導入
昨今の国会で存在感を増す「日本維新の会」。しかし、その行動はしばしば「行儀が悪い」「子供すぎる」と厳しい批判を浴びている。最近、国会で起きた一つの出来事は、単なる戦術ミスでは済まされない、この党が抱える構造的な問題を白日の下に晒した。菅野氏は、この一幕を起点に、維新が抱える構造的な問題点を、政治に詳しくない方にも分かりやすく3つのポイントで解説する。
——————————————————————————–
1. 国会で何が起きたのか?専門家を前にした異例の行動
まず、問題となった国会での具体的な出来事を時系列で整理しよう。
先日、衆議院のある委員会が開かれていた。この日は、政治学の権威である東京大学の谷口将紀教授が参考人として公式に招かれ、まさに意見を述べようとする極めて重要な場面であった。
しかし、その直前に日本維新の会は、別の法案である「衆議院の定数削減」の審議を優先すべきだと主張し、その採決を求める**「動議」**を突如提出した。この行動により委員会審議は中断。結果として、国会が公式に招いた専門家である谷口教授が意見を述べるための貴重な時間が、一方的に奪われる事態となった。
他党との事前調整を一切欠いたこの動議は、当然ながらどの政党からも賛同を得られず、賛成少数であっけなく否決された。この一連の行動は、議会制民主主義の根幹を揺るがしかねない「子供っぽさ」を露呈したと言わざるを得ない。
——————————————————————————–
2. 一つの出来事から浮かび上がる、維新の3つの構造的問題
この一件は、維新という政党が持つ体質を象徴している。ここでは、その問題点を3つの側面に分けて深掘りする。
2.1. 問題点①:議会ルールと専門家への敬意の欠如
第一に、国会のルールや専門家に対する敬意を著しく欠いた「行儀の悪さ」が挙げられる。
- 招かれた専門家への非礼 国会が決議して公式に招いた専門家が、まさに意見を述べようとするその目の前で、審議を止めて別の議題をねじ込もうとする行為は、前代未聞の非礼である。「行儀にも程がある」というほかない。これは、自分たちの主張のためなら、国会が設けた公式な場や招いたゲストの時間を台無しにしても構わないという傲慢な姿勢を明確に示している。
- 議会運営の軽視 他党との根回しもなく動議を提出し、あっさりと否決されるという結末は、これが熟慮された議会戦術ではなく、単なる「パフォーマンス」であったことを物語っている。建設的な議論よりも「自分たちは改革のために戦っている」という党のアピールを優先した自己満足的な行動であり、議会運営そのものを軽視していると断じられても仕方ない。
2.2. 問題点②:自己矛盾を抱えた「共同代表」という組織体制
第二に、党の組織構造そのものが機能不全に陥っているという矛盾である。
日本維新の会のリーダーシップ構造は独特だ。党首(代表)は大阪府知事の吉村洋文氏であり、国会議員ではない。そのため、国会での活動を担うリーダーとして、国会議員である藤田文武氏が「共同代表」を務めている。本来、この仕組みであれば、国会内での交渉や調整は共同代表である藤田氏が全責任を負うべきだ。
しかし現状は、国会議員ではない吉村氏が大阪から国会の運営に不満を表明している。国会での実務を共同代表に委ねるという自らが作った組織ルールを、代表自らが無視しているに等しい。この組織的混乱は、党の統治能力そのものへの根本的な疑問を突きつける。ある批評家が喝破したように、核心的な問いが浮かび上がる。
自分たちで作った自分たちのルールを自分たちの思った通りに動かせない連中 に 国家が統治できますか
2.3. 問題点③:詰めが甘い政治戦略
第三に、連立を組む自民党との交渉における戦略性の致命的な欠如だ。
維新が国会審議を止めてまで優先しようとした「定数削減」。しかし、そもそも自民党との合意形成の段階で、その実現性は骨抜きにされていた。
| 合意内容のポイント | 解説 |
| 合意文書の表現 | 自民党と維新が交わした合意文書には、「定数削減の成立を目指す」と書かれている。 |
| 「目指す」という言葉の罠 | 政治の世界で「目指す」という言葉は、「成立させる義務はない」という意味の抜け道として使われる常套句だ。これでは自民党側に「目指して努力はしましたが、結果は伴いませんでした」と言い訳する余地を与えているだけで、約束を強制する力は皆無に等しい。 |
この文書に党代表としてサインしたのは吉村氏本人である。にもかかわらず、今になって「自民党が約束を守らない」と不満を述べるのは、自らの交渉の甘さを棚に上げた「筋違い」の批判であり、責任転嫁以外の何物でもない。
——————————————————————————–
3. この問題が示す、維新の政治的立ち位置と今後の課題
維新のこうした行動は、政権との関係や有権者の評価にどう影響するのだろうか。
- 責任を問う声 この一連の騒動に対し、高市早苗は「そんなに偉そうなことを言うなら大臣になって責任を取れ」という趣旨の発言をした。これは、維新の政治的立ち位置を的確に射抜いている。つまり、**「政権の責任は負わない安全な立場から、与党に文句だけ言う」**という姿勢だ。これは、何の責任も取らずに騒ぎ立てる、さもしい人間の振る舞いそのものである。与党にすり寄りながらも、決して責任は負わない。この無責任な体質が、彼らの言動の端々に表れている。
- 選挙結果が示す現実 先日行われた静岡県伊東市の市長選挙で、自民党と維新ががっちりとタッグを組んで推薦した候補者が敗北した。高い内閣支持率(70%超)と、前回を大幅に上回る投票率(60%超)という絶好の条件下での敗北は、極めて重要な事実を物語っている。それは、「自民・維新」の協力体制が、有権者の支持に全く繋がっていないという厳しい現実だ。 過去30年間、自民党の選挙の強さは、連立を組む公明党とその支持母体である創価学会の強固な組織力に支えられてきた。今回の伊東市長選は、維新がその代わりには到底なり得ないことを冷徹に証明したのである。
——————————————————————————–
結論:有権者は何を問われているのか
今回、日本維新の会が国会で見せた行動は、単なる戦術ミスなどではない。「議会への敬意」「組織の整合性」「政治戦略」という3つの点において、深刻な構造的問題を抱えていることを浮き彫りにした。
こうした「行儀の悪さ」や「自己矛盾」を内包する政党が、政権を支える主要勢力の一つであるという現状は、日本の政治全体を蝕む危険性をはらんでいる。
私たち有権者は、改革を叫ぶ声の大きさだけでなく、その行動が議会制民主主義の作法に則っているか、組織として一貫性を保っているかという、より本質的な「成熟度」を問う必要がある。未熟な「不良」に国の舵取りの一端を任せるリスクを、我々は真剣に評価すべき時に来ている。
人気ブログランキング


コメント