自民党
YouTube動画2025/11/9自民党野党時代の高市早苗さんが質問通告を2日前ではなくなんと1日前に提出していた件 【国光あやの .@ayano_kunimitsu や新宿会計士 .@shinjukuacc らネット乞食に朗報】
まず、この比喩における自民党の営業スタイルは、文字通り「抱き合わせ」や「おまけ」を用いて有権者からの票を確保する姿勢を象徴しています。
菅野氏によると、自民党の魚屋は顧客に対し、**「このイワシ買ってください買ってくれたら500円つけます」**という営業を行います。
これは、魚(=政党の基本政策や立候補者への投票)を購入する(=投票する)行為に対し、**「500円」という具体的なおまけ(=特典、あるいは利益供与)**を付けて票を稼ぐ(=支持を得る)手法として説明されています。
- 政策(魚)自体の魅力よりも付加価値による獲得: 自民党の支持獲得は、政策の質やイワシ自体の価値にのみ依存するのではなく、付随する金銭的・物質的なインセンティブ(おまけ)によって支えられているという認識です。これは、選挙において票を投じる見返りに、何らかの便宜や支援が得られるというイメージを表しています。
つまり、自民党の「抱き合わせ販売」とは、政策という主たる商品に「おまけ」を付けて、確実に票(購入)を確保しようとする営業戦略を指している、と解釈できます。
日本維新の会
維新の会の魚屋としての売り方は非常に個性的で、顧客に対して攻撃的かつ強引な態度を取るものとして表現されています。
腐った魚の販売と強要: 維新の店が売っている魚は「腐っている」にもかかわらず、「お前この腐った魚のうまさわからへんの?」「腐ってる魚うまいねん」と客に食ってかかります。
- 「身を切る改革」による高値の正当化: イワシ1匹に1,000円という高値を要求し、それを「お前腐ったイワシに1,000円出すというのが身を切る改革やないか」と、改革の名の下に正当化します。
- 異論を唱える客への排除: この理不尽な要求に対して納得しない客には、「お前買わんのかい」と罵倒します。
この結果、売り手(維新)が「そんなむちゃくちゃなん、誰が買うねん」と思っているにもかかわらず、周りでテレビを見ている人が「ほんまにイワシはちょっと腐ってる方が美味しいねん」と言い出す人が増えてくる、という描写があります。ただし、これは東京や関東では考えられず、**「大阪は腐ったイワシ食うねん」**という、地域的な特殊性に関連付けて語られています。
この比喩は、維新の党勢拡大のやり方、特に「身を切る改革」というスローガンと、批判的な意見を許さないような態度の特異性を強調するために使われていると言えるでしょう。
れいわ新選組
菅野氏は、山本太郎氏が率いるれいわ新選組の魚屋としての売り方は、客が選ぼうとする他のあらゆる選択肢を頭ごなしに否定する特徴として描かれています。
- 客に対して「奥さん肉ダメよ」「野菜もダメ」「お米もダメ」と、魚屋とは直接関係のない商品も含めて否定します。
- そして、「他人が選ぼうとするやつを頭ごなしで」「それもダメそれもダメそれもダメそれもダメそれもダメ」と、文句をつけるだけであると表現されています。
1. 徹底した既存路線の否定
れいわ新選組の魚屋は、政策(この比喩における魚以外の肉や米などの商品も含む、有権者の選択肢全般)を販売するにあたり、自らの商品の魅力を強調する以上に、他の政党や既存のシステムが提供する選択肢を非難し、排除することにエネルギーを注いでいる、と解釈できます。
これは、自民党が「おまけ」(500円)をつけて票を稼ぐ戦略、立憲民主党が「倒産しかけ」であるとして同情を引く戦略、あるいは維新が腐った魚を強引に売りつける戦略 といった、他の政党が持つ積極的な(あるいは強引な)販売戦略とは一線を画しています。れいわ新選組のアプローチは、**「今あるものは全て間違っている」(与党も野党も茶番)**という強いメッセージを伝えることに特化していると言えます。
2. 個人崇拝の政党としての位置づけ
さらに、この比喩を語る文脈の中で、れいわ新選組は社民党(福島みずほ氏)と並び、**「個人崇拝政党」**であると明確に位置づけられています。
これは、魚屋の比喩が示すような極端なスタイル(他者の選択肢を全て否定する)が、特定のリーダー(山本太郎氏)のカリスマや行動力に大きく依存している構造を裏付けています。ただし、山本太郎氏は「動ける」ため、社民党よりも「マシ」であるという見解も示しています。
つまり、れいわ新選組の魚屋比喩は、現状の選択や政策を容赦なく「ダメだ」と切り捨てる批判的な姿勢が、彼らの政治的アイデンティティであり、そのスタイル(本物はれいわ新選組だけ)が彼らの支持者を引きつける主要因となっていることを示唆しています。
立憲民主党
政党の魚屋比喩の文脈において、立憲民主党の「倒産寸前アピール営業」が何を伝えようとしているのか、資料に基づき詳しくご説明します。
この比喩において、立憲民主党の営業スタイルは、支持を得るために顧客の同情に訴えるという特徴で表現されています。
営業スタイルの具体的な描写
立憲民主党の魚屋は、顧客(有権者)に対して以下のように語りかけます。
「奥さんあの~うちの魚 あの自民党鮮魚店から普段買っておられるのはよくわかるんですけどね…あのうちも倒産寸前なんで 今日ぐらいはうちで魚買うていただいてもええんと違いますか」
この表現は、彼らの営業が**「同情を引くような営業」**に終始していることを示しています。
比喩が示唆するより大きな文脈
この「倒産寸前アピール営業」は、立憲民主党が日本の政界で置かれている状況と、支持者へのアプローチ方法に関する認識を浮き彫りにしています。
- 恒常的な野党としての立場の表明: 立憲民主党の魚屋は、客が普段自民党から魚を買っていることを認識しています。これは、自民党が圧倒的な勢力を持ち続けている政権与党であり、立憲民主党はそれに対抗する野党第一党として、常に劣勢にあるという現実を象徴しています。彼らの営業は、自分たちの政策や商品の魅力を強調するよりも、自分たちの存続が危ういことを訴え、野党の議席を維持することの重要性を暗に示唆しています。
- インセンティブや理念よりも感情に依存した支持獲得: 他の政党と比較すると、この営業スタイルの特徴が明確になります。
- 自民党が具体的な「おまけ」(500円)で票を確保しようとする実利的な取引を行うのに対し、
- 維新が腐った魚を高値で売りつけ反対者を罵倒する強引な改革姿勢を示すのに対し、
- 立憲民主党は、**自分たちの「倒産寸前」**という状態を理由に、**感情的な「縁」**による支持を求めているのです。
- 「無料の福祉」としての存在: 会話の別の文脈では、立憲民主党を含む野党第一党への批判は、明治の昔から「東京に出てこれない田舎の弱者」や人生に失敗した人々が、その時代の野党第一党の悪口を言うことで**「賢いふりができる」**という役割を果たしてきたと語られています。この批判は、現代日本においては「弱者に対する福祉」であると、非常に皮肉的に表現されています。
この比喩は、立憲民主党が、強力な与党に対抗するための独自の求心力や突破力に欠け、劣勢である現状を逆手にとって同情を引くことで、なんとか存続を図っているという、厳しい評価を内包していると言えるでしょう。
国民民主党
政党の魚屋比喩という大きな文脈の中で、国民民主党が「通りがかった人に応じて商品を変える」という比喩で何を表現しようとしているのかを解説します。
この比喩は、国民民主党(特に玉木雄一郎氏)の**政治的なアイデンティティや政策の柔軟性(あるいは日和見主義的な側面)**を端的に示しています。
比喩の具体的な内容
国民民主党の魚屋の看板には常に党名が書かれていますが、その実態は通りがかった客によって変わります。

- 通りがかった人が野菜を欲しそうだったら、「うち八百屋です」と言う。
- 通りがかった人が肉を欲しそうだったら、「うち肉屋です」と言う。
- 通りがかった人が魚を買いそうだったら、「うち魚屋です」と言う。
この行動は、常に玉木雄一郎氏がこのようなスタイルであると表現されています。
比喩が示唆するより大きな文脈
この「通りがかった人に応じて商品を変える」スタイルは、国民民主党が政党として以下のような特徴を持っていることを示唆しています。
- 固定されたイデオロギーやコアな政策の欠如: 他の政党が腐っていても(維新)、おまけを付けてでも(自民党)、あるいは道徳的な講義をしながらでも(共産党)、「魚(=特定の政策や理念)」を売ろうとするのに対し、国民民主党は、客(=有権者)の需要に合わせて、提供する「商品(=政策分野やスタンス)」そのものを瞬時に変えてしまうという極端な柔軟性を持っています。
- 時勢や相手に合わせた戦略的な対応: この比喩は、特定の層からの支持を一時的に集めるために、その時々で党のスタンスを調整する政治的な対応力を示しています。ある時はリベラルな政策を、ある時は保守的な政策を、需要に応じて掲げる様子を風刺していると言えるでしょう。
- 他の野党との対比: この柔軟な姿勢は、自分たちの存続の危うさを訴え、同情を引こうとする立憲民主党の「倒産寸前アピール営業」や、特定のリーダー(山本太郎氏)の思想に基づいて他人の選択を全て否定するれいわ新選組といった、他の野党の固定的で個性的な戦略と対照的です。国民民主党は、**「とにかく顧客のニーズに応える」**という、極めて実用主義的な(しかし裏を返せば無節操な)営業を続けていると捉えられています。
国民民主党の魚屋比喩は、特定の主義主張に縛られず、有権者の支持を得るために最も効果的な「顔」を使い分ける、玉木雄一郎氏を中心とした政党の特性を際立たせるために用いられていると言えます。
共産党
共産党の魚屋は、**「青魚に含まれる DHA は高血圧を予防する効果が認められております。皆さんはを取らないで健康に留意してると言えるでしょうか?」**と、商店街の真ん中で突然、栄養学の講義のようなことを始める形で描かれています。
そして、この説明の直後に、語り手は「それで誰が魚買うねん」と疑問を呈しています。
1. 理論と正しさに偏重したアプローチ
共産党の営業は、魚(=政策や党の理念)が持つ**科学的・学術的な「効能」や「正しさ」**を徹底的に説明することに焦点を当てています。
これは、彼らが政策の立案や主張において、感情的な訴えや実利的なインセンティブよりも、理論的な整合性や社会的・道徳的な正しさを重視している姿勢を象徴しています。彼らは、顧客(有権者)の健康や社会全体への配慮といった大義を問いかけることで、支持を得ようとします。
2. 政治的共感や実利を生まない非効率な販売戦略
「それで誰が魚買うねん」という問いは、共産党のこのアプローチが、実際の選挙や支持獲得の場においては非効率的であるという批判を示しています。
他の政党が、おまけを付けたり(自民党)、同情を引いたり(立憲民主党)、あるいは腐った魚を強引に売りつけたり(維新)といった、即座の行動や感情に訴える戦略をとるのに対し、共産党は、長時間の講義や啓発活動に時間を費やしている、と風刺されています。これは、彼らの主張が正しいとしても、それが一般の有権者にとって「今すぐ買う(投票する)」動機に結びつきにくい、という認識を反映しています。
3. 機関誌のクオリティと裏打ちされた主張
なお、この比喩の文脈とは別に、資料は共産党の機関誌である「赤旗」の記事のクオリティが高いことに言及しています。執行部が発行する印刷物に書かれた内容を読み上げれば、自然と演説になるほどのクオリティを持っていると評価されており、政党としてしっかりしているとも述べられています。
この事実は、共産党の「学術的な効能を説く」というスタイルが、単なる机上の空論ではなく、精緻に構築された理論やデータ(DHAの効能など)に裏打ちされていることを示唆しています。しかし、その正しさにもかかわらず、それが一般大衆に届きにくいコミュニケーション手法となっていることが、魚屋の比喩で指摘されているのです。
参政党
参政党は**「腐った魚を美味しいと腹から言う」**魚屋として表現されています。
1. 政策(魚)の質と、信念の強さの乖離
参政党の魚屋の最大の特徴は、販売している「魚」(=政策や主張)が**「腐っている」にもかかわらず、売り子(=党員や支持者)が「うちの魚は美味しいです」と腹の底から声を出して**売っている点です。
これは、政党が提供する政策や主張の客観的な質や健全性には問題がある(腐っている)という厳しい評価がありながら、その主張を伝える熱量や信念(腹の底から出る声)が非常に強いことを示唆しています。
菅野氏は、売っている魚が腐っていることが問題なだけであり、彼らの強い信念と情熱自体が、支持者を引きつけている要因だと指摘していると言えます。
2. 他の政党の営業スタイルとの対比
参政党のこのスタイルは、他の政党の営業方法と比較することで、その特異性が際立ちます。
- 日本維新の会との対比: 維新も「腐った魚」を売っている点では共通していますが、維新の売り方は「お前この腐った魚のうまさわからへんの?」「お前皇帰らんかい」と、客に攻撃的かつ強引に食ってかかるものです。 一方で、参政党は、腐っているにもかかわらず、純粋に「美味しい」と信じ込んでいる(あるいは、そう熱烈に主張する)点に違いがあります。
- 共産党との対比: 共産党は、魚の効能(DHAの効能など)を学術的に説くことに終始し、結果として「誰が魚買うねん」という状況に陥っています。 対して参政党は、理屈やデータよりも、情熱と確信をもって魚を売りつけており、これが多くの有権者に届きやすい販売戦略となっていると読み取れます。
社民党
この政党の魚屋比喩という文脈において、社民党(社会民主党)の営業スタイルは、党の政策や商品そのものよりも、看板となる人物の魅力やカリスマ性に全面的に依存しているという点に焦点を当てて描かれています。
1. 営業スタイルと看板
社民党の魚屋は、商品である「魚」の品質については一定の評価がされているものの、販売の動機付けをリーダー個人に求めています。
具体的なセリフとして、以下の点が挙げられています。
「美味しいですよ でもうちの店主の「福島みずほ」の方が素敵です」
- 商品の評価: 魚(=政策や主張)自体は「美味しい」とされていることが示唆されています。
- 販売の焦点: しかし、営業の核となるのは「うちの店主(福島みずほ氏)のほうが素敵だ」という、指導者の魅力や個性に訴えかける手法です。
菅野氏は、社民党は「常にそうやん」と、このスタイルが党の恒常的な特徴であることを指摘しています。
2. 「個人崇拝政党」としての位置づけ
この比喩の文脈において、社民党は明確に**「個人崇拝の政党」**として位置づけられています。
これは、政党の支持基盤や活動が、特定の強力なリーダー(福島みずほ氏)の存在と人気に深く依存している構造を指します。
- 「福島みずほファンクラブ」化: 立憲民主党との部分合流以降、社民党は**「福島みずほファンクラブになりすぎている」**と評されており、永田町における個人への依存度が高まっていると見られています。
- れいわ新選組との共通点と相違点: 同じく「個人崇拝政党」と見なされているれいわ新選組(山本太郎氏)と比較されていますが、山本氏が「動ける」ため、れいわの方がまだ「マシ」であるという見解も示されています。
3. 比喩の背後にある厳しい指摘
この比喩は、単に営業方法を面白おかしく描写しているだけでなく、党が抱える構造的な問題にも言及しています。
社民党の抱える問題として、指導者への過度な依存に加え、**「歴史がありすぎる」こと、そして特定の人物がその運動との関わり合いを「しのぎにしてしもてる」**という指摘があります。これは、党の存続や運動が、特定の個人の生活の糧や、歴史的経緯に絡め取られてしまっているという、厳しい見方を示唆しています。
総じて、社民党の魚屋の比喩は、政策の是非よりもリーダーの魅力が前面に出てしまう、野党における個人依存型の政治スタイルを表現していると言えます。
人気ブログランキング



コメント