斎藤元彦知事の正体 — SNS「いいね」騒動から読み解く政治的欺瞞と未熟さ | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
PR

斎藤元彦知事の正体 — SNS「いいね」騒動から読み解く政治的欺瞞と未熟さ

2025/12/22(月)朝刊チェック:どうやらまた維新が嘘をついているようです

私が菅野完でございます。朝刊チェックの時間がやってまいりました。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど

今朝、私は8年来のモーニングルーティンを根底から覆す大失敗を演じました。毎朝、湯を沸かし、豆を挽き、プレスでコーヒーを淹れる。この寸分の狂いもなきはずのオペレーションの中で、私はコーヒーミルに豆ではなく、沸かしたての熱湯を注ぎ込んでしまったのです。寝ぼけていた、と言えばそれまでですが、この8年間、私は自身の作ったこのシステムを眺めながら、「いつか必ず事故る」と予期していました。そして今日、その予期していた事故はついに現実のものとなった。

「予期していた事故はいつか起こる」、そして「その時、人はどう責任を取るのか」。この問いは、単なる個人の失敗談に留まりません。これは、我々が日々直面する政治の世界、とりわけ兵庫県の斎藤元彦知事や彼が属する維新という政治勢力の振る舞いを分析する上で、極めて重要な視点を提供してくれます。私のコーヒーミルは乾燥させれば復活するかもしれませんが、政治家が引き起こす事故は、社会そのものを修復不可能なまでに蝕んでいくのです。

日常の失敗は個人の引退で済むかもしれないが、政治家の失敗は社会全体を蝕む。まずは、その典型例である兵庫県の斎藤元彦知事の事例から見ていこう。兵庫県の斎藤元彦知事がSNSで引き起こした、ある「いいね」騒動を基点に、奴の正体を暴いていこうと思います。これは単なる芸能ゴシップのような下らない話では断じてない。政治家という公人が、その公的な立場と私的な欲望をいかに混同し、有権者への説明責任をなめ腐っているか。その本質を象徴する、極めて重要なケーススタディだからです。この一件から、斎藤元彦という政治家の資質、そして彼を支える「維新的なるもの」の腐った正体を、深く、そして徹底的にえぐり出してまいりましょう。

——————————————————————————–

1. 発端:ある知事の「いいね」が暴いた致命的な矛盾

斎藤知事のSNS騒動が、なぜこれほどまでに政治的な意味を持つのか。それは、この一件が単なる一個人の趣味や過ちの話ではなく、公人としての説明責任と振る舞いという、民主主義の根幹に関わるテーマを白日の下に晒したからです。奴の行動は、我々有権者が政治家という存在をどう見るべきか、そのリトマス試験紙となったのです。

「公務多忙」という嘘の構造

この問題の核心は、斎藤知事が過去の発言と見せた致命的な矛盾にあります。奴は以前、国会での重要な審議について記者から問われた際、こう釈明しました。

「様々な公務があり、全てを把握しているわけではない」

つまり、「忙しくて国会中継など見ている暇はない」と、そう言うわけです。「知事たるもの、公務で多忙を極めるのは当然だ」と?結構。結構だ。だがその結果がこれだ。その舌の根も乾かぬうちに何が発覚したか。国会審議を見る暇はないけれど、アイドルのケツを見ている暇はあるらしい、ということです。

この痛烈な対比が、全てを物語っています。政治家が口にする「公務」という言葉が、いかに都合のいい言い訳として、説明責任から逃れるための盾として使われているか。この欺瞞に満ちた構造が、たった一つの「いいね」によって、見事に暴かれてしまったのです。

公私の境界線を曖昧にする手口

さらに問題なのは、奴のアカウント運用における、あからさまな公私混同です。斎藤知事のSNSアカウントは、プロフィールに「兵庫県知事」と公的な看板を掲げ、県庁職員が公務で撮影した写真を平然と転載している。これは紛れもなく「公式アカウント」としての体裁です。

しかし、その公的なプラットフォームの上で、奴は極めて私的な、言ってしまえば性的な欲望を反映した投稿に「いいね」を押していた。

断っておきますが、一個人がどんな趣味を持とうが、それは完全に自由です。仮に斎藤元彦という「私人」が、自宅で一人でスカトロビデオに「いいね」を押してようが、こっちの知ったこっちゃねえんだよ。問題は、「兵庫県知事」という公的な看板を都合よく利用しながら、その責任は負わず、私的な欲望を垂れ流している点にあります。公人としての権威やリソースは享受するが、それに伴う規律や責任からは逃れたい。このクソみてえなダブルスタンダードこそが、問題の核心なのです。

人間性の問題へ

この公私混同は、単なる危機管理能力の欠如という話に留まりません。それは、奴の人間性そのものに深く根差した問題であることを示唆しています。次の章では、この一件から透けて見える、奴の支持者に対する冷酷な視線と、その精神的な未熟さについて、さらに深く切り込んでいきましょう。

——————————————————————————–

2. 人間性の分析:支持者への裏切りと精神的な未熟さ

斎藤知事のSNSでの振る舞いは、政治家としての資質を問うだけでなく、一人の人間としての奴の内面をも浮かび上がらせました。特に、彼を熱心に支持する層に対する冷徹な視線と、その年齢に全く見合わない精神的な未熟さは、唾棄すべきものがあります。

斎藤マダムへの「残念なお知らせ」

まず、斎藤知事を熱心に支持する、平均年齢50歳を超えるという中高年の女性支持層、通称「斎藤マダム」の皆さんには、大変残念なお知らせがあります。

元彦は、若い女が好きです。そして、年上の女は嫌いだそうです。

あなた方がどれだけ熱狂的に彼を支持し、声援を送ろうとも、奴の視線は常に、K-POPアイドルのような若い女に向けられている。あなた方の想いは、悲しいかな、完全なる一方通行なのです。この残酷な現実は、奴の支持者に対する「裏切り」の構造そのものと言えるでしょう。

「握手直後のアルコール消毒」という象徴的行為

この「年上の女嫌い」は、単なる憶測ではありません。奴の具体的な行動が、それを裏付けています。ある目撃談によれば、斎藤知事は支持者のマダムと握手をした直後、その女性の目の前で、見せつけるかのようにすぐにアルコール消毒をしていたというのです。

これは、単なる感染対策という言い訳では済みません。表向きは有権者に笑顔を振りまきながら、その接触をまるで汚物でも扱うかのように、即座に浄化しようとする行為です。ここには、支持者に対する根本的な不誠実さと、隠しきれない生理的な嫌悪感がはっきりと表れています。

泉房穂氏との対比に見る「器の小ささ」

奴のこの未熟さを際立たせるために、ある人物を引き合いに出しましょう。

かつてギネス記録保持者であった泉重千代氏のかっこよさだ。100歳を超えてなお、テレビのインタビューで好みの女性のタイプを問われた際に「年上の女」と答えてみせたという。これこそが、相手への敬意とユーモアを兼ね備えた、成熟した大人の男が見せるべき粋なのだ。対して斎藤知事の振る舞いは、40代、50代の男が演じるにはあまりに「生臭く」「キモい」。その姿は、分別ある政治家とは程遠い、未成熟な個人の肖像でしかありません。

しかし、斎藤のような人間がなぜここまで増長できるのか。その答えは、彼を批判する側の、致命的なまでの歴史認識の欠如と愚かさにある。ここで、我々が絶対に繰り返してはならない過ちについて、語らねばならない。

——————————————————————————–

——————————————————————————–

3. 結論:維新政治に共通する「嘘」の構造

ここまで、斎藤元彦知事個人の資質や行動を分析してきましたが、最後に、この問題から見えてくる、維新系政治家全体に共通する行動様式、その体質について結論を述べたいと思います。

共通する欺瞞のパターン

斎藤知事が「公務多忙」を言い訳に、国会審議への見解表明から逃げた姿勢。これは、所属議員の国民健康保険料の未納問題という、より深刻な疑惑に対し、大阪府の吉村知事が「調査が必要だ」などと言って時間を稼ぎ、説明をはぐらかす姿勢と、その根底において全く同じ構造を持っています。

奴らに共通するのは、問題が発覚した際に、決して誠実な説明をしようとしないという点です。分かりきった嘘や、見え透いたごまかしでその場を乗り切り、有権者が忘れるのを待つ。これが、奴らの常套手段なのです。

総括と最終的なメッセージ

斎藤知事のSNS騒動は、単に奴個人の脇の甘さや資質の欠如を示しただけではありません。それは、有権者を軽んじ、説明責任を放棄し、その場しのぎの嘘で塗り固められた「維新的なるもの」の政治手法そのものを、あまりにも分かりやすく象徴する出来事でした。

国会を見る暇はないが、アイドルの尻を見る暇はある。支持者と握手はするが、直後に消毒する。公的な看板は利用するが、責任は取らない。

政治家の「生臭い」本質を見抜け。上辺の言葉に騙されるな。我々が試されているのは、この程度の欺瞞を見破る知性があるかどうか、ただそれだけだ。

「この記事が少しでも役に立った、面白かったと感じていただけたら、ぜひ下のバナーをポチッとクリックして応援をお願いします! いただいた1クリックが、私のブログを続ける大きな励みになります😊                                       人気ブログランキング
人気ブログランキング ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました