氷河期世代の右傾化は「バカ化」だ。偏差値60層が堕ちた地獄 | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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『日本の劣化と政治の虚妄』全3回・第1回:社会・世代論

2026/1/28(水)朝刊チェック:みなさんが「右傾化」と呼んでいるものは「右傾化」ではなく「バカ化」であるし、高市政権とその支持者は「右」ではなくむしろ真逆の「極左反体制分子」と呼ぶべき人々である件

私が菅野完でございます。1/28(水)朝刊チェックの時間がやってまいりました。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど

記事の要約と図解

【結論】 現在、日本社会で観測されている現象は、イデオロギー的な「右傾化」などという高尚なものではない。それは、かつて社会の中核を担うはずだった氷河期世代を徹底的に搾取し、貧困化させた結果、知性と記憶を奪われた人々が最後に「日の丸」にすがりつかざるを得なくなった「バカ化(知性の劣化)」の末路である。

【ポイント3選】

  1. 歪んだベルカーブの悲劇:氷河期世代で最も割を食ったのは、偏差値57〜65の「優秀な中間層」であり、彼らは社会に出た瞬間に「滑り台」で底辺へ突き落とされた。
  2. 記憶喪失の20年:生きることに精一杯すぎた彼らには、23歳から38歳頃までの「青春の記憶」が欠落しており、人格的な成熟が阻害されている。
  3. 「右傾化」ではなく「バカ化」:貧困により思考力を奪われた層が、自己肯定感の欠如を埋めるために国家(国旗)に依存しているのが現状であり、これを政治的な右傾化と呼ぶのは誤りである。
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■ 【徹底解説】失われた記憶と「日の丸」への逃走 ― 氷河期世代が見た「滑り台」と日本社会の「バカ化」

1月28日、水曜日。
新聞を読む時間すらないまま、この話をしなければならない。
なぜなら、世間でまことしやかに囁かれている「右傾化」という現象、あるいは昨今の選挙結果に見る社会の変容――これらはすべて、ある特定の世代が背負わされた「十字架」と、そこから目を背け続けた日本社会の「ツケ」が回ってきた結果に他ならないからだ。

ここで言う「特定の世代」とは誰か。
言うまでもない。昭和47年から昭和53年にかけて生まれた、団塊ジュニア、すなわち「就職氷河期世代」のことである。

今、この国で起きているのは、政治的な右旋回ではない。
「右傾化」と呼ぶにはあまりに浅ましく、悲しい、「バカ化」と呼ぶべき知性の崩壊である。
その根源にある、奪われた世代の記憶と実存について、今日は徹底的に語ろうと思う。

歪んだベルカーブ:選ばれなかった「中・上位層」の悲劇

まず前提として共有しておきたいのは、氷河期世代の苦境が単なる「不景気」の産物ではないという事実だ。
我々(あえて我々と言うが)が直面したのは、偏差値のベルカーブ(正規分布)そのものが歪むという異常事態だった。

景気が悪くなれば採用枠全体が縮小する。それは経済の理屈だ。
しかし、氷河期の異常性は、その「削られ方」にあった。

偏差値57〜65の層が味わった地獄

残酷な現実を言おう。
偏差値50以下の層には、選り好みをしなければ、肉体労働や過酷な現場仕事など、何かしらの「食い扶持」はあった。逆に、偏差値65を超える超エリート層――東大、京大の上位層――には、霞が関や海外という「脱出ルート」が残されていた。

では、誰が死んだのか?
一番割を食ったのは、偏差値57から65の間にいた学生たちだ。
大学で言えば、同志社、一橋、関関同立、横浜国立大学レベル。本来であれば、日本の企業社会の中核を担い、中間管理職として組織を回していくはずだった「一番ボリューミーで優秀な層」である。

「駒澤大の新卒」を教育する「京大院卒の非正規」

彼らはどうなったか。
賢いがゆえに、企業からは「使いにくい」「高スペックすぎる」と敬遠された。
その結果、何が起きたか。

10年後、32歳になった彼らの職場風景はこうだ。
ようやく景気が上向いて採用された、偏差値50前後の「駒澤大学出身の23歳・新入社員(正社員)」がいる。その彼の教育係を命じられるのが、「京都大学大学院修了・32歳の派遣社員」なのだ。

これが、我々の世代が飲み込んできた「日常」だ。
こんな理不尽がまかり通る社会で、人格が歪まないはずがない。

「コカ・コーラのCM」から「イカゲーム」へ

我々は騙されていたのだ。
中学・高校時代、大人たちはこう言った。「この階段を登りきれば、美しい景色が待っている」と。
我々はその言葉を信じ、受験勉強に励んだ。大人への階段を登った先には、コカ・コーラのCMのような、爽やかで輝かしい未来が待っていると信じていた。東京に行けば、トレンディドラマのような生活があると信じていた。

しかし、階段を登りきった瞬間にあったのは、レッドカーペットではない。
「滑り台」だった。

強制参加のデスゲーム

社会に出た瞬間、我々は真っ逆さまに滑り落ちた。
落ちた先は、地面ですらない。「助け合って生きる」なんて道徳は通用しない、他者を蹴落とさなければ生き残れない「イカゲーム」や「SASUKE」のような、理不尽な障害物競走の会場だった。

非正規雇用、派遣切り、内定取り消し。
生きるか死ぬかのサバイバルを強いられ、心は磨耗し、やがて「思考」そのものを停止するようになる。

「プルデンシャル」という名の歪んだ青春

そんな地獄のような20代を過ごし、30代半ばに差し掛かった頃、ふと目の前に「蜘蛛の糸」が垂れてくることがある。
その象徴が、外資系保険会社、例えば「プルデンシャル生命」のような存在だ。

35歳で目覚める「遅れてきた自意識」

誤解を恐れずに言えば、あの頃、少しばかり小賢しくて、少しばかり見た目が良くて、現状に鬱屈していた連中は、こぞってプルデンシャルへ行った。
なぜか? それが彼らにとっての「一発逆転」であり、「外資系」という響きが、踏みにじられ続けたプライドを癒やす唯一の麻薬だったからだ。

しかし、そこで形成されるのは、極めて歪な人格だ。
本来なら20代で卒業しておくべき「他人に自分を大きく見せたい」「ブランド物で武装したい」という自意識を、30代後半や40代になってから爆発させる。

ダブルカフスの哀しさ

記者会見に出てくる幹部や、街を歩く彼らの姿を見てほしい。


いい歳をしたおっさんが、ダブルカフスのシャツを着て、セクシーなスーツで決めている。
普通なら恥ずかしくてできない格好だ。だが、彼らはそれを「成功の証」だと信じている。

これは笑い話ではない。
一番大事な25歳から35歳の時期に、社会から「承認」を与えられなかった人間が、大人になってから拗らせるとこうなるという、悲しき標本なのだ。

「下北沢」ではない、記憶喪失の20年

かつてNHKの番組で、六角精児が下北沢についてこう語った。
「大学入って芝居やって、仲間と酒飲んで、気づいたら50歳になっていた街」だと。
これは非常にお洒落なコメントだ。好きなことに没頭した結果のタイムスリップだ。

だが、我々氷河期世代の「空白」は質が違う。

生存本能しか動いていない

我々の世代の多くには、23歳から38歳ぐらいまでの記憶がない。
本当に、ないのだ。
毎日毎日、「今日どうやって食うか」「どうやって家賃を払うか」だけを考え、DVのような職場で下を向いて耐え続けてきた。
心が動いていないから、記憶に残りようがない。

「楽しかった」も「悲しかった」もない。ただ「辛かった」という感覚すら麻痺したまま、気づけば50歳になっていた。
これが、偏差値ベルカーブの右側にいたはずの、本来なら知的生産を担うべき層の末路である。

「右傾化」の正体は「弱者化(バカ化)」である

そして現在。
世間では「ネット右翼が増えた」「若者が右傾化した」などと分析されているが、あれは嘘だ。
彼らは右翼ではない。
単に「バカ」になったのだ。

言葉が悪ければ言い直そう。
貧困と過酷な労働によって思考のリソースを奪われ、複雑な物事を考えられなくなり、最後にすがれるものが「国家」しか残っていなかった人々なのだ。

大西つねきという「踏み絵」

昨今、日本社会の「右傾化」が叫ばれるが、それは買い被りだ。 街で日の丸を振る人々、ネットで勇ましいことを叫ぶ人々。彼らを突き動かしているのは、確固たる政治思想ではない。貧困によって知性が劣化し、自らの足で立つ力を失った人々が、最後にすがる「杖」として国家を選んでいるに過ぎない。 これは「右傾化」ではない。単なる「バカ化」だ。

その「バカ化」の動かぬ証拠として、象徴的な男がいる。大西つねきだ。

90年代からネットの深淵を覗いていた人間にとって、大西つねきとは議論の対象ではない。あの有名な陰謀論者「東海アマ」と並ぶ、**「二大ネット詐欺師(ネタキャラ)」**であり、指差して笑うための「おもちゃ」だった 。 にもかかわらず、ネットの歴史を知らない「おぼこい」高齢者や、れいわ新選組のような「世間知らず」な集団が、あろうことか令和の今になって彼を発掘し、真顔で崇め奉っている 。 この「情報の断絶」こそが、現代の喜劇であり悲劇だ

その滑稽さが頂点に達したのが、先の大阪府知事選だ。 大西は地方自治体の首長を決める選挙で、高らかに「貨幣論」や「金融政策」をぶち上げた 。 正気か? 大阪には森之宮に造幣局があるから、知事になればお札を刷れるとでも思ったのか? 地方自治体に通貨発行権も金融政策の権限もないことなど、中学の公民レベルの知識だ。これは「俺をWBCの日本代表に出せ」と叫んで素振りを始めるレベルの妄言に等しい

だが、本当に恐ろしいのは大西本人ではない。 そんな「トンチンカン」な演説を聞いて、「素晴らしい! 目から鱗が落ちた!」と感動し、熱狂的に支持する有権者が一定数いるという現実だ 。 これはもはや政治的な右左の問題ではない。貧困と無知によって、有権者の判断能力が著しく劣化し、目の前の男が「裸の王様」であることにすら気づけないほど**「バカになっている」**という事実だ

トランプ支持者が星条旗を振るのは「雇用を取り戻す」という実利に基づいているが、日本の彼らは違う 。自分たちを騙す詐欺師や、自分たちの首を絞める政策に拍手喝采を送っている。 我々が直視すべきは、大西つねきという現象を通して露呈した、この国を覆う絶望的な「知性の崩壊」なのである。

トランプ支持者との決定的な違い

アメリカのトランプ支持者が星条旗を振るのには、まだ論理がある。「俺たちの仕事を奪うな」「アメリカ・ファースト」という、自らの生活に直結した要求がある。

しかし、日本のこれはなんだ?
自らを苦しめている構造(自民党政権や新自由主義的な政策)に対して、なぜか拍手を送り、日の丸を振っている。
これはイデオロギーではない。
「思考停止」であり、強者への「依存」だ。

自分自身の足で立てなくなった人間が、自分より大きなもの(国家や権力者)と同一化することで、辛うじて精神の均衡を保とうとする。
その姿を見て「右傾化」と評するのは、あまりにも過大評価だ。
それは、社会が彼らから「考える力」さえも奪い去った結果の、「バカ化」という悲劇なのである。

我々が直視すべきは、彼らが振っている旗の色ではない。
その旗を振らざるを得ないほどに追い詰められ、空っぽになってしまった、その「内面の荒廃」である。

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