2026/1/19(月)朝刊チェック:政治家が転ぶのはまだ理解できる。が、一般人のくせに「今回は安保法制は合憲と言えるよね」と転ぶヤツを俺は一生信用しないし、今後ずっと死ぬまで俺の敵。
記事の要約と図解
【結論】 立憲民主党とその支持者が、かつて否定した「安保法制の合憲化」を容認して「中道改革連合」を組むことは、2017年の結党精神に対する裏切りである。過去の自分を否定するなら、当時の前原誠司氏や小池百合子氏に土下座して謝罪すべきであり、それができないなら今の野合を認めてはならない。
【ポイント3選】
1. 2017年の精神の放棄:かつて「勝つことよりも筋を通すこと(インテグリティ)」を選んで熱狂を生んだ立憲民主党が、今や選挙目当てでその魂を売っている。
2. 支持者の二重基準:当時「枝野立て」と叫んだ層が、今になって「勝つためには安保法制容認も仕方ない」と転ぶのは、知的誠実さの欠如であり堕落である。
3. 現場を知らぬネット弁慶:「勝てば官軍」と言うが、実際に選挙の現場で汗をかかず、安全圏から評論するだけの支持者に、その言葉を吐く資格はない。

1. 2017年「枝野立て」の精神と現在の変節
■ 【徹底解説】2017年の熱狂を忘れた「立憲支持者」に告ぐ。お前らは前原と小池に土下座できるのか?
魂を売った「中道改革連合」という茶番
私が菅野完でございます。1/19(月)朝刊チェックの時間がやってまいりました。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど
怒りが収まらない。政治家が転ぶのはまだ理解できる。彼らの仕事は「生き残ること」であり、権力を奪取することだからだ。だが、一般人のくせに、ネットで偉そうな講釈を垂れていた支持者が、ここに来て「今回は安保法制は合憲と言えるよね」「勝つためには仕方ない」と掌を返す。そんな奴を私は一生信用しないし、死ぬまで敵と見なす。
今起きている「中道改革連合」なる動き。これは単なる政党間の合従連衡ではない。2017年、あの熱狂の中で立憲民主党という旗を立てた、その精神的支柱をへし折る行為だ。かつて「立憲民主党はあなたです」と言ったあの言葉は嘘だったのか。今こそ、その欺瞞を暴かねばならない。
1. 2017年の「枝野立て」とは何だったのか
「排除の論理」に抗ったインテグリティ
時計の針を2017年に戻そう。小池百合子氏率いる「希望の党」が誕生し、民進党が合流を決めた時、何が起きたか。小池氏は「安保法制の合憲化」と「原発再稼働」を踏み絵にし、それに従わないリベラル派を「排除します」と言い放った。
この時、多くの国民が憤ったのはなぜか。「勝つためには魂を売ってもいいのか」という問いがあったからだ。
そこで枝野幸男氏は立ち上がった。「選挙に勝つことよりも大事なことがある」と。それが政治におけるインテグリティ(高潔さ)であり、立憲主義を守るという気概だった。だからこそ、当時のTwitterは「枝野立て」で溢れ、判官贔屓ではない、本質的な民主主義の熱狂が生まれたのだ。あれはトップダウンで作られた党ではない。お前たち一人一人が作った党だったはずだ。
お前たちが潰したのは「小池・前原」の野望だったはずだ
あの時、ネットで必死に声を上げ、立憲民主党を野党第一党に押し上げたのは誰か。今の支持者たち、お前らだ。お前らが、安保法制を容認して政権奪取を目論んだ前原誠司氏と小池百合子氏の野望を砕いたのだ。
当時の前原氏のロジックはこうだ。「小池人気に乗っかって、安保法制さえ飲み込めば、安倍政権を倒せる」。これは今の「中道改革連合」のロジックと全く同じである。
しかし、2017年の支持者たちはそれを拒否した。「政権交代よりも筋を通す方が重要だ」と判断したのだ。その判断に誇りを持っていたはずだ。だからこそ、立憲民主党は特別な政党として存在感を示せたのではなかったか。
2. 今、「安保法制合憲」を受け入れる支持者の醜悪さ
9年前の自分を否定するなら、まず謝罪しろ
ところがどうだ。今、「中道改革連合」の綱領には、実質的に安保法制を追認する文言が並ぶ。それを支持者たちは「政権交代のためには現実路線が必要だ」「今回は仕方ない」と受け入れている。
ふざけるなと言いたい。
もし今の路線が正しいと言うのなら、2017年の時点で「安保法制を容認してでも安倍政権を倒すべきだった」ということになる。つまり、当時の前原誠司氏と小池百合子氏は正しかったということになる。
ならば、今すぐ前原氏と小池氏に土下座してこい。「あの時は申し訳ございませんでした。私の判断が間違っていました。あなた方のリアリズムが正解でした」と、頭を丸めて詫びてこい。それが筋を通すということだ。
言葉と心の乖離が政治を腐らせる
過去の自分の発言に責任を持てない人間は、政治を語る資格がない。「2017年は枝野が正しかった。しかし2026年は安保容認が正しい」。そんな都合の良いダブルスタンダードが通用すると思っているのか。
お前らの言葉が他人に響かないのは、心と思っていることと、口から出る言葉の距離が乖離しているからだ。9年前の自分を正当化しながら、今の野合も正当化する。その矛盾に気づかないふりをしている「卑しさ」が、今の立憲支持者からはプンプン臭うのだ。
3. 「勝てば官軍」という寝言と現場のリアル
現場で汗もかかずに「勝利」を語るな
ネット上で「選挙は勝たなきゃ意味がない」と嘯く連中がいる。だが、そう言う奴に限って、選挙の現場で見たことがない。
私はこの数年、いくつもの選挙現場に入り、戦ってきた。勝たせてきた。それは、2017年に「政権交代よりも筋を通す」ことを選んでしまい、結果として安倍政権を延命させてしまったことへの、私なりの罪滅ぼしでもある。
現場でポスターを貼り、電話をかけ、ドブ板を踏む苦労も知らない連中が、安全な部屋から「勝つためのリアリズム」などと講釈を垂れる。これほど腹立たしいことはない。評論家気取りで飯も食えないくせに、政治ごっこで承認欲求を満たすな。勝つことの重みを知っている人間だけが、「勝つためには」と語る資格があるのだ。
「ヤクザに暴対法を作らせる」安保法制の本質
安保法制の何が問題だったか。今の支持者はそれすら忘れている。右左のイデオロギー論争ではない。「立法の過程」が腐っていたことだ。
法律を作ってから、その法律を通すために憲法解釈を変える。これは「ヤクザに暴力団対策法を作らせる」ようなものだ。法治国家としてあり得ない手続きだったから、我々は反対したのだ。中身がどうこう以前に、手続きが憲法秩序を破壊しているから「極左的」だと批判したのだ。
もし「世界中でアメリカと共に戦いたい」と本気で思うなら、むしろ安保法制のような玉虫色の決着には反対しなければならないはずだ。戦争に勝つために必要なのは、厳格な指揮命令系統であり、徹底した「軍律」だ。「現場の判断で行けたり行けなかったりする」ような曖昧な法整備で、どうやって命のやり取りをする現場が回るというのか。戦争を知らない素人が、雰囲気だけで「現実的な安保」を語るから、こうした根本的な欠陥が見過ごされる。
結論:お前たちはどちらを選ぶのか
今、立憲民主党の支持者に突きつけられているのは、巨大な踏み絵だ。
- 「2017年の自分は間違っていた」と認め、過去の敵(前原・小池)に謝罪して今の野合を支持する道。
- 「2017年の判断は正しかった」と胸を張り、今の執行部にNOを突きつける道。
道は二つに一つしかない。
「あの時は正しかったし、今も正しい」という道だけは存在しない。それは単なる堕落であり、人間としての死だ。
私は2017年の判断は正しかったと思っている。だからこそ、今回の中道改革連合には断固として反対するし、それを容認するかつての同志たちを、軽蔑し続ける。
お前らは、どうするつもりだ?
2. 安保法制と「中道改革連合」の本質的問題

■ 【徹底解説】「中道」という名の思考停止。安保法制が「ヤクザの暴対法」であり、日本を「必ず負ける国」にする理由
左右の対立などどうでもいい。「ルール」があるかどうかの話だ
今、「中道改革連合」などという浮ついた言葉に騙されている連中に言いたい。お前らが容認しようとしている「安保法制」の何が問題だったか、本当に理解しているのか?
多くの人間が勘違いしているが、これは「右翼か左翼か」「タカ派かハト派か」というイデオロギーの話ではない。問題の本質は、「ヤクザに暴力団対策法を作らせていいのか」という、もっと手前の「ルールの根幹」にある。
1. 「ヤクザに暴対法を作らせる」という狂気
立法プロセスの腐敗こそが「極左」的破壊行為だ
2015年、当時の安倍政権が何をやったか思い出せ。彼らは、まず自分たちが通したい法律案(安保法制)を作った。そして、その法律を通すために、長年積み上げてきた内閣法制局の憲法解釈を、人事権をチラつかせて無理やりねじ曲げたのだ。
「法律に合わせて憲法(の解釈)を変える」
これは、泥棒が自分の犯行を正当化するために、後から刑法を書き換えるのと同じだ。あるいは、ヤクザの親分に「自分たちが捕まらないような暴対法を作ってください」と頼むようなものだ。
私は当時、安倍晋三を「極左」と呼んだ。なぜか。保守を自称しながら、日本の法秩序、立憲主義という伝統的プロセスを破壊したからだ。思想の左右など関係ない。「手続き」を守れない人間に、法を作る資格はない。立憲民主党は本来、この「手続きの正義」を守るために生まれたはずだ。それを「現実路線」という言葉でごまかして容認することは、法治国家としての自殺行為に等しい。
2. 「世界で戦いたい」タカ派こそ、この法制に反対しろ
曖昧な命令で死ぬのは現場の自衛官だ
百歩譲って、お前らが「地球の裏側まで米軍についていって、世界の敵と戦いたい」というバリバリのタカ派だとしよう。
「集団的自衛権? 上等だ。ブラジルだろうが北極だろうが、アメリカと一緒に戦ってやる」
そう思うなら、なおのこと、現在の安保法制のような「玉虫色」の決着には断固反対しなければならない。
なぜか。戦争に勝つために最も必要なものは、最新鋭のミサイルでも戦闘機でもない。「厳格な指揮命令系統(軍律)」だ。
現在の安保法制は、「存立危機事態」だの何だのと要件をごちゃごちゃ並べ、政治判断や現場の解釈で「行ける場合もあれば、行けない場合もある」というあやふやな構造になっている。
想像してみろ。戦場で司令官から「突撃せよ」と命令が下った時、現場の部隊長が「いや、今の状況は法律の解釈要件を満たしていない可能性があります。雨も降ってるし、今回はパスします」と言える余地があったらどうなる?
そんな軍隊、秒で負ける。
戦争を知らない素人が語る「リアリズム」の嘘
「中道」を気取る連中は、自分たちをリアリストだと思っているらしいが、笑わせるな。本当の軍事のリアリズムとは、「上官の命令は絶対」という冷徹な規律(軍律)の上に成り立つものだ。
もし本気で「戦える国」にしたいなら、立法プロセスを無視した解釈改憲などという小細工ではなく、正面から憲法を議論し、指揮命令系統を法的にクリアにしなければならないはずだ。
手続きを無視して作られた「違法建築」のような法律の上で、命を懸ける現場の自衛官を動かす。これこそが、最も無責任で、最も「非現実的」な態度なのだ。
3. 歴史に学べ。規律なき軍隊は国を滅ぼす
日露戦争の勝因と、太平洋戦争の敗因
歴史を見れば明らかだ。明治の日本軍、日露戦争を戦った頃の軍隊がなぜ強かったか。「軍律厳しき中なれど」という軍歌の一節がある通り、規律が徹底していたからだ。
逆に、昭和に入ってからの日本軍がなぜ中国大陸で泥沼にはまり、太平洋戦争でボコボコに負けたのか。それは、石原莞爾や板垣征四郎のように、軍律を無視して独断専行する軍人が英雄視され、出世してしまったからだ。林銑十郎のような「越境将軍」を総理大臣にしてしまったからだ。
「現場の判断」「現地の都合」で勝手に戦線を拡大し、統制が効かなくなる。これが組織としての敗北の始まりだ。
現代の「石原莞爾」を生む安保法制
今の安保法制がやっていることは、まさにこの「統制の破壊」を立法レベルで再現しているに過ぎない。「解釈次第でどうにでもなる法律」を与えることは、現場に「独断」の余地を与えることだ。
アメリカ軍は世界最強だが、その軍律はガチガチだ。規律が緩い軍隊など、張り子の虎にもならない。
「アメリカと一緒に戦う」と言いながら、肝心の指揮命令系統というOSがバグっているのが今の日本だ。
これを「中道改革」だの「現実的な安保」だのと持ち上げる連中は、歴史も知らなければ、軍事の「ぐ」の字も知らない素人だ。そんな連中に、国の舵取りを任せていいわけがない。
結論:踏み絵を踏むのはお前たちだ
立憲民主党を支持してきたお前たちに問う。
「ヤクザに法律を作らせる」プロセスを認めるのか?
「現場が判断に迷って全滅しかねない」欠陥法制を、現実的だと強弁するのか?
もしそれを認めるなら、二度と「立憲主義」などと口にするな。そして、2015年に反対した自分を恥じろ。
この「中道改革連合」という名の野合は、日本の法治主義と安全保障の両方をドブに捨てる行為に他ならない。目を覚ませ。
3. 記者会見の分析とメディア・言論の劣化
3. 記者会見で見えた「地獄」と「素人以下の経済論」
公開処刑された公明党・西田氏
「中道改革連合」記者会見あれを見て戦慄しなかったなら、政治を見る目を疑ったほうがいい。
そこに映し出されていたのは、希望に満ちた新党の船出などではない。残酷なまでの「政治家としての格の違い」を見せつける、公開処刑の現場だった。
余裕しゃくしゃくでマイクを握る立憲・安住淳氏の隣に座らされた、公明党・西田実仁氏。
この二人が並んだ姿は、私の目には「ディーン・フジオカの隣に座らされた一般人」のように映った。あるいは、「ベストジーニスト賞の表彰式に間違って紛れ込んだ菅野完」と言ってもいい。それほどまでに役者が違いすぎた。西田氏は完全に安住氏の「引き立て役」にされ、惨めなピエロを演じさせられていたのだ。
「運用益で恒久減税」という亡国の経済論
そして西田氏は、とんでもないことを口走った。消費税減税の財源について問われた際、「国の資産500兆円を運用する政府ファンドを作り、その運用益を恒久的な食料品非課税の財源にする」と説明したのだ。
私は画面の前で叫んだ。「おい止めろ! それは言わんほうがよかった!」と。
これは経済や金融を知る人間からすれば、背筋が凍る発言だ。
株式や投資の運用益というのは「変動する(不安定な)収益」だ。対して、消費税減税というのは「固定的で(恒久的な)支出」だ。
「変動する水物(みずもの)の収入」を当てにして、「恒久的な固定費」を賄う。 こんなデタラメな財政規律がまかり通れば、日本は一瞬にしてマーケット(金融資本)に見放される。通貨や国債の暴落を招きかねない、素人以下の暴論だ。安住氏が横で苦笑いしていたのがその証拠だ。
「こいつはアホだ」と見抜いた記者たちの狙い撃ち
この西田氏の「弱さ」と「能力不足」を、会場の記者は即座に見抜いた。特に産経新聞などは「こいつはアホ(弱点)だから狙い目だ」と判断し、徹底的に西田氏を狙い撃ちにしていた。
記者の質問にしどろもどろになり、論理破綻した経済論を振りかざし、安住氏の引き立て役に甘んじる。公明党は「平和の党」「福祉の党」の看板を捨てただけでなく、政治家としての「能力」さえも欠如していることを天下に晒したのだ。
これならまだ三浦信祐氏の方がマシだったのではないか。創価学会の婦人部や青年部は、この醜態を見て何を思うのか。
2. 日本のジャーナリズムは死んだのか
記者のレベルが低すぎて話にならない
そして、私が西田氏以上に絶望したのが、会場にいた記者たちのレベルの低さだ。
彼らは何か意味ありげにメモを取り、質問していたが、その中身は空っぽだ。フリーランスだろうが大手紙だろうが関係ない。彼らは政治の「核心」を全く理解していない。
この会見で問われるべき最大の矛盾は、「政策の中身」ではない。「党の存在意義(レゾンデートル)」に関わる手続き論だ。
なぜ「ヤクザに暴対法を作らせるな」と問わない?
立憲民主党がなぜ生まれたか。それは2015年の安保法制の成立過程において、「法律を作ってから、その法律を通すために憲法解釈を無理やり変える」という、法治国家にあるまじき暴挙が行われたからだ。菅野氏はこれを「ヤクザに暴力団対策法を作らせるようなもの」と喝破した。
中身が右か左かではない。「手続き」が腐っているから、立憲主義を守るために立ち上がったのが立憲民主党だったはずだ。
記者が安住氏に突きつけるべきだったのは、この一点だ。
「安住さん、あなた方の党は『中身の是非以前に、立法プロセスが違憲だ(ヤクザが法律を作った)』という理由で生まれたはずです。今回、その『違憲な手続きで作られた法律』を前提に公明党と合意するということは、結党の精神である立憲主義そのものを放棄したということですか?」
この単純かつ致命的な「手続き論」の矛盾を突く記者が一人もいない。
記者が勉強不足で、この「立憲主義の破壊」という最大の論点を見落としているから、安住氏のような海千山千の政治家に「現実的な安保」などという言葉で煙に巻かれて終わる。今のメディアには、権力を監視する能力も、歴史的な文脈を理解する知性もない。ただの広報機関に成り下がっている。
3. ネット弁慶たちに告ぐ「現場のリアル」
GHQのジープとアクアフレッシュの絶望
ネット上では、頼みもしないのに「選挙は勝たなきゃ意味がない」「野合でも何でも勝てば官軍だ」と講釈を垂れる連中が溢れている。
お前らに問いたい。本当の「負け」を知っているのか? 本当の「圧倒的な力」を見たことがあるのか?
私の祖父は、戦後すぐに奈良の田舎でGHQを見た。石段をジープで駆け下りてくる米兵を見た時、「負けた」と悟ったという。理屈ではない。圧倒的な物質量の差、技術の差。
そして、シベリア抑留から帰ってきた祖父の友人は、米軍宿舎で掃除夫をした時、彼らが使う「アクアフレッシュ(3色の歯磨き粉)」を見て絶望した。「歯磨き粉にまで色がついてる国に、勝てるわけがない」と。
これがリアリズムだ。
現場の圧倒的な現実を知らず、ネットで拾った知識だけで「勝つための戦略」を語るお前らの言葉は、アクアフレッシュの前に立ち尽くした敗戦国民のリアルに比べて、あまりにも軽い。
「言葉」と「心」の距離を埋めろ
今の立憲支持者が語る言葉が誰にも響かない理由。それは、「言葉」と「心」の距離が離れすぎているからだ。
2017年には「筋(手続きの正義)を通すことが正義だ」と言い、2026年には「勝つためには筋を曲げるのが正義だ」と言う。その変節に何の説明もなく、ただ勝ち馬に乗ろうとする。
そんなあやふやな言葉に、力など宿るわけがない。
選挙の現場で汗をかき、ドブ板を踏み、有権者に頭を下げた人間だけが、言葉に重みを持たせることができる。評論家気取りで安全圏から石を投げるだけの「ネット弁慶」たちよ。お前らがやっているのは政治ではない。ただの暇つぶしだ。
本当に政権を取りたいなら、まずは9年前の自分に謝れ。そして、現場に出ろ。
言葉と心を一致させない限り、お前らは永遠に「何者にもなれない」敗北者のままだ。

人気ブログランキング



コメント