高市氏の能力評価 - 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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高市氏の能力評価

自由民主党

菅野氏は、主に国会での質問通告のタイミングと、それに対する政府側の対応という具体的な事例を通じて、高市氏の能力が菅直人氏に劣ると断定しています。

YouTube動画2025/11/9自民党野党時代の高市早苗さんが質問通告を2日前ではなくなんと1日前に提出していた件 【国光あやの .@ayano_kunimitsu や新宿会計士 .@shinjukuacc らネット乞食に朗報】

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菅直人氏政権下における高市氏(野党時代)の行動

高市氏自身は、自民党が野党時代(2009年~2012年)であった2011年8月の自身のブログ(コラム)に、当時の国会質疑について記述を残しています。

  • 高市氏は、菅総理(当時)をはじめとする民主党閣僚が国会答弁で行き詰まった際に、「質問の通告をいただいておりませんので…」といった台詞で逃げる光景が目につくと指摘していました。
  • 特に2011年7月12日の衆議院東日本大震災復興特別委員会での質疑の際も、菅総理は「質問の通告もありませんでしたので、そこははっきりとは申し上げることは控えたい」と答弁したと述べています。
  • これに対し高市氏は、総理周辺が余裕をもって答弁書の準備にかかれるようにと気を遣い、前日の早い時間帯に、定められた方法と書式に従って通告を行っていたと主張しています。
  • 高市氏は、自身が大臣であった安倍内閣時では、総理答弁の内容は全府省の行政執行や政策に影響を及ぼすため、関係府省間で綿密な調整が行われていたことを知っており、官僚は通告書を送った議員に一刻も早く接触しようとするはずだと述べています。

現在の状況との比較と「能力の低さ」の断定

菅野氏は、高市氏が野党時代に「前日(1日)の早い時間帯」に通告を行っていたという事実 を、現在の政界での質問通告のルールや慣行と比較し、高市氏の能力を評価しています。

  • 時代が進むと、通常は進化し、納期や準備時間は短くなるべきである、と菅野氏は述べています。
  • しかし、高市氏が野党時代に「1日前」に実施していたことが、14年経った今、野党側に対して「2日前ルール」のようなものが求められている、あるいは議論になっている現状は、時代に逆行していると見なされます。
  • この状況を単純に解釈すると、菅野氏は「高市早苗は菅直人よりも無能ってことですよ」と結論付けています。
  • 続けて、「アホな菅直人よりも」、「人間としてはクズみたいな菅直人よりも」、高市早苗氏の方が能力が低いと非常に強い言葉で断言しています。

この「菅直人氏よりも能力が低い」という評価は、人間として言われる侮辱の中でも、非常に厳しいものとして扱われています。菅野氏は、それは**「菅野完よりもブサイク」と言われるのと同等ぐらい**だと例えています。

つまり、高市氏が野党時代に菅直人氏政権に対して実施できたこと(前日通告)を、彼女が中心となる政権になった際(または彼女が擁護される状況下)で、官僚がより長い準備期間(2日間)を必要としているように見える、あるいは彼女自身がその準備を必要としていることが、「菅直人にできていたことをお前はできていない」という非難につながり、能力が低いと評価されているのです。

より広範な能力評価の文脈

さらに、高市氏の能力の低さは、他の自民党幹部とも比較されています。

  • 野党からの質問通告が遅いという「ブサイクな言い訳」は、岸田文雄内閣や石破茂内閣の時期にはほとんど聞かれなかったが、高市氏が関わる政権(あるいは清和会内閣)では聞かれる、という事実が指摘されています。
  • このことから、石破茂氏よりも岸田文雄氏よりも高市氏の能力が低いという話につながると菅野氏は述べています。
  • 高市氏が政権に就いた瞬間(またはその勉強会で)質問通告の遅延問題が取り沙汰されたということは、清和会内閣は菅直人氏ができたことさえできないアホ内閣だという結論が導かれています。

加えて、高市氏自身が自分の能力の低さを自覚している可能性も示唆されています。

  • 現在の状況において、高市氏が勉強会を午前3時から行うという極端な準備を必要としているのは、本人が自分の能力の低さを明確に自覚しているはずだからだ、と論者は分析しています。

この一連の議論から、高市氏の能力評価は、国会対応という特定のタスクにおいて、過去の自身の行動基準や、同僚である石破氏や岸田氏の対応と比較して劣っており、その極端な低さが「菅直人よりも無能」という評価に結びついていることがわかります。

公明党離脱問題への対応

さらに、公明党の離脱騒動に関する高市氏の対応も、自身の判断の誤り、すなわち能力の限界を自覚した行動として捉えられています。

  • 公明党の離脱問題に関し、高市氏が総務会で土下座するほど謝ったという事実が言及されています。
  • 菅野氏は、もし高市氏が強気の交渉をしており、公明党が離脱するのを前提としていたなら謝罪はしないはずだとして、これは彼女にとって**「予想外だった」**ことだと分析しています。
  • この謝罪の行動は、**「本人が自分は能力が低いということを明確に理解したはず」**である、という結論を補強するために用いられています。

つまり、高市氏が能力の低さを自覚している可能性は、極端な準備体制の必要性と、準備にもかかわらず現れた具体的な失敗や判断ミス(公明党問題など)に対する反応から、強く示唆されていると言えます。

愛国者層

高市氏の能力評価から、さらに「弱いものいじめの政治(愛国者層)」という文脈へと話を広げて、これらの菅野氏が安倍氏や高市氏を「弱いものいじめをする」側としてどのように位置づけているのかを解説します。

菅野氏は、特にネット上の支持層(愛国者層、ネット右翼)の行動原理と、安倍氏や高市氏を含む清和会系政治家が彼らに提供しているものを結びつけて論を展開しています。

「弱いものいじめ」を好む支持層の存在

菅野氏は、安倍氏や高市氏の支持層の一部(特にネット右翼とされる人々や、人生がうまくいかなかった田舎の弱者)の心理と行動パターンを分析しています。

  • 「弱いものいじめ」 は、特定の政治家や支持層にとっての**「ショー」であり、パンとサーカス」**のようなものとして機能していると菅野氏は指摘しています。
  • 「弱い者たちが集まれ、さらに弱い者たちを叩く」という構造は昔からあるものであり、これは彼らが**「弱いものいじめをするというショーを見て喜んでいる人たち」** だからです。
  • この支持層は、「能力が低いということが明確な人」(例:石丸伸二氏、斎藤元彦氏、和田正宗氏、高市早苗氏)を**「そうではないんだ」**と主張することで、ジャイアントキリング(番狂わせ) によって飯を食おうとするゲス根性を持っている人たちだとも述べられています。

安倍氏と高市氏が「弱いものいじめ」を提供する側であるという指摘

この支持層の欲求(弱いものいじめを見たい、賢いフリをしたい)に対し、安倍氏と高市氏はそれを提供している政治家として位置づけられています。

菅野氏によると、日本の政治家には「弱いものいじめをする」政治家と「しない」政治家がいるという明確な対比があります。

  • 安倍晋三氏と高市早苗氏は、彼らの支持層(ネット右翼など)に対して**「弱いものいじめをしてくれる」**政治家であるとされています。
  • 対照的に、岸田文雄氏や石破茂氏は、**「いろんなことやるけど弱いものいじめだけは絶対しない」**と評価されています。

具体的な「弱いものいじめ」の事例:質問通告遅延問題

菅野氏で詳細に議論されている「質問通告の遅延を問題視する」という一連の動きは、この**「弱いものいじめ」の典型的な道具**として利用されていると論者は見ています。

  • 質問通告の遅延を問題視する議論は、「能力の低い東京で通用しない田舎者」をいじめる道具として使われている、と明言されています。
  • 高市氏が関わる清和会内閣において、野党(立憲民主党や共産党)を「ルールを守らない」として批判する行為は、「ネット乞食の人たちの餌になっている」(能力が劣る人を庇うことでしか飯が食えない人たちのコンテンツになっている)とされています。
  • 2. 心理的深層:「ウィークネスフォビア」(弱者嫌悪)という社会のOS

「愛国者に見える」ことの定義と客観的事実との乖離

菅野氏は、安倍氏や高市氏が「愛国者に見える」という現象が、実際の政策や外交上の強さとは関係なく、特定の支持層の主観的な判断によって成立していることを強調しています。

  • 真に中国が嫌がる政策を実行している国会議員は、誰がどう考えても石破茂氏であるとされています。石破氏は、核兵器以外の米軍と同じ装備(長距離弾道弾や空母、原子力潜水艦など)を自衛隊がすべて装備すべきだと主張するなど、対中国で最もタフな路線を進んでいます。
  • 客観的には、石破氏や岩屋毅氏が安倍氏よりも**「右」であり「保守」である**と菅野氏は述べています。
  • しかし、「アホな人たち」からすると、安倍晋三氏や高市早苗氏の方が愛国に見えるのです。

つまり、支持者が「愛国者」と見なすかどうかは、政治家が実際に行っている政策の「強さ」とは無関係であり、特定のフィルターを通した「見え方」によって決定されているということです。

この「弱いものいじめ」の提供こそが、安倍氏や高市氏が、中国が嫌がる軍拡路線を進めた石破茂氏よりも、アホな人たちからは「愛国者」に見える理由だと結論付けられています。つまり、彼らが提供する政治的価値は、具体的な政策や強さではなく、**「誰かを叩くこと」**にあると見なされているわけです。

支持の絶対性と盲目性

この「愛国者に見える者」への支持は、行動の是非を問わないほど強固であると説明されています。

  • 論者は極端な例として、**「安倍晋三が天皇陛下を殺してもオッケーです」「安倍晋三が私有財産の廃止、プロレタリアート独裁って言っても愛国者と言います」**と述べています。
  • これは、支持者が政治家の行動や政策の内容を精査しているのではなく、その政治家のイメージ(愛国者というラベル)と、彼が弱者を叩く姿そのものに価値を置いていることを示しています。

まとめ

高市氏の過去のブログでは、自身が野党時代(菅直人政権下)に「前日の早い時間帯」に通告を行っていたにもかかわらず、菅総理側が「通告がない」と逃げていることを批判していました。しかし、現在、彼女が関わる政権で逆に野党に対して「2日前ルール」のようなものが要求され、遅延が問題視されている状況は、彼女の能力が低いことの証拠であると同時に、「弱い野党を叩く」ための口実として使われている、という構造が示されています。

菅野氏の議論は、安倍氏や高市氏の「弱いものいじめをする」という行為が、彼らが特定の支持層(愛国者層)に対して提供する**「政治的なサービス」**であり、能力の低さからくる問題を隠蔽し、対立構造を煽るための手段として機能していると捉えています。これは、彼らの支持者が「ジャイアントキリング」や「弱い者いじめのショー」を見ることで満足感を得るという、政治の質とは関係のない感情的な需要に応えている構造である、という解説と言えます。

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