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知事と記者の会見に見る「対話拒否」の異常性。大人の世界では次、殴り合いですよ?

2026/3/19(木)朝刊チェック:トランプに振り回されすぎじゃね?

記事の要約と図解

【結論】 面と向かって他者に「言っていることが理解できません」と言い放つ行為は、対話の拒絶であり、次に手が出る(暴力)一歩手前のサインである。公権力を持つ知事が記者会見でこの言葉を使うことは明確なパワーハラスメントであり、周囲のメディアもこの異常な「言葉の暴力」に対して沈黙してはならない。

【ポイント3選】

  • 「理解できない」は対話の放棄: 見解の相違を受け流すことすらしない知事の態度は、コミュニケーションの断絶を意味する。
  • 大人の知恵は「角を立てない」こと: 落語『延陽伯(えんようはく))』に見られるように、本当に相手の言葉が理解できなくても、適当な相槌で場を収めるのが大人の社会の平和的な知恵である。
  • 沈黙は暴力を容認する: 権力者による言葉の暴力を目の当たりにしながら声を上げない記者クラブの姿勢は、異常の放置に等しい。

職場の会議や日常の会話で、相手の言っていることが全く理解できなかった時、あなたはどう対応するだろうか。「もう少し詳しく教えてもらえますか?」「私の理解が追いついていないのですが……」と、波風を立てずに真意を探るのが、大人のコミュニケーションというものだろう。 しかし、公の場である記者会見において、公権力を持つ知事が、質問する記者に向かって能面のように一切の感情を排した表情で、「言っていることが理解できません」と言い放ったのである。 一見、冷静な対応に見えるこの言葉。しかし、成熟した社会において、これを他人に突きつけることは「対話の完全なる拒否」を意味し、実質的な暴力、すなわちパワーハラスメントにほかならない。 今回は、日本の古典芸能である「落語」の知恵を借りながら、この「対話拒否」がいかに異常で危険な行為であるかを紐解いていく。

導入:ある記者会見で起きた「コミュニケーションの断絶」

兵庫県知事である斎藤元彦氏の定例記者会見において、目を疑うような光景が繰り広げられた。フリージャーナリスト・横田一記者に対する、知事のあまりにも冷淡な態度である。

横田記者は、正当な権力監視の一環として、至極当然の問いを投げかけたに過ぎない。しかし、知事はその問いに対し、「見解の相違」として受け流すことすらしない。それどころか、正面から「言っていることが理解できません」と冷酷に突き放したのである。

これは単なる意見の相違ではない。言葉を用いたキャッチボールを一方的に打ち切る、異常なコミュニケーションの断絶である。他者に向かって「理解できない」と全否定を突きつけることは、明白な敵意の表明と同じなのだ。

大人の世界で「理解できない」をどう乗り越えるか? 落語に学ぶ知恵

本当に相手が「無茶苦茶」だった場合の対処法

もちろん、日常生活において、相手が突拍子もない論理を展開し、本当に何を言っているのか理解に苦しむ瞬間はあるだろう。しかし、まともな社会性を備えた大人であれば、そのような場面でも、真正面から相手を否定して場を凍りつかせたりはしないものだ。

落語『延陽伯(えんようはく)』のエピソード

ここで、大人の社会の知恵として落語『延陽伯』のエピソードを引用したい。これは、京都の公家出身で言葉遣いが極端に難解な女性が、江戸の長屋の職人と結婚する、という設定の噺(はなし)である。

妻となる女性の「わらわをはらみしがゆえに……」といった、およそ日常とかけ離れた、難解かつ過剰に丁寧な言葉を聞かされた際、仲人の甚兵衛さんは当然のごとく「何を言っているのか全く理解できない」状態に陥る。

角を立てない「すたんぶびょう」の知恵

しかし、甚兵衛さんは決して「もう一度言ってください」とは詰め寄らない。なぜなら、無粋に聞き返せば角が立つからだ。

その代わり、甚兵衛さんはたまたま目に入った「タンス」と「屏風」をごまかしの材料に使い、「それは『すたんぶびょう』の儀でございますな」と適当な相槌を打って、その場を丸く収めてしまう。これこそが、他者との無用な対立を避け、平和的に場をやり過ごすための「大人の知恵」にほかならない。

「理解できません」は、次に手が出るサインである

平和的解決を放棄した公権力

落語が教えてくれる大人の知恵とは完全に対極にあるのが、今回の知事の態度である。面と向かって「理解できない」と宣言することは、相手の言葉を咀嚼し、解釈しようとする努力を完全に放棄したことの証左である。

大人の社会のレッドライン

冷静に考えてみてほしい。成熟した文明社会において、他人に面と向かって「言っていることが理解できません」と言い放つのは、「次に殴る」という宣言と同義である。つまり、言葉による対話を自ら放棄し、実力行使へと転じる寸前の、極めて攻撃的かつ非文明的な態度である。このような振る舞いは、成熟した民主主義社会においては断じて容認されない。

これは明確な「パワハラ」である

権力関係において圧倒的な上位にある公権力者が、言葉を武器にして対話を強制終了させる。これはもはやコミュニケーションの問題ではなく、文字通りの「パワーハラスメント」であると断じざるを得ない。相手を愚弄し、封じ込めるために暴力的な言葉を行使しているのだ。

結論:私たちは「暴力」に慣れてはいけない

メディアと社会の責任

私が最も危機感を覚えるのは、この会見の場において繰り広げられた明確な「言葉の暴力」に対し、同席していた他の記者たちが沈黙を守っていたことである。

目の前で権力者が暴力を振るっているにもかかわらず、「そういうものだ」と看過することは、暴力を容認しているのと同じだ。目の前の不当な態度に対して毅然と異を唱え、対話の場を守り抜くことこそが、メディアの果たすべき根源的な使命ではないだろうか。

対話を諦めないための知性

私たちは、安易な「理解できない」という対話拒絶の言葉に屈してはならない。異常な態度を異常だと指摘し、粘り強く健全なコミュニケーションを求めていく知性と勇気が不可欠である。権力者の傲慢な沈黙や拒絶を許せば、社会から、民主主義の根幹である「言葉」そのものが失われてしまうのだから。

たもっちゃん
たもっちゃん

「あのね、横田さんっていうのは、どこ行ってもあの調子なんですよ。立憲の議員だろうが自民党の議員だろうが、小池百合子相手でも全部あの調子

1週間にだいたい4打席くらい立ってて、1年で216打席 。この10年で単純計算2160打席くらい立ってきたんやけど、そのうち2159打席は空振りなんですわ

せやけどね、横田さんは『見逃しの三振』は絶対にない。全部フルスイングの空振りばっかりなんですよ 。これ、俺はめちゃくちゃ褒めてるからね。超褒めてますよ 。

で、ずっとフルスイングで空振りし続けてきた横田さんが、たった1打席だけ『逆転さよなら満塁ホームラン』を打ったことがある 。それが何かと言うと、あの小池百合子から『排除します』っていう言葉を引き出した、あの瞬間ですよ 。あれは言論界の川藤幸三です 。

みんな横田さんの言ってることが分からんって言うけど、あれは作戦でも何でもなくて、そういう人なんですよ 。でも、何百回と理解されずに空振りしようとも、絶対に見逃さずに全力でバットを振り続ける。これめっちゃ褒めてるよ 。」

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