YouTube配信とその視聴者が抱える問題点について - 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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YouTube配信とその視聴者が抱える問題点について

菅野完
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1. 配信時間と内容の異常性

2025YouTube動画 11/6(木)朝刊チェック:だから立憲民主党は一生選挙に勝てない の情報を基にした記事です

まず、配信形式そのものに対して、配信者自身が強い違和感と嫌悪感を表明しています。

  • 配信時間が長すぎると自認しています。
  • 「背の低い顔の不細な小太りの顔ギットギトの何の取り絵もないおっさん」が3時間も喋り続け、ライブで5,000~6,000人が見ている状況、そしてYouTubeとツイキャス、X(旧Twitter)を合わせると毎朝1万人近くが見ているという状況を、**「異常」**であると述べています。
  • この長時間配信の結果、視聴者が**「頭を使わんと見てる」**状態になり、単純接触効果(単なる接触の回数や時間の多さで親近感が増す現象)が強くなりすぎていると分析しています。

2. 配信時間帯と「カルト化」のリスク

配信のタイミングについても、動画メディア特有の問題を指摘しています。

  • 夜に配信を**「やらない」**明確な理由として、動画メディアは「カルト化」するという危険性を挙げています。
  • 朝や昼間の配信であっても、チャット欄には「○○さんおはようございます…東京の天気はどうですか」といった、「気違いみたいやつ」が存在し、これは夜になるとさらに増えるため、気持ち悪いと感じています。

3. 視聴者の性質と社会との接点の喪失

菅野氏は、ライブ視聴者の多くに対し、極めて辛辣な言葉でその社会的地位や行動を批判しています。

  • チャット欄に書き込んでいる視聴者は、**「社会に居場所のない」「人生の負け組」「廃人」**であり、**日本のGDPに全く貢献していない「愚か者たち」**だと断じています。
  • 彼らにとって、社会との唯一の接点が「菅野完物のYouTubeという腐ったコンテンツのチャット欄」しかないのであれば、**「福祉の対象」**として自分が彼らを「ゴミ処理業者」のように預かると述べています。
  • しかし、問題はそれだけにとどまらず、**「社会的地位のある人」も視聴しており、彼らが自分の本務を差し置いて配信を見ている状況を「愚劣(ぐれつ)です」**と強く非難しています。
  • 菅野氏は、こうした視聴者が増えすぎたため、**「マジでね、もうYouTubeやめたいの」**と真剣に考えていることを明かしています。

4. 視聴者による「バウンダリー(境界線)」の侵害

視聴者とのコミュニケーションにおいて、**私的な境界線(バウンダリー)**が平気で踏み越えられていることが、最も大きな問題として挙げられています。

  • 視聴者が何気なく言う**「いつも見てます」という一言は、菅野氏にとって「怖い一言」であり、「やめろ」**と明確なクレームを出しています。
  • 「この間あんなこと言うてましたね」といったコメントをする視聴者の中には、**「俺より俺に詳しい」**者がおり、これを「ものすごい気持ち悪い」と感じています。
  • 菅野氏は、この境界線の侵害を**「暴力」に等しい行為であるとし、視聴者をミザリー(Misery)の登場人物に例えて「キャシー・ベイツ」**のようになっていると表現しています。
  • 視聴者が「いつも見ている」「心配している」といった態度を取ることは、実際にはホストのためではなく、**「そうやってる自分を安心させたいだけのオナニー」であり、それをホストに見せるべきではないと強く批判しています。彼らは「田舎臭い」やり方で「自分の孤独は自分で飼いならせ、人に求めるな」**ことを求めているのです。

5. 求められる姿勢との乖離

時事解説者として、菅野氏は視聴者に高い知的判断力を期待していますが、視聴者の実際の反応はそれに反しています。

  • 菅野氏の配信を見るほどの知的能力があるならば、例えば、朝日新聞の特定の記事(選挙とDVの共依存案件)について、ホストの解説を待たずとも**「これ共依存やんか」と自力で理解できるはず**だと述べています。
  • にもかかわらず、その知的な能力を選挙戦略や時事問題の分析に使うのではなく、菅野個人の動向(「いつも見てます」)に注ぐことは、「距離の取り方」を間違えていることの証拠であり、**「こうなったら終わり」**だと諦念を示しています。

要するに、これらのソースが描くYouTube配信の問題点は、単なる技術的な問題ではなく、**「長すぎるコンテンツ」が助長する視聴者の「カルト化」と「境界線の崩壊」**であり、結果として、**社会から隔離された負け組(廃人)から、ホストに過度な親密さを求め、私的な領域を侵犯する「キャシー・ベイツ化」**した視聴者が増殖している、という危機的な状況です。菅野氏は、自身のYouTube活動が、これらの「能力の低い人間が発言の余地があると思ってる段階」で限界に達していると深く反省し、配信を止めたいとまで感じています。


比喩的なまとめ: このYouTube配信と視聴者の関係は、まるで「高級な授業を行う大学教授」と、「教授に過度に依存し、授業内容ではなく教授の私生活や健康状態ばかりを気にし、個人的なバウンダリーを破るストーカーまがいの学生」との、崩壊したコミュニティに似ています。教授(ホスト)は真剣に高度な知識を提供しているつもりでも、学生(視聴者)はそれを自己満足と親密さの追求の道具としてしか使っておらず、教授は彼らを「社会のゴミ」または「福祉の対象」として処理することに疲弊している状態です。

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