「見たいものだけを見る国」という、少々挑発的なタイトルです。私たちが日々接するニュース、そしてそれによって形成される「常識」。その裏側に、いかに巨大な亀裂が走り、社会全体を蝕んでいるか。その構造を、解き明かしていきたいと思います。
YouTube動画 朝刊チェック:クマと中国に食いつぶされる日本 2025年11月19日
はじめに:新幹線の駅前に現れた「クマ」という名の鏡
先日、皆さんもニュースでご覧になったでしょう。岩手県の盛岡市、その新幹線の駅前に、クマが出没しました。
多くの人はこれを単なる珍事、あるいは地方で深刻化する害獣問題の一コマとして捉えたかもしれません。しかし、菅野氏はこの一頭のクマの姿に、現代日本が抱える、より根深く、そして危険な病の兆候を読み取ります。
この出来事は、私たちに一つの鏡を突きつけています。それは、都市に住む我々の「常識」や「認識」が、地方で、国土の大部分で起きている「現実」といかに乖離しているか、という鏡です。そして、その乖離は、もはや牧歌的な笑い話では済まされません。気づかぬうちに、社会全体を深刻なリスクに晒しているのです。
本日は、このクマ問題を入り口に、我々がいかに「見たいものだけを見て、見たくない現実から目を背けているか」を検証していきます。まずは、多くの人が信じているクマ問題の「通説」が、いかに浅薄なものであるか、その深層から掘り下げてます。
1. クマ問題の深層:我々がいかに「見ていないか」の証明
クマの出没が過去最悪のペースで報告される中、メディアが繰り返す説明は非常にシンプルです。「山にどんぐりが不作だから、クマが人里に下りてくる」。これは一見、分かりやすく、納得しやすい物語です。
しかし、この物語は、本当に真実なのでしょうか。このクマ問題は、単なる害獣対策の話ではありません。それは、私たちの社会が**「適情偵察」――すなわち、事実を調査し、分析する能力――そのものを失いつつあることの、動かぬ証拠**なのです。これは、エコロジーにおける、破滅的な諜報活動の失敗に他なりません。
通説の解体
- 「どんぐり不足」という都市伝説 NHKは、東京のスタジオに専門家と称する人物を呼び、「今年はどんぐりが不作で…」と繰り返します。しかし、本当でしょうか?菅野氏が東北の友人に尋ねても、奈良で山に入る父に聞いても、返ってくる答えは決まって「そんなことはない」「どんぐりは普通にある」というものでした。現場の肌感覚と、東京から発信される「公式見解」との間には、埋めがたい溝があるのです。「どんぐり不足」説は、もはや一種の都市伝説と化しています。
- メディア報道の致命的な誤謬 さらに深刻なのは、報道の質の崩壊です。先日、NHKの特集を見て愕然としました。番組は、本州のツキノワグマが鹿を襲う映像を流した後、こう解説したのです。「シカを捕らえるクマの姿は、北海道や中部地方でも観察されています」。 これは単なる間違いではありません。公共の電波を使った、最高レベルのジャーナリズム上の不正行為です。ご存知の通り、北海道に生息するのはヒグマ、本州はツキノワグマ。これらは全く別の種です。ヒグマが鮭を捕らえるように動物性タンパク質を多く摂取するのに対し、ツキノワグマは基本的に草食性で、成獣でも「サウナの休憩室で寝転がっているおっさん」程度の大きさしかありません。この二つを「クマ」という一言で括って論じることは、脅威の本質について国民を積極的に欺く行為です。
生態系の劇的変化という「不都合な真実」
メディアが報じる単純な物語の裏で、生態系には、我々の想像を絶する「何か」が起きています。
- 食性の変化という衝撃 NHKが意図せず捉えた衝撃の事実。それは、本来草食性であるはずのツキノワグマが、生きたシカを捕食し始めたという現実です。捕獲されたクマの胃の内容物を調査したところ、実にその3分の2がシカの肉で、木の実などは3分の1に過ぎなかったという報告もあります。これは単に「食べるものがないから仕方なく」というレベルの話ではない。生態系そのものの根幹が、覆ってしまった可能性を示唆しています。
- 温暖化が引き起こした生存競争 なぜ、こんなことが起きたのか。一つの有力な仮説が浮かび上がります。
- 地球温暖化により、寒さに弱かったシカの生息域が、東北地方へと北上し、さらに標高の高い場所へと拡大しました。
- 圧倒的な数で増えたシカは、本来クマが食べていた木の実や下草をことごとく食べ尽くしてしまいます。
- かつては棲み分けていた両者が同じ場所で遭遇し、食料を「盗まれた」クマは、そのシカ自体を新たな食料として認識し、襲い始めたのです。
- さらに、温暖化で冬眠期間が短くなった結果、繁殖機会が増え、クマの個体数が「10頭いたのが500頭になった」と言えるほどの指数関数的な爆発を起こしている可能性すらある。しかし、誰も正確な調査をしていません。
クマ問題一つをとっても、私たちは表面的な情報に満足し、根本的な原因究明、すなわち**「適情偵察」**を完全に怠っています。この「見ようとしない」態度は、自然に対する我々の認識そのものに、深く根差しているのです。
2. 「ジブリの森」という幻想:都市住民が抱く自然観の危うさ
現代日本、特に都市部で暮らす我々の多くは、加工され、ロマンチックに味付けされた「自然観」を内面化しています。この認識の歪みこそが、地方で静かに、しかし確実に進行している深刻な現実から、私たちの目を逸らせている元凶です。そして、森に関するこの幻想は、政治に関する幻想を受け入れるための、格好の訓練場となっているのです。
幻想の正体
- 『となりのトトロ』ではない現実 多くの人が抱く自然のイメージは、『となりのトトロ』や『もののけ姫』に代表される、いわば**「ジブリ作品の自然観」**に強く影響されています。「人間が自然を破壊すれば、いつか自然が逆襲してくる」――。しかし、今、日本で起きている現実は、そのようなヒロイックな物語ではありません。もっと静かで、しかし、もっと残酷な形で進行しています。
- 『ナウシカ』の腐海化する国土 現実の日本の自然を喩えるなら、それは『風の谷のナウシカ』に登場する**「腐海」**です。人間が自然を破壊したから逆襲されているのではありません。全く逆です。人間が山から手を引いた結果、管理されなくなった自然が、人間社会を静かに飲み込もうとしているのです。

地方の崩壊という現実
都市の住民が抱く「自然が失われている」という感傷的な思い込みとは裏腹に、データは驚くべき事実を示しています。
- 増え続ける森林面積 日本の森林面積は、戦後一貫して増え続けています。なぜか?木材価格の低迷で林業が崩壊し、誰も木を切らなくなったからです。自然は減っているのではなく、むしろ「増えすぎて」いるのです。
- 森に消えた村 その象徴的な例が、岡山県で起きた「津山三十人殺し」の事件現場となった村です。あの村は今、完全に森に飲み込まれ、かつての地図を頼りにしても、その場所を特定することすら困難になっています。山に行けば廃墟だらけ。私が子供の頃に見た山の風景とは、全くの別物です。これは、限界集落が直面する、あまりにも過酷なリアルなのです。
- 人口減少の本当の意味 「日本全体の人口が2割減った」と聞いても、多くの人はピンとこないかもしれません。なぜなら、東京、大阪、名古屋といった主要都市の人口は、むしろ増えているからです。では、その減少分はどこから来ているのか? 答えは明白です。地方の、特に山間部から、人が「消滅」するレベルでいなくなっているのです。10軒あった村が8軒になる、という牧歌的な話ではありません。10の村が5つに、3つに消えていく。そういう構造的な国土の崩壊が、今まさに進行しているのです。
我々が抱く甘い自然観は、地方で静かに進行するこの「国土の喪失」という巨大な危機から目を背けさせる、便利な装置として機能しています。そして、この「事実を見ない」という病は、自然問題に留まりません。政治や国際問題においても、全く同じ構造で、私たちの社会を蝕んでいるのです。
3. 思考停止の連鎖:メディアが煽る「単純な敵」と歴史の教訓
クマ問題で見た「安易な犯人探し」という思考停止。この病は、メディアの報道姿勢を通じて、外交や政治といった、より複雑な問題へと蔓延し、国民を危険なまでに単純な思考へと誘導しています。
メディア・ナラティブの解剖
- 観念論で戦う右派と左派 クマ問題を巡る言説は、その典型です。
- いわゆる左派は、「自然を守れ」「クマを殺すな」と叫びます。
- いわゆる右派は、「メガソーラー開発で山が荒れたせいだ」と主張します。 どちらも、現場の複雑な生態系の変化を調査・分析することなく、自らのイデオロギーに合った分かりやすい「犯人」を見つけ出し、声高に叫んでいるに過ぎません。
- 対立を煽る言葉選び この「単純な敵」を求める大衆心理に、一部のメディアは巧みに迎合します。先日、日中の局長級協議が行われましたが、その報道姿勢に明確な違いが現れました。
- 毎日新聞や読売新聞は「平行線」「溝埋まらず」と、客観的な事実を報じました。
- 一方で、産経新聞、そして驚くべきことに朝日新聞は「日本、中国に反論」という見出しを掲げたのです。
- 「平行線」という事実を、わざわざ「反論」という対立を煽る言葉に置き換える。これは、複雑な外交交渉の現実を、単純な「日本 vs 中国」という構図にすり替えるジャーナリズム放火です。安っぽいナショナリズムに火をつけ、複雑な外交をただの校庭の喧嘩に見せかける、意図的な行為です。
歴史的過ちとの接続
この現状、すなわち「調査なき結論」が社会に蔓延する状況は、何を意味するのか。ここで、菅野氏は敢えて断言します。今日、我々のクマ対策や外交政策を支配している精神性は、90年前にこの国を破滅に導いた、破滅的な集団思考と何ら区別がつきません。私たちは、何も学んでいないのです。
- 繰り返される「偵察なき戦争」 かつての日本軍は、敵の実情を探る**「敵情偵察」**を怠り、「敵はこうに違いない」という希望的観測と精神論だけで、無謀な戦いに突き進み、破滅的な敗北を喫しました。 今の日本社会も全く同じです。クマの生態を調査せず、国際情勢の現実を分析せず、ただ「こうあるべきだ」「敵はあいつだ」と叫ぶ。その根底に流れる精神性は、90年前の過ちと寸分違わぬものです。
- 思考停止を正当化する詭弁 この危険な思考停止に対して批判すると、必ず「やる事やってます。決めつけはやめてください」という言葉が返ってきます。これは、自らが考えることを放棄した事実から目を逸らし、知的怠惰を正当化するための、便利な詭弁として機能しているのです。
森で起きている問題も、国際舞台で起きている問題も、その根源は一つです。それは、複雑な現実を直視する知的体力を放棄し、分かりやすい敵と味方の物語に飛びついてしまう、我々自身の弱さに他なりません。このままでは、歴史の過ちを繰り返すことは避けられないでしょう。
4. 結論:幻想からの覚醒、そして「偵察者」として生きる覚悟
新幹線の駅前に現れた一頭のクマ。その姿から見えてきたのは、歪んだ自然観、そして思考停止を煽るメディアでした。これらは全て、個別の問題ではありません。**現実を直視せず、安易で心地よい物語に逃げ込むという、日本社会に深く根ざした構造的な病の「症状」**なのです。
では、本当の脅威とは何でしょうか。 それはクマでも、メガソーラーでも、特定の国でもありません。真の敵、それは、**「調べもせずに結論に飛びつく、我々自身の思考習慣」**そのものです。
この巨大な敵に、私たちはどう立ち向かうべきか。もはや評論家のように、安全な場所から語っている時間はありません。ここにいる私たち一人ひとりが、「当事者」として行動を起こす必要があります。
そのために、必要な3つの行動とは
- 単純な物語を疑うこと メディアが提供する、分かりやすい善悪二元論や犯人探しを、決して鵜呑みにしないでください。「本当か?」と自問する、知的な懐疑心を持ち続けてください。
- 事実を知ろうと努めること 都市という快適なフィルターを通して加工された情報に満足せず、地方の現実、現場の声、一次情報に、自ら触れる努力を惜しまないでください。
- そして、「偵察者」であれ 社会の一員として、受け身の消費者であることから脱却し、自らが事実を知り、分析し、考える**「偵察者」**としての役割を担う。その覚悟を持ってください。
90年前、私たちの先人は、現実の偵察を怠ったことで、国を破滅の淵に追いやりました。 その過ちを繰り返さないために、今こそ私たちは幻想から目を覚まし、いかに不都合であっても、現実そのものと真摯に向き合わなければならないのです。
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