維新を支える二重の過ち:菅野完氏が暴く、支持者と批判者に共通する「知性の敗北」 | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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維新を支える二重の過ち:菅野完氏が暴く、支持者と批判者に共通する「知性の敗北」

2025/12/22(月)朝刊チェック:どうやらまた維新が嘘をついているようです

私が菅野完でございます。朝刊チェックの時間がやってまいりました。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど

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序論:維新問題の本質はどこにあるのか

本稿は、菅野完氏の鋭い分析に基づき、「大阪維新の会」という政治勢力がなぜこれほどまでに強固な支持基盤を維持できるのか、その構造的な問題を解き明かすものである。菅野氏が指摘するのは、維新の政策や政治手法そのもの以上に、それを許容し、時には助長すらしてしまう**「有権者の質の低下」**という、より根深く、そして痛烈な問題だ。驚くべきことに、その批判の矛先は、維新を熱心に支持する層だけではなく、維新を批判するはずの勢力にも、まったく同じ厳しさで向けられている。維新の強さとは、実は支持者と批判者の双方に共通する「知性の敗北」によって支えられているのではないか。本稿では、この衝撃的な診断を詳らかにし、維新問題の本質が、鏡に映る我々自身の姿そのものであるという、不都合な真実を突きつける。

1. 維新の「秒で分かる嘘」と、それを見抜けない有権者

菅野氏が提起する問題の第一の柱は、維新が用いる欺瞞の手口が、決して高度で巧妙なものではないという点にある。むしろ、それは社会常識さえあれば誰でもすぐに見抜けるほど稚拙な「子供騙し」であり、それすら見抜けない有権者の知性のあり方が、維新の支配を盤石にしているというのだ。

事例:議員の国保加入逃れ疑惑という「茶番」

菅野氏が具体例として挙げるのが、「維新所属議員による国民健康保険の加入逃れ疑惑」である。この問題が浮上した際、吉村洋文大阪府知事は「全所属議員を調査する」「脱法スキームであれば問題だ」と述べ、あたかも真相究明に多大な労力を要するかのような念入りなポーズをとってみせた。

しかし、菅野氏はこれを「調査など必要ない」と一刀両断にする。なぜなら、その議員が適切な社会保険に加入しているかどうかは、以下の書類を確認すれば一瞬で判明するからだ。

  • 確定申告書
  • 年金定期便(ねんきん定期便)
  • 保険証そのもの

会社勤めの経験がある者、あるいは一度でも確定申告を行ったことのある者ならば、吉村知事の「調査する」という言葉が、問題の本質から目を逸らし、時間を稼ぐための単なる嘘であることは「秒で分かる」はずだと菅野氏は指摘する。

有権者の「社会常識」欠如への絶望

この事例から導き出される菅野氏の有権者批判は、極めて痛烈だ。

「こんなん普通会社勤めしたことある人やったら秒で分かる嘘を見抜かれへんの?」

この言葉は、維新という政党への批判以上に、その見え透いた嘘を無批判に受け入れてしまう有権者層に向けられている。自分たちの生活に直結する税金や保険の基本的な仕組みさえ理解せず、「調査します」という為政者のポーズを鵜呑みにしてしまう。この状況に対し、菅野氏は「大阪の人ってほんまに頭悪いんやと思う」「アホなんちゃう」といった、感情を剥き出しにした言葉で絶望感を表明する。これは単なる罵倒ではない。政治家が最低限の社会常識すら必要としないほど、有権者の検証能力が低下してしまった社会への深い嘆きなのである。

メディアがこの単純な嘘を追及しないことも問題だが、それ以上に深刻なのは、有権者自身が「確定申告書を見せろ」という一言で終わる話に気づかない、あるいは声を上げないことだ。この知的怠慢こそが、維新の土壌となっている。しかし、問題は嘘を見抜けない支持者側だけに留まらない。むしろ、事態をより絶望的にしているのは、維新を批判する側に存在する、もう一つの「過ち」なのである。

2. 批判勢力の「利敵行為」:差別が維新を延命させる構造

菅野氏の怒りの矛先が最も激しく向けられるのは、驚くべきことに、維新を批判するはずの「味方」、特にリベラル・左派層である。彼らの一部が行う批判が、結果的に維新を利するだけの「利敵行為」になっているというのだ。なぜ、維新批判はしばしば逆効果となり、彼らを延命させる結果を招いてしまうのか。その根源には、歴史的経緯を無視した、致命的な過ちがある。

差別用語「ハシシタ」への激怒と「戦略的過誤」

菅野氏は、自身の配信番組のチャット欄で、橋下徹氏を指して差別的な意味合いを持つ「ハシシタ」という言葉を使ったユーザーに対し、即座にブロックし、「人間として最低」「生きているだけで害悪」と、およそ容赦のない言葉で断罪した。

この過剰とも思える反応は、単なる道徳的な潔癖さから来るものではない。菅野氏にとって、この種の差別用語の使用は、維新との政治闘争における致命的な**「戦略的過誤」**であり、政治的な自殺行為に等しいからだ。

なぜ差別が「利敵行為」となるのか

その論理は明快である。維新や橋下氏に対して出自に関する差別的な言葉を投げかけることは、彼らに**「我々は不当な差別の被害者である」**という、最強の防御カードを与えてしまうことに他ならない。一度「差別の被害者」という立場を確立させてしまえば、いかなる正当な政治批判も「それも差別の一環だ」と封じ込めることが可能になる。

「お前ら左翼が選挙に負けるのはこういうことをするからじゃ」

菅野氏のこの叫びは、まさにその構造を指している。差別という、議論のルールを根底から破壊する手段に訴える「味方」の存在こそが、維新に反撃の口実と正当性を与え、批判勢力を無力化させている。これは、第1章で述べた有権者の知的怠慢に対する絶望とは異なる、味方の愚かさに対する戦略的な絶望であり、事態の救いようのなさを二重に浮き彫りにしている。

では、なぜ橋下氏に関連する差別問題が、これほどまでに決定的な意味を持つのか。その答えは、日本の言論空間を歪めた、ある歴史的な事件に遡る。この事件を知らずして、現在の維新を語ることはできない。

3. すべての起点:2012年「ハシシタ記事事件」というメディアの敗北

菅野氏の歴史観によれば、2012年に『週刊朝日』が掲載した佐野眞一氏による連載記事「ハシシタ 奴の本性」は、単なる一雑誌の不祥事では断じてない。これは、維新によるメディア・コントロールを確立させ、現在の大阪の言論状況を決定づけた**「ターニングポイント」**であった。この事件の構図を理解しない限り、なぜ差別用語の使用が致命的な過ちとなるのかを真に理解することはできない。

正当な批判を逸脱した「明確な差別」

まず確認すべきは、この記事がなぜ正当な政治批判ではなく、許されざる差別であったかという事実だ。部落解放同盟が発表した抗議文は、その差別性を客観的に立証している。

  • 血統主義による人格攻撃: 記事は橋下氏の政治手法ではなく、「非寛容な人格」の根源を、父親が被差別部落出身であるという**「血」に強く関連づけようとした**。これは個人の資質を出自で説明しようとする、典型的な血統主義にもとづく人格攻撃である。
  • 優生思想的な対比: 記事中には、母親側を「純粋な人」、父親側を「水平社あがり」と対比させる記述があった。これは被差別部落出身者を「不純」な存在と見なす、悪質な優生思想に基づいている。
  • 地名の暴露: 最も致命的だったのは、差別につながる極めてセンシティブな情報である具体的な被差別部落の地名(八尾市安中地区)を明記したことだ。これは地域住民全体に対する、一種のドキシングにも等しい重大な人権侵害であった。

力の逆転とメディア・コントロールの確立

この明確な差別行為は、政治的に決定的な帰結をもたらした。

第一に、橋下氏は**「差別と戦う正当な被害者」**という、誰にも論破できない最強の道義的立場を手に入れた。この局面において、完全に正しかったのは橋下氏であり、メディア側は弁解の余地なく敗北した。

第二に、この「正当性」を武器に、橋下氏は朝日新聞やテレビ朝日など、朝日系メディア全体を記者会見から締め出すという強硬手段に打って出た。これにより、メディア各社には強烈なトラウマが植え付けられた。「維新を批判すれば、差別というカードで反撃され、取材機会を奪われる」という恐怖心である。菅野氏の言葉を借りれば、メディアはこの一件で完全に**「維新の軍門に下った」**のだ。大阪のメディアが維新に対して「萎縮」し、批判的な報道が著しく減少した構造は、この時に確立されたのである。

この歴史的敗北の文脈を理解すれば、今なお差別的な言葉を使って維新を批判することが、いかに愚かで無意味な行為であるかは火を見るより明らかだ。それは、自ら進んで10年前の敗北を再現し、相手に勝利の根拠を与え続けることに等しい。

結論:詐欺師を利する「不用心な被害者」と「ルール違反の追跡者」

菅野完氏の分析を通じて浮かび上がるのは、維新の強さが、その政策の巧みさや組織力以上に、有権者全体の「質の低下」という、より根深い土壌によって支えられているという絶望的な構造である。

この構造は、二つの異なる、しかし共犯関係にある勢力によって成り立っている。

  1. 子供騙しの嘘を検証しない支持者:社会人としての常識があれば一瞬で見抜けるはずの、為政者の見え透いた嘘を無批判に信じ込む層。彼らの知的怠慢が、維新のデタラメな統治を許容する温床となっている。
  2. 歴史的敗北を学ばず、差別という自滅的手段に訴える批判者:メディアが維新に屈した決定的な事件の教訓を学ばず、安易に差別というルール違反に手を染める層。彼らの愚行が、維新に「被害者」という最強の隠れ蓑を与え、正当な批判を封じ込める口実を提供している。

菅野氏が用いた痛烈なアナロジーは、この救いのない状況を的確に表現している。

詐欺師の例え この状況は、「詐欺師の手口が巧妙なのではなく、騙される側の支持者があまりに不用心な上に、詐欺師を追う側の批判者がルール違反を犯し、詐欺師に『私は被害者だ』と主張する隠れ蓑を与えている状態」だ。

野球の例え ルールも歴史も知らずに差別用語で維新を批判する者は、「『野球しようぜ』と皆で集まった空き地に、一人だけ海水パンツでやってきた」ようなものだ。議論の土俵そのものを破壊し、政治的対決を不可能にする存在でしかない。

最終的に、菅野氏の論理が私たちに突きつけるのは、極めて厳しい自己批判の要求である。維新という政治勢力と真に対峙するためには、まず、私たち自身の陣営――すなわち、嘘を検証しない知的怠慢と、歴史に学ばない戦略的無知――を克服することが絶対的な条件なのだ。維新問題の本質は、鏡に映る我々自身の姿そのものなのかもしれない。

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