2026/2/5(木)朝刊チェック:議員定数削減とかいうアホな政策について
記事の要約と図解
【結論】 自らが「最重要政策」と掲げる事業の核心的な数字(14億円)すら即答できない知事は、能力以前にその職務への「当事者意識」と「愛着」が欠落している。論理なき精神論での擁護や、TPOを無視したパフォーマンスは、県政の危機的状況を浮き彫りにしている。
【ポイント3選】
- 経営感覚の欠如: 自身の肝いり案件の売上(納税額)を知らない社長やPMは、民間企業なら即刻退場である。
- 危険な精神主義: 答弁不能な姿を「耐えている」「品格がある」と称賛するのは、戦時中の精神論やカルト的盲信と同義である。
- 共感性の欠如: 大雪警報をノーネクタイの暖房の効いた部屋から発する「チグハグさ」は、県民の生活への想像力の欠如を示している。

■ 【徹底解説】「数字」を忘れた知事と「精神論」に逃げる信者たち――兵庫県政に見るリーダーの資格
政治家の「資質」とは何か。多くの人は「能力」や「清廉潔白さ」を挙げるだろう。しかし、それ以前の根本的な問題がある。それは、その仕事に対して「興味」があるか、「愛着」があるか、という一点に尽きる。
先日行われた兵庫県知事の定例会見は、その根本的な問いを我々に突きつける、ある意味で残酷なショーケースであった。そこで露呈したのは、能力の多寡ではない。もっと絶望的な「当事者意識の欠落」である。
今回は、ふるさと納税の実績を答えられなかった一幕と、それを擁護する異様な精神論から、リーダーの条件について徹底的に論じる。
1. 「14億円」が出てこない経営者など存在しない
問題の核心はシンプルだ。知事は自身のTwitter(現X)で、わずか2週間前の1月15日に「ふるさと納税が過去最高を更新する見込み」と高らかに宣言していた。にもかかわらず、会見で記者に具体的な金額を問われると、「正確な数字は言えない」と言葉を濁したのである。
自分の「飯の種」を知らないプロはいない
これは記憶力のテストではない。ビジネスの基本動作の話だ。
民間企業に置き換えて考えてみてほしい。自身が手掛ける最重要プロジェクトのプレゼンを行い、「過去最高の実績です」とぶち上げた直後に、クライアントや株主から「で、売上はいくら着地ですか?」と聞かれて、「えーっと、忘れました」と答える社長がいるだろうか。
もしそんなプロジェクトマネージャーがいれば、即刻クビである。
我々のような中小零細の経営者、あるいは組織の中間管理職であっても、自分が抱える案件の「予実管理(予算と実績の管理)」は息をするように行っている。数字は頭に叩き込まれているものではない。身体に染み付いているものだ。
それは「記憶喪失」ではなく「無関心」の証明
答えは「14億円」という極めて単純な数字だった。数兆円規模の予算を動かす自治体の長にとって、14億円は端数かもしれない。しかし、自身が改革の成果として誇った数字である。
なぜ答えられなかったのか。理由は一つしかない。彼にとって兵庫県政など、どうでもいいからだ。
自分の仕事だと思っていないから、数字が頭に残らない。Twitterでの発信も、単なるパフォーマンスであり、その中身(数字)には何の愛着もない。数字を忘れたのではない。「興味がない」という事実が、あの沈黙によって満天下に晒されたのだ。
2. 「耐える姿」を称賛する戦時中の精神構造
さらに寒気がするのは、こうした論理の破綻を擁護する一部の支持者たちの反応だ。
ネット上には、答えに窮する知事の姿を見て、「記者の挑発によく耐えている」「リーダーとしての品格がある」「精神力の差を見せつけた」といった称賛の声が溢れた。
ロジックの敗北を「精神論」で摩り替える危うさ
これは明確に異常事態である。
本来、公人とは質問に対して「事実」と「論理」で答える義務がある。答えられないことは「無能」か「不誠実」のどちらかでしかない。しかし、その「答えられない姿」を「耐えている」と変換し、評価の対象とする。
これは、かつての大日本帝国が陥った「精神主義」そのものである。
物資がない、戦略がない、論理がない。それを「精神力」で補おうとし、最後には破滅したあの構図と何が違うのか。論理の破綻を「お人柄」や「精神力」でカバーしようとする思考停止は、カルト宗教の信者が見せる盲信に近い。
「何も答えていない」ことを「立派だ」と褒め称える空間。そこには民主主義も健全な議論も存在しない。あるのは、ただの「信仰」だけだ。
3. TPOを無視した「ノーネクタイ」の違和感
知事の「当事者意識の欠如」は、服装ひとつにも表れている。
彼は会見で、県北部への大雪警報と注意喚起を行った。しかし、その時の彼はノーネクタイの軽装であり、暖房の効いた県庁の会見室にいた。

想像力が欠如したパフォーマンスの限界
誤解しないでほしいが、私は「公人は常にネクタイを締めろ」と言っているのではない。兵庫県がカジュアルな服装を推奨していることも知っている。
しかし、「今から雪が降り、県民生活が脅かされる」という緊急時に、ぬくぬくとした部屋からカジュアルな服装で「気をつけてください」と言われて、誰が切迫感を感じるだろうか。
本当に県民の安全を憂いているなら、あるいは少なくとも「憂いているフリ」をする能力があるなら、演出としてでも襟を正す、あるいは現場の寒さを共有するような装いをするはずだ。
「フェンディのマフラーでも巻いて震えながら喋れ」とまでは言わないが、TPOと言動の不一致は、彼が県民の置かれた状況に一切の想像力を働かせていないことの証左である。
結論:リーダーに必要なのは「愛」である
今回の騒動で明らかになったのは、知事の能力不足というよりも、もっと根本的な「不適合」だ。
彼は兵庫県に興味がない。
自分の政策の数字に関心がなく、論理よりも精神論に安住し、県民の寒さに思いを馳せることもない。ただ「知事」という役職を演じているに過ぎない。
数字を知らない経営者に会社を任せる株主はいない。
同様に、県政の数字と県民の痛みに興味を持たない人間に、我々の生活と税金を預けることはできない。これは好き嫌いの問題ではない。我々の生存に関わる「危機管理」の問題なのである。

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