愚者の証明:折田楓氏の不起訴コメントと斎藤知事支持層の致命的欠陥 - 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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愚者の証明:折田楓氏の不起訴コメントと斎藤知事支持層の致命的欠陥

斎藤元彦

序論:不起訴は「勝利」にあらず

YouTube動画11/13(木)朝刊チェック:「国会の質問通告2日前ルール」とかいう弱者しか信じないデマを流した国光あやの .@ayano_kunimitsu に関する若干の報告から

神戸地検が、斎藤元彦兵庫県知事および広報アドバイザーであった折田楓氏に関連する公職選挙法違反疑惑について、嫌疑不十分を理由に不起訴処分を下した。この一報に、斎藤知事の支持者たちは安堵し、一部はこれを「潔白の証明」「完全勝利」と喧伝している。しかし、表層的な結果に歓喜する彼らの姿は、事の本質を見誤った、あまりにも浅薄な反応と言わざるを得ない。

菅野完氏の鋭い分析によれば、この不起訴処分は決して斎藤・折田両氏にとっての勝利ではない。むしろ、折田氏が発表した思慮を欠いたコメント、斎藤知事の対応に見られる明白な矛盾、そして彼らを支える支持層の特異な性質が白日の下に晒され、結果として関係者全員の「愚かさ」と「異常さ」を証明する格好の材料となってしまったのである。本レポートは、この不起訴処分を巡る一連の言動を徹底的に解剖し、彼らが自ら招いた致命的な欠陥を明らかにするものである。

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1. 斎藤知事支持層の「異常性」に関する考察

斎藤知事を取り巻く不可解な事象の根源を理解するためには、まず彼の核心的な支持層が持つ特異な性質に焦点を当てる必要がある。彼らの行動原理こそが、今回の不起訴を巡る一連の稚拙な対応の背景にあるからだ。

菅野氏は、斎藤知事の「積極的な支持者」について、「異常者しか知らない」と、一切の容赦なく断じている。この主張を裏付けるため、彼は自身に執拗なショートメッセージを送りつけてくる支持者の一人に、配信中に電話をかけるという行動に出た。当然ながら、相手が電話に出ることはなかった。匿名性と一方的な攻撃性に依存し、直接対峙する勇気も知性も持ち合わせていない――これが、菅野氏が描く支持者像の典型である。

彼は自らの持論として「健常者の反対語は異常者」であると述べ、斎藤知事の支持者たちを、辛辣にも「母親の体内に4/5の知性を置き忘れてくれたような愚か者たち」と評した。この痛烈な評価は、単なる侮蔑ではない。法的・社会的な常識が通用せず、不起訴処分という事態の持つ複雑な意味合いを理解できずに、ただただ歓喜の声を上げる彼らの行動様式を的確に捉えたものと言えよう。法的・社会的なニュアンスを理解できない支持層によるこの盲目的な支持こそが、折田氏のような法的にも常識的にも破綻した自己弁護の声明を、「勝利宣言」と勘違いして世に放つことを可能にした、絶好の無菌室(エコーチェンバー)となっているのである。

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2. 折田楓氏の「語るに落ちた」不起訴コメントの徹底解剖

今回の不起訴問題における核心は、折田楓氏が処分後に発表したコメントにある。この短い声明文は、彼女の潔白を証明するどころか、むしろ彼女自身の法的感覚の欠如と戦略的思考の無さを、これ以上ないほど雄弁に物語ってしまった。まさに「語るに落ちた」のである。

菅野氏が最大の問題点として指摘したのは、以下のあまりにも不用意な一文だ。

不正な大価の受領はもちろんのこと、いかなる不正行為の事実も断じてございません

この一文がいかに愚かであるか、菅野氏の分析に基づき、三つの側面から徹底的に解剖する。

社会人としてのセンスの欠如

ビジネスパーソンとしての常識があるならば、まず言うべき言葉は謝罪である。菅野氏が指摘するように、「この度は様々な方にご迷惑とご心配をおかけし大変申し訳ございませんでした」と述べ、2〜3行で簡潔に済ませるべきだった。疑惑をかけられたこと自体が、クライアントや関係者に迷惑をかけた事実である。にもかかわらず、彼女は「事実と異なる報道」などと不満を述べ、被害者ポジションを取るという最も愚かな選択をした。これは、広報の専門家を自称する人間として、致命的なセンスの欠如を示している。

致命的な法的感覚の欠如

そもそも「嫌疑不十分による不起訴」は「無罪の証明」では断じてない。「不正行為の事実も断じてございません」という断定的な表現は、菅野氏曰く「痛い腹がある奴が言う言葉」そのものである。もし本当に潔白であるならば、検察の判断に安堵するのではなく、なぜ事実無根の疑いが晴らされなかったのかに言及すべきだろう。約1年間、弁護士と対話を重ねてきたにも関わらず、このような初歩的なリーガルマインドすら身についていないことについて、菅野氏は「よっぽどアホ」であると、辛辣に切り捨てた。

「裁判を受ける権利」への無理解

菅野氏が最も強く批判したのは、このコメントが示す「裁判を受ける権利」への無理解だ。彼女の態度は、単なる法的無知にとどまらず、基本的人権に対する驚くべき無感覚を露呈している。

菅野氏の解説によれば、刑事訴訟において、そもそも裁判にすら進めない人々が存在する。刑法39条が定める心神喪失者などがそれに該当し、彼らはたとえ無実の罪を着せられても、法廷で潔白を証明する機会そのものを奪われ、永遠に「グレー」な状態に置かれる。かつては、ろうあ者も同様に「裁判を受ける能力がない」として、この極めて重要な権利を一方的に剥奪されていた歴史がある。裁判を受ける権利とは、国家権力による一方的な断罪から身を守り、自らの潔白を公の場で証明するための、先人たちが闘い取ってきた尊い人権なのである。

真に潔白を証明したいのであれば、子守康範のように、自ら正式な裁判を求め、法廷で真実を明らかにすべきだった。不起訴という「お目こぼし」を甘んじて受け入れながら「不正は断じてない」と強弁する姿は、この権利の重みを全く理解していないことの証左に他ならない。それは、彼女が正義や人権の基本理念を理解する能力に根本的に欠けていることを示している。

結論として、折田氏のコメントは、彼女の判断能力の低さと人権感覚の欠如を決定的に印象付け、疑惑を晴らすどころか、むしろ彼女自身が「何かを隠しているのではないか」という新たな疑念を抱かせる最悪の結果を招いたのである。

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3. 裁判回避という戦略的失策と立花孝志裁判の影響

斎藤・折田両氏が不起訴処分を受け入れたことは、目先の追及を回避したように見えるかもしれないが、長期的に見れば、自らを極めて不利な立場に追い込む戦略的失策である。菅野氏の分析によれば、その鍵を握るのは、今後始まる立花孝志氏の裁判だ。

問題の核心は、「自分たちの裁判で潔白を証明しない限り、事実は立花孝志の裁判で確定する」という点にある。立花氏の裁判は、彼が斎藤・折田両氏について行った告発的な言動に関する名誉毀損が争点となる。この裁判で立花氏が自身の免責を勝ち取るためには、「真実相当性」、すなわち、彼がそう信じるに足る相当な理由があったことを証明する必要がある。

その過程で、立花氏は必然的に情報の入手源として、岸口氏、増山氏、白井氏といった内部告発者たちの名前を法廷で挙げるだろう。そうなれば、彼らは証人として法廷に召喚される。結果として、斎藤・折田両氏は、自らの意思とは全く無関係に、立花氏の裁判という他人の土俵の上で、自分たちに関する「事実」が認定されてしまうという絶望的なリスクを背負うことになるのだ。

この疑惑に関する司法の公式な記録は「立花裁判で確定した事実」のみとなる可能性が高い。その結果、この一件に関する唯一の法的に認定された物語は、斎藤・折田両氏が被告人としての権利を持たない法廷で、彼らの宿敵が監督するドラマの単なる証人として紡がれることになる。自ら潔白を証明する機会を放棄したことが、いかに愚かな選択であったか、彼らがその事実に気づく頃には、もはや手遅れとなっているだろう。

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4. 斎藤知事のダブルスタンダードと深まる疑惑

不起訴処分によって疑惑が晴れるどころか、斎藤知事自身の言動の矛盾が露呈し、疑惑はむしろ深まっている。菅野氏が鋭く指摘したのは、斎藤知事が見せる明白な「ダブルスタンダード」である。

  • 自身の案件: 自身が被疑者として捜査を受けていたこの1年間、「なんら問題はない」「適切に対応した」などと、捜査中の案件について臆面もなくペラペラとコメントを続けていた
  • 立花氏の案件: 一方、自身は直接の当事者ではないはずの立花氏の案件については、「捜査中である」ことを理由に一貫してコメントを差し控えている

この態度の豹変は、あまりにも不自然であり、不誠実だ。菅野氏が突きつけた「なぜ立花さんの件では何にも言えないのか?」という素朴かつ痛烈な疑問に、斎藤知事は答えることができない。自分に都合の良い時は捜査中でも饒舌になり、都合の悪いことは「捜査中」を盾に口を閉ざす。この矛盾した態度は、彼が何かを隠しているのではないかという疑念を強めるだけである。

さらに滑稽なのは、支持者たちが「嫌疑不十分」での不起訴に歓喜する一方で、関連する西宮市長選の案件(22馬力選挙)が、より潔白に近い「嫌疑なし」で不起訴になった事実には沈黙している点だ。このダブルスタンダードは、知事のみならず、その周辺にまで蔓延している。

菅野氏は、「余計おかしなってるやんけ」「民主的正当性が疑義挟まれてるって分からへんかったらその段階で知事失格」と断罪する。嫌疑不十分での不起訴は、決して名誉回復を意味しない。むしろ、この一連の対応を通じて、彼の知事としての資質、そして政治家としての誠実さに、取り返しのつかない傷がついたと言えるだろう。

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結論:愚か者たちが自ら招いた泥沼

斎藤元彦知事と折田楓氏の不起訴処分。それは、彼らの支持者にとっては束の間の勝利に見えるかもしれない。しかし、本質を見れば、この一件は法的にも戦略的にも、そして人間的にも致命的な欠陥を露呈させる「愚者の証明」に他ならなかった。

折田氏のコメントに見る基本的人権への驚くべき無感覚、斎藤知事が露呈した姑息な「ダブルスタンダード」、そして彼らを盲目的に支持する層の「異常さ」。これら三つの要素は負の相乗効果を生み出し、事態を鎮静化させるどころか、より深刻で救いようのない泥沼へと自ら引きずり込んでいる。

疑惑は何も晴れていない。むしろ、新たな矛盾と疑問が次々と噴出している。菅野氏が最後に言い放った言葉が、この問題の行く末を的確に予言している。

ますますの怒りとやる気に火をつける愚か者たち

彼らの愚かな振る舞いは、追及者の闘志に油を注いだだけだ。この物語は、まだ終わりの見えない序章に過ぎない。

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