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【連載第1回】統治行為と芸能行為の区別がつかないバカたち――斎藤元彦と高市早苗に見る「共感性羞恥」の正体

重厚な書斎の机に論語や法の精神などの古書が置かれ、その後方でスマートフォンを掲げて自撮りをする斎藤元彦と、「共感性羞恥 芸能化する政治」という大きな文字が重なっている様子。

2026/4/3(金)朝刊チェック:斎藤元彦と高市早苗を見ていると「共感性羞恥」が生まれてしまう理由について

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【結論】

近代以前から続く「公務では己を虚しくする」という大人の常識を持たず、行政を自己アピールの場と勘違いする政治家たちの致命的な知性不足。それこそが、彼らを見たときに私たちが抱く「共感性羞恥」の正体である。

【ポイント3選】

  • 「よんがつ」と言えない不特定多数: 会話の前提すら共有できない圧倒的な読解力不足が、現代日本の敗北の根源である。
  • 「芸能」と「行政」の致命的な混同: 政治が芸能めくことは避けられないが、公務に「我」を持ち込むのはシステムそのものを破壊する愚行である。
  • 2000年前の孔子に笑われる大人たち: 仕事とは「事に仕える」こと。己の承認欲求を満たすだけの振る舞いは、まともな教育を受けた大人から見ればただの喜劇に過ぎない。

あのね、もう我が国は多分、知性の底が完全に抜け落ちてるんですよ

4月になって、ちょっとYouTubeのコメント欄なんかを久しぶりに覗いてみたら、まあ酷い。こないだ私が「消しからん」という言葉を使ったことに対して、「消しからんを逆の用法で使うのは関西の風習ですか?」なんて書き込んでる圧倒的な気違いがおったんです 。もうね、心の底から死ねばいいのにと思いましたよ 。基本となる読解力というものが、完全に欠如している

不特定多数と喋る時、なぜ我々が「4月(しがつ)」ではなく「よんがつ」と言うのか 。それはね、聞き間違いが必ず発生するから、それを防いで効率を上げ、ひいてはGDPを上げるための最低限のプロトコルなんですよ 。「2円(にえん)」を「ふたえん」と言うのと同じです

この程度の「自分が他者と会話する資格や前提がない」という自覚すら持っていない人間がうようよしている 。これが我が国が敗北の道を歩み続ける最大の理由でしょうな 。みんな「教育格差だ」なんだと言いますが、もうしゃあないと思うわ 。幕末に日本にやってきたヨーロッパ列強の公使たちが、「この国はどうしようもない」と頭を抱えた気持ちが、今なら痛いほどよく分かります

ひどいありさまですよ、本当に。

統治行為と芸能行為の区別がついていないバカたち

さて、こんな知性の底が抜けた国だからこそ、トップに立つ人間の「質」も当然のように底抜けになっていくわけですが、最近の斎藤元彦や高市早苗を見ていると、ある共通の「気持ち悪さ」に気づくはずです。

端的にお伝えしましょう。彼らは「統治行為」と「芸能行為」の区別が全くついていないんです 。行政や公務というものを、自分をアピールするための芸能行為だと勘違いしている 。

誤解しないでいただきたいのですが、「政治家が芸能行為をするな」と言っているのではないんです 。政治家という職業は極めて芸能に近いところにいるし、むしろ政治(政務)そのものに芸能の側面があるのは本質論として間違いない 。ベン図で書けば、政治と芸能の円は単に近接しているのではなく、重なっている部分が大いにあるんです

しかし、行政行為(公務)は全く違う

首長や内閣総理大臣において、「政務」と「公務」は明確に切り離されなければなりません 。政務の領域が芸能めいていることはある程度黙認されるべきかもしれないが、公務の中に「芸能の側面」や「己の我」を出すことなど、絶対に許されてはならないんですよ

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モンテスキュー以前、2000年前からの「常識」

この「公務で我がを出してはいけない」という極めて当たり前の知恵は、近代民主主義が生まれてから獲得されたものだと思っていませんか?

モンテスキューが『法の精神』を書いて三権分立という概念を持ち出してから、人類が「ああ、政務と公務は別なんだな」と気づいたわけじゃないんです 。

そんなもの、2000年前から人類の常識なんですよ

まともな親に育てられ、まともな教養を持ち、せめて大学入試で偏差値56以上の教育を受けてきた人間ならば 、仕事とは文字通り「事に仕える」ことであると知っています

だからこそ、斎藤元彦や高市早苗のように、公の場で平然と「我」を出し、公務を己の承認欲求を満たす活動にしている人間を見ると、強烈な違和感を覚えるんです。

「あ、この人は仕事の時に『事に仕える』ことができないんだな 」 「己という、世界で最も価値のないものを仕事に持ち込む人間なんだな 」 「己を虚しくするという、大人としての最低限の訓練すら受けていないんだな

そう見透かしてしまうからこそ、見ているこちらが恥ずかしくなる 。それが彼らに対する「共感性羞恥」の正体です 。

では、その「我を出さない」という人類のプロトコルがいかに重要か。次回は、東京から20年、いや孔子の時代から2000年遅れている兵庫県知事の「出石そば公用車事件」を例に、システム管理者の暴走という視点から徹底的に解剖していきましょう。

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