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【後編】【斎藤元彦は人殺し】ローザ・パークスは共感を求めたか? 濁流に抗う「プリミティブな怒り」の絶対論理

荒れた海で手をつないで歩く人々の背後、燃えるように光る一本の杭が突き刺さり共感を捨てろ怒りは論理だという文字が示されている。


6/5(金)朝刊チェック: 斎藤元彦に対するプリミティブな怒りを素直に表現しない限り、「兵庫県政の正常化」なんてものは訪れないんですよ。


【結論】
狂った「民意」という濁流に抗う時、大衆の「共感」を求めることは自ら濁流に呑まれるのと同じである。非人間的な権力の暴走には、共感という甘い罠を捨て、最も純粋で論理的な「怒り」を突き立てよ。孤立を恐れず、権力の欺瞞を「人殺し」と断罪し、粗にして野だが卑ではない気高さを持てという痛烈なメッセージ。
【ポイント3選】

共感という甘い罠の否定: 暴走する世論に抗うファーストペンギンに共感は不要。歴史を動かした偉人たちも世間の顔色などうかがわなかった。
怒りこそ最も純粋な論理: 自殺を「異議申し立てなし」と切り捨てる知事の非人間性。これに怒らない社会こそが狂気であり、怒りは絶対的な論理である。
粗にして野だが卑ではない: 「下品だ」「訴えられるぞ」という圧力を鼻で笑い、孤立を恐れずに権力を断罪する圧倒的な気高さと矜持。

「斎藤元彦は人殺し。1/6と2/6足したらほっといても1/2になんねん。それぐらい単純なロジックですよ」
(※共感という甘い罠を捨てよ。狂気には純粋なる怒りで立ち向かえ。容赦なき解剖の後半戦が幕を開ける)

たもっちゃん
たもっちゃん

この第2回からパッと読み始めてもらうのも、そら別に構へんのです。

でもね、いきなりこの記事を開いて、僕が「共感なんて甘い罠は捨てろ!」とか「斎藤知事は人殺しや!」ってキレてるのを見たら、「なんやこのおっさん、えらい感情的になって怒ってはるな」だけで終わってまう危険性があるんですよ。

実はね、この社会が今陥ってる一番の病巣、一番のホラーの正体っていうのは、その手前にあるんです。つまり、「選挙で110万票も取って勝ったんやから、公用車で赤信号無視してもええやんか」って大衆が平気で思考停止してしまう、「民意という名の恐ろしい濁流」の話ですね。これが第1回のテーマやったんです。

その第1回で、「いかに民意というものが絶えず動き、そして簡単に間違える不気味なもんか」という前提をしっかり見といてもらわんと、なんで僕らがこんなに必死になって、世間から「下品や」と指さされてまで、泥水の中に杭を打ち込まなアカンのか。その一番大事な「怒りの理由」が、ちょっと見えにくくなってしまうんですわ。

やから、別に「絶対読め」とは強制しませんけども。もし皆さんが、ただの知事批判やワイドショー的なスキャンダル消費で終わらせず、この狂った社会の構造をもう一段深く解剖してみたいと思うてくれはるんやったら。ちょっとだけ遠回りして、まずは第1回の方から順に目を通してもらう方が、結果的にこの後の「プリミティブな怒りのロジック」が、より深く、スッと腹に落ちるんちゃうかなと思いますわ。

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共感という甘いKPIを捨てよ。濁流に抗うファーストペンギンの孤独

社会運動やプロテストにおいて、現代人はまるで条件反射のように「共感」という言葉を口にする。世間の顔色をうかがい、「そんな過激な言葉を使ったら共感を得られない」「それでは一般大衆から引かれてしまう」と、自らの主張を丸く削り落とし、マイルドに漂白していく。しかし、この「共感至上主義」の欺瞞は徹底的に冷笑されねばならない。巨大な民意が誤った方向に暴走している時、そこに共感を求めることは、自らもその濁流に呑まれて死ぬことと同義である。

暴走する世論に抗うことは、マリー・アントワネットを擁護するに等しい

110万票という「直近の民意」を絶対視し、赤信号無視すらも正当化しようとする兵庫県の異常な空気。この濁流に正面から抗うことがいかに絶望的で孤独な闘いであるか。その圧倒的な重圧は、フランス革命で血に飢えた群衆を前にする光景に等しい。

「皆さんがやってることは、世の中の大半に反することを言うてるわけです。フランス革命で言うたら、サキュロットが怒り狂ってバスティーユ牢獄を襲って『マリー・アントワネットを殺せ』って言うてる時に、『いや、それはあかんやろ』って言うてんのが皆さんですよ」 [▶ 0:57:50]

だが、その孤独を引き受けた者たちがいなかったわけではない。すべてが斎藤元彦知事の免罪へと流れていく土石流のような世論の中で、「これはおかしい」と声を上げ続けた難波氏らフロントの闘士たち。彼らファーストペンギンが文字通り怪我をしながら、泥水の中に立ち続けて「杭」を打ち込んだからこそ、今ようやく民意の本流が緩和しつつあるのだ。

ローザ・パークスや与謝野晶子は「世間の顔色」をうかがったか?

だからこそ、この孤独な闘いにおいて「共感」などという甘ったるいKPI(評価指標)を設定することは、歴史に対する冒涜ですらある。歴史を動かし、社会の不条理を打ち破ってきた偉人たちが、果たして「世間からいかがなものかと思われる」と忖度しただろうか。

「プロテストする側は『共感』なんてことを自分のKPIにしちゃダメなの。大月桂月と論争してた時の与謝野晶子が共感を求めてたか? 市川房枝が、平塚らいてうが、世論に迎合して共感にあった時にどうなってた? もしそうだったらローザ・パークスが共感を求めてたか? 『常識的に嫌われない』っていう価値判断が正しかったら、ローザ・パークスは席を立つべきです」 [▶ 1:03:33]

権力の暴走や非人間的な行為に対し「人殺し」とコールする。それに対して「過激だ」「共感されない」と顔をしかめる者たちへ、菅野氏は強烈な一撃を見舞う。「人殺しとコールする者の、杭を打つ作業を邪魔するな。お前がその杭を打ちたくないんだったら、打たなくていいんです」。共感という生ぬるい船に乗って濁流を下るか、孤立を恐れず川底に杭を打ち込むか。問われているのは、その覚悟なのだ。

1/6と2/6を足せば1/2になる。「怒り」という最も純粋な絶対論理

大衆はしばしば「怒り」を「感情的」という言葉でくくり、理性を失った下等な振る舞いであるかのように排斥する。しかし、この社会における真の狂気とは、怒るべき時に怒らないこと、非人間的な行為を前にして平然と「いかがなものか」と評論家ぶることである。

自死を「異議申し立てなし」と切り捨てる知事の非人間性

元西播磨県民局長が自死に追い込まれた事件。その直後に行われた記者会見において、斎藤元彦知事は平然とこう言い放った。「(亡くなったのだから)異議申し立てをしなかった。つまり懲戒免職を受け入れたということだ」と。この冷血極まりない言葉の処理に対し、「言葉を扱う人間としての敗北」すら覚悟の上で、最大の怒りを爆発させねばならない。

「言葉を使う商売の人間として負けかもわからんけども、常識から考えて、そんな非人間的な行為はないと思います。その非人間的な行為を見た時に、プリミティブな怒りというのは湧き立つはずです」 [▶ 1:16:05]

旭川のいじめ自殺事件では、直接手を下していなくても「いじめっ子は人殺しだ」と社会全体が糾弾した。にもかかわらず、全く同じ構図で県職員を死に追いやった権力者に対し、なぜ「人殺し」と呼ぶことに躊躇するのか。世間の持つこのグロテスクなダブルスタンダードと、怒りを抑圧する社会のシステムこそが異常なのだ。

「感情的」という言葉の欺瞞。喜怒哀楽の中で最もロジカルな感情は「怒り」である

喜怒哀楽の4つの感情のうち、「喜」「哀」「楽」は理屈を経由しない完全な情動である。ミヤコ蝶々の間合いや由利徹の至芸「カックン」でなぜ笑ってしまうのか、そこにロジックは存在しない。しかし、「怒り」だけは違う。怒りは、自らの内にある「正義」や「常識」という理屈を1回経由して発露する「二次感情」であり、だからこそ100%他者に論理として伝達できるのだ。

「水俣病の原告団がチッソの本社前でデモした時の幟旗。これ何が言いたいか全部わかるでしょ。怒りは他者に100%ロジックとして伝わる。みんな『感情的』って言うと『怒』だけを排斥するけど、ほんまは一番ロジカルなのは『怒』なんです」 [▶ 1:20:32]

書棚の前で話す菅野完。画面左側には死と大きく書かれた旗が掲げられ、背景の棚にはパレスチナに関する書籍が置かれている。

東大の本田由紀教授が国会前で行った演説が100万再生を超えて拡散されたのも、そこに「知性ゆえの怒り」が迸っていたからだ。共感が欲しければ、綺麗にパッケージされた正論など捨てろ。己の内のプリミティブな怒りこそが、最も純粋な絶対論理として他者の胸を打つのだ。

「粗にして野だが卑ではない」。上品ぶる権力を笑い飛ばし、気高く在れ

「怒り」を表明した瞬間に降り注ぐ「下品だ」という道徳的圧力や、「名誉毀損で訴えられるぞ」という薄弱な脅し。これらの一切を鼻で笑い、己の気高さを証明して見せよ。

下品と言われたら上等。堂々と「人殺し」と呼ぶことの圧倒的論理性

「人殺しという言葉は下品だ」という批判に対するカウンターは、痛快を通り越して凄みすら帯びている。

「下品なんでしょうよ、そら。斎藤元彦は人殺しというのは。で、それに対して上品な知事っていう風に見えるんでしょう? 上等ですよ。上品な言葉で『県民局長は異議申し立てをしなかったんで懲戒免職を受け入れたことになりますね』って上品に喋ってたり、それが上品やと思うんでしょ? そんな奴から下品と思われるんだったら、下品と思われたいですよ」

名誉毀損で訴えてこい。相手は一般人ではなく兵庫県知事。自身の発言は公人に対する論評であり、「公益性・公共性・真実性・真実相当性」という免責要件を完全なまでに満たしている。「あいつらが訴えようが何しようが、司法の場で絶対勝たれへんから。勝とうと思ったら知事辞めることですわ」 と、法的なロジックにおいても権力側を完全に包囲しているのだ。 [▶ 1:39:25]

アホは必ず逆を打つ。孤立を恐れず、己の内の「プリミティブな怒り」を突き立てろ

知事側が批判者を黙らせるための最適解は「記者会見にしれっと出席させて無力化すること」である。しかし、権力というものは往々にして自らの知性の欠如により自滅する。「アホは逆を打つ」という絶対法則により、彼らが最も悪手である「出禁措置」を取ることで、かえって自らの炎上に油を注ぐだけだ。

そして、「お前は記者ではなく活動家だ」とレッテルを貼るアンチに対し、菅野氏は「ごめん、俺の人気コンテンツやねん。同接8500人超えてるし、俺の本30万部売れるし今年3冊出んねん」 と、圧倒的な実績の数字で粉砕する。

「菅野完は粗にして野かもしれないが、卑ではない。そして皆さんも粗にして野かもしれないが、卑ではないはずです。迎合しようとするな。受けようとするな。ただただ、気高くあれ」 [▶ 1:51:57]

統治の崩壊と権力の暴走を表現した図。批判者の無力化と知性欠如による自滅のメカニズムを、数式とフローチャートを用いて解説している。

110万票の民意に屈服せず、孤立を恐れず、非人間的な権力に対して堂々と「人殺し」と突きつけること。それこそが、この狂った社会において人間が人間として気高く在るための、唯一の闘い方なのである。

【実況(コラム):「脱ぐぞ」の脅迫と気象庁の新兵器】

お前らチャンネル登録せえよ。せえへんのやったら脱ぐぞ。…お前ら「出したところで見えない」とか言うな。ほんまのこと言うな泣くぞ。俺がひよこやったら、ベルトコンベアで流れてきてひよこ鑑定士のお兄さんの手止まるからな。どっちかな言うて。で、そのまま縁日の紫とかピンクのカラーひよこにされるか、ミンチにされて肉骨粉やないか。俺のヌードに公益性なんかあってたまるか。

しかしまあ、今日の読売新聞社会面ね。こないだの台風6号で、気象庁が線状降水帯の発生的中率43%叩き出しましたわ。目標の50%には届かんかった言うても、これすごいですよ。今度、太平洋に水蒸気ライダーっていう新兵器浮かべる言うてるし、打率5割で的中できるようになったら、これ確実に助かる命が増えるんです。気象庁よう頑張った。高市早苗の神懸かったアホアホ答弁と週刊文春の話は、週末の特別編に回しますわ。切り抜き職人の皆さん、ようけあったと思うんで、ポンポン切り抜いといてください。ほなさいなら!

気象庁による線状降水帯の3時間以内予測の的中率が43%であることを報じる新聞記事。
たもっちゃん
たもっちゃん

これで、今回の兵庫県政を巡る一連の解剖もひと段落です。

僕が今回、なんでこんなに時間を使って「怒れ」って言うたか、少しは伝わりましたかね。単に斎藤知事の悪口を言って留飲を下げたいからやないんです。世間がなんとなく絶対視してる「110万票の民意」っていう怪物の軽薄さと、「共感されなきゃダメだ」っていう同調圧力のグロテスクさを、一回きれいに剥がしてみたかったんですわ。

「人殺しなんて過激な言葉使ったら、世間から引かれるよ」って、安全な場所から賢ぶって言うのは簡単です。でもね、人が死んでるのに「いかがなものか」なんて言葉でお茶を濁して、非人間的な権力に上品に合わせてどうするんですか。そんな濁流の中で、周りの顔色ばっかりうかがって「共感」なんて甘いもん探してたら、結局自分もその泥水の一部になって流されていくだけなんですよ。

だからこそ、自分の常識に照らし合わせて「それはおかしい」と思ったら、純粋でロジカルな怒りを持って、川底に一本の「杭」を打ち込まんならんのです。誰かに下品やと思われても、孤立してもええやないですか。大事なのは、狂った多数派に迎合せず、人間として「気高く在る」ことですからね。

ここまで読んでくれた皆さんなら、もう世間の言う「民意」や「共感」という言葉の裏にある罠に気づいてるはずです。見えなかった構造が見えるようになった今、ここから先、あなた自身が濁流に大人しく流されるのか、それとも泥をかぶってでも自分だけの杭を打ち込むのか。それを決めるのは、僕でも世論でもなく、皆さん自身の矜持なんちゃうかなと思いますわ。

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