PR

【第1回】暴力の全否定か、それとも徹底か――ガンジーの非暴力に宿る凄絶なる覚悟

権力の二面性をテーマに、左側は戦火の城と侍、右側はデジタル監視社会のサーバー群を描いた対比的な構図。中央には奥羽越列藩同盟の紋が配置されている。

5/20(水)朝刊チェック|斎藤元彦兵庫県政で兵庫県の借金が増え続ける原因が明確に理解できるとある証拠について

【結論】

明治維新から現代の政治・大衆社会にまで通底する日本の病理、それは「物事を徹底的に突き詰めないなあなあ主義」と「当事者意識の決定的な欠落」である。血生臭いテロルを敢行した西郷隆盛の覚悟、あるいは脳みそをぶちまける死体の山で近代文明のロジックを窒息させたマハトマ・ガンジーの狂気じみた徹底性と比較した時、お上が用意したお綺麗なナラティブや利便性のデータベースにみずから飼い慣らされていく現代人の精神的去勢の深さが浮き彫りになる。

【ポイント3選】

  • 明治維新という名の不徹底な妥協: 豊臣家を根絶やしにした家康の徹底性と大非し、無血開城という「なあなあ」で済ませたツケが現代まで続く日本人の甘えのシステムを構築した。
  • 論理の戦闘技術としての非暴力主義: ガンジーの非暴力とは、綺麗事の平和主義などではなく、一切反撃せず笑顔で殺され続けることで相手の近代人としてのプライドとロジックを内側から完璧に粉砕する凄絶な暴力の徹底であった。
  • 富を盾にシステム設計を拒絶した新潟民衆の勝利: 全国一の神社数を誇る新潟県の歴史構造。明治政府によるアメリカ的一神教的ナラティブへの強制書き換え(神社合祀)に対し、生活の論理で突っぱねた当事者意識の証明。

【完全版】動画タイムスタンプ&要約辞書

【クリックで展開】全76箇所のタイムスタンプと要約を表示(動画の取扱説明書)

明治維新という「なあなあの妥協」がもたらした日本の精神的去勢

一会桑政権の可能性と「15年」という急進的変革の歪み

日本の近代化を語るとき、誰もが「明治維新」という言葉を無批判に、まるでおめでたい奇跡か何かのように崇め奉る。だが、あの政変の本質は奇跡などではない。単なる「不徹底な妥協」であり、もっと生々しく言えば、極めて中途半端ななあなあの政権交代劇に過ぎない。

本当に近代国家としての骨格を、自らの血と論理で勝ち取る覚悟が当時の日本人にあったのか。歴史のifを紐解くまでもなく、幕末には「一会桑政権」、すなわち一橋・会津・桑名による3家連合という、イギリス的な「漸進的妖怪」とも言うべき、緩やかで、しかし極めて実利的な近代化の選択肢が確かに存在していた。急進的な破壊ではなく、既存の武家政治の記憶とシステムを残しながら、時間をかけて社会を正規化していく道。それこそが、本来の「妖怪の如きしぶとさ」を持った国家の設計図だったはずだ。

しかし、薩長を中心とした勢力が選択したのは、わずか15年というあまりにも短期間での急進的かつ、その実、極めて中途半端な「革命ごっこ」だった。旧体制を根本から殲滅することもできず、ただ表面の看板をすげ替えただけの変化。この「15年」という短すぎる狂乱が、現代まで続くこの国の精神的去勢の始まりである。

豊臣家を根絶やしにした徳川家康の「凄み」と維新政府の甘え

歴史を見事に完結させた巨頭の凄みと比べるがいい。徳川家康がなぜ300年の平和を築き得たのか。理由は簡単だ。「大阪夏の陣」において、豊臣の血脈を、その根に連なる者どもを、文字通り徹底的に、冷徹に、一人残らず殲滅したからだ。根絶やしにするという圧倒的な当事者意識。それがあったからこそ、その後3世紀にわたる天下の安泰というシステムが担保された。

翻って明治維新はどうだ。徳川慶喜は助命され、江戸城は「無血開城」などというお綺麗な言葉で飾られて幕を閉じた。一見すると人道的に見えるこの幕引きこそが、この国に「徹底的に戦わなくても、なあなあで済ませれば、誰かが責任を取ってくれる」という、致命的な甘えのシステムを植え付けた張本人なのだ。

古いPCに「五防星(陰陽道の五芒星)」ではなく、あえて「奥羽越列藩同盟」のロゴマークのステッカーを貼っている意味を、お前らは考えたことがあるか。俺があそこで、あえて東北の敗者たちのシンボルを掲げ続けているのはな、単なるノスタルジーや判官贔屓やない。明治政府という、あの「なあなあで始まった欺瞞のシステム」に対する、俺なりの最大級の当てこすりであり、批評の眼差しそのものなんや。

血を流することを恐れ、敵を徹底的に断罪することもせず、勝者と敗者が握手をして終わる。そんなお綺麗な物語の裏で、日本人はみずからの牙を、論理的な思考の骨格を、完全に抜き取られた。この「なあなあ主義」という病理こそが、近代日本を規定する最大の呪いである。

「豊臣を根絶やしにした家康の凄みを見習え。無血開城なんてな、ただの戦意喪失と責任転嫁の美談化に過ぎへんのや!」

血を流し続けたテロリスト・西郷隆盛と、笑顔で死にゆくガンジーの本質

西郷が痛感した「殺し足りなさ」と関東浪人を使った焦土作戦

では、維新の三傑の一人、西郷隆盛とは何者だったのか。彼は巷の教科書が描くような「お人好しの南洲翁」などでは断じてない。その正体は、自らの思想を完遂するために東京で関東浪人を雇い、放火と略奪を繰り返させた、極めて血生臭い過激なテロリストである。

西郷は天才であるがゆえに、見抜いていたのだ。この国の連中がいかに中途半端で、いかに当事者意識を欠いた烏合の衆であるかを。彼は戊辰の戦火の中で、そしてその後の世の推移を見ながら、心の底から絶望し、こう痛感していたはずだ。――「殺し足りない」と。

戦火によって徹底的に旧時代の膿を絞り出し、国民の骨にまで「自分たちが国を変えたのだ」という血の記憶を刻み込まなければ、この国は一瞬で瓦解する。西郷はその危機感から、あえて薩摩の判定を盾にし、挑発に挑発を重ねて血生臭い戦乱を演出した。自らが凄惨な悪役、あるいは壮絶な犠牲者になることで、国家に論理の楔を打ち込もうとした確信犯だったのだ。

西郷のこの予言は見事に的中した。徹底的な破壊と自省のプロセスを経なかった日本人は、王政復古の大号令からわずか数十年後、大東亜の焦土を経て、今度は「マッカーサー大明神」の前に、わずか10日で平伏した。昨日まで「鬼畜米英」と叫んでいた口で、翌日には「ギブ・ミー・チョコレート」と笑顔で宣う。この驚異的な主体性の欠如、180度の転向を平然とやってのける軽薄さこそ、西郷が命を懸けて、血を流してまで抗おうとした、日本の「中途半端さ」そのものだった。

脳みそを飛び散らせる「非暴力主義」の凄絶なる狂気

みんな「非暴力」っていう言葉をな、すぐお花畑の綺麗事みたいに解釈するやろ。お前ら左翼が夢想するような、みんなで手を繋いで歌を歌ってたら戦争がなくなりました、みたいなそんな生易しいもんやと思ったら大間違いやぞ。歴史の教科書に載ってるガンジーのあの穏やかな笑顔の裏にはな、人間の想像力を遥かに超えた、冷徹極まりない「論理の狂気」が脈打っとるんや。

マハトマ・ガンジーが貫いた「非暴力主義」の本質もまた、現代の甘っちょろい知識人が語るような人道主義とは180度異なる。あれは、極めて凄惨で、狂気じみた、徹底的な「論理の暴力」だ。

ガンジーの非暴力とは、イギリス人の放つ銃弾の前に、一切の武器を持たず、ただ笑顔で、文字通り一列になって肉体を差し出し続ける行為だった。パーンと撃たれれば、脳みそが飛び散り、死体が山をなす。その後ろから、また次の人間が笑顔で進み出て、同じように脳みそをぶちまけて死んでいく。

想像してみるがいい。撃っている側のイギリス人の精神が、先に崩壊していく様を。彼らは、自分たちが「正義の近代国家」であり、「文明人」であるというプライドを持っていた。そのプライドの目の前で、一切反撃してこない生身の人間を、ただ論理の証明のためだけに、何千人、何万人と殺し続けさせられるのだ。ガンジーは、血の海と、飛び散る脳みその山を積み重ねることで、イギリス人が拠って立つ「近代文明」というロジックそのものを取り戻せないレベルまで内側から完璧に、論理的に粉砕した。

非暴力とは、暴力を全否定することではない。暴力を限界まで引き出し、相手のロジックを叩き潰すための、最も凄絶な「徹底」の手段なのだ。西郷の焦土作戦も、ガンジーの肉体の山も、本質は全く同じである。物事を徹底することの凄み。それを持たない者に、歴史を動かす資格などない。

「非暴力ちゅうのはな、自分の脳みそを相手の目の前にぶちまけて、その返り血で相手の論理を窒息させる、最悪に狂った戦闘技術なんや!」

国家神道という名の「アメリカ的合理主義」への敗北

配物記釈の本丸は仏教排斥ではなく「神社等配合」というシステム設計

この「徹底性の欠如」と「なあなあ主義」が、日本の精神の核である宗教と空間の設計をいかに破壊したか。その決定的な証拠が、明治期に行われた「廃仏毀釈」、そしてその本丸である「神社合祀(等配合)」という名のシステム設計である。

一般に廃仏毀釈は、仏教を排斥して神道を国教化するための運動だったと理解されている。だが、それはあまりにも表面的な見方だ。真の目的は、日本全国の村々、路地裏に無数に存在していた「お稲荷さん」や、名もなき「村の祠」、土着の多神教的カオスを圧殺し、国家が一元管理する「国家神道」という名の、極めてアメリカ的で合理主義的な「一神教的ナラティブ」への強制書き換えだった。

それまで日本の空間は、論理的に正規化されたデータベースではなかった。ここに行けばこの神様がいる、あっちの辻にはあのお稲荷さんがいるという、多義的で、曖昧で、しかしそれゆえに豊かなアニミズムの空間だった。明治政府は、このカオスが目障りで仕方がなかったのだ。だからこそ、行政の都合で神社を統合し、整理し、天皇を中心とする一つのタイムライン、一つのナラティブへとはめ込もうとした。

日本の地図をじっくり見てみろ。神社数が一番多い県はどこか知っとるか。京都でも奈良でもない、新潟県なんや。なんで新潟にそんなに神社が残ったか。明治のあの狂ったような神社合祀の嵐の中で、新潟の人間たちだけはな、お上から「祠を潰せ」って言われても、「アホ抜け、誰が潰すか」って富を盾にして突っぱねたんや。これこそが、民衆の側にある『徹底した生活の論理』の勝利の跡なんや。

当時、日本で最も人口が多く、同時に北前船の交易や米の生産で圧倒的な富を誇っていた新潟県。彼らは、お上がいくら「近代化のために神社を等配合しろ」と命令してきても、みずからの富と、土着の信仰への執着(当事者意識)を盾にして、その不条理なシステム設計を断固として拒絶し続けた。だからこそ、現代にいたるまで新潟には膨大な数の神社が、お稲荷さんが、牙を抜かれずに生き残ったのだ。

新潟以外の多くの地域は、お上の言うことに「なあなあ」で従い、自らの空間の記憶を、村の固有の論理を、あっさりと差し出した。国家の都合のいいナラティブに飼い慣らされ、精神のインフラまで正規化されることを受け入れてしまった。

この、お上に生殺与奪の権を握らせ、自らの論理で空間を防御することを忘れた従順な大衆の誕生。これこそが、明治維新という「中途半端な妥協」がこの国にもたらした、最も深い敗北の傷跡である。

「お上が作ったお綺麗なデータベースに収まるために、自分らの神様をドブに捨てるような真似、新潟の商人やったら絶対に許さへんかったんや!」

たもっちゃん
たもっちゃん

「歴史の話を長々としてきましたけどね、これ、決して昔の教科書の中だけの話やないんですよ。

明治政府が日本の空間から多義性を奪って、お上の都合のいいデータベースに社会を押し込もうとした欺瞞。そして、それに『なあなあ』で従うて牙を抜かれていった大衆の歴史。この不徹底さと当事者意識の欠落という病理はね、悲しいかな、現代の政治の現場にこれ以上ないほど生々しく遺伝しとるんです。

その最悪のサンプルが、今まさにニュースを騒がせとる『兵庫県政』であり、斎藤元彦という男の統治機構なんですね。

歴史をなあなあで済ませてきたツケが、地方自治体のトップの『圧倒的な怠惰』として現れたとき、巨大な組織はどうやって内側から腐っていくんか。

長年地域に尽くしてきた功労者の顔をフレームからすっ飛ばして、自分だけが満面の笑みで主役に収まる広報紙の狂気。自分らへのハラスメント告発を『俺の自己評価ではかなり上品やったから事実無根や』と言い張って揉み消してしまう、側近幹部らの滑稽な不条理劇。そして何より、ミスを修正するホイッスルブロー(公益通報)を自分で圧殺した挙げ句に、お笑いの技術としても最低な『スベり倒した天丼』を意地になって2度付け3度付けして、県の借金を底なし沼に沈めていくトップの暴走。

お上が用意したお綺麗なナラティブに飼い慣らされた現代の組織が、いかにして外側の客観的な定規を拒絶し、喜劇のような自滅のタイムラインを突き進んでいくんか。歴史の底流から見事に地続きで繋がっとる、現代の権力の暴走とガバナンス崩壊の全貌を、次の記事で冷徹に、でも分かりやすく紐解いてみようと思ってます。

物事の本質から逃げ続ける人間たちが作り出す、現代のリアルな不条理のデータベース。胸糞悪い話ではありますけど、私たちがみずからの精神を防御するためには、これ以上ない格好のテキストになりますから、ちょっと一緒に覗いてみませんか」

コメント

タイトルとURLをコピーしました