【視聴者・切り抜き職人各位へ】菅野完チャンネルの今後の予定について
記事の要約と図解
【結論】 中道改革連合の選挙戦は、現場レベルで致命的な「お見合い」現象を起こしている。立憲民主党のアマチュアリズムと創価学会のプロフェッショナルな基準が噛み合わず、互いに「相手がやるだろう」と期待してボールが落ちている状態だ。さらに、メディア戦略においても、落選した「いさ進一」氏を模倣しようとするなど、数字(現実)を直視できない迷走が続いており、敗北は必然の情勢である。
【ポイント3選】
- 「お見合い」の悲劇:立憲スタッフの社会人基礎能力の欠如と、学会側の困惑。言語が通じないレベルの断絶がある。
- 30年の差:自民党と死闘を演じてきた学会の「選挙基準」に対し、立憲は「風頼み」の甘い認識しか持っていない。
- 数字の残酷さ:組織を挙げて宣伝しても再生数20万の公明系chと、汚いおっさんが喋るだけで10万再生の個人ch。勝敗は「熱量」で決まっている。

■ 【徹底解説】第2回:現場で起きている「お見合い」現象 ― 立憲民主党と創価学会、埋まらない「文化」の断絶
中道改革連合の選挙戦が始まったが、現場からは「グダグダ」という悲鳴しか聞こえてこない。
そこで起きているのは、単なる連携不足ではない。致命的な「お見合い」現象だ。立憲民主党は「学会がやってくれるだろう」と甘え、創価学会は「立憲もこれくらいはやるだろう」と高を括る。結果、ボールは誰にも拾われることなく、地面に落ちたまま転がっている。
今回は、30年間自民党という魔物と戦い抜いた「プロ集団」と、風頼みの「アマチュア集団」の間に横たわる、決定的な能力差と文化の断絶をレポートする。
「お見合い」による機能不全
私の元に入ってくる現場の声は、惨憺たるものだ。一言で言えば「選挙になっていない」。
言語が通じないレベルの能力差
なぜ「お見合い」が起きるのか。それは、立憲民主党側のスタッフの能力が、社会人としての最低ラインにすら達していないケースが多々あるからだ。
創価学会の人間は、組織人として非常に訓練されている。朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて、スーツを着て出勤する。これが「当たり前」の人間だ。一方で、立憲民主党の現場スタッフの一部は、比喩ではなく「パピプペポ」と叫んでいるようなレベルの人間が混じっている。
学会員は思う。「まさか、ここまで言わないと動かないとは思わなかった」。
立憲側は思う。「学会さんが全部やってくれるんじゃないの?」。
この認識のズレが、あらゆる現場で「お見合い」を生んでいる。学会側からすれば、緻密な票読みやドブ板活動は「呼吸」のようなものだが、立憲側にとっては「異次元の重労働」なのだ。共通言語を持たない集団が、いきなり肩を組んで走れるわけがない。
30年の血戦が作った「学会の基準」
この断絶の根源は、過去30年間の歴史にある。
「死ぬ気」の基準値が違う
公明党・創価学会は、この30年間、あの自民党と連立を組み、選挙調整という名の「殺し合い」に近い実務をこなしてきた。彼らにとって選挙とは、泥の中を這いずり回り、1票を削り出す「総力戦」だ。
対して、旧民主党系列の立憲民主党はどうか。彼らの選挙の原体験は「風」だ。政権交代の風が吹けば、駅前でパンフレットを配っているだけで当選する。そうでない時は、何をしても負ける。その「風頼み」の体質が骨の髄まで染み付いている。
「これくらいはやって当たり前」という学会の基準と、「ここまでやったから十分だろう」という立憲の基準。この間には、マリアナ海溝よりも深い溝がある。その溝を埋めないまま突入した選挙戦が、グダグダになるのは必然だ。
メディア戦略の敗北:公明党サブチャンネルの「寒さ」
現場だけでなく、空中戦(メディア戦略)においても、中道改革連合の劣化は著しい。
私に対して「菅野さんの言うことは左すぎる。公明党のいさ進一さんを見習いなさい」と助言してくる人間がいた。冗談ではない。
落選した人間に学ぶ愚かさ
いさ進一氏は、あの「常勝関西」と言われた大阪6区で、維新に敗れて落選した人物だ。3軒に1軒が学会員と言われるほどの強固な地盤を持ちながら、選挙区で負けた人間を、なぜ見習わなければならないのか。
「右寄りのことを言えば受ける」「バランスを取れば勝てる」。そんな浅はかなマーケティング思考こそが、彼らを敗北に導いたのだ。
500万人の組織 vs 汚いおっさん
数字を見てみろ。
公明新聞や聖教新聞で大々的に宣伝し、豪華ゲストを呼び、カネをかけた「公明党サブチャンネル」の再生数は、せいぜい20万から30万回だ。
一方で、私のチャンネルを見てほしい。顔は脂ぎり、脇は臭く、足は短く、性格も悪い「汚いおっさん」が、安酒を飲みながら一人で管を巻いているだけの動画が、毎日10万回以上再生されている。
組織票が500万とも言われる巨大組織が、組織の後ろ盾ゼロの「汚いおっさん」のたった2倍しか稼げない。これが何を意味するか。
「熱量」がないのだ。
綺麗な言葉、整ったスタジオ、当たり障りのない正論。そんなものに人は動かされない。人間臭さ、本音、そして狂気にも似た情熱だけが、有権者の心を掴む。
現場での実務能力の欠如と、メディア戦略における熱量の欠如。この二重苦を抱えたまま、彼らは「改革」などという虚しい旗を振っている。勝てるわけがないし、このままでは負けるべくして負けるだろう。
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