチマンで群れる古い社会運動は終わり、誰とも連帯せず一人でふらっと声を上げる「必死じゃない30代」のデモが新しい希望を作っている。
資本主義の暴走から社会の反応を経て、弱者と強者それぞれの社会的な動向と展望を示すフローチャート。
たもっちゃん
たもっちゃん

あのね、いきなりこの最終回(第4回)から読もうとしてるみたいやけど、それやと俺がこの記事で最後に語る「希望」の重みが、たぶん半分も伝わらへんと思うんですわ。

なんでかって言うとね、この第4回で書いている「国会前に現れた30代の新しい市民運動」が、いかに画期的で、今の日本にとってヨーロッパ基準の「最後の希望」なんかっていうのは、その背景にある【絶望の深さ】を順番に知っておかないと、本当の意味では腑に落ちないはずなんです。

第1回と第2回で書いたのは、国家のタガが外れる「入り口のガバナンス崩壊」の話です。自民党大会で自衛隊が動員された件を「まあ、ええんちゃいますか」で許してしまう空気が、かつて満州事変での石原莞爾の確信犯的テロや、ゴーストップ事件での軍と警察の泥試合を、偉いさん同士の「手打ち」でうやむやにした歴史と完全に重なる。それが最終的に、15年で1000万人を死に追いやり、兵隊の7割を鉄砲の弾じゃなく「餓死」させるという底なしの悲劇に繋がったプロセスを書いてます。

そして第3回では、その暴走する権力を下から支える「大衆の狂気」について徹底的にやりました。斎藤元彦の支持者たちが、明治の浮世絵師・月岡芳年が描く「バッキバキに目が飛んだ男の幽霊」と全く同じ顔をしてるっていう、下半身の情欲とルサンチマンで群がる権威主義的ポピュリズムの正体です。

上の権力は平気でルールを破り、それに情欲で群がる大衆が同調圧力を作り出す。この「100年前と全く同じ絶望的な構図」を直視して初めて、今回語る「マルクスの予言」の恐ろしさや、誰とも連帯せずに一人でふらっと声を上げる30代たちの軽やかさが、どれほど眩しくて尊い「希望」なのかがハッキリ見えてくるんです。

やからね、もしちょっとでも時間があるんやったら、悪いこと言わんので、まずは第1回の『「まあええやん」が国を滅ぼす』から順番に辿ってきてもらえるとええなと思うんですわ。歴史の文脈と絶望の底をきっちり踏まえてから読んでもらった方が、この最終回の見え方やカタルシスが全然違ってくるはずやからね。

これまで3回にわたって、ルールを平気で破る権力のガバナンス崩壊と、それに情欲で群がる大衆の底知れぬ気持ち悪さについて語ってきました。じゃあ、今の日本、あるいは世界にはもう絶望しかないのか。

結論から言うとね、社会の共通基盤が抜けきったこの絶望の淵で、ようやく日本にも「ヨーロッパ基準のまともな希望」が芽生えつつあるんです。今日はその話をしましょう。

絶望の淵に芽吹く希望の論理構造、市場欲望に隷属する政治の末路、ネット空間で群れる大衆の陥穽、自立した個が拓く新たな市民社会、という4つの項目が左右に配置されたテキストベースの図。

上部構造(政治)が下部構造(経済)にひれ伏す絶望の時代

希望を語る前に、まず今の政治の現状を冷徹に見ておかなければなりません。今、世界中で起きているのは、政治や文化、あるいは倫理といった「上部構造」が、経済や市場、むき出しの欲望といった「下部構造」に完全にひれ伏してしまったという絶望的な光景です。

日経新聞が報じる「市場が動かす政治」と、マルクス120年前の予言

2026年4月20日付の日本経済新聞の朝刊一面で、ウォール街とトランプ氏の関係に関する記事が大きく掲載されています。

この間、日経新聞が「今は市場が政治を動かす時代だ」なんて記事を、さも大発見であるかのようにドヤ顔で書いてました。アホかと。そんなもん、マルクスが120年以上前に「下部構造(経済)が上部構造(政治・文化)を決定する」って予言してたことの、単なる最悪な形での成就でしかないやないか。

本来、政治や文化という上部構造は、放っておけば暴走する資本主義(下部構造)にブレーキをかけ、人間としての尊厳を守るために存在してるんです。ところが今は、政治家自身が「株価さえ上がればええ」と市場の顔色ばかり窺い、経済合理性だけで全てを判断しようとしている。これはもはや、政治の自殺ですよ。

マルクスの「上部構造」と「下部構造」の概念を引用し、政治・倫理が市場経済に従属して歯止めを失った状態を、崩れかかった建物の図とともに解説するスライド。

トランプの教養なき欲望と、京都の「筒の中の関所」が象徴する文化資本の欠如

その最たる例がアメリカのトランプです。あいつには哲学も歴史観も、教養のかけらもない。あるのは「儲かるか、儲からないか」というむき出しの下部構造の欲望だけです。

これね、京都の街の構造と比較すると本質がよくわかるんです。京都の街の奥深さって、言ってみれば「巨大な筒」なんですよ。その筒の途中に、わざといくつもの「関所(ヒエラルキーの関門)」が設けられている。一見さんお断りだの、独自の作法だのね。あれは、金だけ持ってきた田舎者に文化資本の関所を突破させることで、「自分は認められた」という達成感を与えて気持ちよくさせる装置なんです。

つまり、金(下部構造)だけでは土足で上がれない文化(上部構造)の壁がちゃんと機能していた。でも、トランプ的なポピュリズムは、この「関所」を全部ぶっ壊して、金と欲望だけで全てを蹂躙してくる。文化資本の決定的な欠如、それが今の世界の主流になってしまっているんです。

「欲望のポピュリズム」というタイトルのもと、「文化資本の欠如」を意味する一連の図と、右側に「欲望のみで蹂躙する大衆扇動」と記された囲み枠、下部に「金力で突破不能な文化の壁が崩壊」という解説テキストが配置された構成図。

雲隠れする権力と、高市内閣の下落する支持率

内閣支持率が発足以来最低の53%に下落したことを報じるメイン見出しと、支持率推移の折れ線グラフが掲載された新聞紙面。

翻って日本の権力はどうなっているか。今、高市内閣の支持率が急落しています。直近の調査で53%、一気に5ポイントも下落しました。

単純接触効果が切れ「53%(5ポイント減)」に沈む天の岩戸の滑稽さ

なんでこんなに急落したのか。理由は簡単。彼女がメディアから「雲隠れ」したからです。

これまでは連日のようにテレビに出て、勇ましいことを言って保守層を煽っていた。人間の脳みそってのは単純なもんで、よく顔を見る相手には親近感を抱く「単純接触効果」ってのがあるんです。でも、いざ権力を握って、ボロが出るのを恐れて「天の岩戸」みたいに引きこもって顔を出さなくなった途端、その単純接触効果が切れて、あっという間にメッキが剥がれ落ちた。ただそれだけのことです。滑稽でしょ。

「メッキが剥がれる日本の権力構造」「露出減による単純接触効果の消失」「支持率急落を招く権力者の雲隠れ」「ボロを恐れる天の岩戸戦術の限界」といった政治批判的な見出しと、「(注釈:高市内閣の支持率下落にみる権力の滑稽さ)」という注釈が記載されたスライド画像。

弱者ほどネットで群れ、強者から先に街へ出るという現実

権力者が引きこもっている間、世の中の人間はどう動いているか。

ここには残酷な現実があってね。社会的に弱い立場にいる人間、自分に自信がない人間ほど、ネットのオープンチャットやSNSのタコツボに引きこもって、同じ穴の狢同士で傷を舐め合い、群れようとするんです。前回語った斎藤元彦の支持者たちのように、ルサンチマンを抱えた弱者がネットで同調圧力の塊になっていく。

一方で、強者から先に街へ出るんです。自分自身の足で立ち、自分の頭で考えられる人間は、ネットの閉鎖空間なんかに頼らなくても、一人で街に出て声を上げることができる。

「大衆の分断構造 弱者と強者の行動」という見出しの下に、ネットの閉鎖空間で群れを成す弱者と、一人で実社会へ向かう自立した強者の対比が示された図。

国会前に現れた「ヨーロッパ基準」の新しい市民運動

そして今、その「強者たち」が、日本の新しい風景を作り出しています。最近の国会前のデモを見て、俺は本当に驚いたし、震えるような希望を覚えました。

30代男女が主役となる、群れない・必死じゃない・連帯しないデモの軽やかさ

昔の国会前デモと言えば、おじいちゃんおばあちゃんが悲壮な顔をして、腕を組んで「連帯して頑張りましょう!」なんてシュプレヒコールを上げるような、粘着質で重苦しいものでした。

でも今の国会前は違う。主役は「30代の男女」なんです。彼らは互いに群れていない。一人でふらっとやってきて、プラカードを掲げて、時間が来たらサラッと帰っていく。全然「必死じゃない」んです。誰かと無理に連帯しようともしない。ただ、個人として「これはおかしい」と思うから、自分の足で立ってそこにいる。

「欧州基準の胎動 新たな市民運動」という見出しを筆頭に、若年層主体の新しい市民運動のあり方について、群れない連帯や軽やかな意思表示、理性的判断といったキーワードが箇条書きで記されたスライド。

ルサンチマンまみれの「年寄りの情念」を捨て、自立した「個」が歩き出す希望

これこそが、俺がずっと日本に欠けていると言い続けてきた「個の確立」ですよ。

互いに依存し合い、気持ち悪い同調圧力の中でしか動けない「年寄りの情念」にまみれた古い社会運動は、もう終わったんです。そんなルサンチマンに付き合ってやる必要はもうない。

自立した「個」が、誰に強制されるでもなく、ただ自分の理性の判断として街へ出る。この軽やかな市民運動の姿は、まさに欧米の市民社会が当たり前に持っている「ヨーロッパ基準」そのものです。

「旧来型社会運動の決定的な終焉」と題し、古い連帯や情念の廃棄と、強制のない自立した個の歩み出しを対比的に示したプレゼンテーション資料。

ルールを平気で破る権力と、それに情欲で群がる愚かな大衆が国を滅ぼそうとしている今、この30代が作り出している「自立した個の風景」こそが、日本社会に残された最後の、そして最大の希望なんですよ。我々はこの軽やかな彼らの背中を、全力で守り、後押ししていかなければならないんです。

「自立した個の擁護 最大の希望の形」という大見出しの下に、「欲望で群がる大衆への明確な決別」「欧米基準たる市民社会の日本定着」という項目が続き、最後に「軽やかな個の背中を守り抜く覚悟」という赤字の強調文と、注釈として「社会の共通基盤が抜け落ちた絶望の淵での希望」が記されたスライド。
たもっちゃん
たもっちゃん

あのね、全4回にわたって長々と付き合ってもらいましたけど、俺が今回一番言いたかったのは、この最終回の「希望」の話なんですよ。

入り口でルールを破る偉いさん(第1回・第2回)がおって、それに下半身の情欲で群がって熱狂する気持ち悪い大衆(第3回)がおる。こんな国、放っておいたら100年前と同じようにまた内側から腐って滅びるに決まってるんです。

でもね、ネットのタコツボで傷を舐め合ってる連中をよそに、自分の足で立って、自分の頭で考えて、サラッと街に出てくる「強者」の30代が確実に育ってきている。彼らにはルサンチマンも、年寄りの情念みたいな気持ち悪い同調圧力もない。ただ「これはおかしい」という理性だけで立ってるんです。

日本の社会運動が、ようやくヨーロッパの基準に並ぼうとしている。この軽やかな連中がいる限り、日本もまだまだ捨てたもんやないんですわ。俺たちは彼らの邪魔をせず、この「自立した個の風景」を全力で守っていかなあかん。それが、あの気持ち悪い権威主義的ポピュリズムに対抗する、唯一にして最強の武器なんやから。最後まで読んでくれて、ほんまにおおきに。

コメント

タイトルとURLをコピーしました