お花畑核武装論の虚妄――なぜ日本に核は持てないのか | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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お花畑核武装論の虚妄――なぜ日本に核は持てないのか

2025/12/19(金)朝刊チェック:核武装論を唱えるかどうかでそいつが本当の愛国者かどうかがわかる件

序論:本題に入る前の枕

「私が菅野完でございます。朝刊チェックの時間がやってまいりました。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど」

さて、本題に入る前に、少しだけイキリ倒させてください。先日、私が関わった書籍が日経新聞の一面に広告で載りましてね。Amazonの総合ランキングでも1位を取った。これはもちろん、毎朝私の配信に飽きずに付き合ってくださる、卓越した趣味を持つ皆さんのおかげです。そのことについては、素直に感謝します。しかし、はっきりさせておきましょう。我々はここで、何か正しいことをやっているのです。

……と、まあ、こんな日常の喜びや自画自賛から始めてみましたが、これからお話しするのは、これとは全く質の異なる、国家の存亡に関わる深刻なテーマです。なぜ、このような雑談から始めるのか。それは、私たちが生きる現実というものが、まさにそういうものだからです。

中島みゆきに『僕たちの将来』という楽曲があります。その歌詞はこうです。

青の濃すぎるテレビの中では 誠やかに暑い国の戦争が語られる 僕は見知らぬ土地のことより この切れないステーキに腹を立てる

テレビの向こうの戦争と、目の前の切れないステーキ。この二つは無関係に見えて、実は地続きです。そして、この歌が本当に恐ろしいのは、その構成にあります。オリジナルのレコード盤では、この歌詞が終わった直後、一切の間を置かずに、核兵器発射のカウントダウン「Three, Two, One…」がシームレスに始まるのです。曲と曲の間に空白がない。日常の痴話喧嘩と世界の終わりが、途切れることなく繋がっている。その断絶のなさにこそ、本当の恐怖がある。

本日、私がお話しする「核武装論」もまた、この「切れないステーキ」の問題と地続きなのです。一見、勇ましく聞こえるその言葉の裏に、どれほどの虚妄が隠されているのか。これから、その構造を徹底的に解き明かしていきましょう。

1. 安全保障における国家的自己矛盾:日米同盟と核武装論の撞着

国家の安全保障を語る上で、その根幹をなすロジックの一貫性は、いわば国家の信頼性そのものです。この基本が揺らいでいるとき、いかなる戦略も砂上の楼閣と化します。そして、現在の日本の核武装論は、まさしくこの国家的自己矛盾という深刻な病に冒されています。この根本的な矛盾は、単なる政治的な失言ではありません。それは、はるかに深刻な知的腐敗の兆候なのです。

まず、政府の公式見解を思い出してみましょう。少し前、高市早苗大臣が国会で「台湾有事」について答弁しました。あの答弁の論理構造は、集団的自衛権の行使や存立危機事態の認定が、徹頭徹尾**「日米同盟、すなわち米軍の存在」を大前提**としている、というものでした。つまり、「自衛隊と米軍は一心同体であり、だからこそ台湾有事は日本の存立危機事態たりうる」というのが政府の公式ロジックです。

ところが、です。先日、ある政府高官が匿名を条件にこう漏らしたと報じられました。「核を巡る世界情勢は激変している。最後は自分しか頼れない」。

この二つの発言を並べてみてください。そこに浮かび上がるのは、致命的なまでの論理的矛盾です。

  • もし、高市大臣の答弁通り日米同盟が盤石に機能し、米軍が日本の安全を保障してくれるのであれば、「最後は自分しか頼れない」という認識は誤りです。米国の核の傘がある以上、日本が独自に核を持つ必要はなく、それは**「屋上に屋を架す」**無駄な行為に他なりません。
  • 逆に、もし政府高官の言う通り「最後は自分しか頼れない」のが真実であるならば、日米同盟を前提とした高市大臣の答弁は、国民と国会を欺くための虚構だったということになります。

どちらの立場を取るにせよ、政府は自己の安全保障政策の根幹を自ら否定しているのです。このように、前提となる国家戦略が支離滅裂な状態にあるにもかかわらず、その矛盾を全く意に介さずに「核武装を検討すべきだ」という声が上がること自体が、日本の安全保障議論全体の信頼性を著しく損なっています。

この基礎的な矛盾は、これから我々が解剖していく、より深い知的腐敗の単なる兆候に過ぎません。では、多くの者が「愛国心」と勘違いしている、この腐敗の正体を暴いていきましょう。

2. 「お花畑」の正体:軍事的現実を無視した精神論

私がこれから多用する「お花畑」という言葉について、まず定義を共有させてください。これは単なる揶揄や罵倒の言葉ではありません。現実を成り立たせている複雑なプロセスや手順を一切無視し、「こうなればいいな」という願望だけで結論に飛びつく思考停止状態を指す、極めて的確な批判用語です。

そして、驚くべきことに、勇ましく核武装を叫ぶ人々の思考回路は、彼らが最も軽蔑しているであろう「お花畑左翼」と全く同じ構造を持っています。

  • 「憲法9条さえあれば、日本は絶対に戦争に巻き込まれない」と信じる人々。
  • 「日本が核武装しさえすれば、中国や北朝鮮はビビッて手出ししてこなくなる」と信じる人々。

この両者は、具体的なプロセスを欠いた根拠なき信仰という点で、全く同レベルの「お花畑」なのです。どちらも、面倒な手続きや地道な努力を嫌い、安易な結論に飛びつく「弱者の理論」に他なりません。

本当に、この国を核武装させたいという強い意志があるのならば、そのやり方は全く異なります。それは「忠臣蔵」の大石内蔵助のように、何十年という歳月をかけて、誰にも気づかれぬよう水面下で準備を進めるべきものです。一朝一夕にはいかない法整備、憲法改正、技術開発、人員育成といった課題を、一つひとつ静かにクリアしていく。そして全ての準備が整った暁に、初めて「我が国は核を保有した」と世界に宣言する。それこそが真の戦略です。

しかし、今の核武装論者たちはどうでしょうか。何の準備も、何の具体的な計画もないまま、「核武装だ!」と公言してしまっている。このような空虚な威嚇が、抑止力として機能するはずがありません。国際社会から見れば、それは単なる精神論であり、準備不足を自ら露呈する滑稽な「お花畑」としか映らないのです。

このような精神論が、なぜ軍事的な抑止力として全く機能しないのか。その具体的な理由を、次のセクションで軍事戦略の初歩に立ち返って掘り下げていきましょう。

3. 軍事戦略の初歩:必要条件と十分条件の致命的な取り違え

核抑止力という極めて冷徹なシステムを理解するためには、それを構成する要素を論理的に分解する必要があります。ここでは、軍事戦略の基本である「必要条件」と「十分条件」という枠組みを用いて、日本の核武装論がいかに根本的なところで破綻しているかを解説します。

【必要条件】運搬手段の欠如という現実

核抑止力を成立させるための論理的な順序は、以下の通りです。

  • 必要条件: 敵国(例えば中国のゴビ砂漠)まで核弾頭を運ぶための長距離攻撃能力(ミサイルなど)。
  • 十分条件: その運搬手段に搭載する核弾頭そのもの

日本の核武装論者の多くは、この二つの順序を完全に取り違えています。彼らはまず「核弾頭(十分条件)」を持つことばかりを考えますが、それを敵国に届ける「運搬手段(必要条件)」がなければ、何の意味もありません。

この点で、北朝鮮の戦略は極めて「賢い」と言えます。彼らは、世界に「爆弾」そのものを見せつける前に、まずそれを運ぶための機能する「トラック」(テポドンなどの長距離ミサイル)を持っていることを見せつけました。この冷徹で論理的な順序を踏んだからこそ、世界は彼らを真の脅威として認識したのです。これこそが戦略です。我々の議論は、トラックもないのに爆弾だけ手に入れようという、純粋なファンタジーに過ぎません。

翻って日本はどうでしょうか。仮に明日、核弾頭を開発できたとしても、それを運ぶ手段がありません。そして、この長距離攻撃能力を保有するためには、技術的な課題以前に、憲法9条の改正を含む国内の法整備という、途方もなく時間のかかる壁が立ちはだかります。このプロセスには、少なくとも**「20年から30年かかる」**でしょう。この現実的な「人文・社会科学的なプロセス」を無視して核武装を語ること自体が、この議論を非現実的なものにしています。

【十分条件】核実験と国際的認知の不可能性

さらに、仮に運搬手段の問題をクリアできたとしても、もう一つの巨大な壁が存在します。それは、核兵器が抑止力として機能するために絶対不可欠な「実験」と、それによる国際社会からの「認知」です。

核兵器は、開発して倉庫に眠らせておくだけでは抑止力になりません。実際に実験を行い、自国の山を吹き飛ばすような映像を世界に公開し、「我々にはこれだけの破壊力を持つ兵器を、実際に使う能力と意思がある」と誇示して初めて、他国は恐怖を感じるのです。

では、日本はどこで核実験を行うというのでしょうか。「淡路島を潰すのか?」「尼崎でやるのか?」――国内に広大な砂漠や無人の荒野を持たない日本にとって、これは物理的に不可能な問いです。

では、アメリカに頼んでニューメキシコの砂漠を借りるか?その選択肢がいかに自己矛盾に満ちているか、お分かりでしょう。「自主防衛のために核を持つ」と息巻いていたはずが、その能力を証明するための最も重要なプロセスを同盟国アメリカに依存する。それは結局、**「アメリカの核の傘」**の中にいることと何ら変わらず、自主防衛という目的そのものが破綻する自家撞着に陥るのです。

結論として、日本の核武装論は、抑止力を成立させるための「必要条件」も「十分条件」も満たせない、論理的に完全破綻した空論です。しかし問題は、なぜこのような非論理的な議論が生まれてしまうのか。その答えは、日本の社会性そのものに目を向けなければ見えてきません。

4. 論理を扱えない国民性:この国に「お似合い」の議論

しかし、正直に言いましょう。技術的、法的な障壁は、実は本質的な問題ではありません。日本が核を持てない本当の、そして最も侮辱的な理由は、我々の国民性そのものに内在する欠陥にあるのです。核兵器という、感情を一切排した冷徹な論理の塊を、果たしてこの国は扱う資格があるのでしょうか。

この問題の核心を突く、私の診断は以下の通りです。

「己を虚しゅうしてロジックに自分の人生を捧げるという強い生き方ができる人間が日本人に少なすぎる」

核戦略とは、究極の論理ゲームです。そこでは個人の感情やその場の空気は一切排除され、冷徹な計算のみが支配します。しかし、私たちの社会はどうでしょうか。「感情と論理が軋轢した時に、みんな感情を優先する」のではないでしょうか。この国民性が、核のような絶対的な整合性が求められる戦略兵器を扱う上で、致命的な欠陥となるのです。

ロシア人やアメリカ人には核武装が可能です。なぜなら、彼らの社会は「賢いやつを素直に褒められる」、つまり論理的に正しい判断を感情的な好き嫌いを乗り越えて尊重する強さを持っているからです。残念ながら、今の日本にそれがあるとは到底思えません。

この非論理的な国民性は、安全保障以外の領域にも色濃く表れています。社会に蔓延する支離滅裂な実例を二つ挙げましょう。

  • 事例1:バイアグラとアフターピル 男性のED治療薬「バイアグラ」は即時承認されました。一方で、女性の望まぬ妊娠を防ぐ「緊急避妊薬(アフターピル)」の承認には10年以上かかりました。この優先順位の歪みは、論理ではなく感情や偏見が支配している証左です。
  • 事例2:少子化と給食費 国を挙げて「少子化が危機だ」と叫びながら、その子供たちが毎日食べる「給食費の無償化」すら、いまだに全国レベルで実現できていません。国家の最重要課題と、その解決に直結するはずの具体的な政策が、全く結びついていないのです。

足元の喫緊の課題すら、このように非論理的で場当たり的な対応しかできない。そんな国が、数十年単位の緻密な計画と冷徹な判断を要する核武装を語る。この光景は、痛烈な皮肉を込めて言うならば、この国に実に**「お似合い」**です。これは最終的な、そして最も厳しい診断です。技術でも法律でもない。私たち自身の国民性が、核武装を不可能にしているのです。

結論:虚妄にすがる弱者の理論

本日の総括します。日本の「お花畑核武装論」は、少なくとも以下の三重の欠陥を抱えた、極めて危険な虚妄です。

  1. 国家戦略の自己矛盾:日米同盟を基軸とする安全保障政策と真っ向から矛盾し、論理的な一貫性を欠いている。
  2. 軍事的プロセスの無視:運搬手段(必要条件)と核実験(十分条件)という、抑止力成立の基本プロセスを完全に無視した精神論に過ぎない。
  3. 論理的思考の欠如:感情を優先し、冷徹な論理を扱えない国民性が、このような非現実的な議論の温床となっている。

この国が、この体たらくで、核兵器を管理運営できると信じるのは、この私がディーン・フジオカのふりをして女性を口説こうとしたり、明日ドジャースの4番は大谷翔平の代わりに出ると言い出すのと同じくらい、滑稽で、救いようのない妄想なのです。それは狂気の沙汰と紙一重の、身の程知らずに他なりません。

最終的に、この「お花畑核武装論」は、日本を強くするどころか、私たちの弱さを露呈させるものです。地道な法整備や外交努力、そして足元の社会問題を解決するという面倒なプロセスから目を背け、核という「魔法の杖」を手に入れれば全てが解決するかのように錯覚する。これこそ、まさしく**「弱者の理論」**の典型的な現れです。

冒頭で、中島みゆきの歌詞を引用しました。

青の濃すぎるテレビの中では 誠やかに暑い国の戦争が語られる 僕は見知らぬ土地のことより この切れないステーキに腹を立てる

遠い国の戦争や勇ましい核武装を語る前に、まず目の前の「切れないステーキ」―すなわち、アフターピルの承認や給食費の無償化といった、私たちが解決すべき現実の課題―と向き合うべきではないでしょうか。足元の現実に向き合えない社会が、国家の存亡を賭けた巨大な空想にすがる。その先に待っているのは、希望ではなく、破滅的な結末だけです。

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