官邸幹部「核保有すべき」発言で、またぞろアホリベラルが怪我をしないための戦略的思考 | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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官邸幹部「核保有すべき」発言で、またぞろアホリベラルが怪我をしないための戦略的思考

2025/12/19官邸幹部による「日本は核保有すべきだ」発言報道で、またぞろアホリベラル各位が怪我しそうなのであらかじめご注意申し上げます。

私が菅野完でございます。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど、早速、実に厄介なニュースが飛び込んできました。

官邸幹部の一人が、非公式の場で「日本は核保有すべきだ」と発言したことが報じられたのです。

この一件に対し、案の定、一部のリベラル界隈が感情的な反応を見せ始めています。しかし、断言しますが、この問題の本質は発言そのものではありません。それに対する**「アホリベラル」の致命的に間違った反応**にこそあります。

本稿は、彼らがまたしても愚かな過ちを犯し、自滅するのを避けるための処方箋です。感情論に溺れることなく、真に効果的な批判を展開するための戦略的思考を、ここに提示します。

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1. 問題の核心:アホリベラルが犯しつつある致命的な過ち

リベラル言論の有効性が問われる「リトマス試験紙」

今回の官邸幹部による核保有発言報道は、単なる一つのニュースではありません。これは、リベラル派の言論が果たして有効に機能するのか、その戦略性が問われる「リトマス試験紙」です。そして、X(旧Twitter)などで見られる彼らの初期対応は、残念ながら戦略的に見て自滅行為に等しいと言わざるを得ません。

報道の事実関係

まず、事実を確認しましょう。日経新聞は以下のように報じています。

高市政権で安全保障政策を担当する官邸筋は18日、「私は核を持つべきだと思っている」と官邸で記者団に述べ、日本の核兵器保有が必要だとの認識を示した。発言はオフレコを前提にした記者団の非公式取材を受けた際に出た。

重要なのは、これが「オフレコ」を前提とした取材で得られた情報であるという点です。

この報道自体は、最大限に評価されるべきです。安倍政権から続くこの10年間、官邸の記者団が首相の顔色をうかがって、こんなこと書けましたか?いや、こんなことあんまりなかったでしょ。小学校2年生で九九を覚え始めて、8年間「さざんが8」で止まってた子が、初めて「さざんが9」って言えたようなもんですわ。褒めてあげましょうよ。「ようやった」と。メディアが「ギリギリ攻めて書いている」証拠であり、ジャーナリズムの健全性が回復しつつある兆しなんです。

「アホリベラル」の致命的な誤謬

しかし、このグッジョブに対し、X(旧Twitter)などでは「名前を書け」「誰が言ったんだ」という要求が噴出しています。これは根本的に間違っており、断じて許されるべきではありません。この要求は、二つの点で致命的な過ちを犯しています。

  1. ジャーナリズム倫理の破壊 オフレコという「ネタ元との信義則」を破れと読者が書き手に求めるのは、愚の骨頂です。それはジャーナリズムへの冒涜であり、やってること立花孝志と一緒ですからね。単なる暴露を求める下劣なポルノであり、健全な言論とは対極にあります。
  2. 戦略的思考の完全な欠如 発言者の名前を特定し、その個人を叩くことは、短期的な快楽をもたらすかもしれませんが、長期的には自らの首を絞める愚行です。なぜなら、問題が矮小化され、政権全体を追及する絶好の機会を失うことになるからです。

なぜ彼らは、このような初歩的な過ちを犯してしまうのでしょうか。それは、暴力に対して我々が持つ唯一にして最強の武器である**「言論」の本質**を、全く理解していないからです。

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2. 我々が持つべき唯一の武器:「言論」の本質と核武装論の愚かさ

「暴力」に対抗する唯一の手段

このセクションでは、核兵器という「人類が開発した最大の暴力」に、我々はどう対抗すべきかを論じます。暴力に暴力で対抗するのは最も愚かな選択です。最強かつ唯一有効な武器、それは**「言論」**です。その論理的基盤を、今一度確認する必要があります。

核武装論の徹底的な論破

まず大前提として、核保有を主張する人間は、例外なく**「お花畑」であり「頭が悪い」**と断言できます。

彼らの思考レベルは、「憲法九条があれば戦争がなくなる」と信じる人々や、「ソ連の水爆は綺麗な水爆だとか言うてたやつと同じぐらいの頭の悪さ」です。彼らは、抑止力という複雑な概念における**「必要条件と十分条件を履き違えている」**のです。これは本質的に弱者の理屈であり、徹底的に論破されるべきものです。

なぜ「言論」が最強の武器なのか

このような暴力の極致である核武装論に対し、なぜ暴力ではなく言論で対抗すべきなのか。答えは単純です。

  • 暴力は非合理的で、金もかかる。
  • 言論は、暴力を無力化できる本質的な対抗手段である。

暴力に暴力で応じても、より大きな暴力の連鎖を生むだけです。しかし、言論は相手の理屈の矛盾を突き、その正当性を根底から覆すことができます。

だからこそ、アホリベラルが安易に「名前を暴け」という暴露の快楽に走ることは、自らが持つ最強の武器である「言論」を自ら放棄するに等しい愚行なのです。

言論という武器を正しく使うためには、短期的な感情に流されず、長期的な視点での戦略が不可欠です。次のセクションでは、その具体的な戦略、すなわち賢い**「アホのいじめ方」**を解説します。

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3. 正しい戦略論:賢い「アホのいじめ方」

料理のうまいやつは強火を使わない

このセクションの目的は、感情的な反応を排し、高市政権を最も効果的に追い詰めるための具体的な戦略を提示することです。焦って「名前を出せ」と騒ぐのは、素人の戦術です。**「料理がうまいやつは強火を使わない」**という言葉を思い出してください。じっくりと弱火で、相手が自滅するのを待つのです。

戦略の核心:「誰が」ではなく「何が」を問え

我々が取るべき行動は、極めてシンプルです。いいですか、よく聞いてください。

  • 【やるべきこと】
    • 「官邸筋に核保有を唱えるようなバカがいる」という事実そのものを問題視し、世論を喚起し続けること。
    • 「こんな発言をする人間がいる高市政権は、一体どうなっとんねん?」と、ひたすら騒ぎ続けること。
  • 【絶対にやってはいけないこと】
    • 発言者の名前を特定し、追求すること。

なぜ、この戦略が有効なのか?

なぜ名前を問わない方が賢明なのか。その理由は明確です。

  1. 責任の所在を政権全体に固定する もし発言者の名前が特定されれば、問題は「発言者個人の資質」という話に矮小化されてしまいます。官邸は「トカゲの尻尾切り」でその人物を更迭し、幕引きを図るでしょう。しかし、名前を問わず「官邸にそういう人物がいる」という状況を維持すれば、高市早苗首相の「任命責任」を永続的に追及できるのです。
  2. 最高のアホいじめを実践する 高市早苗は「アホ」です。そして、アホをいじめる最善の方法は、「お前の好きにやってみろ」と突き放し、失敗させることです。
  3. 我々がやるべきは、こうです。
  4. このように、「知らんけど、責任者はお前やろ」と責任を押し付け続けることが、相手を最も効果的に疲弊させ、自滅へと導くのです。ここで名前を特定してどうなるか。**ここで名前を聞くとアホじゃない担当に変わるんですよ。**問題が competent な人間に処理されて終わりです。アホが勝手に失敗するのを見守りながら、「やったよろしがな」と突き放す。これが最も賢い戦い方なんです。

そして、この戦略がことさらに有効なのは、現在の自民党、特に高市早苗という政治家の致命的な欠陥があるからです。議論をより広い政治状況の分析へと展開しましょう。

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4. より広い文脈:高市早苗の限界と「社民党化」する自民党

構造的な劣化が生んだ必然

今回の問題は、単なる一高官の失言ではありません。これは、自民党の構造的な劣化と、高市早苗という政治家の資質の欠如に根差す、起こるべくして起こった必然的な出来事です。そして、前述の「アホいじめ」戦略が彼女に特効薬となる理由もここにあります。

高市早苗の致命的な欠陥

安倍晋三も「アホ」でしたが、彼には**「人格的魅力」**がありました。そのため、彼の周りには優秀なブレーンが集まり、政権を支えることができた。

一方、高市早苗は違います。彼女は**「アホであるうえに、人格的魅力がマイナス」**なのです。だから、彼女の周りには competent(有能な)人材が決して集まりません。私の実家は彼女の選挙区(奈良2区)にありますが、はっきり言うときます。**この30年間、地元で高市を褒めている人間に会ったことがありません。**これが現実です。

「社民党化」する自民党

なぜ、このような人物が総理総裁になれたのか。それは、現在の自民党が構造的な問題を抱えているからです。私はこれを**「自民党の社会民主党化」**と呼んでいます。

総裁選挙の規定が改変され、専門的な知見を持たない一般党員の**「党員票のウエイトが重すぎる」ようになった結果、ポピュリズムに訴えかける人物がトップに立ちやすくなりました。これは、かつての社会党が代表選挙で「国会議員票も1票、党員も1票」という制度を導入し、組織が劣化した末路と同じです。さらには、直接民主主義が暴走する危険性を示したワイマール憲法の教訓**にも通じます。

このように劣化した政権と対峙するからこそ、我々批判する側には、より一層の戦略的思考が求められるのです。

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5. 結論:アホリベラルよ、今度こそ負けるな

最後の警告

これまで展開してきた議論を、改めて要約し、警告します。分かりましたか。

感情に任せて「名前を出せ」と騒ぐことは、相手の思う壺です。それはジャーナリズム倫理を破壊し、戦略的な好機を自ら手放す愚行に他なりません。またしても敗北への道を突き進む行為です。

我々が取るべき態度

健常者と異常者を分ける分水嶺は、「ここで名前を求めるかどうか」立花孝志サイドです。はっきり言います、人間としてゲロです。

メディアは、オフレコの信義則という制約の中で、最大限の仕事をしました。彼らの労をねぎらい、我々は静観すべきです。「ほっといたらええんです。じわじわ言うてたらええんです」。時間をかけて、相手をじっくりと追い詰める。これが唯一の正しい戦略です。

名前は求めるな。ただ、「官邸に極論を吐くバカがいた」という事実だけを騒ぎ続けろ。

それが、最も賢明な戦い方なのです。

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