Introduction
2025/12/1立花孝志とその支持者たちが愚劣な反社会的カルト集団であることがはっきりわかる件。
尼崎市で起きた立花孝志氏の支持者らによる「私人逮捕」未遂と選挙妨害事件。ほとんどの人が、これをまた一つ奇妙な政治パフォーマンスとして片付け、そのあまりの愚かさゆえに深刻な脅威とは見なさなかったかもしれない。
しかし、菅野氏の分析は、その楽観的な見方を粉砕する。この集団の明白な「愚劣さ」こそが、彼らを特異で予測不可能な脅威たらしめている病理の核心なのだ。その滑稽な行動の裏には、より深く、より憂慮すべき反社会的な実態が隠されている。
本記事では、その専門的な分析に基づき、この事件をめぐる5つの衝撃的かつ直観に反する真実を明らかにする。単なる政治スタントとして見過ごされがちなこの事件の裏に隠された、カルト集団の不気味な現実を、深く掘り下げていこう。
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1. 思想は「オウム」、しかし知能は…:『サリンを作る学力のないオウム』という最悪の評価
この集団を分析する上で最も衝撃的なのは、彼らをテロ組織「オウム真理教」になぞらえる菅野氏の指摘だ。その理由は、彼らの支持者が公然と「日本政府をぶっ壊す」という破壊的な願望を口にしている点にある。これは、彼らが持つ反社会的で危険なイデオロギーの核心を明確に示している。
しかし、菅野氏はここで決定的に重要な修正を加える。彼らは単に「サリンを撒かないオウム」なのではない。より正確には、「サリンを作る学力のないオウム」だというのだ。
この痛烈なアナロジーが暴き出すのは、この集団を定義づける病理、すなわち国家転覆を夢見る極端な破壊的意図と、それを実行するための知性、計画性、そして能力が絶望的に欠如しているというグロテスクな融合である。このアンバランスさこそが、彼らの本質的な危険性を示している。
サリンを巻かないオウムじゃなくて、厳密に言うとサリンを作る学力のないオウムですよね。
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2. 法的無知の極み:警察ですら敗訴した「公選法違反での現行犯逮捕」
この集団の知性の欠如は、事件の直接的な引き金となった、常軌を逸した法的無知にも現れている。彼らは、選挙運動を批判する人物を公職選挙法違反で「私人逮捕」できると信じていたが、これは市民による逮捕が「現行犯」、つまり犯罪が目の前で行われている場合にのみ許されるという、法の基本原則を完全に無視した行動だった。
彼らの無知をさらに際立たせるのは、菅野氏が指摘する驚くべき事実だ。この領域では、法の執行機関である警察自身が完敗しているのである。
過去に北海道で、安倍晋三元首相の演説中にヤジを飛ばした人物を警察が現行犯逮捕した事例があった。しかし、この逮捕は法的に極めて 物議を醸す行為であり、後の裁判で違法と判断され、警察側は「ボロクソに負けてる(完敗している)」のだ。法執行のプロですら敗訴した、確立された判例のある極めて困難な逮捕を、なぜ素人である自分たちができると考えたのか。その思考回路こそが、彼らの判断能力の欠如を物語っている。
警察がね、現行犯逮捕しても負けてる事例をね、なぜ自分(たち)ができると思うのか。
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3. 愚行なのになぜ?警察が「モデルケース」として本気を出した理由
この常軌を逸した法的無知こそが、警察当局に「これを放置すれば全国に広がる」という危機感を抱かせた直接の原因だった。一見すると滑稽なこの事件に対し、なぜ警察や検察はこれほど迅速かつ真剣に対応したのだろうか。
専門家によれば、その核心的な理由は、当局がこの種の行動を放置すれば「全国に広がってしまうっていう恐れもあるから」だと判断したことにある。選挙という民主主義の根幹を揺るがす場で、批判者への暴力的な妨害が許されるという前例を作るわけにはいかなかったのだ。
そのため、当局はこの事件を、同様の行為を抑止するための「モデルケース」として扱った。捜査が「相当のスピード」で進められたことや、異例なほど詳細な被害者調書が作成されたことは、その本気度の現れだ。調書には、被告人側が繰り出すであろう「全ての想定を下回ってくる」予測不能な弁解をあらかじめ封じ込めるための、緻密な戦略が張り巡らされていたのである。
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4. 隠された本性:「武装蜂起」と「日本政府の破壊」を語る支持者たち
この集団の公的な行動の裏には、さらに不気味なイデオロギーが渦巻いていた。その証拠は、書類送検されたメンバーの一人、「討伐隊シロー」が開設したLINEオープンチャットから浮かび上がってきた。

チャット内では、「Nカイダ花子」(アルカイダをもじった)と名乗る支持者が、衝撃的な発言をしていた。彼女は、立花氏が厳しい保釈条件を課されるくらいなら、支持者には2つの選択肢しかないと語った。一つは保釈を拒否すること。そしてもう一つは、「武装蜂起して立花孝志を解放して日本政府を破壊する」ことだ。
そんな条件がつくぐらいなら捕釈を蹴るか、本当に武裝蜂起して立花孝志を解放して日本政府をぶっ壊すかの2択
この支持者はさらに、「皆さんが武装法棄を望むならいつでも銃を取る用意が必要」と、暴力的な行動を具体的に呼びかけている。その暴力的な意図は明白だ。このような発言の存在こそが、この集団が単なる政治ごっこに興じる人々ではなく、「反社会的カルト集団」であり、「サリンを作る学力のないオウム」という評価が妥当であることを決定づけている。
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5. 逮捕されなかった皮肉な理由:「証拠隠滅する知性すらない」という軽蔑
最後に、この事件が示す最も皮肉な事実を指摘しよう。なぜ彼らは逮捕されず、「書類送検」という形で処理されたのか。菅野氏は、その理由を痛烈な皮肉で解説する。当局は、彼らが証拠隠滅を図るリスクが皆無だと判断した可能性が高いというのだ。
その根拠は、彼らの絶望的なまでの知性と能力の低さにある。当局は、彼らが「アホ」で、何が証拠になるかすら理解できず、効果的に証拠を隠滅する能力もないと見なしたのだろう。
在宅(捜査)なのは、多分そういう証拠隠滅とかの恐れがないと(判断された)。アホやし日本語喋られへんし。証拠隠滅しようにも、アホやから何が証拠かわからへんから隠滅の仕様がない。能力低いから。
つまり、彼らの極端な「愚劣さ」が、皮肉にも身柄拘束という直接的な不利益から彼らを救った可能性がある。これは、司法当局が彼らの能力をいかに低く見積もっているかを示す、究極の軽蔑の表れと言えるだろう。
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結論
尼崎の事件は、単なる一過性の政治パフォーマンスではなかった。それは、過激なイデオロギーと深刻な知的能力の欠如が危険な形で融合した、ある集団の病理を映し出す窓だったのである。彼らの「愚かさ」は、したがって、決して危険性を減じる要因ではない。むしろ、それこそが彼らの行動を予測不能にし、社会にとって特異な脅威たらしめている核心部分なのだ。
この事実を前に、私たちは改めて問わなければならない。
果たして、社会にとってより危険なのは、計画的に悪事を働く知能犯なのでしょうか。それとも、自らが何をしているかさえ理解していない、制御不能な愚者たちなのでしょうか。
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