記事の要約と図解
【結論】 今回の解散総選挙の裏で起きた「柏崎刈羽原発の再稼働延期」こそが、日本の統治能力の欠如を象徴する最大の喜劇である。野党が「現実路線」を気取って再稼働を容認した瞬間に、東電が「建設当初からのミス」を発表するという間の悪さは、もはや芸術的だ。また、主要紙の社説比較において、経済界の機関紙である日経新聞が首相を「多に見えない(頼もしくない)」と断じたことは、この政権にとって「左派の批判」よりも遥かに致命的な死刑宣告である。
【ポイント3選】
1. 柏崎刈羽の喜劇:立憲民主党幹部が「再稼働容認」を示唆したわずか40分後に、東電が「制御棒の欠損(建設当初からのミス)」を発表。天運に見放された野合と、東電の隠蔽体質が同時に露呈した。
2. 「日本人に原発は無理」という冷徹な事実:地震国だから無理なのではない。我々が嘘つきで、怠け者で、不潔だからだ。「武士は食わねど高楊枝」のような精神論や隠蔽体質が美徳とされる国で、高度な技術体系である原発を運用するのは不可能である。
3. 日経の「死刑宣告」と産経の「妄想」:左派紙の批判は想定内だが、日経新聞に「頼りない」と書かれた時点で政権は終わっている。一方で産経新聞だけが「意義がある」と絶賛しており、社会と隔絶した一部の層(「子供部屋おじさん」)に向けたポルノ雑誌化が加速している。

■ 【徹底解説】柏崎刈羽の「喜劇」と日経新聞の「死刑宣告」で見えた日本の末期症状
世間では解散総選挙だ、中道改革連合だと騒いでいるが、そんなものは「表層」のニュースに過ぎない。
私がかねてから「日本最大の政治イシューだ」と指摘し続けてきた問題が、最悪かつ滑稽な形で爆発した。柏崎刈羽原発だ。
そして、その裏でひっそりと、しかし確実に、高市早苗政権に対して経済界から「引導」が渡された。
今日は、多くのメディアが見落としている(あるいは見ようとしない)「柏崎刈羽の絶望的なタイミング」と「新聞社説の読み解き」から、この国の統治機構がいかに腐り落ちているかを徹底的に解剖する。
柏崎刈羽原発:「間の悪さ」こそが亡国の兆し
中道改革連合だか何だか知らないが、野党側が政権交代のために「現実路線」を気取り始めた。
具体的には、立憲民主党の幹部たちが「安全性が確認された原発の再稼働はやむを得ない」と言い出したわけだ。
西田幹事長や安住氏が記者会見で「柏崎刈羽は再稼働も視野に」といったニュアンスの発言をして、ドヤ顔を決めた。
そのわずか40分後だ。東京電力から何が発表されたか。
「柏崎刈羽原発、制御棒の設定ミスにより再稼働延期」。
しかも、ただのミスではない。「建設当初から設定を間違えていた」というのだ。
「神」に見放された政治家と電力会社
これを聞いて、私は膝から崩れ落ちそうになったと同時に、腹を抱えて笑った。
野党が「再稼働反対」を貫いていれば、「ほら見たことか! 東電はずさんだ!」と勝ち誇れたはずだ。
しかし、彼らが「現実的な判断」として再稼働に擦り寄った瞬間に、東電が自ら「私たちは30年前から何も管理できていませんでした」とゲロったのだ。
これはもはや、天運に見放されているとしか言いようがない。
もし、あの会見で「再稼働なんてとんでもない」と言っていれば、彼らは予言者になれた。しかし結果は、東電という沈みゆく泥舟に、自ら飛び乗って一緒に泥をかぶった道化だ。
日本人に原発運用は「土台無理」な話
私がなぜ柏崎刈羽を問題視するか。それは技術論ではない。文化論だ。
はっきり言っておく。日本人に原発を動かす能力はない。
地震大国だから? 違う。日本人が「嘘つき」で「怠け者」で「不潔」だからだ。
「嘘も方便」「武士は食わねど高楊枝」。
日本では、不都合な真実を隠すことが美徳とされ、精神論で現実を糊塗することが称賛される。
そんな国民性の連中が、極めて高度な規律と透明性が求められる原子力発電所などというシステムを運用できるわけがないのだ。
建設当初からの設定ミスを、今の今まで放置(あるいは隠蔽)していた東電の姿を見れば、それが証明されている。
我々は、自分たちの民度が「原発を扱えるレベルに達していない」という現実を直視すべきだ。
メディア分析:日経新聞が下した「死刑宣告」
さて、今回の解散総選挙に対する各紙の社説が出揃った。これを読み比べると、今の政権が置かれている「本当の立ち位置」が見えてくる。
アホしか読まない東京新聞、左翼の巣窟である朝日新聞、そして毎日新聞。このあたりが「大義なき解散だ」「自己都合だ」と批判するのは、犬が西向きゃ尾は東、という自然現象と同じだ。想定内であり、痛くも痒くもない。
問題は右側、保守と経済の論調だ。
読み売りは「中立」、日経は「軽蔑」
読売新聞は「政策推進の体制を整えられるか」と、極めて実務的かつ価値中立な書き方をしている。これは政府の広報紙としての役割を果たしているだけだ。
震え上がらなければならないのは、日本経済新聞の社説だ。
日経は何と書いたか。今回の解散について「大義見えない」。
日経は日本の資本主義、経済界(エスタブリッシュメント)の広報紙であり、自民党政権の本来のパトロンだ。ここまでコケにされたら政治家としては「終わり」だ。
「君はリーダーの器じゃないよ」と、資本家たちから三行半を突きつけられたに等しい。これは、朝日新聞に100回批判されるより遥かに致命的なダメージだ。
産経新聞という「ポルノ雑誌」の罪
一方で、唯一手放しで絶賛している新聞がある。産経新聞だ。
「審判を仰ぐ意義は大きい」。
東京、朝日、毎日、そして日経までもが冷ややかな視線を送る中で、産経だけが「素晴らしいご決断だ!」と拍手喝采している。
これは何を意味するか。
産経新聞はもはや、ニュースメディアではない。田舎で人生に行き詰まり、母親の経血が充満する子供部屋で、社会へのルサンチマンを抱えながらネットに書き込む「弱者男性」たちに向けた、精神安定剤としての「ポルノ雑誌」に成り下がったということだ。
社会的に孤立し、実務能力もなく、日経新聞が指摘するような「経済のリアリティ」にもついていけない層。彼らを慰めるために、「高市さんは素晴らしい! 日本はすごい!」と書き続ける。
日経が「頼りない」と切り捨てた人物を、産経が「救世主」として崇める。この断絶こそが、今の日本の病巣そのものだ。
結論:虚構の「愛国」が剥がれ落ちる時
柏崎刈羽の不始末と、日経新聞の冷淡な評価。この2つが示している事実は一つだ。
「保守」や「愛国」を掲げる現政権と、それを支える支持層には、国を動かすだけの実務能力も、経済界を納得させるだけの知性もないということだ。
日程管理すらできず国賓来日の日に選挙カーを走らせ、制御棒の設定ミスすら見抜けない。
そんな連中が「美しい国」などと寝言を言っている間に、日本という国は、内側から確実に腐り落ちていく。
私が「高市政権があと8年続いてほしい」と言うのは、この腐敗が誰の目にも明らかになり、産経新聞的な妄想が完全に焼き払われるまで、その無能さを晒し続けてほしいからに他ならない。

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