2026/4/7(火)朝刊チェック:中道改革連合・社民党・れいわ新選組・N国・安倍/高市信者などなど、不潔な変質者が蔓延った原因はなにか
【結論】
憲法改正の本来の目的は「国家の首を絞める(権力を縛る)」ことであるにもかかわらず、日本社会は権力拡大を許し、メディアは弱者の皮を被り、大衆は被害者に「加害者をいじめるな」と同調圧力をかける。この「強者に媚びる病理」を粉砕し、理不尽な権力と徹底的に喧嘩することこそが政治の正義である。
【ポイント3選】
- 世界の常識と日本の異常: 社会が成熟するにつれ国家権力を縮小・制限していくのが世界の常識。緊急事態条項など権力拡大を目論む日本の改憲論議は完全に逆行している。
- 「マイノリティ憑依」の卑劣さ: 国立劇場の存続危機という現場の死活問題をダシにし、女性差別批判へ論点をすり替える東京新聞のデリカシーのなさは「妹を殴る兄」と同罪の泥棒である。
- 「加害者を庇う」田舎者仕草: 水俣病のチッソから静岡リニアのJRまで、この国には「巨大な資本や権力(強者)をいじめるな」という反吐が出る同調圧力が蔓延っている。仲良しクラブの偽善を捨て、権力を殴り飛ばせ。

「ちょっと待ちなはれ。あんた、いきなりこの最終回(第3回)から読もうとしてるやろ? 悪いこと言わんから、先に『第1回』と『第2回』を順番に読んでからにしなさい。
なんでかって? 今からこの記事で『国家権力という化け物』とか『メディアの醜悪な偽善』をボロカスに叩き斬るんやけど、その国や社会を覆ってる病理を本当に理解するには、まず『俺ら自身の足元がいかに腐ってるか』を知らなあかんのよ。
第1回ではな、他者との距離感も測れずに『みんな仲良くしよう』ってすがりついてくる連中の異常さ……逃げ場のない道で『ウンコ食いながら握手求めてくる狂人』に遭遇した時と同じあの強烈な『気持ち悪さ』の正体について徹底的に言語化してる。
で、続く第2回では、そんな『自立を放棄した仲良しクラブ』の連中が、選挙っていう究極に下品な殴り合いのリングに上がって、勝手にグローブ外して『平和にいきましょう』って説教し始めて自滅していく滑稽な姿を描いとるわけや。牛丼屋の横で自民党の真似してチーズ牛丼売ってるアホ野党の無能さの話な。
その『自立なき弱者たちの偽善』と『闘争から逃げるお上品さ』の罪深さをきっちり腹に落とし込んでからやないと、この第3回で語る『強者(加害者)をいじめるなという同調圧力』の本当の恐ろしさは見えてこんのよ。
ええ大人がお上品ぶって戦いを放棄することが、いかに現場の人間を背中から撃つ泥棒みたいな行為なんか。……まずは第1回から順番に読んで、きっちり目を覚ましてからここに戻ってきなはれ。話はそれからや」
この国の政治や社会には、根本的な「病」が蔓延っている。それは、権力という巨大な化け物の本質を理解せず、無邪気に寄り添い、あげくの果てには被害者に向かって「強者をいじめるな」と同調圧力をかけるという、反吐が出るような偽善である。その最たる例が、日本の異常な改憲論議と、メディアの醜悪な欺瞞に現れている。

1. 憲法改正の本来の目的は「国家権力を縛る」ことである
税金を払い、役人を雇う唯一の理由は「個人の人権を守る」ため
そもそも、我々がなぜ高い税金を払い、役人や政治家を雇っているのか。その唯一の理由は「生きている人間の人権を守るため」である。国家などというものに、それ以外のレゾンデートル(存在理由)はない。憲法とは、その人権を守るために、国家権力(国権)が暴走しないよう首を絞め、縛り上げるための絶対的なルールブックなのだ。

社会の成熟に伴い、国家権力(国権)を縮小させていくのが世界の常識
世界中の国々が憲法を改正しているのは事実である。しかし、彼らが憲法を変える理由は日本と真逆だ。時が経ち、技術が発展し、経済が向上して社会が成熟すればするほど、国家という権力はどんどん縛られ、縮小していくべきものなのだ。だからこそ各国は、国家権力をより細かく制限するために、何十年に一度、あるいはもっと短いスパンで憲法を改正しているのである。
緊急事態条項など、権力拡大を目論む日本の改憲論議の逆行と異常性
ところが、日本の憲法改正論議はどうだ。24条の改悪だの、緊急事態条項だのと、出てくる案はどれもこれも「国家権力を拡大し、国民の権利を制限する」ものばかりである。これは、社会が発展したから国権を縛ろうという世界の常識に完全に逆行し、あたかもこの80年で日本社会が後退したかのような異常な発想である。この一点を見ただけでも、日本の改憲を主導する連中(自民党や高市早苗、そしてそれにすり寄る野党)がいかに権力の性質を理解していないかが分かるだろう。

2. 弱者の皮を被った「マイノリティ憑依」の醜悪さ
国立劇場の閉鎖問題に便乗する、東京新聞の一面トップ報道の欺瞞

権力に立ち向かえないこの国の病理は、メディアにも深く根付いている。東京新聞が一面トップで「国立劇場の養成所(歌舞伎)が男性のみである」という女性差別の問題を書き立てた。歌舞伎の男尊女卑を批判し、女性を舞台に上げるべきだという主張自体は100%正しい。しかし、問題は「それを言うタイミングと場所」である。
女性差別の批判は正しいが、それを「ダシ」にして論点をすり替える卑劣さ
現在、伝統芸能の世界は「安倍・菅政権で決まった無茶な計画のせいで、国立劇場そのものが存続の危機にある」という死活問題で揺れに揺れている。その切羽詰まった状況下で、国立劇場を背景に女性差別の写真を撮り、「女性を入れろ」と主張するのは、現場の危機をダシにして自分たちの「正義」をアピールしているだけだ。これを「マイノリティ憑依」と呼ぶ。

現場で戦う人々の努力を踏みにじる、デリカシーなき正義の暴走
自民党の横暴を直接批判する勇気がないから、伝統芸能の先生方が言葉を選んで必死に戦っている最中に、横から土足で踏み込んで論点をすり替える。女性の人権をダシにして、自分たちのメディアとしての体裁を保っているだけの泥棒である。弱者の皮を被りながら現場の人間を背中から撃つようなこのデリカシーのなさは、「妹を殴る兄」と同じくらい最低で気持ちが悪い。

3. 「加害者をいじめるな」という病理との徹底抗戦
水俣病から70年、今も変わらない「チッソ(強者)をいじめるな」という田舎の同調圧力



朝日新聞が水俣病から70年の特集を組んでいた。水俣病の被害者たちが当時、地元の人間から何と言われて孤立したか知っているか。「チッソ(加害企業)をいじめるな」である。巨大な権力や資本を持つ加害者にすり寄り、被害者に向かって「波風を立てるな」と同調圧力をかける。これが明治時代から続く、日本の田舎特有の「気持ち悪い仕草」の正体なのだ。

数十年と数百億円をかけて大井川の水を回復させた歴史と、静岡リニア問題の本質
静岡のリニア問題も全く同じ構図である。かつて太平洋ベルト地帯の工場排水によって水が枯渇し、汚染物質が砂となって舞う「殺人公害」に苦しんだ静岡県は、40〜50年という歳月と数億円から数百億円もの巨額の税金を投じて、大井川の水を回復させた。その血のにじむような歴史とカネがあるからこそ、JRという巨大資本(強者)に対して「水源を潰されるわけにはいかない」と徹底的に反対するのは、知事として当然の権利なのだ。

仲良しクラブはいらない。強い権力と徹底的に喧嘩し、殴り飛ばすことこそが正義だ
それにもかかわらず、「喧嘩はよくない」「平和にいこう」などと綺麗事を並べ、強い者に媚びを売る連中がいる。権力の暴走(改憲)にすり寄り、現場の闘争を邪魔し(東京新聞)、加害者を庇う(水俣・リニア)。そんな「仲良しクラブ」の偽善者どもに、社会を語る資格はない。我々に必要なのは、理不尽な強者と徹底的に喧嘩し、正面から殴り飛ばすことだけだ。それこそが、政治における唯一の「正義」なのである。








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