維新・吉村氏を巡る状況を分析するにあたり、**制度の腐敗(Institutional Corruption)と個人の腐敗(Individual Corruption)**を厳密に区別する必要性を強調しています。 - 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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維新・吉村氏を巡る状況を分析するにあたり、**制度の腐敗(Institutional Corruption)と個人の腐敗(Individual Corruption)**を厳密に区別する必要性を強調しています。

吉村洋文

この区別は、単なる違反行為の軽重ではなく、その行為が組織的であるか、あるいは政治制度の根幹を揺るがすものであるか、という点に焦点を当てています。

制度の腐敗と個人の腐敗の区別

この区別を分かりやすくするために、政治資金の問題や犯罪の比喩を用いて説明されています。

  1. 資金問題における区別(裏金と不記載)
    • 個人の政治家が政治資金収支報告書に献金を記載しなかった場合、それは不記載であり、避けるべき悪い行為です(例:公明党の斎藤代表や安住幹事長の不記載の問題)。
    • しかし、裏金と呼ばれるのは、それが組織的に、派閥ぐるみで、そうなるように制度的に決めて行われているからです。
    • 政治家個人の腐敗(不記載など)と制度の腐敗(組織的な裏金)は、やっていることは似ていても、その性質が全く異なると論じています。
  2. 犯罪における区別(強盗と匿流
    • 近所のヤンキーが近所の年寄りを殴り、その家から現金を盗んで逃げた場合、それは強盗という悪い行為です。
    • 一方で、仲間を募り、SNSなどで集団で組織的に年寄りをしばいて金を奪う行為は匿流と呼ばれます。
    • どちらも同じ行為(年寄りをしばいて金を奪う)をしていても、組織として行われているかどうかが、その行為を「強盗」とするか「匿流」とするかを変えるのと同様に、政治における組織的な行為は「制度の腐敗」となります。

維新・吉村氏の行動が「制度の腐敗」である理由

吉村氏の行動を「制度の腐敗極まりり」と断言しています。これは、吉村氏が行った行為が、法的な罰則がないとしても、日本の政治制度の根幹を崩壊させているためです。

  1. 議員内閣制の否定
    • 吉村氏は知事であり、国会議員ではありません。
    • にもかかわらず、維新は自公連立政権への参画判断を吉村氏と藤田氏の両名に一任しました。
    • さらに、この一任決定の前に、維新の議員である遠藤敬氏が首相補佐官に決まるという状況がありました。これは、党内の手続き(総務会や両院議員総会)を無視したものであり、普通の組織ではありえない「異常」な行為だとされています。
    • 国会議員ではない吉村氏が内閣総理大臣を選ぶ話し合いに口を突っ込む行為は、議員内閣制の危機であり、「レジティマシー(正当性)」に重大な疑義が挟まるとされています。
    • これは、明治以来、日本人が150年間守ってきた多数派工作で主犯指名する日本の伝統を破壊しようとしている行為です。
  2. 「誰も悪くない」構造の破壊性
    • 吉村氏が行っている行為は、「山本太郎氏が参議院議員のまま内閣総理大臣になりたいと主張する卑怯な行為」(衆議院の解散権を自分に及ばせない安全圏からの行使)が批判される論理と同様に、その政治的・憲制的な正当性がないとされています。
    • 吉村氏の行為を否定する法律はないかもしれませんが、それを許せば制度の底が抜けることになります。
    • 吉村氏のケースでは、「誰一人悪いことをしていないように見えて、その自主制度がぐちゃぐちゃになっている」点が、制度の腐敗の本質であると指摘されています。

ソースは、この「制度の腐敗」は、担当者ではない人間が担当の仕事をするという、中国の王朝が滅びる兆し(宦官が政治に口を出す)に喩えられており、その際、「それが新しい時代の特徴です」と正当化されるパターンに注意が必要だと警鐘を鳴らしています。

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