なぜ斎藤元彦知事は大災害時に危険なのか? — 鳥インフルエンザ対応の徹底分析 | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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なぜ斎藤元彦知事は大災害時に危険なのか? — 鳥インフルエンザ対応の徹底分析

2025/12/17(水)朝刊チェック:戦争で国は滅びない。バカが調子に乗り、バカが権力を握りバカなことを言い散らかすからこそ国は滅びる。

序論:我が国の本当の危機 — 権力を持つ「アホ」という国難

昨今、我が国の危機というと、多くの人が中国の軍拡や台湾海峡の不安定さといった「外的な脅威」を思い浮かべるでしょう。菅野氏が皆さんと共有したいのは、それらとは全く異なる、しかしより深刻で本質的な国難についてです。それは、能力の低い人間、端的に言って「アホ」が権力を握り、しかもその無能さを自覚しないままに発言し、行動すること、これこそが我が国を内側から蝕む本当の危機であるという認識です。

この深刻な病の具体的な症例として、本日は兵庫県の斎藤元彦知事による鳥インフルエンザ対応を徹底的に解剖します。一見すれば、地方で起きた家畜伝染病への対応という限定的な事案に思えるかもしれません。しかし、その対応の細部を検証していくと、これは単なる一知事の失策などという生易しいものではなく、大地震やパンデミックといった国家的な大災害が発生した際に、国民の生命と財産をいとも簡単に危険に晒しかねない、致命的なリーダーシップの欠如を白日の下に晒すものなのです。

菅野氏は、斎藤知事の一連の対応を多角的に分析し、危機管理においてリーダーが果たすべき本来の役割とは何か、そしてなぜ**「アホは黙っとけ」**という、一見乱暴に聞こえるこの原則が、我々の社会を守る上で極めて重要なのかを解き明かします。

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1. リトマス試験紙としての鳥インフルエンザ対応

危機管理において最も重要なのは、言うまでもなく初動対応です。予期せぬ事態が発生したその瞬間に、リーダーがどのような判断を下し、いかなるメッセージを発するかが、その後の事態の収束を大きく左右します。その意味で、姫路市で発生した今回の鳥インフルエンザ事案は、斎藤元彦というリーダーの資質、特に非常時における判断力、そして何よりもコミュニケーション能力を測るための、極めて分かりやすい「リトマス試験紙」となりました。

まず驚くべきは、この事案に対する斎藤知事の支持者たちの反応です。SNS上には「知事、迅速なご対応ありがとうございます」といった感謝の言葉が溢れました。しかし、これは冷静に考えれば気持ち悪い。鳥インフルエンザ発生時の防疫措置は、家畜伝染病予防法によって知事に課せられた法的義務に他なりません。法律で「やれ」と命令されていることを、やって当たり前のことを遂行しただけで、なぜこれほどの感謝と賞賛が寄せられるのか。これは、もはや健全な県政に対する評価ではなく、異様な個人崇拝です。菅野氏が**「北朝鮮みたい」**と評したのは、まさにこの空気感を指してのことです。

本来であれば、法に基づいて行政手続きとして淡々と、しかし迅速に進められるべき防疫措置。それが、リーダーの言動一つで、いかにその資質の欠如をあぶり出し、社会に無用な混乱をもたらす舞台へと変貌してしまったのか。次に、その具体的な行動を分析します。

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2. 愚劣な対応の三重奏:斎藤知事の決定的失敗

斎藤知事の対応における問題は、単一のミスではありませんでした。それは、リーダーシップの根本的な欠如を示す、複数の愚劣な行動が織りなす「三重奏」だったのです。ここでは、その中でも特に象徴的と言える3つの決定的失敗を検証し、それぞれが持つ深刻な意味を深く掘り下げていきます。

2.1 異常性の象徴:引かれた椅子と歪んだ主従関係

最初の失敗は、言葉ではなく、一つの光景に集約されています。それは、対策本部会議の場で撮影された映像の一コマでした。

非常時の対応を示すための作業着を着用した斎藤知事が席に着こうとすると、県の職員がおもむろに立ち上がり、知事のために椅子を引いたのです。

この行動の異常性を、皆さんはご理解いただけるでしょうか。非常時において、リーダーと職員は一つのチームとして機能しなければなりません。優先されるべきは、権威の誇示ではなく、機能性と連帯感です。しかし、この光景が示したのは、平時と何ら変わらない、むしろ平時以上に形式化された権威主義的な主従関係でした。

「非常時の作業着の時に椅子引いてもらう知事なんか俺は初めて見た」

この菅野氏の驚きは、この光景がいかに危機管理の現場として異質であるかを物語っています。しかし問題は知事だけではない。それを公然と、平気でやっている県の職員がおかしいのです。この歪んだ力関係と、それを無批判に受け入れる組織文化が常態化している組織が、果たして本当の危機に際して、迅速かつ的確な対応を取れるでしょうか。答えは、言うまでもなく「否」です。

2.2 最悪の失言:「食べても安全」が引き起こす風評被害

斎藤知事の失敗の中で、最も罪深いのが彼の発言そのものです。彼は対策本部会議の冒頭、次のように述べました。

「鶏肉や鶏卵は、食べたことにより鳥インフルエンザに感染することはない。県民にはそれを伝えたい」

一見すると、県民を安心させようという善意からの発言に聞こえるかもしれません。しかし、この発言こそが、彼のリーダーとしての資質の欠如を決定づける**「とんでもなく頭が悪い」**一言だったのです。

まず断っておくと、この発言の科学的な前提は正しい。鳥から人への感染リスクがあるのは、屠殺・解体の際の濃厚接触であり、洗浄されパッケージされた鶏肉を食べることでの感染例はありません。しかし、問題はそこではない。この発言の問題点は大きく二つあります。

  • 論点のすり替えと風評被害の助長 本来、行政が県民に対して保証すべきはただ一点、**「殺処分と防疫措置を徹底するから、感染した鶏肉や鶏卵が市場に流通することは絶対にない」**ということです。市場に出回らないのだから、当然安全なのです。しかし、知事の「食べても安全」という発言は、あたかも「感染した鶏肉が市場に出回る可能性」を前提としているかのような印象を与えてしまいます。これは、結果的に鶏肉・鶏卵業界全体に対する深刻な風評被害、つまり二次被害を引き起こす、最悪のメッセージングです。
  • 殺処分の論理的矛盾 さらに深刻なのは、この発言が行政措置そのものの論理的根拠を揺るがしかねない点です。「人獣共通感染症ではない」から食べても大丈夫だ、と言い切ってしまうのであれば、「では、なぜ莫大なコストと労力をかけて、何万羽もの鶏を殺処分するのか?」という根本的な問いに答えられなくなります。自らの行政行為の正当性を、自らの言葉で破壊しているに等しいのです。

2.3 自己顕示欲の現れ:「我が被写体」という意識

最後の失敗は、彼の自己認識、その感性の問題です。対策会議の開催を報告する自身のSNS投稿に、彼が選んだ写真。それは、会議全体の様子や対応にあたる職員たちの姿ではなく、知事である自分自身が中心に写ったものでした。

危機対応の公的な報告という場で、なぜ被写体が「我が」でなければならないのか。これは、彼が自らを公僕ではなく、物語の主人公、注目されるべき「被写体」として認識していることの何よりの証拠です。この自己顕示欲と公人としての意識の欠如。こういう感性を持つ人間は、本来、政治に近づくべきではない。日本とブラジルくらい距離を開けて欲しい。それくらい、政治から遠ざかっていてほしいのです。

これら一連の失敗は、単なる経験不足から来るものではありません。リーダーとして、公人として、根本的な資質が欠落していることに起因するのです。では、本来どう対応すべきだったのでしょうか。

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3. あるべき危機対応:簡潔さと安心の提供

斎藤知事の失敗と対比することで、理想的な危機管理コミュニケーションのあり方がより明確になります。非常時のリーダーに求められるのは、余計な解説や自己弁護、ましてや自己顕示欲の発露ではありません。簡潔明瞭な事実と、これから取るべき行動指針を明確に示すことで、人々に絶対的な安心を与えること、これに尽きます。

もし菅野氏が知事の立場であれば、次のように述べたでしょう。これが、この事態における唯一の「模範解答」です。

宣言: 「兵庫県庁は全庁を挙げて、鳥インフルエンザの蔓延防止に万全を期します」

具体的措置: 「殺処分を徹底いたします」

結論と安心の提供: 「したがって、感染した鶏卵・鶏肉が市中に出回ることはありませんので、店頭に並んでいるもの、今後並ぶものについては安全です」

このメッセージには、余計な情報が一切ありません。「食べても感染しない」といった不要な科学的解説をせず、「流通させない」という行政の行動と責任を明確に約束することで、風評被害の芽を摘み、県民に本質的な安心を提供できるのです。

先日、地震が発生した際の青森県知事の対応は、この好例でした。彼の危機対応は、リーダーとして完璧です。ただし、誤解しないでほしい。あの知事の顔を見てください。あの人もちょっとハラスメントの匂いがするし、人格に低くて不作法な顔をしとる。人間的にどうこう言うつもりはない。しかし、有事のリーダーとしては有能でした。彼の言葉は極めて短く、それでいて「何かあれば俺に言え」という責任の所在が明確だった。それが住民の信頼を醸成します。斎藤知事の多弁さ、そしてその余計な一言がいかにこれと正反対の結果をもたらすか、もはや議論の余地はないでしょう。リーダーの言葉一つが、社会の混乱を招きもすれば、収束させることもできる。その重みを理解できない人間に、リーダーの資格はありません。

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結論:リーダー不在という国難と「アホは黙っとけ」の教訓

菅野氏の分析してきた斎藤元彦知事の事例は、決して兵庫県だけの問題ではありません。これは、能力の低い人間が強大な権力を握ることの危険性を、社会全体に突きつける警鐘です。斎藤知事は、高市早苗や国光あやのといった人物たちと共に、この国の深刻な病の症状の一つに過ぎないのです。

菅野氏が繰り返し主張する**「アホは黙っとけ」**という言葉は、単なる罵倒や悪口ではありません。これは、自らの能力の限界を自覚できないリーダーが、たとえ善意から発した言葉によってさえ、いかに容易に事態を悪化させ、人々を危険に晒すかという、極めて厳しい現実を指摘した教訓なのです。頭が悪いと自覚があるなら、せめて黙っていればいい。最悪なのは、自分が賢いと勘違いしているアホが、余計なことを喋り始めることです。

結論として、日本の真の国難とは、中国や北朝鮮といった外部の脅威ではありません。斎藤知事に代表されるような、リーダーとしての資質を根本的に欠いた人物をトップに戴いているこの現状そのものが、我々の国難なのです。今回の鳥インフルエンザ対応で露呈したのは、その氷山の一角に過ぎません。

このようなリーダーの下では、いずれ本当に**「人が死ぬ」**事態が起こり得ます。その時になって後悔しても、もう遅いのです。我々はこの現実を直視し、リーダーを選ぶとはどういうことなのか、その責任の重さを改めて問い直さなければなりません。

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