序論:国民の審判を裏切る倒錯した議論
2025/12/5(金)朝刊チェック:日本で一番イヤミが上手い男
2024年から2025年にかけての国政選挙における自民党の大敗は、組織的な裏金事件に対する国民の明確な「審判」であった。この厳しい結果を受け、国会が最優先で取り組むべきは、政治とカネの問題に終止符を打つための「政治資金規正法」の抜本的な改正であることは、誰の目にも明らかだったはずだ。
しかし、国民の負託を受けたはずの永田町で繰り広げられているのは、信じがたいほど倒錯した光景である。自民党は、あろうことか日本維新の会と手を組み、裏金問題とは何ら関係のない「議員定数削減」という議論に国民の目を逸らそうとしている。これは、国民の政治不信を逆手に取り、問題を「税金の無駄遣い」という矮小なコスト論にすり替える、巧妙な「論点ずらし」以外の何物でもない。
菅野氏は、この「議員定数」という目くらましの欺瞞を徹底的に暴き、その背後に隠された日本経済停滞の真因、すなわち「縁故資本主義」という構造的病理に光を当てることを目的とする。偽りの改革劇に惑わされることなく、今こそ我々は真の課題に向き合わなければならない。
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1. 解体されるべき虚構(1):定数削減という「愚策」の危険性
自民・維新が推進する「議員定数削減」の議論は、裏金問題への解決策として不適切なだけでなく、それ自体が日本の民主主義を根底から毀損する極めて危険な提案である。耳触りの良い「改革」という言葉の裏で、憲政の常道を踏み外し、結果的に国民に多大な不利益をもたらす「愚策」の本質を解き明かそう。
彼らの削減案の核心は、「東京、大阪、北海道など人口の多い都市部の議席を減らす」という驚くべき内容だ。これは、最高裁判所が長年にわたり是正を求めてきた「一票の格差」問題を、改善するどころか意図的に拡大させる行為に他ならない。最高裁は、一票の価値の平等を確保するよう繰り返し違憲判決を下してきた。その司法の判断に真っ向から逆行する立法を平然と進めようとする姿勢は、三権分立の精神を軽んじる暴挙と言わざるを得ない。
さらに、この提案は経済合理性の観点からも破綻している。「身を切る改革」を標榜しながら、その実、税金の壮大な無駄遣いにつながるリスクを内包しているのだ。もしこの案に基づき選挙が執行され、案の定、最高裁から違憲判決、すなわち「選挙無効」の判断が下されれば、全国規模での再選挙を余儀なくされる。その際にかかるコストは、定数削減によって節約される経費の約4倍にも上ると試算されている。目先のパフォーマンスのために、違憲のリスクと巨額の追加コストを国民に押し付ける。この簡単な損得勘定さえできない姿勢は、まさに知性に異常を抱えた者たちの発想と断じざるを得ない。
この本末転倒ぶりは、もはや喜劇ですらある。例えるなら、こういうことだ。
家の柱がシロアリ(裏金・企業献金)に食われて倒れそうな時に、修理もせずに『光熱費が高いから電球の数(議員定数)を減らそう』と相談している状態
電球を減らしても家が倒壊するリスクは消えず、むしろ部屋が暗くなり足元が見えなくなるだけだ。だが、この稚拙な愚策を正当化するために掲げられる「身を切る改革」というスローガンこそ、国民の怒りを本質から逸らすための、さらに巧妙な欺瞞なのである。
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2. 解体されるべき虚構(2):「身を切る改革」という ポピュリストのパフォーマンス
「身を切る改革」――このスローガンは、国民の政治不信に付け込み、耳目を集めるための欺瞞に満ちた政治パフォーマンスに過ぎない。その矛盾と空虚さは、有志の会・福島伸享議員による国会での痛烈な指摘によって、白日の下に晒された。
福島議員のロジックは、維新が掲げる改革の矛盾を真正面から暴くものだった。第一に、彼は驚くべき事実を数字で突きつけた。日本維新の会が主張する「衆議院定数を1割削減して浮く経費」と、まさにその「維新が国から受け取っている政党助成金」の額が、ほぼ同額であるというのだ。
この事実が導き出す結論は明快だ。「本当に身を切る気概があるのならば、国民の声を政治に届けにくくする定数削減などという回りくどいことをする前に、まず自分たちが受け取っている巨額の政党助成金を国庫に返上すれば済む話ではないか」。この指摘は、維新の改革姿勢が単なるポーズであることを暴く、強烈なブーメランとなった。
福島議員は、こうした本質から逃げるための定数削減議論を、**「小汚い権力ゲーム」**と一刀両断した。これは、裏金問題や企業献金という政治の根幹に関わる問題から国民の目を逸らし、安易な人気取りに走るための政治的パフォーマンスに他ならない。

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3. 暴かれる本丸:献金が歪める「縁故資本主義」という構造病理
ここまでの定数削減や「身を切る改革」を巡る議論は、壮大な政治劇の前座に過ぎない。裏金問題の真の本質は、単なる政治家の倫理欠如や会計処理のミスではない。それは、日本の経済成長を30年以上にわたって阻害し続けてきた**「縁故資本主義」**という、根深い構造的な病理そのものである。
福島伸享議員が喝破したように、この問題は「自民党を懲らしめる」といった次元の話ではない。企業・団体献金問題とは、**「平成の30年間の停滞と日本の国際的地位の転落を招いた構造的な問題」**なのだ。これこそが、技術革新の芽を摘み、公正な競争を阻害し、日本を「失われた30年」に閉じ込めた元凶に他ならない。特定の企業や団体が献金を通じて政策決定に影響を及ぼす、その具体的なメカニズムは枚挙に暇がない。
- 防衛産業の癒着: 三菱重工をはじめとする防衛関連企業が自民党に献金を行う。その見返りとして、政府の審議会などを通じて自社に有利な装備品の発注が誘導される。この癒着構造の中で、税金が非効率に投じられ、真に国益にかなう防衛政策が歪められてきた。
- 医療政策への介入: 日本医師会の政治団体である日本医師連盟から自民党の有力議員へ渡る巨額の献金。このカネの流れが、国民皆保険制度の根幹であり、国民生活に直結する診療報酬の改定議論に不当な影響を与えているという構造的な癒着が、長年国民の厳しい視線に晒されてきた。
これらの事例は、特定のプレーヤーだけが審判と結託して優遇される「縁故資本主義」の実態を如実に示している。この構造の本質は、もはや政治ではなく、八百長が蔓延るスポーツリーグに等しい。
審判が特定のチームから金を受け取り、八百長判定を繰り返しているスポーツリーグ
このようなリーグでは実力は意味をなさず、全体のレベルは低下し、観客(国民)の信頼も失われる一方だ。この構造的な病理を放置したままでは、いかなる改革も砂上の楼閣に過ぎない。では、この病巣にどうメスを入れるべきなのか。
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4. 真の改革への処方箋:権力とカネを物理的に遮断せよ
定数削減のような的外れな議論を排し、真に「縁故資本主義」の構造に切り込むには、具体的かつ実効性のある処方箋が必要だ。それは、権力とカネの関係性を根本から断ち切るという、シンプルかつ大胆な発想から生まれる。
まず、「企業・団体献金の全面禁止」という理想論には、現実的な壁が存在する。例えば、オーナー社長による個人献金は実質的な企業献金と区別がつかず、「定義」が極めて困難だ。また、社員にボーナスを上乗せして個人献金させるような「迂回献金」を完全に監視することも不可能に近い。こうした「入り口」の議論は、常に抜け道とのいたちごっこに陥りがちだ。
そこで、菅野完氏が提唱する、思考実験的だが本質を突く**「政権与党の献金受取禁止案」**に注目したい。そのルールは極めて明快である。
- ルール: 野党の間は、企業・団体献金を受け取ることができる。しかし、選挙で勝利し「行政権」を握った政党(および連立与党)は、その瞬間から企業・団体献金の受け取りを一切禁止される。
- ロジック: この提案の根底にあるのは、問題の本質は「カネそのもの」ではなく、**「許認可権や予算配分権といった強大な行政権力を持つ者が、利害関係者からカネを受け取ることによって政策が歪められること」**にあるという認識だ。であれば、解決策は一つ。権力とカネを物理的に遮断すればよい。
この提案は、複雑な定義論争や監視コストの問題を回避し、「政策がカネで買われているのではないか」という国民最大の疑念に直接応えるものだ。権力を行使する立場になった瞬間に、利害関係者からの金銭授受を断つ。これこそが、縁故資本主義の根を絶つための、最も直接的で効果的な一歩となりうる。

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結論:偽りの改革劇に終止符を打ち、本質的な議論を始めよ
我々が目の当たりにしている「議員定数削減」や「身を切る改革」を巡る騒動は、裏金事件に対する国民の怒りを逸らし、日本の構造的腐敗を温存するための、巧妙に演出された「政治劇」に過ぎない。その主役たちは、国民が本当に解決を望んでいる問題から目を背けさせ、安易な自己満足的パフォーマンスに終始している。
今、国民が真に求めるべきは、議員の数を減らすといった見せかけの改革ではない。政策決定のプロセスそのものから金銭的な影響を完全に排除するという、痛みを伴うが本質的な大手術である。
この茶番に終止符を打つのは、政治家ではない。偽りの改革劇のチケットを破り捨て、本質的な議論を要求する我々国民自身だ。さもなければ、この国は八百長リーグの観客席で、静かに衰退していくのを待つだけになる。
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