2026/2/26(木)朝刊チェック:カタログギフト問題に「乗らない」と宣言した泉健太の戦略は案外クレバーなのではないか論
記事の要約と図解
【結論】 野党が直面する「スキャンダル追及」の是非について、泉健太氏が自民党のカタログギフト問題に対して示した「スルー」の姿勢は、一見すると弱腰に見えるが、実は極めて合理的で冷徹な「最強の喧嘩作法」である。圧倒的劣勢にある弱者は自ら動かず、驕った権力者が内部の「弱い側近」から自滅するのを待つことこそが、歴史が証明する最も確実な勝利への道なのだ。
【ポイント3選】
- 弱者の兵法: 圧倒的な力不足の現状では、下手に手を出して相手を警戒させるより「不気味に沈黙する」方が強者へのプレッシャーとなる。
- アキレス腱は側近にあり: 奈良のカタログギフト問題の実務を仕切る秘書の過去の脆い対応を見れば、いずれ彼が陣営の致命的なミスを引き起こすことは火を見るより明らかである。
- 歴史の「バップ(反動)」: 藤原道長や平清盛がそうであったように、権力を極めた者には必ず体制崩壊の反動が訪れる。野党は「市原悦子」のようにただ傍観し、巨大権力が自重で崩れ落ちるのを待てばよい。
■ 【徹底解説】野党の「スルー戦略」こそ最強の喧嘩作法である〜高市陣営の急所と歴史の法則〜
導入:野党はスキャンダル追及をすべきか?
泉健太の「スルー宣言」に隠された冷徹な計算
はっきり言おう。巷間言われているような「野党はもっと怒れ」「スキャンダルを徹底追及しろ」という威勢のいいだけの精神論は、いまの政治状況において百害あって一利なしである。
先日、泉健太氏が例の「カタログギフト問題」について、ことさらに追及に乗らない姿勢を示した。これに対し、支持者の一部からは「腰抜け」「野党としての役割を放棄している」といった批判の声が上がった。国会での政策議論を優先し、スキャンダル追及を良しとしないという建前はあるにせよ、傍目にはいかにも消極的な「スルー」に見えるだろう。
だが、権力闘争のリアリズムという観点から見れば、この判断は全く異なる色彩を帯びてくる。一見弱腰に見えるこの「スルー」の判断こそが、実は極めて正しく、冷徹なまでにクレバーな戦略なのではないか。本稿では、その仮説を徹底的に検証していく。
本論1:抵抗の術がない時の「喧嘩の作法」
圧倒的劣勢における「弱者の兵法」
現実を直視せよ。現在の野党は、予算関連法案すらまともに提出し、審議させる力を持たないほどに弱体化している。これは感情論ではなく、議席数という冷酷な数字が示す事実である。彼らには、権力に正面から立ち向かい、これをねじ伏せるだけの「抵抗の術」がない。
では、圧倒的に負けている劣勢の弱者が、強者との喧嘩に勝つにはどうすればいいか。答えは一つしかない。自分から動くのではなく、「相手のミスを待つ」ことである。
下手に手を出して騒ぎ立てれば、強者は警戒し、守りを固め、あるいはその圧倒的な力で容易に反撃してくる。弱者の小手先の攻撃など、強者にとってはかすり傷にもならないどころか、かえって体制を引き締める口実を与えてしまうのだ。
沈黙がもたらす最大のプレッシャー
喧嘩において、強者が最も不気味で恐怖を感じるのはどういう時か。それは、弱者がキャンキャン吠え立てている時ではない。弱者が「不気味に黙っている時」である。
何もしてこない。何も言ってこない。この「沈黙」こそが、権力者の内面に疑心暗鬼を生じさせる。「何か裏があるのではないか」「どこかで致命的な罠を張っているのではないか」と。下手に騒いで手の内を明かすよりも、ただ黙って相手を凝視し続けること。これこそが、手足をもがれた弱者に残された、唯一にして最大の「攻撃」なのである。
本論2:ターゲットは「弱い側近」~高市陣営のアキレス腱
権力者の足元をすくう「実務担当者」
相手のミスを待つと言っても、ただ漠然と待っているわけではない。権力という巨大な建造物が崩れる時、その亀裂は必ず「最も弱い部分」から走る。
今回のカタログギフト問題を考えてみよう。このギフトは「自由民主党奈良県第二区総支部」から送られている。ここで注目すべきは、代表者である大物政治家本人ではない。その資金管理や地元対応を実務的に取り仕切っているのは誰か、という点である。答えは明白、秘書の木下氏である。
過去の失態が証明する「脆さ」
彼の過去の振る舞いを振り返れば、そこに明確な「アキレス腱」が存在することがわかる。
過去の総裁選におけるリーフレット問題や裏帳簿問題が浮上した際、彼が見せた対応を思い出してほしい。週刊誌の記者に対して感情的に食ってかかり、冷静さを欠いた振る舞いを露呈した。実務を取り仕切る要の立場の人間が、これほどまでに感情的で脆い対応を見せるのだ。
親分がどれほど強大で、盤石な権力基盤を築いているように見えようとも、その手足となって動く側近が「ザ・弱者」であるならば、その陣営は砂上の楼閣に等しい。プレッシャーがかかった極限状態において、彼がいずれ致命的なミスを犯し、陣営全体を吹き飛ばす爆弾となる可能性は極めて高い。我々が注視すべきは、親分ではなく、この「弱い側近」の挙動なのである。
本論3:位人臣を極めた者への「バップ(反動)」の歴史
権力の頂点と没落のメカニズム
ここで少し視点を広げ、日本の歴史を俯瞰してみよう。歴史には恐ろしいほどの必然と法則が存在する。それは、権力の頂点(位人臣)を極めた者には、必ず我が身や体制に対する強烈な「バップ(反動)」が返ってくるという法則である。
藤原道長と平清盛が示す「絶頂の直後」
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
藤原道長がこの有名な歌を詠み、己の権力の絶頂を誇示した直後、彼を襲ったのは深刻な病魔であった。栄華の極みは、同時に肉体と精神の崩壊の始まりであった。
平清盛も同様だ。武家として初めて太政大臣にまで上り詰め、福原遷都を強行して盤石な平氏政権の体制を構築したまさにその瞬間、彼は原因不明の熱病に倒れ、この世を去った。そして、強大を誇った平家はあっという間に滅亡への坂を転げ落ちていった。
個人の権力が絶頂に達し、すべてを掌握したかに見えるその直後に、歴史の転換点となる体制の崩壊や没落が訪れる。これは単なる偶然ではなく、権力というものが内包する「驕り」や「淀み」が臨界点に達し、一気に爆発する歴史の必然なのだ。
結論:歴史が証明する「待つ」ことの強さ
巨大権力は「高転びに仰向けに転ぶ」
巨大な権力ほど、倒れる時の音は大きい。「高転びに仰向けに転ぶ」という言葉があるが、まさにその通りだ。外部からの小さな攻撃で倒れるのではない。内部で蓄積された驕り、綻び、そして実務を担う側近たちの致命的なミスから、自らの重みに耐えかねて確実に崩落していくのである。
だからこそ、いま野党が取るべき態度は明確だ。小さなカタログギフト問題などでワーワーと騒ぎ立て、相手に警戒させ、守りを固めさせてはならない。そんなものは「どうぞどうぞ」と泳がせておけばいいのだ。
「市原悦子化」戦略のすすめ
いま野党に必要なのは、家政婦の市原悦子のように、物陰から「あらまあ」と傍観し、相手の自滅をひたすら待つことである。手を出さず、口を出さず、ただ冷徹に相手の「弱い部分」が自壊していくプロセスを観察し続ける。

焦る必要は微塵もない。歴史の法則に従えば、相手は必ず勝手に転ぶ。その決定的な瞬間を逃さず、ただ一撃で息の根を止める準備だけをしておく。それこそが、現在のような圧倒的劣勢において弱者が選び得る、最も冷酷で、最もクレバーな最強の戦略なのである。

人気ブログランキング




コメント