「維新・吉村を巡る制度の腐敗」というより大きな文脈において、兵庫県知事(斎藤元彦)の振る舞いが個人の異常を超えて、地域や制度の腐敗の兆候として、あるいはその腐敗を許容する社会的な土壌として機能している点を強調しています。 - 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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「維新・吉村を巡る制度の腐敗」というより大きな文脈において、兵庫県知事(斎藤元彦)の振る舞いが個人の異常を超えて、地域や制度の腐敗の兆候として、あるいはその腐敗を許容する社会的な土壌として機能している点を強調しています。

斎藤元彦

特に、兵庫県知事の「異常性」に関して、以下の点を指摘しています。

1. 露骨な個人崇拝と広報誌の私物化

兵庫県知事の異常性の最も明確な例として、県庁の職員向けの広報誌「兵庫ジャーナル」の内容が挙げられています。

  • この職員向けの広報誌には、知事である斎藤元彦氏の写真ばかりが掲載されている、と述べられています。
  • この状態は、北朝鮮の広報や、日本共産党の機関紙である『赤旗』でさえここまでのことをしないだろうと評されており、その「異常さ」のレベルが際立たされています。

2. 異常性の常態化と公私の区別の崩壊

菅野氏は、斎藤知事の行動、特にソーシャルメディア上での振る舞いが「異常」であると同時に、その異常性が周囲に認識されていないこと自体を問題視しています。

  • 知事が自身のTwitterに投稿した淡路島の「道の駅うずしお」のリニューアルオープンの宣伝ツイートでは、施設そのものではなく知事自身の自撮りがメインであり、道の駅の様子は手すりしか映っていないと指摘されています。
  • 道の駅側が公開した動画に知事の自撮りが映り込み、それが批判された結果、動画が削除されるという出来事も発生しました。これは「消せば増えるの法則」を引き起こしたと揶揄されています。
  • このような斎藤氏の態度(写真が満載であること、絶えず自撮りを上げていること)は「異常」であるにもかかわらず、兵庫県内外の人は「兵庫ってそんなもんやろ」と思って済ませている点が、問題の核心だと強調されています。

3. 維新・吉村を巡る制度の腐敗との関連

兵庫県知事の異常性は、吉村洋文氏や維新を巡る「制度の腐敗」(制度の底抜け)という文脈において、並列の現象として捉えられています。

  • ソースは、吉村氏が国会議員ではないにもかかわらず、内閣総理大臣の選出に関わる話し合いに首を突っ込んでいる行為を、**議員内閣制の根幹を揺るがす「制度の腐敗」**であると厳しく批判しています。これは、明治以来日本が150年間守ってきた伝統を破壊しようとする行為であるとされます。
  • この制度的腐敗が、党内の手続きを経ずに(あるあるとして)行われること、そしてそれが批判されずに受け入れられている状況、こそが問題です。
  • 斎藤知事の行動もまた、公職者の公的な役割と個人の承認欲求との境界線が崩壊しているという点で「異常」であり、この異常な状況に慣れっこになり「そんなもんやろ」と笑って済ませてしまう態度(特にキー半島/関西圏のメディアや世論)は、「北朝鮮以下」であるとまで言及されています。
  • つまり、斎藤知事の個人的な異常性が常態化している状況は、吉村氏が行う制度破壊的な行為が「あるある」として見過ごされ、結果的に民主主義の重要な概念である「正統性(レジティマシー)に重大な危機が挟まる」状況 を許容する土壌と密接に関連していると論じられています。

知事の自撮りや広報誌の独占にはそれを禁止する法律はないが、「許せるのか」という問いかけがあり、放置すれば制度の底が抜ける「大犯罪」になると警鐘が鳴らされています。

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