チームみらい安野氏の「新しい政治」、その正体は100年前に失敗した詐欺師的話法か? - 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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チームみらい安野氏の「新しい政治」、その正体は100年前に失敗した詐欺師的話法か?

チームみらい

導入:一見斬新な「国会批判」に潜む罠

第27回参議院議員通常選挙で議席を獲得した新党「チームみらい」の党首、安野貴博議員が、国会初登院を終えて公開した動画が話題を呼んでいる。➡こちらの動画

動画内で安野議員が展開した国会の旧態依然とした手続きへの批判――例えば、議長選挙にかかる時間的・金銭的コストや、議題の不透明さなど――は、一見すると合理的で的確な指摘に見える。それは「テクノロジーで政治を刷新する」という彼の公約に沿った、現代的な問題提起だと感じる人も多いだろう。

しかし、その主張を菅野完氏による痛烈な批判や、歴史的・思想的な文脈から深掘りするとき、一見もっともらしい「効率化」の呼びかけが、いかに民主主義的思考に対するトロイの木馬となりうるかが見えてくる。本記事では、安野氏の語り口が**「詐欺師的な話法に酷似している点、そしてその根底にある思想が、実は100年前に人類が壮大に失敗した思想」**の焼き直しに過ぎないという点を、平易に解説していく。

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1. 「1投票100万円」は本当か?――数字と物腰に隠された詐欺師的話法

このセクションでは、安野議員の主張が、菅野完氏の指摘する「典型的な詐欺師の話法」といかに酷似しているかを解説する。菅野氏の動画

1.1. もっともらしい数字のマジック

まず、安野議員が動画内で行った「議長選挙1回に100万円のコストがかかっている」という計算を見てみよう。彼の主張は以下の通りだ。

  • 議長選挙で行われる「無名投票」に30分かかる。
  • その間、参議院議員248人は何もできず、貴重な時間が失われる。
  • 議員の年収を約2000万円と仮定し時給換算すると、248人×30分のコストは約100万円になる。
  • 議長・副議長選挙で2回行われたため、合計200万円が無駄になった。

一見すると、具体的で説得力のある数字に聞こえる。しかし、このコスト分析は、その手続きが持つ本質的な意味を完全に無視している。参議院の公式記録によれば、安野氏が批判する議長選挙の結果は「投票総数248、関口昌一君246票、白票2票」であった。つまり、この30分という時間は、ほぼ満場一致の合意を、全員の目の前で、不正の余地なく、厳粛に確認するための民主主義的な儀式だったのである。これは単なる意思決定ではなく、集団の総意を公式に批准する、菅野氏の言う民主主義の根幹たる「納得のプロセス」そのものであった。この事実を前にすれば、「100万円の無駄」という安野氏の主張は、その根底から崩れ去る。

このロジックの脆弱性は、菅野氏の「もしその計算が正しいなら、安野議員自身がYouTubeで話している時間も国民の税金を使ったコストになるはずだ」という指摘にも集約されている。議員歳費は時間単位で計算される単純な人件費ではない。それをあえて時給換算し、「100万円」というキャッチーな数字を提示して聞き手の感情に訴えかける手法は、まさに「中途半端な数字」を用いた詐欺師的話法そのものである。

皮肉なことに、安野氏が用いた「無名投票」という言葉は、一般的に使われる「無記名投票」ではなく、参議院の公式記録で実際に使われている正式な用語である。彼は、その手続きの名称は正確に引用しながら、その目的と意義を全く理解していないことを露呈したのだ。

1.2. 無知を装い、共感を誘う手口

次に、安野議員は動画内で「アジェンダ(議題)を把握するのが大変で、一人会派は情報戦で不利だ」と主張した。これもまた、旧態依然とした永田町のシステムに立ち向かう新参者、というイメージを喚起し、多くの視聴者の共感を誘うだろう。

しかし、菅野氏によれば、これも事実に反するという。これは obscure knowledge(難解な知識)ではない。国会の議題は、前日に全議員に書面やメールで配布され、議事堂内の電光掲示板にも明示される。さらに、こうした手続きは、安野氏本人を含む初登院の議員向けの研修で明確に説明される、標準的な運営手順なのである。

この事実を踏まえれば、安野議員の主張は単なる「知らなかった」では済まされない。むしろ、意図的に「知らないふり」をすることで、旧来の政治システムに疎外された挑戦者という立場を演出し、視聴者の共感を得ようとする策略と見られても仕方がないだろう。

1.3. 本質を問わず、見た目だけを批判する危うさ

『論語』に「子、大廟に入りて事毎に問う」という故事がある。

  • 礼法の大家であった孔子でさえ、初めて重要な儀式を執り行う際は、ひとつひとつの手順を周囲に確認した。
  • 周囲から「何も知らないじゃないか」と嘲笑されたが、孔子は「(失敗しないように慎重に確認すること)これこそが礼なのだ」と答えた。

この孔子の姿勢と、初登院の安野議員の姿勢は対照的だ。安野議員は、なぜ長年にわたりそのような手続きが採用されているのかという本質を問うことなく、ただ表面的な非効率さ、つまり「どう見えるか」だけを批判した。

菅野氏の解説によれば、一見非効率に見える国会の手続きは、実は民主主義の根幹である**「納得のプロセス」**を担保するために不可欠なものだという。

  • 透明性の確保: 木の札を用いた投票や、全員の目の前で行われる開票作業は、不正の入り込む余地がない「ブラックボックスゼロ」の状態を作り出す。これは、議長選出のような最重要事項において極めて重要である。248票中246票という圧倒的多数の合意形成ですら、この透明なプロセスを経て確定されることにこそ意味があるのだ。
  • 有権者への敬意: 議員の名前を一人ひとり呼び上げる行為は、単なる点呼ではない。その議員を選んだ何十万、何百万という有権者への敬意を示す、儀式的な意味合いを持つ。
  • 「説得」ではなく「納得」: 民主主義の本質は、効率的な「説得」ではない。時間や手間をかけてでも、関係者全員の「納得」を形成するプロセスにある。この手間暇こそが、民主主義のコストであり、その価値の源泉なのである。

安野氏の批判は、この民主主義の最も重要な核心部分を見過ごしている。

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2. 100年前の亡霊――テクノロジー万能論という「実験済みの失敗」

この効率性を至上とする思想の知的ルーツを理解するためには、一世紀前の戦間期にまで遡る必要がある。安野議員の掲げる思想は、実は全く新しいものではなく、100年前に悲劇的な結末を迎えた、「実験済みの失敗」の繰り返しなのである。

2.1. 「人間が神に変わろうとする時代」の再来

菅野氏は、安野議員の思想を「100年前に実験して失敗したこと」と喝破する。その歴史的背景を理解する鍵となるのが、その時代の空気を力強く捉えた、1922年(大正11年)の「水平社宣言」にある一節だ。

「人間が神に変わろうとする時代に生まれたのだ」

この言葉は、第一次・第二次世界大戦間の「戦間期」の空気を象徴している。産業革命と科学技術の爆発的な発展は、人々に「機械(テクノロジー)が人間を神のような存在に引き上げ、社会のあらゆる問題を解決する」という万能感をもたらした。効率化と合理化が絶対的な善とされ、人間社会の非効率な部分はテクノロジーによって合理的に「改善」されるべきだと考えられた。

しかし、歴史が証明したように、この思想は壮大な失敗に終わる。効率や合理性を追求するあまり、人間性を軽視し、民主主義の面倒な「納得のプロセス」を切り捨てた結果、ファシズムや全体主義という人類史上の大悲劇へとつながったのである。安野氏の「テクノロジーで政治の問題を解決する」という主張は、耳障りは良いが、その根底には100年前に破綻した危険な思想が横たわっている。

2.2. 民主主義の「物象化」という過ち

安野氏の議論におけるもう一つの問題点は、思想史家のカール・マルクスが指摘した**「物象化」「疎外」**の概念で説明できる。

「物象化」とは、人間同士の複雑な関係性や活動が、あたかも客観的で独立した「物」や「商品」のように認識され、その本来の意味や価値が失われてしまう現象を指す。この民主主義的プロセスを単なる費用項目に還元する行為は、マルクスが「物象化」と呼んだものの典型例である。

安野氏の議論は、まさにこの物象化の教科書的な事例と言える。彼は、透明性のある儀式(納得のプロセス)を通じて集団の意思と信頼を築くという複雑な人間的プロセスを、単純で数量化可能な「モノ」、すなわち「100万円」という金銭的コストに還元してしまった。そうすることで、人間的な意味は消し去られ、我々は民主主義という行為そのものの目的から**「疎外」**されてしまうのだ。

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3. 結論:チーム「過去」が目指す未来とは

本記事で明らかにしてきた論点を、最後に整理しよう。

  • チームみらい・安野議員の国会批判は、一見もっともらしい数字や物腰の柔らかさを利用した**「詐欺師的話法」**の疑いが濃い。
  • その根底にあるテクノロジーによる効率化・合理化という思想は、新しいものではなく、100年前に全体主義という悲劇を招いた**「実験済みの古い思想」**である。
  • 民主主義の手続きを金銭的コストに還元する「物象化」の発想は、プロセスの人間的な本質を見誤らせる危険な考え方である。

「チームみらい」という党名とは裏腹に、彼らが提示する思想は、むしろ「チーム過去」と呼ぶべき思想的退行である。我々有権者は、「新しい政治」という耳障りの良い言葉の裏に隠された、危険で古い思想の歴史的こだまを聞き分け、その本質を見抜く力を持つ必要がある。

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