本当の国難とは何か ― 高市総理「台湾答弁」の崩壊が示す日本の危機 | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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本当の国難とは何か ― 高市総理「台湾答弁」の崩壊が示す日本の危機

2025/12/17(水)朝刊チェック:戦争で国は滅びない。バカが調子に乗り、バカが権力を握りバカなことを言い散らかすからこそ国は滅びる。

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1. 序論:戦争ではなく「愚か者」が国を滅ぼす

「戦争で国は滅びるのではない。バカが権力を握り、バカなことを言い散らかすから国は滅びる」。菅野完氏が放ったこの言葉は、現代日本の政治が直面する危機の本質を、身も凍るような正確さで暴き出している。我々が対峙すべき本当の「国難」とは、外部からの脅威ではない。日本の政治指導者たちの資質、その絶望的なまでの劣化こそが、国家存立の基盤を内側から蝕んでいるのだ。

菅野氏は、この病巣を象徴する三つの事例を挙げた。デマの発信源となった国光あやの副大臣、災害対策の場で資質を問われた斎藤元彦兵庫県知事、そして、本稿で徹底的に解剖する高市早苗総理大臣である。彼らに共通するのは、「リーダーの器ではない人間がリーダーになってしまっている」という、国家統治のシステムそのものの崩壊だ。

中でも高市総理の「台湾答弁」問題は、単なる一政治家の失敗ではない。それは、日本の安全保障と外交の根幹を揺るがす、指導者としてのプロフェッショナリズムが完全に崩壊したことを示す、最も致命的な証左である。この一件は、単なる言葉の過ち、いわゆる「失言」のレベルを遥かに超えている。

高市総リの答弁は、なぜ単なる失言ではなく、国家統治能力の欠如を示す決定的な証拠となるのか。その構造を解き明かし、我々が直面する本当の「国難」の正体を白日の下に晒したい。

2. 高市総理、台湾答弁での「投了」― 何が問題だったのか

菅野氏が「投了」「完全な敗北」とまで断じた、高市総理の国会答弁。一体、何がそこまで致命的だったのか。この章では、その答弁が内包していた四つの深刻な問題点を解き明かし、なぜそれが国家指導者としての資質を根本から問われる事態であったのかを明らかにする。

論点回避 立憲民主党・広田一議員による「台湾は我が国と密接な関係にある他国なんでしょうか」という質問は、日本の安全保障政策の根幹に触れる極めて重要な問いだった。しかし、高市総理はこれに明確に答えず、「個別具体的な状況に即して判断される」といった一般論に終始した。核心的な問いから逃げ、論点をすり替える姿勢は、国家の重要課題に対する当事者能力の欠如を露呈した。

方針逸脱 この種の質問に対する答弁には、歴代内閣が一貫して維持してきた「型」が存在する。しかし高市総理は、過去の答弁でこの「型」を自ら破っていた。「台湾有事が…存立危機事態に相当するケースだ」と踏み込んだ発言をしたことで、今回の国会で自らを窮地に追い込む罠を仕掛けてしまったのだ。過去の発言との整合性を問われ、もはや確立された「型」に逃げ込むこともできず、完全な敗北を喫した。長年積み重ねられてきた外交的知恵を軽んじ、個人的見解とも取れる発言で国家の連続性を損なう行為は、指導者としてあまりに危険である。

手続きの無視と軽率さ 菅野氏が最も厳しく批判したのは、その「軽率さ」だ。本質的な危険は、高市氏の対中強硬姿勢そのものではない。国家の基本戦略を、然るべき閣議決定や官僚組織との綿密な調整といった正規のプロセスを一切踏むことなく、国会答弁という個人のパフォーマンスの場で、思いつきで変更しようとしたことにある。その危険は、政策変更の内容ではなく、国家戦略を個人の意見のように扱う破滅的なプロセス、あるいはその欠如にあった。これは統治能力の根本的な欠陥である。

最高司令官としての能力欠損 上記の三点は、最終的に一つの結論へと収斂する。それは、高市総理が自衛隊の最高司令官たる内閣総理大臣の器ではない、という厳しい現実だ。思いつきで行動し、国家の基本方針を理解せず、守るべき手続きを遵守できない人物が、果たして国家の危機に際して冷静かつ的確な判断を下せるだろうか。菅野氏の言葉を借りれば、「思いつきでペラペラ喋る」リーダーに、国家の命運を託すことは断じてできない。

この杜撰な答弁とはあまりに対照的に、実はこの難問には、歴代内閣が堅持してきた見事な「模範解答」が存在していた。次の章では、その具体的内容を検証する。

3. 外交の「型」を知るということ ― 岸田外務大臣(当時)の模範解答

高市総理の答弁がいかに異質で、国家の基本方針から逸脱したものであったかを浮き彫りにするためには、過去に示された「あるべき姿」と比較するのが最も効果的だ。ここで、菅野氏が「お手本」として提示した、約10年前の岸田文雄外務大臣(当時)の国会答弁を分析する。この答弁は、日本の外交が培ってきた知恵と技術の結晶であった。

限定的な言及と解釈の余地 岸田氏はまず「米国はこの密接な関係にある他国に入る可能性は高い」と日米同盟という主軸を明確にした上で、それ以外の国については「個別具体的に判断していくことになる」と回答。さらに、「国家」の定義について「未承認あるいは分裂国、こういった国も入る」と補足することで、将来の外交的柔軟性を確保し、無用な言質を与えることを巧みに避けた。

決定的な回避策 そして、台湾について直接的に問われた場面で、この答弁は真骨頂を見せる。岸田氏は、この問いを封殺するための、極めて高度な論理的防衛策を展開した。

「我が国は、このサンフランシスコ平和条約第二条によって台湾に対する全ての権利、権限及び請求権を放棄していますので、台湾の法的地位に関して独自の認定を行う立場にない」

この答弁は、台湾との関係を損なわず、中国を過度に刺激せず、そして国内の安全保障論議にも明確な一線を引く、完璧な回答だった。だが、この論理の真価はさらにその先にある。菅野氏が指摘するように、この理屈は最終的に、アメリカに対してさえ使える究極の外交カードなのだ。「助けてくれと言われても、申し訳ない。あなた方が我々に結ばせた、あのサンフランシスコ平和条約がある限り、我々には動けないのです」と。これこそ、戦後日本が築き上げてきた、国家の主権を守るための知恵であった。

「型」の遵守 この一連の答弁は、岸田氏個人の才覚というよりも、長年にわたって自民党政権が築き上げてきた外交的知恵の結晶である「型」に忠実であったことの証左だ。一見、毎回同じ問答が繰り返される国会のやり取りは「茶番」に映るかもしれない。しかし、この「茶番」こそが、政権が代わっても国家の基本方針は揺るがないという連続性を内外に示す、極めて重要な儀式なのである。

4. なぜ「茶番」が重要なのか ― 歌舞伎『忠臣蔵』の比喩

国会において、大臣が代わるたびに同じ政策確認が繰り返される光景。これを単なる「茶番」と切り捨てるのは簡単だ。しかし、その反復作業が持つ本質的な重要性を、菅野氏は歌舞伎における『忠臣蔵』という、極めて巧みな比喩を用いて解説した。

歌舞伎の世界には「独参湯(どくじんとう)」という言葉がある。興行が振るわない時でも、その演目をかければ必ず客が入る「ドル箱演目」を指し、『忠臣蔵』はその代表格だ。そのため、歌舞伎役者であれば、キャリアの中で必ず一度は『忠臣蔵』の舞台に立つ。だからこそ、この演目については先輩から手取り足取り「教えてもらう」ものではない。「そんなものは、普段から他の役者の舞台を見て勉強しているのが当たり前だろう」というのが、この世界の暗黙の了解なのだ。

この比喩を政治の世界に当てはめると、**「台湾に関する答弁」こそが、総理大臣であれば誰もが演じることを宿命づけられた『忠臣蔵』**に他ならない。歴代の総理大臣や関係閣僚は、就任すれば必ずこの質問をされることを前提に、過去の国会答弁という「型(台本)」を徹底的に勉強し、自らの役割を理解してきた。

この観点から見れば、高市総理の失敗の本質は明白だ。彼女は、この最も基本的で重要な演目である『忠臣蔵』の台本を全く勉強せずに舞台に上がったのだ。そして、浅野内匠頭が刃傷に及んだ後の評定の場で、重臣たちが固唾を飲んで成り行きを見守る中、突如として「皆で話し合った結果、宇宙戦艦ヤマトでコスモクリーナーをもらいにイスカンダルへ行こうと決まった」と語り始めたようなものである。その光景は滑稽であると同時に、恐ろしい。これは単なる準備不足ではない。総理大臣という役柄の重さ、そして国家が紡いできた歴史と戦略に対する、根本的な理解の欠如と敬意の無さを露呈するものだった。

この一件が明らかにしたのは、国家の基本戦略を軽んじるという指導者として致命的な欠陥である。この軽率さと能力の欠如こそが、我が国の直面する危機の根源なのだ。

5. 結論:我が国の本当の国難は「指導者の質の低下」である

これまで分析してきた高市総理の「台湾答弁」問題は、単なる一政治家の資質の問題にとどまらず、現在の日本が直面する本質的な危機を象徴している。菅野氏が導き出した結論は、極めて明確かつ冷徹だ。

我が国の国家的な危機、すなわち「国難」は、中国の軍拡、北朝鮮のミサイル、台湾海峡の不安定さといった外的要因によってもたらされるのではない。それらが脅威であることは間違いないが、より深刻で、より直接的な危機は、我々の内部に巣食っている。

菅野氏の言葉を借りて、本稿の結論とする。

本当の国難とは、「国家の基本戦略の変更を、合意形成を経ることなく、思いつきでペラペラと喋るようなアホが内閣総理大臣をやっていること」そのものである。

この指導者の資質、すなわち「能力の欠損」と「軽率さ」こそが、外部のいかなる脅威よりもはるかに深刻で、我が国の存立基盤を内側から崩壊させる最大の要因なのだ。国家の基本方針という、最も慎重な手続きと深い知慮を要する事柄を、個人の思いつきで軽々しく扱おうとする。このガバナンスの崩壊こそが、我々が真に恐れるべき危機である。

「アホが政治家をやっていること、それ自体が国難である」

この痛烈なメッセージを、我々は今、真正面から受け止めなければならない。

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