いさ進一と中道の敗北【核心】選挙はコール&レスポンスだ | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
PR

なぜ中道は選挙にボロ負けしたのか? いさ信一氏のツイートに見る「コール&レスポンス」の欠如

2026/2/14【土曜コラム】なぜ中道が選挙にボロ負けしたのかの理由を、いさ信一さんのツイートが端的に教えてくれる件

スポンサーリンク

記事の要約と図解

【結論】 今回の中道改革連合の敗北要因は、「リベラルが嫌われたから」ではなく、野党が選挙の基本構造である「コール&レスポンス(AランチかBランチかの二択)」を放棄し、いさ信一氏のツイートに代表されるような「インテリぶった中途半端な態度」で有権者を煙に巻いたからである。

【ポイント3選】

  1. 敗因の誤認:世間は「リベラル思想の敗北」と騒ぐが、実際は単なる「戦術ミス」と「野党分裂」による自滅にすぎない。
  2. 中道の病理:いさ進一氏のような「専門用語でマウントを取り、理解しない大衆を嘆く」態度は、政治的熱量を奪う最大の悪手である。
  3. 勝利の方程式:選挙とは「態度」の戦いである。石垣のり子氏のように、時代の空気に垂直に立ちふさがる「四股(しこ)」を踏まなければ勝てない。

■ 【徹底解説】なぜ中道は選挙にボロ負けしたのか?いさ信一のツイートが教える「敗北の病理」

1. 導入:敗北の真因は「リベラル嫌い」などではない

この1週間、メディアやSNSでは「なぜリベラルは負けたのか」という議論が花盛りだ。
「若者に嫌われた」「ポリコレが行き過ぎた」「岩盤保守が強かった」……。
はっきり言おう。これらはすべて、的外れな「寝言」である。

数字を見れば明らかだ。


今回の自民党の得票(約2100万票)は2009年以降では高いものの、かつての小泉旋風(郵政選挙)の時と比べても熱狂的な支持など得ていない。
今回起きた現象は、シンプルに「中道改革連合(立憲・国民・維新等の枠組み)」が小選挙区で負けた、という事実だけだ。

では、なぜ負けたのか。
リベラルの思想が嫌われたわけではない。
「野党が分裂し、喧嘩の仕方を間違えた」。ただそれだけのことだ。

その象徴的な事例が、今回の選挙戦における公明党・いさ信一氏のツイートに端的に表れている。
このツイートこそが、負けるべくして負けた「中道の病理」そのものなのだ。

2. いさ進一氏のツイートが示す「中道の病理」

いさ進一氏は、選挙や憲法論議において、極めて「正論」めいたことを言う。
例えば、「自衛隊を明記するか否かではなく、シビリアンコントロール(文民統制)をどう位置づけるかが重要だ」といった趣旨の発言だ。

一見、知的で冷静に見えるだろう。
だが、選挙という「殺し合い」の場において、これほど熱のない、無意味な言葉はない。

これは、立憲民主党の小川淳也氏にも通じる「おが淳的な病」だ。
「Aでもなく、Bでもなく、その間のCについて深く議論しましょう」
などと、インテリぶった顔で語りかける。
そして、それが有権者に伝わらないと、「難しい話ですみません」「理解されなくて残念だ」と、どこか大衆を見下したような態度をとる。

はっきり言う。
「気持ち悪い」のだ。

一部の「わかっている」信者や支持者にしか通じない専門用語(ジャーゴン)を使い、内輪で頷き合って、外の世界との接続を遮断している。
それが「中道」の正体だ。
自分たちが「賢い議論をしている」と悦に入っている間に、有権者は冷めきって去っていく。
それが今回の敗北の本質である。

3. 核心理論:選挙とは「コール&レスポンス」である

選挙の本質とは何か。
それは、複雑な政策論争ではない。
内閣総理大臣が国民に向かって投げる、「私でいいですか?」という問いだ。
これに対する答え(レスポンス)を返すのが、解散総選挙というシステムである。

これをわかりやすく「レストランのランチ」で例えよう。

昼時、腹を空かせた客(国民)が店に入る。
店主(総理)は言う。「今日のランチはAランチ(私)か、Bランチ(対立候補)しかありません」。
これが選挙だ。

ここで中道野党がやったことは何か。
「AランチもBランチも嫌だ! Cランチ(理想の政策)を作れ!」
「もっと素材の産地について議論しよう!」
「ラブ&ピース!」

店員からすれば、「病院行け」と言うしかない。

選挙区というリングにおいては、選択肢は極限までシンプルでなければならない。
現職が「私でいいですか?」と問うなら、野党が返すべきレスポンスはただ一つ。
「チェンジ。お前ではダメだ。次は私だ」
これだけだ。

「私たちも仲良しです」「部分的には賛成です」などという態度は、メニューを選べずにレジ前で長話をする迷惑客と同じだ。
有権者という客は、そんな店からは黙って出ていく。

4. 成功事例との比較:なぜ石垣のり子は勝てたのか

では、どうすれば勝てたのか。
答えは過去にある。たった半年前の選挙で、石垣のり子氏はなぜ勝てたのかを思い出せばいい。

当時、世間では「日本人ファースト」という排外的な空気が、ある種の「正義」として流行していた。


多くの野党議員がその空気に迎合し、お茶を濁す中で、石垣氏はどうしたか。

彼女は演説でこう言い放った。
「人間にファーストもセカンドもありません!」

これだ。これこそが「対立軸」だ。
右から左へ流れる川の流れに対して、迎合して一緒に流れるのではなく、垂直に堰き止める。
「うるさい、ボケ!」と一喝して、流れを断ち切る。

今の野党に足りないのは、この「垂直の遮断」だ。
選挙の本質とは何か。それは「対話」や「調整」などという生ぬるいものではない。 本来、選挙とは「私(与党)でいいですか?」という問いに対し、「あなた(与党)じゃダメだ、私(野党)だ!」と真っ向から返す、血を吐くような「コール&レスポンス」であるはずだ。 有権者に突きつけるべきは、AかBか、どちらか一方を選ばせるための残酷なまでの二択だ。そこには、一騎打ちの殺気だけがあればいい。

だが、今回の野党はどうだ。 野田代表をはじめとする連中は、相手を全否定して戦うべき土俵で、あろうことか「僕ら二人、実は仲いいんです」「ラブ&ピース」などという、お花畑のような態度を決め込んだ。 「自民党が票を減らしたのに、なぜ野党が勝てなかったのか」。答えは単純だ。この「コール&レスポンス」が成立しなかったからだ。

相手が高市早苗のような強烈なキャラクターで来るなら、こちらはそれ以上の熱量で「強烈な否定」を叩きつけなければならない。「高市さんとは仲良しです」などと言ってどうする。有権者の記憶に爪痕など残るわけがないだろう。

戦うべき場所で、敵と肩を組んでニコニコと愛想を振りまくその姿。 私は彼らに、この言葉を贈らずにはいられない。

「ふたりはプリキュアか、お前らは」

馴れ合いを見せるな。ここは日曜朝のアニメ枠ではない。 「対話」だの「調整」だの、そんな綺麗事は選挙が終わってから勝手にやってくれ。 我々が見たいのは、互いの喉笛を食いちぎるような、本物のケンカだけなのだ。

政策という「寝言」を捨て、土俵の真ん中で四股を踏め

1. 幻想の崩壊:おめでたい「政策論」への決別

菅野完氏はかつて、動画の中でこう断言した。「政策は選挙に関係ない」と。 この残酷な結論は、単なる放言ではない。彼が2012年と2014年の衆院選の現場で、骨の髄まで味わった実体験から導き出された確信だ。

ひるがえって、我々(あるいは野党支持者)はどうだ。いまだに「正しい政策を掲げれば有権者は振り向く」などという、おめでたい幻想にしがみついていないか。だが、現場にある現実は、そんな牧歌的なものではない。「良識」や「正論」が通じる相手など、端から存在しないのだ。

2. 創価学会の変貌:理念なき「勝ち馬」本能

その決定的な証拠が、あの「創価学会」の姿である。 かつて「平和の党」を標榜し、絶対平和主義を掲げていたはずの彼らが、あろうことかタカ派の象徴である安倍晋三氏に対し、教祖・池田大作氏に向ける以上の熱狂を持って声援を送っていた光景――。これをどう説明するつもりか。

平和主義? 福祉の党? そんな理念はどこにもない。そこにあったのは、思想信条の整合性などではなく、ただひたすらに「権力」と一体化しようとする組織の欲望だけだった。彼らにとって最優先されるのは高尚な議論ではない。組織と生活を守るために、確実に勝つ「勝ち馬」に乗ること。その実利のみが彼らを突き動かしている。

これが日本の選挙の正体だ。有権者は政策の中身など見ていない。この現実を直視せず、野党がいくら政策の正しさを説いたところで、それは敗者の遠吠えに過ぎない。

3. 敗因の解剖:インテリぶった「中道」の自滅

にもかかわらず、いさ氏や今回負けた中道改革連合の面々は、まだ政策の細部(テクニカルな議論)こそが重要だと信じているフシがある。 「憲法9条の2項がどうとか」「シビリアンコントロールの定義がどうとか」。 はっきり言おう。そんなものは、選挙には1ミリも関係ない。いくら高尚な政策パンフレットを配ったところで、ただの紙屑だ。

中道が負けた理由はシンプルである。 喧嘩の仕方を忘れ、インテリぶって格好をつけ、土俵の上で四股を踏まなかったからだ。

4. 結論:政治に必要なのは「殺気」である

必要なのは、行儀のよい政策論争ではない。相手を全否定し、本能に訴えかける「態度」であり、泥臭い「喧嘩」だ。

相撲で言えば「四股(しこ)」である。 土俵の真ん中で、ドスンと四股を踏み、「ここから先はお前を通さない」という強烈な意思表示を見せること。理屈ではない。「あいつは生まれたことが間違いだ」と言わんばかりの――あくまで比喩だが――相手の存在そのものを否定する気迫。その「殺気」がない限り、この国の政治は動かない。

次は、泥臭く「AかBか」を迫る喧嘩ができるかどうか。それができなければ、何度やっても同じ負け方を繰り返すだろう。その覚悟なき者に、政治を語る資格はない。

「この記事が少しでも役に立った、面白かったと感じていただけたら、ぜひ下のバナーをポチッとクリックして応援をお願いします! いただいた1クリックが、私のブログを続ける大きな励みになります😊                                       人気ブログランキング
人気ブログランキング ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました