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【前編】あなたが「斎藤元彦は人殺し」と言えない本当の理由——権力への奴隷道徳と市民運動の欺瞞

平和共感と書かれたプラカードを掲げる人々の鏡を割る人物のシルエットと、地面に砕け散った人殺しの文字。


6/8(月)朝刊チェック:あなたが「斎藤元彦は人殺し」と言えない理由は別にある。


【結論】
大衆が斎藤元彦を「人殺し」と呼ぶのを拒む本質は倫理観ではなく、絶対的権力者への奴隷道徳である。彼らは弱者や野党には躊躇なく石を投げるが、権力者への反抗を恐れる。また、被害者の名を叫びながら加害者の糾弾を避ける市民運動は、死者を自己愛の道具にしているに過ぎない。本気で社会を変えたいならば、綺麗事を捨てて最も有効な武器を手にし、社会のノイズになる覚悟を持つべきだ。
【ポイント3選】

権力勾配による言葉狩りの欺瞞: 内田梨瑚や共産党には躊躇なく「人殺し」と叫ぶ大衆の二重基準
風呂に入りたいが体は濡らしたくない矛盾: ノイズになる覚悟なき市民運動の「街角チャレンジ」的敗北
水がかかったギズモとミルクボーイの詭弁: 知事の急所を突く言葉の威力と、人の死を事務処理する狂気

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あなたが「斎藤元彦は人殺し」と言えない本当の理由

内田梨瑚や共産党には「人殺し」と叫べる大衆の二重基準

私が記者会見で兵庫県知事に「人殺し」と言い放った際、世間は「過激だ」と騒いだ。だが、彼らの忌避感は高尚な倫理観などではない。証拠を出そう。旭川女子高生殺人事件の内田梨瑚。辺野古問題での日本共産党(田村智子ら)。双葉病院の件での菅直人。世間は彼らに対し、何の躊躇もなく「人殺し」と罵ってきたではないか。

直接手を下した客観的証拠がなくても、我が子がいじめの加害者になれば「お前は人殺しや」と激怒するのが親としての当然の倫理だ。権力を持たない者への罵倒は拍手喝采するくせに、偉い人間に盾突くことだけは許容できない。それが連中の正体だ。

「対象が共産党、対象が犯罪者、対象が子供やったら、普通に『人殺し』って言うてんねんで、みんな。せやのに、私が記者会見場で斎藤元彦に言うたら『許せない!』ってガタガタ言うとる。お前らのその心理的ブレーキ、倫理とちゃうぞ。単なる偉い人間に対する忖度やんけ!」 [▶ 0:11:59]

「雨降ったら地面濡れるぐらい」自明な事実と権力への忖度

私自身、これまでTwitterや商業誌『月刊日本』の原稿で堂々と「斎藤元彦は人殺し」と書き続けてきた。文字の時はスルーされるのに、記者会見という権力の場で言い放った途端にパニックになり、名誉毀損だと言葉狩りを始める。客観的状況から見て、これが政治的批判として成立するのは「雨が降ったら地面が濡れる」のと同じくらい自明な事実だ。

彼らは恐れているのは言葉そのものではない。絶対的権力者側に楯突くというノイズへの、動物的な恐怖である。

「共産党の定例記者会見で、産経新聞の記者がキレて『お前ら人殺しじゃないか!』って言うたら、お前ら絶対拍手喝采してるやろ。せやのに私がおかしい言うてる田舎者ども、お前らが怒ってんのは『権力者に立てついた』ことに対してだけや。アホか!」 [▶ 0:22:51]

議席分析における建前の倫理から、権力への楯突きを許容しない大衆心理という本音へのシフトを示す図。

死者を自己愛の道具にする「お行儀の良い」市民運動のグロテスクさ

「渡瀬さんを返せ」と泣き喚きながら加害者を直視しない知的怠慢

権力にすり寄る大衆と同等にグロテスクなのが、死者を自己愛の道具にする市民運動だ。「兵庫県政を正常化する会」の準備集会で、私は「県民局長の死を悼む会」という名称案を絶対に拒否した。

ネットで「渡瀬康英さんを返せ」「竹内さんを返せ」と連呼しながら、加害者である斎藤には「人殺し」と糾弾できない。これは死者の無念を晴らす行為ではなく、「悲しんでいる綺麗な私を見て」という自己愛の発露でしかない。2026年にもなって「ワードのイルカ」レベルのポップ体プラカードを掲げているセンスの貧困さには絶望すら覚える。

風呂に入りたいが体は濡らしたくない——「街角チャレンジ」前政的敗北の構造

運動とは社会のノイズになるためにやるものだ。それなのに「うるさいと思われたくない」「嫌われたくない」と風評を気にする。

東京や京都の路上に立つ「運動神経のええ人たち」は躊躇なく急所を突く武器を使うが、兵庫の路上は「お犬の募金してんかな思って」「飼い主のおらへん犬を助けてください言うてはんのかな」と見紛うレベルの生ぬるさだ。
「共感」を求めた結果が2024年知事選の敗北である。斎藤が強かったのではない。ノイズになる覚悟を持てなかった稲村和美陣営の「街角チャレンジ」的敗北だ。

「ノイズになりたくないんやったら、家おったらええねん!お前らが運動すんのは社会にノイズ作るためやろが。行儀の良さとか言うてる段階で『風呂入りたいけど体濡らしたない』言うてんのと同じや。そんなもん、どう考えたって無理やろがい!」 [▶ 0:58:04]

絶対権力者の急所と、それを突けないどんくささ

「人間のクズ」はスルーし「人殺し」でピキる斎藤元彦の異常性

ジャーナリストが会見で「殺人鬼」「人間のクズ」と罵倒しても、斎藤元彦は顔色一つ変えなかった。しかし「人殺し」と言われた瞬間だけ、目に見えて動揺したのだ。

最も有効な物理的打撃を与える武器が目の前にあるのに、「言葉が汚い」と使わない運動側の人間たちは無能を通り越して滑稽である。

「あいつ、『殺人鬼』言われてもピクッともせえへんかったんやで。せやけど『人殺し』言われた瞬間、水かかったギズモみたいに目がパキパキになってピキーッ!なりよってん。一番効く武器が目の前にあるのに何で使わへんの?球投げられへん人間がイチローに文句つけてるようなもんや!どんくさ!」 [▶ 0:41:33]

期限前の死を事務処理する狂気と、第三者委員会への「ミルクボーイ的」ダブスタ

百条委員会の文書提出から懲戒処分、不服申し立ての期限。斎藤は県民局長の自死に対し「8月7日の期限の手前で死んだから、結果として不服申し立てが出なかった」と言い放った。人の命をエクセルのフラグ管理と同列に扱う、純度100%の外道だ。

そのくせ、第三者委員会の不都合な結論に対しては「出た答えとして受け止めない」と強弁する。政策に興味がなく、知事の座にしか執着しない人間の異常性がここにある。

(:孤高の怒りと家系ラーメン)
そもそもな、俺は夕べ2万字の原稿書き上げた後、Uber Eatsで家系ラーメン頼んで食うたんよ。雨降っとったから。そしたら今朝起きたら見事に胸焼けや。おじいちゃんやで、ほんま。……って、この話いる? いらんやろ。「人殺しという言葉は使うべきではない」とかお行儀の良いこと抜かす連中の美学なんか、俺の胸焼けの話と同じくらい、社会運動においては全く「いらん情報」やねん。お前らの個人的な美学を他人に強要すな。

権力勾配でしか物事を見れない「田舎の精神性」

「杖婆」大沢信子に見る、純然たる活動家(一本独鈷)の姿

東京・上野の街宣に現れた大沢信子(杖婆)を見ればいい。自腹で月20万円を切り、全国を飛ぶ彼こそ「語の全き意味での純然たる活動家」だ。

だが田舎の人間は彼を活動家と呼ばない。権力勾配の下から上へ向かう人間しか活動家と認識できない、その貧困な想像力こそが兵庫県政の病理だ。

「誰も杖婆こと『活動家』言わへんよな。でもな、あの人100%『語の全き意味での活動家』やで。お前ら田舎の人間は、権力勾配のベクトルでしか物事見れへんから、本質が全くわかってへんねん!」 [▶ 1:21:59]

鈴木のけんちゃんところのファミコン——自他の境界線が引けない前近代性

権力者に「人殺し」と言えず、他人の言葉をトーンポリッシングする。これは「他者との境界線」が引けていない前近代的な精神性だ。

「鈴木のけんちゃんところがファミコン買ったからうちも」と泣き喚く子供と同じ。「よそはよそ、うちはうち」の区別もつかない。表向きは愛想よくして「茶漬け」を3杯食い、翌日「無理やり食べさせられた」と被害者ぶる卑屈な連中に、社会を変えることなどできない。

「そんなに他人の過激な言葉が嫌なんやったら、黙って家おったらええねん!お前ら『王様は裸だ』言うべき時に言えへんお利口さんやろ。もう放っとけ!アホは逆張りしかせんのやから、勝手に自滅するん待っといたらええねん!」 [▶ 1:39:35]

たもっちゃん
たもっちゃん

「ここまで読んで、『なるほど、世間が権力者に牙を剥かないのは高尚な倫理観なんかじゃなく、ただの奴隷道徳なんやな』『お行儀のいい市民運動は自己愛の塊なんやな』と納得してページを閉じるなら、そら別に構いません。それはそれで、この社会の一つの大事な真実ですからね。

ただね、権力の顔色を窺って『自分の頭で物事の本質を突く』ことを放棄した社会が行き着く先って、政治や社会運動の狭い世界だけにはとどまらへんのです。結果として何が起きるかというと、社会全体の『物事を見る解像度』が、笑ってしまうぐらい絶望的に下がっていくんですよ。

例えば、フィリピン沖でM8.2という規格外の巨大地震が起きて津波が迫っている時に、『高さ1メートルならお風呂の水が溢れるくらいか』と勘違いして逃げない大衆の正常性バイアス。 中国が豆満江を下って日本海から北極海へ抜ける巨大な物流ルートを開拓するという、日本海側に莫大な富が降ってくる『金の匂いしかしない』歴史的チャンスやのに、それを理解できずにただ『中国海軍の脅威だ』とポルノ的に騒ぎ立てる産経新聞の底の浅さ。 極めつけは、海の外来種のニュースやのに、なぜか『海なし県』の奈良大学の教授にコメントを聞きに行く日経新聞の絶望的なセンスの無さですわ。

第一回でお話しした『権力への同調圧力』が、いかにしてメディアや大衆の『知性の劣化』と『的外れなノイズ』に直結していくのか。続く第2回では、その恐ろしくピントの外れた社会の惨状をみっちり解剖してます。

今の日本の病理を『権力と市民のいびつな関係』だけで終わらせず、もう一段深く知りたいという奇特な方は、ぜひそのまま第2回も覗いてみてもらうと、さらに『絶望の解像度』が上がって、狂った世界を生き抜くためのええ視座が持てるんちゃうかなって気はしますね。」

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