2026/2/7【勝訴のお知らせ】音喜多駿さんが当方を「選挙の自由妨害」で訴えてきた件、完全勝訴しました【プロテスター各位ご参考になさってください】
記事の要約と図解
【結論】 菅野完氏が音喜多駿氏から「選挙の自由妨害」等で訴えられた裁判において、裁判所は音喜多氏の主張を全面的に退け、菅野氏の「完全勝訴」が確定しました。
【ポイント3選】
- 発端は維新スタッフの暴行: 銀座での演説中、ヤジを飛ばした市民を維新スタッフが力で制圧し「社会の厳しさを教えたる」と発言したことが全ての始まり。
- 疑惑の「転倒」劇: 100人の聴衆が音喜多氏を囲み「社会の厳しさを教えて」と迫った際、音喜多氏が勝手に転倒。これを「襲撃」として訴えたが、裁判所は「誰かに倒された証拠はない」と認定。
- プロテストの正当性確立: 判決は「有権者が候補者に詰め寄ることは違法ではない」と明示。今後の市民運動における強力な「法的武器」となる判例が誕生した。
■ 【徹底解説】音喜多駿氏に完全勝訴。「ネイマール訴訟」が示した民主主義の常識
2月7日、本来であれば別の話をする予定でしたが、まずは皆様にご報告しなければならないことがあります。
私が音喜多駿さんから「選挙の自由妨害」などで訴えられていた裁判。
完全勝訴いたしました。 100%、粉砕しました。
いわゆる「ネイマール訴訟」と呼ばれたこの一件。なぜ彼が訴え、そしてなぜ司法に「NO」を突きつけられたのか。その全貌と、この判決が持つ「民主主義における重大な意味」について解説します。
プロローグ:「ネイマール訴訟」完全決着!
この裁判、一部では「ネイマール訴訟」と揶揄されていました。
サッカー選手のネイマールが、わずかな接触で大げさに転げ回って痛がる様子になぞらえたものです。
音喜多氏は選挙期間中、私や聴衆に囲まれた際に転倒し、「襲撃された」「選挙妨害だ」と主張しました。メディアもそれに乗り、あたかも私が暴力を振るったかのような報道がなされました。
しかし、今回の判決で明らかになったのは、彼の主張が「大人の社会では通用しない」という冷厳な事実でした。
第1章:発端は銀座での「暴行事件」から
時計の針を少し戻しましょう。全ての始まりは2024年、銀座での出来事です。
当時、音喜多氏が街頭演説をしている際、一人のプロテスター(抗議者)がヤジを飛ばしました。
それに対して維新のスタッフは何をしたか。なんと、その市民を身体で抑えつけ、あろうことかこう言い放ったのです。
「社会の厳しさを教えたる」
一介の有権者が政治家にヤジを飛ばしただけで、政党スタッフが暴力を振るい、説教をする。これは民主主義国家において絶対に許されない行為です。
この「社会の厳しさ」発言が、我々の闘志に火をつけました。
「そんなに社会の厳しさを教えたいなら、我々も教えてもらおうじゃないか」
これが、2024年の衆院選で行ったカウンター活動の原点です。
第2章:そして事件は起きた…?疑惑の「転倒」
選挙戦最終日、東京。 音喜多氏が出馬していたその現場に、私の呼びかけに応じた約100人の聴衆が集結した。我々の目的はシンプル極まりない。彼を囲み、口々にこうお願いすることだ。 「音喜多先生、僕たちにも社会の厳しさを教えてくださいよ!」
我々は凶器を持っていたわけでもなければ、殴りかかったわけでもない。ただ囲んで声を上げただけだ。 そして、もう一つ。我々は高らかに『贈る言葉』を合唱した。 なぜか? 見ればわかったからだ。当時の戦況において、音喜多氏が勝てそうにないことは明白だった。「おぼこい」彼が落選することを見越し、手向けの皮肉を込めて、別れの歌をプレゼントしたわけだ。
ところが、だ。 我々が「教えてくれ」と声を上げ、歌ったその時、あろうことか音喜多氏は勝手に転んだ。 誰がどう見ても自爆である。そのあまりに芝居がかった転倒ぶりに、周囲からは自然発生的に「ネイマール!」というコールが巻き起こった。サッカーのシミュレーション行為さながらの醜態だったからだ。
にもかかわらず、翌日のテレビニュースを見て唖然とした。「菅野が音喜多を襲撃した」かのようなテロップが踊っていたのだ。まるで私が「つばさの党」のような過激な妨害活動をしたかのように扱われ、甚だしい迷惑を被った。
勝手に転んでおいて、被害者面で私を法廷に引きずり出す。 自分たちは散々「社会の厳しさ」を武器に他者を威圧しておきながら、いざ自分が嘲笑の対象となれば司法に泣きつく。随分と都合のいい「社会」があったものだ。
第3章:法廷での対決と「痛快な判決文」
「アホなことを言うな」
これが訴状を受け取った時の私の正直な感想です。
有権者が候補者の話を聞かなければならない義務などありません。逆に、候補者が有権者の声を聞くのが筋です。
ムカつく候補者を囲んで「お前アホちゃうか」と言う権利は、有権者に当然保障されています。
私はこの裁判に絶対に勝つため、普段の顧問弁護士に加え、愛知で衆院選を戦っている藤原 規眞弁護士にも弁護団に加わってもらいました。
そして昨日出た判決文。これが実に痛快です。裁判所の認定を要約してご紹介します。
裁判所の認定:音喜多氏の主張を一蹴
- 接近の適法性
「上記投稿や原告(音喜多)に近づき声をかけたこと自体が、違法な行為とは認められない」 - 転倒の原因不明
「原告がどのように転倒したかは明らかではなく、音喜多が誰かによって転倒させられたことや、その者が菅野の呼びかけに応じた人であることは認められない」 - 指揮命令の不存在
「菅野が集まった人を指揮して音喜多を取り囲み、動けないようにした事実も認められない」

結論として、「選挙の自由を妨害した」「不法行為を行った」という音喜多氏の主張は一切認められませんでした。
裁判所は、音喜多氏の被害妄想的な主張に対し、証拠に基づいた極めて冷静な「大人の判断」を下したのです。
エピローグ:これからのプロテストのために
音喜多さんには「社会の厳しさ」を教えてもらうつもりでしたが、結果的に我々が彼に「司法の厳しさ」を教える形になってしまいました。残念です。
しかし、この判決には大きな意義があります。
プロテスターの皆さん、この判決文(画像)を保存し、武器にしてください。
今後、維新や自民党に対してカウンター活動を行う際、「囲むな」「選挙妨害だ」と言ってくる輩がいるでしょう。その時は、この判決を突きつけてやってください。
「有権者が候補者を取り囲み、声を上げることに法的問題はない」と、司法が認めたのです。
民主主義の基本原則
日本以外の先進国を見てください。アメリカでもフランスでも、ダメな候補者がいれば有権者が囲み、罵倒するのは日常茶飯事です。
「候補者の演説を静かに聞くべき」などというルールは、日本の田舎独自の「謎マナー」に過ぎません。
- バッジをつけている人間より、つけていない有権者の方が偉い。
- 政治家が有権者の声を聞くのであって、その逆ではない。
この当たり前の民主主義の原則が、今回の裁判で守られました。
音喜多駿という政治家は、私・菅野完ごときに、完全に負けたのです。

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