自民・維新連立に潜む「二つの亀裂」:なぜこの連携は構造的に破綻するのか | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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自民・維新連立に潜む「二つの亀裂」:なぜこの連携は構造的に破綻するのか

2025/12/23(火)朝刊チェック: 自民・維新連立政権のアキレス腱

私が菅野完でございます。朝刊チェックの時間がやってまいりました。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど。

昨今の政局で、自民党と日本維新の会、両党の関係には、単なる政策の不一致などという生易しいレベルを遥かに超えた、致命的かつ構造的な「亀裂」が二つ、深く横たわっているのです。

ここでは、その連携がいかに構造的に「無理ゲー」なのか、二つの亀裂から解き明かしていくことにしましょう。それは、①大阪という選挙戦略上のアキレス腱における生存を賭けた物理的な衝突と、②統治能力における埋めがたい知性の格差という、決して交わることのない断層です。この二つは別々の問題ではなく、互いに連動し、この連立構想を必然的な破綻へと導いていくのです。

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1. 第一の亀裂:大阪での「殺し合い」― 連立構想の構造的アキレス腱

自民・維新の連立を議論する上で、大阪での選挙区争いは、単なる地方の小競り合いではありません。これこそが、連立構想そのものの存立を根底から揺るがす「アキレス腱」に他ならない。国政でいくら握手をしてみせても、党の生存本能が働く選挙の現場では、互いを殴り倒さなければならないという宿命を背負っているのです。

「地図の論理」が命じる必然の衝突

まず理解すべきは、自民党が置かれている危機的状況です。衆参両院で単独過半数を割り込み、党勢回復は至上命令。では、どこで議席を増やすのか。日本地図を広げ、自民党の議席がある選挙区を青で塗りつぶしていくと、ポッカリと穴が空き、維新の色である**「真っ赤な空白地帯」**として浮かび上がるのが大阪です。

政党という組織の生存本能からすれば、答えは一つ。空白地帯を獲りに行く。相手が共産党だろうが、連立を組みたい維新だろうが関係ない。自民党が党勢を回復しようとすればするほど、その攻撃の矛先は必然的に維新の牙城である大阪に向けられる。この**「国政では握手したいが、選挙では殴り倒さなければならない」**というジレンマこそが、連立構想に潜む構造的矛盾の核心なのです。

自民党の「本気モード」と組織の規律

この最難関のミッションに対し、自民党が見せた人事は、その本気度を物語っています。党は、次期総理候補のホープと目される小林鷹之氏を、この大阪奪還の責任者として送り込んだ。

かつて「大阪を捨てて逃げた」と評される青山繁晴氏の事例とは対照的です。維新が「田中角栄時代の自民党」と評されるほどの圧倒的な組織力で支配する大阪は、生半可な覚悟で戦える場所ではない。その「一番しんどい仕事」に、将来のリーダー候補をあえて投入する。これこそが、腐っても自民党が持ち続ける強靭な**「組織としての規律」**の証左です。

この規律は二重の意味を持ちます。一つは、最も困難な戦地にエースを送り込むという組織的規律。そしてもう一つは、後述する統治の基本ルールを遵守するという知的規律です。維新には、そのどちらも決定的に欠けている。小林氏の投入は、自民党が維新の議席を本気で削ぎ落としにかかる**「本気モード」**の狼煙であり、組織としての格の違いを見せつける一手なのです。

国政レベルで連立を模索しながら、その足元では互いの存亡をかけて「殺し合い」を演じなければならない。しかし、この物理的な衝突は問題の一面に過ぎません。より根深いのは、自民党が「殺し合い」をしなければならない相手が、統治の基本すら理解できない集団であるという事実です。

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2. 第二の亀裂:埋めがたい「知性の格差」― “大人”と”幼稚園児”の対立

選挙戦略という物理的な衝突に加え、自民党と維新の間には、国家統治の基本ルールに対する理解度において、決定的な「知性の格差」が存在します。この埋めがたい断絶は、連立を阻む第二の、そしてより深刻な亀裂です。その対立は、衆議院の「定数削減」と内閣総理大臣の「解散権」を巡る議論で、見事に露呈しました。

自民党の「大人の論理」:腐っても政権与党の規律

自民党の古屋圭司選対委員長は、「(定数削減を)やってから解散するとは言えない」と明言しました。これは単なる駆け引きではない。憲法に定められた三権分立という統治の根幹を守るための、極めて論理的な「大人の理屈」です。

もし「定数削減が実現してから解散する」と約束すれば、国会(立法府)の都合で、内閣総理大臣(行政府の長)の専権事項である解散権を縛ることになる。これは三権分立の原則を侵害する行為に他ならない。古屋氏の発言は、この憲法上のロジックに基づき、「できないことはできない」と線引きしたものです。この姿勢は、私が自民党を褒めることなど滅多にありませんが、腐っても政権与党であり続ける彼らが、国家統治の作法と**「知的規律」**を最低限わきまえている証拠と言えるでしょう。

維新の「子供の論理」:ルールを理解できず駄々をこねる

この自民党の論理的な説明に対し、維新側の反応は驚くほど幼稚でした。「定数削減はどんな手段を使ってでもやるべきだ」「解散して信を問え」といった主張は、三権分立という国家運営の基本ルールを全く理解していない感情論、あるいはポピュリズムに過ぎません。

このやり取りは、まさに**「話のレイヤー(階層)が違う」のです。自民党が憲法というルールブックに基づいて国家統治のロジックを語っているのに対し、維新はルールの意味を理解せず、ただ欲しいものを手に入れるために駄々をこねている。その姿は、まさしく「幼稚園児と大人が喋っているみたい」**な光景です。

両党では、搭載されているOS(基本ソフト)が根本から違う。自民党のOSが**「憲法の論理と組織の規律」で動いているのに対し、維新のOSは「感情論やポピュリズム」**で動いている。大阪が自民党の選挙地図における「物理的な空白地帯」であるように、憲法の論理は維新の統治構想における「概念的な空白地帯」なのです。これでは、まともな対話が成立するはずもありません。

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3. 結論:構造的に破綻が運命づけられた連立構想

大阪における生存本能の衝突と、統治ロジックにおける知性の格差。この二つの亀裂を統合すれば、自民・維新連立構想がいかに構造的な欠陥を抱えているかは明白です。この連携は、その成立自体が構造的に不可能なのです。

この亀裂の本質は、**「憲法の論理と組織の規律を持つ”大人”(自民党)」と、「統治のルールを理解できない”子供”(維新)」**という、決して相容れない存在同士の対立に集約されます。

自民党のロジックは冷徹です。党の生存本能(党勢回復)は、維新の聖域・大阪への攻撃を命じます。同時に、党の統治本能(国家運営)は、憲法のルールを理解できない維新の「幼稚さ」との連携を拒絶します。つまり、自民党の生存本能と統治本能は、奇しくも全く同じ方向を指し示しているのです。それは、維新との連立はあり得ない、という結論です。

大阪という**「アキレス腱」**は、単なる弱点ではありません。それは、この見せかけの蜜月関係が、いずれ必ず断裂する破断点なのです。問題は、この連立構想が破綻するかどうかではなく、いつ、どのような形でその構造的矛盾が噴出し、破綻へと向かうか、ただそれだけです。

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