【菅野完】組織を殺す「やる気」の正体|れいわ・斉藤知事の病理 | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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組織の「近代化」と「精神論」の終焉:菅野完の視点から見たれいわ新選組と日本型組織の病理

1/22(木)朝刊チェック:ミルクボーイ元彦

私が菅野完でございます。1/22(木)朝刊チェックの時間がやってまいりました。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど

記事の要約と図解

【結論】 組織における「熱意」や「頑張り」は、評価対象にするべきではない。それは兵庫県知事の機能不全や、れいわ新選組の組織的脆弱性、さらには企業の腐敗(プルデンシャル証券の例)に通底する病理である。真に成熟した組織とは、トップのカリスマ性や個人の精神論に依存せず、冷徹なシステムと論理によって機能するものでなければならない。

【ポイント3選】

  1. れいわ新選組の未熟さ: 代表・山本太郎の病気(多発性骨髄腫の疑い)により組織が揺らぐのは、政党ではなく「個人商店」である証拠。支持者はファン心理を捨て、実務(集票)で組織を支えるべき。
  2. 「頑張り」の害悪: 「やる気」を評価基準にすると、組織は不正の温床(プルデンシャル化)となるか、無能な働き者による暴走(兵庫県知事選)を招く。
  3. リーダーの条件: 優れたリーダーは部下の内面(やる気)に干渉せず、結果のみを管理し、無能な働き者を隔離できる「冷徹な知性」を持つ者である。

【組織論の深層】「やる気」という病魔が組織を殺す

――れいわ新選組と兵庫県知事に共通する、絶望的な「未熟さ」について

政治や組織の議論において、日本人が最も陥りやすく、そして最も致命的な罠がある。それは「頑張っていること」を評価の対象にしてしまうことだ。

現在進行系で起きている二つの事象――れいわ新選組・山本太郎代表の「多発性骨髄腫の疑い」という危機と、兵庫県知事・斎藤元彦氏の記者会見における奇怪な振る舞い。一見無関係に見えるこの二つは、実は「組織と個人」「熱意と能力」という全く同じ文脈で語られるべき、日本型組織の病理である。

結論から言おう。組織に必要なのは、熱狂的な「思い」などではない。冷徹な「システム」と、無能を排除する「知性」だ。

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1. 「無能な働き者」が招く組織の死

組織論において、結果を伴わない「やる気」ほど有害な毒素はない。方向性のズレた努力を組織が「頑張り」として評価し始めた瞬間、その集団は確実に「腐敗」か「崩壊」の二択へと突き進む。

腐敗する現場:プルデンシャル証券の教訓

「精神論」と「実力主義」が最悪の形で結びついた成れの果てが、プルデンシャル証券に見られる組織文化だ。そこはビジネスの場などではなく、実態は**「不正のデパート」**に近い。

能力のない人間が、精神論という名のプレッシャーの中で数字を作るため、横領や枕営業、車内での不適切行為、果ては陰湿な社内いじめといったあらゆるデマゴーグと不正に手を染める。彼らにとって不正は「頑張り」の結果として正当化され、組織は「犯罪集団」へと堕ちる。

崩壊する国家:大日本帝国の亡霊

より深刻なのは、かつての大日本帝国のように、真面目さと熱狂的な「頑張り」だけで破滅へと突き進むパターンだ。方向性が間違っているにもかかわらず、構成員が「一生懸命」であればあるほど、組織は修正不能な速度で自滅へと加速する。

主観的な「やる気」や「思い」などというものは、他者や顧客にとっては1円の価値もないゴミである。評価されるべきは、客観的な「結果」のみだ。

元国会議員がホームレスになったりする

「やる気、元気、いわき」のキャッチフレーズで知られ、かつて国会議員も務めた人物(井脇ノブ子氏を示唆)は、現在**「生活保護を受けるしかない」**という状況になっている

「おカネまったくないねん…」井脇ノブ子が貧困を告白!

2. 対話不能なリーダーという「バグ」

組織を殺すもう一つの要因は、トップの知性欠落だ。兵庫県知事・斎藤元彦氏の記者会見はその典型例として記憶されるべきである。

記者が「子供たちのメッセージで心に残った言葉は?」と感情や内面を問うているのに、知事は事実の「あらすじ(シノプシス)」を読み上げるだけで返答を終える。これは単なるコミュニケーション能力の不足ではない。相手の言葉の意図を汲み取る知性と、他者の痛みに共鳴する人格が欠落しているから起こる現象だ。

言葉と言葉が噛み合わず、対話が成立しない人間がトップに居座る。これは組織にとって「致命的なバグ」であり、機能不全の象徴である。

3. れいわ新選組:「個人商店」の限界と支持者の甘え

この「組織の未熟さ」が、人道上の危機として露呈しているのが現在のれいわ新選組だ。

代表・山本太郎氏が「多発性骨髄腫の疑い(前段階)」という重病を抱えながら、代表を続けなければならない現状。これを「責任感」などという言葉で美装するのは、知性の欠損したアホの所業である。本来、病人は寝かせておくのが文明社会の鉄則だ。それを許さない現状は、極めて**「異常」**であり、組織による人権侵害と言っても過言ではない。

かつての自民党や公明党といった「システム」を構築できている組織を見よ。トップが交代しようが療養しようが、組織運営の歯車は寸分狂わず回り続ける。対してれいわ新選組は、結党から7年を経てもなお、代表個人の生命力を燃料に燃え盛る「個人商店」の域を1ミリも出ていない。代表の命を切り売りしなければ維持できない構造は、組織論以前に、存続不可能な「欠陥品」である。

「ファン」ごっこは終わりだ

厳しいことを言うようだが、この状況を招いた一因は支持者、特に年長者にある。街頭演説でプラカードを持って「賑やかし」に参加し、山本太郎を見て満足している場合ではない。それは若者の仕事だ。

年長者がやるべきは、その豊富な社会経験と人脈を活かし、事務所で電話をかけ、名簿を整理し、ドブ板を踏むという地味で実務的な「票を集める作業」である。「山本太郎が休んでいる間こそ、私たちが組織を回してみせる」。その気概と実務能力を示すことこそが、組織を近代化させる唯一の道である。

4. 結論:勝利のための「排除の論理」

組織運営における真のリーダーシップとは、部下に「やる気を見せろ」と迫ることではない。それはマネジメント能力を欠いた**「最低最悪の上司」のすることだ。 リーダーの最重要任務は、情熱を振りまくことではなく、「無能な働き者を隔離すること」**にある。能力が低いのに「頑張ってしまう」奴ら――エゴ駆動型のサボタージュを行う連中を見抜き、仕事をさせない、部屋に入れないという冷酷な決断を下すことだ。

「アホ」がいると負ける

兵庫県知事選挙における稲村和美氏の敗北は、その冷厳な事実を突きつけている。

敗因は明確だ。陣営に入り込んだ「アホ(足を引っ張る存在)」をパージできず、古い昭和的な戦術と「無能な熱意」に足をすくわれたからだ。「選挙事務所にアホがいると負ける」――これは昭和から続く普遍的な真理である。無能な人間が「頑張ってしまう」ことを放置したツケを、彼女は払わされたのだ。

組織が必要としているのは、熱意という名の「無価値な自己満足」ではない。冷徹に導き出される「結果」と、それを支える「システム」だ。

読者諸氏も、自身が所属する組織や支持する団体を、この「知性」という尺度で再点検せよ。そこに蔓延しているのは「冷徹な実務」か、あるいは組織を食いつぶす「無能な熱意」か。その見極めができなければ、あなたもまた、組織という名の泥舟を漕ぐ「無能な働き者」の一員に過ぎない。


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