YouTubeで8万人以上の視聴者が見守る中、突如として3日間の活動休止を宣言した。その理由は「疲れ」や「燃え尽き」ではない。むしろ、その逆だ。彼のチャンネルは、異常なほどの勢いで視聴者を増やしていた。特に、空の椅子が映っているだけのやる気のないサムネイルの動画が、8万4000回以上も再生されるという「異常事態」が発生。彼はこの状況を「サスティナブルじゃない」と断じ、この不健全なトレンドの「流れを断ち切る」ために、あえて活動を停止するという異例の決断を下した。
しかし、この決断の背景には、単なるチャンネル運営の問題を超えた、現代日本社会が抱える根深い「異常」に対する彼の強烈な危機感が存在した。彼が活動休止を宣言する中で語った3つのテーマは、戦後史の不都合な真実から、静かに進行する憲政の危機、そしてそれに無感覚になっていく私たち自身の問題まで、驚くべき日本の現実を浮き彫りにする。
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1. 戦後日本の不都合な真実:セックスと他人のカネ、そして「美しい物語」の必要性
多くの人が信じる「日本人は勤勉だから高度経済成長を成し遂げた」という神話。彼はこの通説を、身も蓋もない現実で一刀両断する。彼の挑発的な理論によれば、日本の戦後復興と経済成長の原動力は、日本人の努力や創意工夫ではなかった。
彼の主張は2つの単純な事実に集約される。
- 一つは、戦後のベビーブーム。これは、戦争から帰還した兵士たちに「他にやることがなかった」ために起きた、極めて生物学的な現象である。
- もう一つは、経済の奇跡。これは、共産主義の防波堤として日本を利用しようとしたアメリカが「ジャブジャブ金を突っ込ん」だこと、そして隣国で起きた朝鮮戦争の特需によって儲けた結果に過ぎない。
この理論を、彼は最も痛烈な一言で要約する。
日本人なんてセックスして他人の金で飯食うてただけです。
なぜこの指摘が重要なのか。それは、この生々しい現実を直視することが多くの日本人にとってあまりに耐え難いからだ。彼は、この「不都合な真実」から目を逸らすために、人々は「美しい物語」を必要とすると分析する。陰謀論、スピリチュアル、そして極端なナショナリズム。それらの物語は形こそ違えど、最終的には「日本の偉大さ」を語る愛国的なシンボル、すなわち日の丸へと収斂していくのだという。現実から逃避したい人々の弱さが、特定の物語への求心力を生み出しているというわけだ。
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2. 静かなる憲政の危機:一知事が国家の命運を交渉する時
次に彼が指摘したのは、最近の維新の会をめぐる政治報道に潜む、手続き上の「異常」だ。自民党との連立交渉において、党の執行部が、すでにメディアで様々な情報が飛び交った後になってから、交渉の権限を吉村大阪府知事らに「一任する」と発表した。
彼に言わせれば、これは単なる党内手続きの不備ではない。日本の民主主義の根幹である「議院内閣制」を揺るがす、極めて深刻な問題だ。彼の主張の核心は明確である。国会に議席を持たない都道府県知事が、国家の内閣の構成を決める交渉の当事者となる正当性(レジティマシー)は、どこにも存在しない。
この異常さを理解するために、彼は議会制民主主義の先進国である英国と米国の例を挙げる。そこでは、選挙で選ばれた議員で構成される議会の「神聖性」が、いかに厳格な手続きによって守られているかがわかる。
英国の国会開会式では、たとえ国王であっても、議会で演説するためには正式な手続きを踏み、議会から招かれなければならない。米国でも同様に、大統領が一般教書演説を行う際には、事前に上下両院で「大統領を議場に招き入れる」という決議を採択する必要がある。大統領選挙で国民から直接選ばれた国家元首でさえ、議会という空間では「部外者」であり、敬意を払うことが求められるのだ。これらの伝統は、主権者である国民から信託を受けた議員たちの意思こそが、何よりも尊重されるべきだという民主主義の鉄則を示している。
翻って、吉村知事の立場はどうだろうか。国政に関する限り、彼の権限は一人の民間人や視聴者と何ら変わらない。この事実を、配信者は痛烈な一言で突きつける。
吉村さん、立場としてはあなたと全く一緒ですからね。
これはもはや「よくある政治」ではなく、150年続く日本の民主主義の伝統を脅かす「制度の腐敗」なのだ。彼はこの状況を、中国の歴史になぞらえ、王朝が滅びる時の兆候だと断じる。それは、本来権限のない「宦官が政治に口出ししているのと同じ」であり、国家衰亡の兆しに他ならない、と。
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3. 奇妙なことの常態化:私たちは「茹でガエル」になりつつあるのか?
彼の批判の矛先は、政治家だけでなく、そうした「異常」に無感覚になってしまった社会全体にも向けられる。私たちは、ゆっくりと熱せられる水の中にいるカエルのように、危険な状況に慣れきってしまっているのではないか。彼はそのことを、2つの滑稽で、しかし象徴的な事例で示す。
- 知事の自撮り:兵庫県の斎藤知事は、新しくオープンした道の駅を宣伝するツイートで、肝心の施設の写真を一枚も載せず、自身の自撮り写真だけを投稿した。さらに、その道の駅が公開したPR動画の中に、知事が自撮りをしているシーンが一瞬映っていたことがSNSで指摘されると、動画は削除された。しかし、インターネットの法則「消せば増える」の通り、そのシーンはかえって拡散される結果となった。
- 「北朝鮮」のような広報誌:彼が入手した兵庫県庁の内部向け広報誌は、掲載されている写真がほぼ全て知事の顔で埋め尽くされていた。彼はこれを「北朝鮮のようだ」と評し、公的機関の私物化がいかに常軌を逸しているかを指摘した。
これらのグロテスクな自己顕示欲がまかり通ってしまう背景には、維新の会の手続き違反を問題視しない世論と同じ構造がある。人々はあまりに奇妙な光景に慣れすぎて、「どうせ政治家なんてそんなもんだろう」と冷笑的に受け流し、それが「異常」であることすら認識できなくなっている。これが、彼の言う「茹でガエル」状態の正体だ。
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結論: 異常を訴える勇気
配信者が絶頂期に活動を休止するという決断は、彼のチャンネルを取り巻く「異常」な熱狂に対する抵抗だった。だがそれ以上に、彼が語った日本の政治や社会に蔓延する、より大きな「異常」に立ち向かう姿勢そのものを象徴していた。
彼のメッセージは、単なる政治批判に留まらない。議院内閣制という日本の伝統が崩壊の危機に瀕しているこの状況を、金儲けの道具にすることを断固として拒否する、という強烈な意思表示だ。彼は言う。「議員内閣制の崩壊に金儲けで手を貸してしまっている日本のメディアに対して中指を立てることだ」。彼の3日間の沈黙は、この「異常」な時代に流され、それに加担することを拒否するための、意図的な経済的犠牲であり、一個の言論人としての矜持の表明でもあったのだ。
最後に、私たち自身に問いかけたい。 「私たちの周りでは、いつの間にか『普通』になってしまった『異常』なことは、一体何があるだろうか?」
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