【結論】
神戸のホテルから配信を開通した菅野氏は、自らの名を名乗り、これから始まる言論闘争へ向けて「頑張っていかなあかんな」と静かな決意を表明する。しかし、この第一声の直後、平穏であるべき配信システムそのものが牙を剥くことになった。
【ポイント3選】
- ※論点:設定しようとする最新のサムネイル画像が頑強に拒絶され、過去の古い画像が管理画面に居座り続けるという執拗なバグが発生した。菅野氏はこの不調の原因を突き止めるため、自宅のメインのMacや携帯用のMacBookで検証を重ね、ホテルのネットワークを切り替えても改善しないことから、これがYouTubeサーバー側のシステム障害であると冷静に鑑識した。
- ※論点:この配信直前のトラブルの背景には、強行軍とも言える神戸への前泊スケジュールが存在していた。昨夜の最終便の飛行機に文字通り飛び乗るようにして関西に降り立ち、深夜になってからようやくホテルの客室に滑り込んだ。心身の疲労は限界に達しており、余計な思索に耽る余白すらないまま、文字通りに「バタンキュー」という体裁で深い眠りに落ちていたのである。
- ※論点:配信が無事に開通した直後、平穏を脅かすもう一つの異物がチャット欄に忍び寄る。画面上に現れた「ユーザーハイフンプ5656」と名乗る無礼な荒らしアカウントに対し、菅野氏は一寸の猶予も与えなかった。「気持ち悪いです」と言葉少なにバサリと言い放って切り捨て、モデレーターに対して即座にアカウントを排除するよう、冷徹な排除命令を下した。
朝の希死念慮から言論の壊死へ――アルコール・エアテニス・戦後最悪のファシズム
配信トラブルとMacとの18分間の格闘、ホテルの「バタンキュー」前泊
私が菅野完でございます。 頑張っていかなあかんな言うてるところでございます。
神戸のホテルから配信を開通した菅野氏は、自らの名を名乗り、これから始まる言論闘争へ向けて「頑張っていかなあかんな」と静かな決意を表明する。しかし、この第一声の直後、平穏であるべき配信システムそのものが牙を剥くことになった。
サムネイルを変えるために今、俺、18分格闘してました。前のサムネイルとか勝手に出てくんのよ。結局どうしたか言ったら、1回YouTubeログアウトしてログインし直さないと新しくサムネイルが登録できないという症状になりました。
設定しようとする最新のサムネイル画像が頑強に拒絶され、過去の古い画像が管理画面に居座り続けるという執拗なバグが発生した。菅野氏はこの不調の原因を突き止めるため、自宅のメインのMacや携帯用のMacBookで検証を重ね、ホテルのネットワークを切り替えても改善しないことから、これがYouTubeサーバー側のシステム障害であると冷静に鑑識した。
配信開始の待機画面で膠着し、時間に追われる焦燥のなかで、菅野氏の額からは焦りの汗が滲み出る。刻一刻と迫る重圧に耐えかね、それまで羽織っていたジャケットを思わず脱ぎ捨てるほどに身体を焦がしていた。格闘の末に導き出した解決策は、アカウントを一度ログアウトした上で、再度ログインするという極めてアナログで盲点となる手順であった。システムとの接続を遮断するこの手順によって不具合は解消され、物理的な格闘と焦燥の18分間にようやく終止符が打たれた。
昨日最終の飛行機で神戸に入りまして、もう夜遅くにホテルに入ってバタンキューでしたね、
この配信直前のトラブルの背景には、強行軍とも言える神戸への前泊スケジュールが存在していた。昨夜の最終便の飛行機に文字通り飛び乗るようにして関西に降り立ち、深夜になってからようやくホテルの客室に滑り込んだ。心身の疲労は限界に達しており、余計な思索に耽る余白すらないまま、文字通りに「バタンキュー」という体裁で深い眠りに落ちていたのである。
バタンキューとは、極度の疲労により、布団に入ると同時に文字通り「バタン」と倒れ込んで「キュー」と深く眠ってしまう様子を表す昭和期から平成期にかけての俗語です。本文中では、菅野氏の過酷な強行軍スケジュールと、身体に蓄積した心身の疲労の生々しさを強調する記号として機能しています。
モデレーターさん、えっと、ユーザーハイフンプ5656をbanしてください。えっと、気持ち悪いです
配信が無事に開通した直後、平穏を脅かすもう一つの異物がチャット欄に忍び寄る。画面上に現れた「ユーザーハイフンプ5656」と名乗る無礼な荒らしアカウントに対し、菅野氏は一寸の猶予も与えなかった。「気持ち悪いです」と言葉少なにバサリと言い放って切り捨て、モデレーターに対して即座にアカウントを排除するよう、冷徹な排除命令を下した。

断酒が引き起こす身体的バグ「朝の希死念慮」という生々しい臨床体験
酒抜いてるんですよね、ここ最近。うん。抜いてる理由ってのは、ま、色々あるんですが、一番多いのは斎藤元彦見てると怖いなと思って酒を抜いてる。
菅野氏が最近になって決断した断酒の習慣には、一見すると個人的な健康管理に見えながら、その実、現代社会の病理を象徴する引き金が存在していた。それは、他者に対する基本的な共感能力を完璧に喪失し、一切の加虐性に対しても内的なブレーキを踏み損ねている、斎藤元彦兵庫県知事(当時)という人間の底知れぬ異常性を目撃したことである。その冷酷無比な言動を毎日のように注視する中で、菅野氏は根源的な恐怖と生理的な嫌悪感を覚え、自らの身体を守る防衛反応としてお酒を抜くことを余儀なくされた。
酒を抜いてると……僕の場合はいつもそうなんですけど、もう酒って怖いなと思うのは、あの、希死念慮がね、激しくなるね。
この断酒の試みは、菅野氏にとって半生をかけた習慣の劇的な断絶を意味していた。30代から40代に至るまで、毎日一日の欠かしもなくアルコールを体内に注入し続けてきた。これまでお酒をやめるという選択肢自体が、過去の人生において一瞬たりとも存在しなかったのである。
かつての日常的な飲酒量は、決して常軌を逸した暴飲ではなかったものの、身体に深く定着したものであった。自宅での最低限の飲酒習慣は、生ビールの中ジョッキ1杯とウイスキー1杯程度というミニマムな構成であった。しかし、コロナ禍を迎えた40代後半(48歳頃)になって初めて、「丸1週間全くお酒を口にしない」という、飲まない生活習慣がその人生に初めて出現したのである。
お酒との切断を試みた身体には、思いもよらない自律神経の臨床的バグが激しく襲いかかる。お酒を抜いた翌日の朝、特に静まり返った午前中において、頭上から引きずり下ろされるような強烈な「死にたさ(希死念慮)」が全身を貫く。この現象は、お酒そのものの価値を信じ、そこから快楽を得ようとする精神的渇望とは完全に切り離された、不気味な自律神経の誤作動であった。
別にあの、酒を飲まないことそのものは辛くないんですよ。だから結びつかないんですよ。ああ、酒が飲みたい、飲めないんだったら死にたいと思ってるわけじゃないですよ。……酒なんていらないし、欲しいとも思ってないのにも関わらず、次の日の朝、起きた朝、特に午前中の希死念慮の激しさってすごいね。
「お酒を飲みたいのに飲めないから死にたい」というような、甘えた主観的な執着や枯渇感によるお気持ちの吐露ではない。これは、長年親しんだアルコールの分子が脳から強制的に遮断されたことによって生じる、極めて機械的で神経質な物理的離脱症状である。菅野氏は自らの脳内で生じるその「死にたさ」の発現プロセスを、冷徹な客観性をもって自己分析し、記録している。

希死念慮とは、明確な理由や精神的ストレスから生じる「死にたい」という主観的な願いとは異なり、長年のアルコール依存による物理的な離脱症状として自律神経が暴走し、脳内に機械的かつ強制的に引き起こされる強烈な自死への渇望(バグ)を指します。本文では、単なる情緒の問題ではなく、脳内の分子レベルの物質的遮断が引き起こす物理的な神経学的バグとして記述されています。
覚醒剤(シャブ)よりも恐ろしい「ビール」の狂暴性とコンビニ前の自壊
いわゆる離脱症状ってやつでしょうな。まあまあと思うとシャブよりも酒の方が怖いってのはよう分かりますね。シャブよりも酒の方が怖いすわ。ほんまに。まだシャブの方がマシ。
世間一般で違法薬物として忌み嫌われる覚醒剤よりも、我々が日常的にコンビニエンスストアで購入している「お酒」の方が、人間社会を内側から崩壊させる凶悪性を秘めている。アルコール離脱症状の凄惨さや、他者への直接的な攻撃・狂暴性を引き起こす性質において、ビールの破壊力は覚醒剤の比ではない。この二つの恐怖を対比させることで、菅野氏は社会的に温存され、推奨すらされている合法薬物の致命的なリスクを暴き出す。
シャブなんか絶対やっちゃダメですよ。でもシャブなんか絶対やっちゃダメって言うんであれば、それと同じぐらい酒も飲まん方がええって言うべきやと思う。全然シャブでパキパキになって体からスイカの匂いしてるお兄ちゃんの方が全然話になるもん。
覚醒剤を絶対に使用してはならないという共通認識があるならば、それと同等に酒も飲むべきではないと菅野氏は主張する。なぜなら、薬物で極限まで神経が昂った「パキパキ」の状態にある使用者の方が、アルコールによって完全に理性を破壊された泥酔者よりも、まだ論理的で人間的な意思疎通が可能であるからだ。この対比は、社会が容認するアルコールの凶暴性を鮮烈に浮き彫りにする。
あのシャブはほんまにスイカの匂いします。びっくりする。あのだいぶきついスイカの匂いがします。あのスイカ味のアイスクリームの匂いがする。もっと厳密に言うと、スイカ味のシャーベットのとかの匂いがする。スイカバーぐらいの、スイカバーぐらいのきっつい匂いする。
覚醒剤の常用者が路上で発する、あの特異な化学物質の匂いを菅野氏は鮮明に記憶している。それは、夏の風物詩である「スイカ味のシャーベットやアイスクリーム、あるいはスイカバー」のような、あまりにも甘ったるく強烈な合成臭である。このような異様な遭遇体験を具体例として挙げながらも、菅野氏はその化学臭を放つ「パキパキ」に覚醒した人間の方が、理性を失って自壊する泥酔者よりまだ論理的な意思疎通が可能であると対比する。
一方で、大麻の吸入を隠蔽するために「ガラム煙草」を吸うストリートの若者たちに対しては、冷ややかな視線を注ぐ。彼らの服の繊維から隠しきれずに漏れ出ている、独特のクローブの甘い匂いは、あまりにも浅薄なファッションとしての逸脱行為でしかない。本物の破滅を知らぬままに、反体制的な記号にしがみつく底の浅い若者文化の虚飾が、そこには生々しく露呈している。
ガラム煙草とは、インドネシアを原産とする、クローブ(丁子)という香辛料を配合した独特の甘い匂いが特徴の煙草です。ストリートカルチャーや一部の若者の間で、違法薬物である大麻の吸入をごまかす隠蔽工作やファッションとして吸われることがありますが、本文ではその浅薄な反逆ポーズを唾棄する文脈で使われています。
ストロング缶で酔うてるけどよう、潰れてるだけですよ。酔うて潰れてるだけで。なんかしがんでるだけ。その、あのね、ほんで体壊してはるだけです。
さらに近年、巷に溢れているストロングゼロをはじめとする高アルコールストロング缶飲料について、菅野氏は「自分自身は人生でただの一度も口にしたことがない」と明言する。夜の街角やコンビニエンスストアの前で、それらの缶に悲惨にしがみつき、泥酔して自己破壊的に潰れている中毒者たちの姿は見るに堪えない。彼らはもはやアルコールによって人格を支配され、肉体を自律的にコントロールする力を失い、静かに自壊しているのである。
ビールはね、人格を変える。薄いんですよ、アルコール度数は。もちろんアルコール度数は全然少ないけど、ほんまに、ビールは人格を変える。いや、ホップじゃないと思う。あれね、麦やと思う。多分麦やと思う。
ビールという極めてアルコール度数の低い飲料こそが、他者への理性を完全に麻痺させ、他者を攻撃する「凶暴な人格」へと人間を変貌させる。菅野氏はこの凶暴化の原因について、ホップではなく、主原料である「麦」に含まれる何らかの生物学的な化学作用がトリガーになっているのではないかという独自の仮説を提唱する。酒が持つこのような極めて野蛮な暴力性を周到に隠蔽し、テレビ広告で華やかに美化して容認し続ける日本社会のダブルスタンダードは、大衆の倫理的な欺瞞の最たるものである。
新宿駅ドトール喫煙席から毎日観察した「ビール暴力」とフランクリン自伝の実証統計
サラリーマンはビール。工事現場のおっちゃんらはキンミヤとか日本酒飲んではって、毎日喧嘩になんねん。違うグループ同士やのに毎日喧嘩になんのよ。毎日大喧嘩になってんねや。
菅野氏には、10年以上前に新宿駅の路上で毎日のように行っていた、徹底した社会観察のデータが存在する。当時は、マイクロソフトが品川へと拠点を移転した後の新宿小田急サザンタワーに勤務していた。南麻布の自宅へ広尾・恵比寿経由の日比谷線を使って帰宅する道すがら、新宿駅甲州街道沿いの改札内にあるドトールコーヒーの喫煙席に陣取るのが毎日の日課であった。
帰宅ラッシュの混沌が極まる時間帯、菅野氏は喫煙席のガラス越しに、正面のキヨスク前のわずかなスペースを約10分間にわたって凝視し続けた。そこでは毎日、スーツを身にまとった3〜4人のサラリーマングループがビールを買い求め、地べたに車座になって酒盛りを繰り広れていた。一方で、そのすぐ逆側のエリアでは、キンミヤ焼酎やワンカップの日本酒を立ち飲みする工事現場の職人グループが並行して存在していた。この二つの異なるコミュニティは、毎日のように、まるで予定調和の儀式であるかのように大喧嘩を勃発させていた。週に1〜2回は確実に血が流れ、警察官が駆けつけるほどの凄惨な流血暴力沙汰にまで発展していたのである。
必ず殴り始めてんのはビール飲んでるやつ。止めてるやつは焼酎飲んでるやつ。で、俺はたまたまかなと思ってたんや。そっからよう観察してたら人殴って怪我させてるやつは大概ビール飲んでる。
暴力の先手を打ち、最初に他者の顔面へ拳を突き出しているのは、驚くべきことに例外なく「ビール」を飲んでいるサラリーマンであった。そして、その暴力を冷ややかに見つめ、あるいは必死になって割って入り、喧嘩を押し止めているのは、アルコール度数の強いキンミヤ焼酎や日本酒をあおっていた工事現場の職人たちだったのである。この奇妙な理性と理不尽の実証逆転統計は、ビールの性質を雄弁に物語っている。
水代わりにビール飲んでる奴と休憩の時にラム酒飲んでる奴とでトラブルの発生件数を統計とんのよ。圧倒的にビール飲んでる奴の方が、ビールなんて水や言うて飲んでる奴の方がトラブル多いねんて。
この現象を解き明かす鍵として、菅野氏はアメリカ建国の父であり、物理学者や外交官でもあったベンジャミン・フランクリンが遺した古典を引き合いに出す。若き日のフランクリンがイギリス・ロンドンの印刷工場で修行した日々の記録が『フランクリン自伝(岩波文庫の赤帯)』に詳細に綴られている。その中には、工場内で「水代わり」として日常的にビールを飲み続ける労働者たちと、休憩時間に強いラム酒を愛飲する労働者たちの間における、労働事故や人間関係のトラブルの発生率を詳細に記録した統計が存在する。
フランクリン自伝とは、アメリカ合衆国建国の父の一人であるベンジャミン・フランクリンによる自叙伝です。ロンドンの印刷所時代の記述には、ビールを過剰に「水分補給」として摂取することで脳が自覚なく麻痺し、逆にラム酒を適度に飲む者よりトラブルを起こしやすかった労働者の生々しい統計が記載されており、ビールの構造的欠陥を裏付ける古典的論拠となっています。
どう考えてもラム酒の方が酒きついからみんな酔っ払ってんのに、全然事故がないねんて。労働者に酒をやめろっていうのもやめられへんから『ビール禁止。ラム酒にしろ』って言うと、ベンジャミン・フランクリンのラインだけ生産性が上がってんて。
結果は明白であった。圧倒的に労働災害や同僚間のトラブルを引き起こしていたのは、度数が低いからと侮ってビールを過剰に摂取していた労働者たちだったのである。ビールの構造的欠陥とは、その飲みやすさゆえに、仕事中や日常生活の合間に「ダラダラと水分補給のように継続して摂取」され続け、脳の理性を自覚なきままに麻痺させて、トラブルを無限に頻発させることにある。
ワイン飲んでる人はええ音楽流れてんのにぐーぐー寝てる。音楽聞きながらなんで暴れんのやろうと思うて見てると大概ビール飲んでる。ワインで飲んで潰れてる人。寝てまう人は見たことある。寝てまう人は何ぼでも見たことあるけど、その暴れるっていうのはワインで俺あんま見たことない。
この事実は現代の都市型生活においても同様に証明されている。若者たちが集うクラブやライブハウスにおいて、些細な小競り合いから凄惨な暴力沙汰へと発展させている未熟な人間たちの手元を観察すれば、彼らはアサヒビールなどの「大概ビール」を片手に持っている。一方、さらにアルコール度数が強く、精神をより深く酩酊させるワインを飲んでいる人間たちは、お気に入りの心地よい音楽が流れる空間のなかで、静かに「グーグーと寝てしまう」姿が対比される。ビールがいかに他者への攻撃性を直接刺激し、社会的な理性を解体するのかを示す動かぬ証拠である。

斎藤元彦の「エアテニス」動画の気味悪さと、遅刻の焦燥で胃に叩き込む冷酒2合半の脳内バグ
酒は気いつけな、斎藤元彦みたいになるで。気持ち悪いよ。なんか気づいたらエアテニスとかしてるよ。いや、ほんまに。いや、てかさ、あのエアテニスさ、あれシラフの状態やったんやろか。イエーイ。頑張れ。シラフであれできるのおかしいやろ。せめて飲んでて欲しいのよ。飲んでた言うてほしい。シラフやったら怖いて。もう洒落ならんよ。
斎藤元彦兵庫県知事(当時)がかつて自らのSNSアカウント等に投稿し、大きな失笑と不気味さを世間に振り撒いた「エアテニス動画」がある。自らの傲慢な人事権の濫用によって尊い人命を奪い、勇気ある内部告発を行った県職員を執拗に追い詰めた結果としての、悲劇的な自死の事実を完全に抹殺している。その上で、ラケットもボールもない空間で「イエーイ、頑張れ」と満面の笑みを浮かべ、不気味な自作自演を繰り広げる姿は、見る者の背筋を凍らせる。それはまさに、構造的な暴力による完全な思考と行動の麻痺が生んだ、白日の下での尊厳の剥奪そのものであった。
夏の暑い日にさ、あの偉い人にさ、今日は一緒に会食やとかさ、今日は飲みに行こうとかって言われてんのに、前の仕事が詰まっててさ、遅れていくとね。……いただきますって言った時にグッと飲み干す日本酒一番うまいよな。俺、あれが一番うまいと思う、俺。……いやいや冷やで。時間ないもん。燗もいらん。時間がないから冷やでつって、コップにグッて入れてグッと飲んでドンって置くのが一番うまいのよ。
この動画から放たれる圧倒的な気味悪さの正体を、菅野氏は自らの極限的な身体感覚の記憶に照らし合わせ、脳内で合理的に説明する比喩を試みる。それは、猛暑の夏の日に、絶対に遅れてはならないはずの大物権力者が並ぶ会食に対し、前の仕事が大幅に長引いたことによって絶望的な大遅刻を犯してしまった時の焦燥である。息を切らし、這いずり回るようにして会場に到着した下っ端の自分自身が、すでに酒宴が始まって仕上がっている周囲のスピードに一瞬で追いつくための極端な行動である。
空腹の限界に達した、からっぽの胃袋に対して、急ピッチで「冷や(常温)」の日本酒を、コップを用いて一気に2合半から3合近く流し込む。この極限の焦燥と急速な飲酒が合致した瞬間、脳の神経系は異常なオーバーロードを起こし、一時的な躁状態としての「イエーイ」という狂騒的なテンションバグが引き起こされる。菅野氏はこの脳内の狂気的現象こそが、あの「エアテニス」のテンションを脳科学的に説明できる唯一の正常な因果関係であると説明する。
腹減ってる時に冷の酒2合立て続けに叩き込んだ後のノリで、しかもそれは15分しか持続しないんです。で、もしこれがシラフやったら医療の対象ですよ。いや、これがほんまに酒一滴も入ってなくてこれができてるんやったら医療の対象です。頑張れ。イエーイ。頑張れ。
しかし、急激に冷酒を胃袋へ叩き込んだことによって得られる狂騒のテンションバグは、脳内でわずか「15分間」しか持続しない。もしも斎藤元彦氏が、お酒の力をミリ単位ですら借りることもなく、完璧に乾ききった「シラフ」の精神状態で、多くの有権者や世間の眼前に立ってあの「エアテニス」を平然と自作自演し、世界に向けて公開したのであれば、それはもはや常人の精神構造ではない。酒のアルコールの作用を借りないその乾燥した狂気は、社会批評の領野ではなく、もはや「精神医学的な医療の対象」などというお行儀のよい言葉すら生温く、正当な「医療の対象」であると菅野氏は完全論破する。
これ『頑張れ』言うとね、何頑張んねん?これ。何を頑張んねん?何を頑張んねん。知事に頑張るって人殺しを頑張るしかないんじゃないかなって。ほんま人殺しですからね。なんか立って歩いてるだけの奴が精一杯みたいな話なんに『頑張れ』いうのは
この恐るべき知事の独り相撲に対し、SNSやお花畑のような安易な情緒主義に絡め取られ、「知事様、頑張れ」などと狂信的なエールを連打する支持者たちの知的空虚さは極めて醜悪である。行政のトップが「頑張る」ということは、自らの過ちを認めず、さらに都合の悪い真実を隠蔽し、告発者に対する非人道的な「人殺し(弾圧)」をさらに精力的に推し進めることを意味する。立って呼吸をしているのが精一杯であるべき人殺しの加害者が、「頑張る」という地獄の因果関係に対して無自覚に喝采を送る大衆の軽薄さが、現代のファシズムの温床となっているのである。

2026年7月7日「ブラックアウトスタンディング」に賭ける美学と、ドレスコード喪服の誓い
ここに黒サングラスと黒マスクはありって書いてありますけど、そんなんせなあかんかったら来るなっていうのが俺の本音です。
2026年7月7日の火曜日、兵庫県庁2号館前にて、極めて美的な統制のもとで行われる抗議運動がある。16時に集合し、16時半から18時半までの2時間にわたって行われる「兵庫県政を正常にする会」共催のブラックアウトスタンディング抗議である。用意されるプラカードは、客観的事実を冷徹に刻んだ「斎藤元彦は人殺し」の1枚のみであり、200枚の予備が周到に準備されている。
この公的な抗議という自らを危険に晒す厳粛な現場において、己の顔が割れることや、世間に対する「お行儀」を言い訳にして、黒サングラスや黒マスクで臆病に顔を覆い隠そうとする中道市民たちを菅野氏は一切拒絶する。そのような覚悟の決まっていない、保身第一の生温い姿勢でしか抗議できないのであれば、そもそもこの気高き現場に足を踏み入れるなという。中途半端な市民運動の甘えを、菅野氏は自らの「美学の本音」から徹底的に排除する。



靴がピカピカでないと許せませんので、東京から持ってきましたから靴磨きの道具。ちょっとでも汚かったらその場で自分で磨けってこれ渡しますからね。靴汚いやつはダメです。靴汚いやつは何さしてもダメ。ほんまにダメ。靴汚いやつは絶対ダメ。





美学の基本とは、他者から見える自らの足元を厳格に律すること、すなわち「自らの靴を手入れする」という自律的な訓練に他ならない。靴を泥だらけのまま放置し、最低限の手入れすら怠って恥じないだらしのない人間は、どれほど大層な政治的主張を叫ぼうとも、あらゆる運動や表現活動において極めて無能である。菅野氏はその徹底した品質管理を貫くため、わざわざ東京から自らの「靴磨き道具一式」を兵庫へと持参し、少しでも汚れた靴を履いてきた参加者に対しては、その場で靴を磨かせる覚悟で臨んでいる。
ハイシャインをダメだと言っているわけじゃないけども、ハイシャインにすべきでない靴をハイシャインにしてる奴と、靴汚い奴は何さしてもダメです。……ハイシャインっていうの、いわゆる鏡面仕上げのやつね。あれにしとる奴とね。あのへんで言うとそうしとる奴ね。何さしてもダメですね。
靴の磨き方一つにも、人間の精神の歪みは無残に露出する。鏡面仕上げと呼ばれる「ハイシャイン」という技術自体を否定するわけではないが、本来ハイシャインを施すべきではないカジュアルな靴に、不気味な光沢を持たせて自己満足しているようなセンスの欠如した人間も、菅野氏は唾棄する。靴という物理的な足元にすら合理的な美学を適用できない人間に、より大きな政治的実践が実行できるはずがないからである。
ハイシャイン(鏡面仕上げ)とは、靴のつま先や踵部分などにワックスを重ねて磨き上げ、鏡のように強い光沢を放つように仕上げる靴磨きの高度な技術です。本文中では、TPOをわきまえずに不気味な自己顕示欲として不要な靴に施すセンスの歪みを、政治批評の美学レベルの低さに等置して痛烈に批判しています。

日本語というのはやっぱどうしても手垢がつくなと思って、その英語で呼びかけた文章、俺が英語で呼びかけた文章の方が分かりええのかなと思った。いろんなことを考えなくて済むし、英語の方がストレートですね。こっちの方がドライですね。
菅野氏がこの抗議運動の告知や呼びかけにおいて、あえて英語によるプレスリリースという手段を採用した背景には、日本の言論空間に対する深い絶望と高度な批評的戦略が存在する。日本語という言語空間には、歴史的に絡みついた「お行儀」や「他者への配慮」を要求する通俗道徳の手垢がべたりと付着している。そのため、ファクトの峻烈さを客観的に伝えるために、あえてG7先進国の標準的プレスリリース基準に依拠し、余計な政治的情緒を徹底的に削ぎ落とした「ストレートでドライな英語」を選択したのである。
失敗したかなと思ってるんですけど。……何百人も来ないですよ。多分、5人です、来ても。で、あのドレスコード間違えちゃったら俺帰すし。
当事者意識が静かに死滅し、お行儀のファシズムが席巻する地方都市における実際の動員数は、決して華々しい大群衆にはなり得ない。「何百人も集まるわけがなく、実際は、5人の冷え切った現地になる」という極めて現実的な予測を立てつつも、菅野氏はその美学的な品質管理において一歩も退かない。ドレスコードである「喪服」という絶対的な前提を少しでも間違えて参加した生温い人間は、どれほど現地が冷え込もうとも、容赦なくその場で「帰す」という冷徹な美学の統制を宣言する。

この「ブラックアウト」という美学のルーツは、かつて全米でジョージ・フロイド事件が起きた際、表現者たちが連帯の意志を示した火曜日の「ブラックアウト・チューズデー」の抗議行動に深く依拠している。周囲の兵庫県民有権者が米津玄師やAdoなどの現代の洗練されたアーティストを聴いているつもりになっていながら、その政治的・言論的な環境の進化レベルにおいてはいまだ「郷ひろみの男の子女の子」が流行っている時代と同等の前近代的な遅れを呈している。菅野氏はこの圧倒的な言論環境の遅滞と停滞を、批評的な比喩をもって暴き出しているのである。
ブラックアウト・チューズデーとは、2020年に米国で発生したジョージ・フロイド殺害事件をきっかけに、人種差別抗議活動への連帯を示すため、音楽業界をはじめとする表現者たちがSNS等に黒一色の画像を投稿して一切のプロモーションを1日停止した抗議行動です。菅野氏は、この「黒一色で沈黙し異議申し立てを行う」美学を兵庫のスタンディングに転写させています。

市民(難波氏・中道氏)告訴という戦後最悪の言論弾圧と、身に火の粉が直撃している兵庫県民の認知不全
難波さんと中道さんをやったのが言論弾圧としてほんまに悪質なファシストムーブやってこと分かってへんねんもん。なんか、あの、あれやろ、通俗道徳に絡み取られて、知事様に対して人殺しなんていう下品な言葉をかけること自体が間違いだっていう。その通俗道徳に引っ張られすぎやねん。
行政機関のトップたる圧倒的な公権力を持つ知事が、自らに対する批判や「人殺し」といった激しいSNS表現活動を行った一般市民である難波氏や中道氏を、刑事告訴という手段で弾圧し、排除しようとした。この事件の本質は、戦後の日本の憲政史上においても類を見ないほどに悪質で深刻な「言論弾圧」であり、絵に描いたような「ファシストムーブ」である。しかし、その地獄のような表現統制が目の前で進行しているにもかかわらず、多くの市民はその恐ろしさを理解しようとすらしない。
彼らは「お行儀」や「言葉遣いの美しさ」を求める通俗道徳(お行儀のファシズム)に盲目的に引っ張られ、「いくら相手が知事であっても、人殺しなどという品のない下品な言葉遣いをする方が悪い」などと論理を醜悪にすり替える。ルールや法による統治を一切解さず、半径5メートルのお気持ちやマナーに逃げ込み、結果として国家ファシズムの言論統制を積極的に擁護し黙認する大衆の姿が、そこには浮かび上がっている。
刑事告訴とは、犯罪の被害者などが捜査機関に対して犯罪事実を申告し、犯人の処罰を求める意思表示です。本文中では、圧倒的な公権力を持つ兵庫県知事が、SNS上で批判的な言論(表現)を行った一般市民である難波氏・中道氏に対して刑事告訴を乱発したことを、主権者の喉元に刃を突きつける事実上の公権力弾圧(言論弾圧)として厳しく弾劾しています。
身にかから、身に火の粉が振りかからないと分からないっていうのはおかしいですよ。身に振りだって、難波さんと中道さんが知事から刑事告訴されてるってことは、あなた兵庫県民に火の粉振りかかってんのよ。自分の身に火の粉がかからない限り分からないではないです。そうじゃないです。自分の身に火の粉が振りかかってることすら分からないんです。
国家の不当な告訴という弾圧に直面している難波氏や中道氏が、自らの物理的な危険を冒してデモや抗議の現場に直接現れることなど、到底不可能である。しかし、その理不尽な市民告訴のファクトを耳にしたならば、たとえ播州で最も高名な焼き鳥屋「鳥万」で呑気に焼き鳥を頬張っている市民であっても、持っている箸をその場に落とし、全速力で走り出してでも行政に対する徹底的な抗議活動に参加すべきである。それが、民主主義社会における主権者たる市民が果たすべき、極めて当然の倫理的義務であるからだ。
刑事告訴の刃は、直接告訴された特定の市民二名だけではなく、すでにすべての兵庫県民の頭上に等しく「直撃している火の粉」に他ならない。行政の主観的な受忍限度一つで、いつでも誰でも罪人として告訴され得る暗黒社会への入り口が開かれている。自分の家が現在物理的に燃え盛っていないからといって、隣家の延焼を「自分には無関係」と思い込む、地方有権者の驚くべき認知不全と倫理的無能さは、菅野氏によって完璧に論破される。
これが兵庫県民の偏差値50ですよ。頭おかしいねんて。偏差値50のレベルが。いや、それよその都道府県やったら偏差値35ですよ。けどこれ兵庫県民の偏差値50ですよ。話聞いとったら、いや、せやなかったら111万人も斎藤元彦に投票するかよ。
このような深刻極まりないファシズムの到来と、言論統制の恐怖を構造的に理解できない兵庫県民の知的な実態を、菅野氏は「偏差値50(他県比であれば偏差値35への底割れ)」と痛烈な語彙をもって批判する。彼らの徹底した知的退廃と認知不全の直接的な帰結こそが、告発文書問題を醜悪に隠蔽し続けた張本人である斎藤元彦知事に対し、再び「111万票」もの再選票を投じたという、あの投票行動の狂気そのものである。自らの手で首を絞める絞首台へと進んで投票する、地方有権者の自滅的なファシズムへの歓呼を、菅野氏は激しい筆致をもって弾劾する。

💡 編集後記:もう一段深い核心へ

なるほど、通俗道徳やお行儀に逃げ込んで言論弾圧を黙認する大衆の認知バグこそが、このファシズムを支えているんやな、と。そこまで理解して『これで兵庫県政の病理は完璧に理解できた』と満足してブラウザを閉じようとしているなら、それはちょっと気が早すぎますわ。
公権力の不気味さに憤るだけでは、この地方自治の地獄の底までは見通せません。本当に恐ろしいのは、この病理がさらにタチの悪い『削減ポピュリズム』という、大衆自身のサディスティックなルサンチマンへ波及して、みずからの首を絞めにかかるところなわけです。
次回お話しするのは、言うなれば『自分の家の基礎工事をハンマーで叩き壊して、これで耐震性が上がったと大喜びする』ような、凄惨な自滅のからくりです。 なぜ、公務員の給料を削減して『お前もしんどい思いをしろ』と他人の流血を求め、消費することが、結果的に地域経済を丸ごとデフレ不況に叩き落として『民間の自分自身』を殺すことになるのか、という単純な経済の理屈。 そして、国家予算というエベレスト 140 個分の超巨大な札束の山を監視する人員を、わずか 3 階建てビル 1 個分という微々たる小銭をケチるために削り取って、一体だれにメリットがあるのか。この決定的な『算術のペテン』と大衆の知的幼児性の正体を、次回で容赦なく白日の下に晒します。
これ以上お行儀の良い物語に騙されず、地方自治が自ら絞首台の縄を結んで喜ぶ真のロジックを直視したい方は、そのまま第 2 回へ合流してみてください



コメント