記事の要約と図解
【結論】 安倍元首相銃撃事件の判決は、被害者の社会的地位を考慮しなかった点で「法の下の平等」という近代の原則を守ったが、量刑の重さと成育歴の軽視においては公平性を欠く。一方、国際情勢ではトランプ前大統領のダボス会議での発言が市場を揺るがし、日本国債(JGB)売りを誘発している。経済政策において、日経新聞などが消費税減税を「ポピュリズム」と断じるのは、マクロ経済の視点を欠いた感情論に過ぎない。
【ポイント3選】
- 山上被告への無期懲役: 「首相だから」という特別扱いは回避されたが、類似事件と比較して量刑が重すぎ、成育歴が無視された点は不当である。
- トランプ外交の本質: ダボス会議で見せたのは「恫喝」と「懇願」のミックス。市場はこの不安定さを嫌気し、金利上昇圧力が強まる。
- 消費税減税と財政規律: 財政再建と減税は両立しうる。消費税減税をタブー視する論調は、資本主義のダイナミズムを阻害する。

■ 【徹底解説】安倍氏銃撃判決の「近代」とトランプ相場で揺れる日本経済
1月22日の朝刊各紙は、安倍晋三元首相銃撃事件に対する山上徹也被告への無期懲役判決、そしてダボス会議におけるトランプ前大統領の振る舞いと経済への影響を大きく報じている。
一見、無関係に見える「国内の司法判断」と「国際経済の混乱」だが、そこには共通して「近代社会の原則が守られているか」という問いが横たわっている。感情論やポピュリズムに流されず、ロジックと数字でこの二つの事象を解剖する。
司法と社会正義:安倍元首相銃撃事件判決
山上徹也被告に対し、奈良地裁は求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。この判決には、日本の司法が辛うじて守った「理性」と、依然として抱える「歪み」の双方が表れている。
山上徹也被告への無期懲役判決に見る「法の下の平等」
まず評価すべきは、裁判員裁判において「被害者が元首相である」という特別な事情が、量刑判断の加重要素として考慮されなかった点だ。これは近代法治国家として、せめてもの救いである。
法の前では、元首相の命も、社会の片隅で生きる名もなき市民の命も、その重さは完全に等価でなければならない。もしここで「国の指導者を殺めたから」という理由で量刑が吊り上げられていれば、それは法治国家ではなく、前近代的な身分制社会への逆行を意味していた。裁判員たちがこの「法の下の平等」という原則を(意識的か無意識的かは別として)貫いたことは、日本社会にまだ理性が残っている証左と言える。
量刑判断における公平性と成育歴の軽視
しかし、手放しで称賛できる判決ではない。他の殺人事件の量刑相場と照らし合わせた時、「死者1名で無期懲役」というのは明らかに重すぎる。
一般的に、被害者が1名の殺人事件において、過去に前科がなく、計画性があったとしても、有期刑が選択されるケースは多々ある。今回の判決は、計画性の高さや社会的影響の大きさ(選挙妨害など)を重視した結果とされるが、それでも「重すぎる」という違和感は拭えない。
さらに深刻なのは、「過酷な成育歴(追い立ち)」が情状酌量の要素として十分に考慮されなかった点だ。
統一教会によって家庭が崩壊し、進学も就職もままならず、人生を狂わされたという背景は、山上被告の犯行動機形成に直結している。他の刑事裁判では、貧困や親からの虐待といった成育環境が情状面で考慮されることが一般的だ。なぜ、この事件においてのみ、それが「影響なし」として切り捨てられるのか。ここに、司法判断のバランスの欠如、あるいは「政治的配慮」の影を感じざるを得ない。
一部のコメンテーターが「彼一人に背負わせて良いのか」などと情緒的な発言をしているが、これは無責任極まりない。彼に全てを背負わせる判決を下したその瞬間に、社会構造の欠陥を無視し、個人の責任に帰結させるという「残酷な切断」が行われていることに自覚的であるべきだ。
時事・国際情勢・経済:トランプ劇場と日本国債の行方
視点を海外に転じると、ダボス会議におけるトランプ前大統領のパフォーマンスが、世界経済に冷や水を浴びせている。
ダボス会議とトランプ前大統領の「恫喝と懇願」
ダボス会議のセッションや関連報道を見る限り、トランプ氏の外交スタンスは極めて支離滅裂だ。「グリーンランドを購入したい」「米国の防衛力が必要だろう」と恫喝したかと思えば、直後に「関税はかけないでおこうかな」「軍事作戦まではやらない」とトーンダウンする。
これは高度な交渉術などではない。日本的に言えば、「ボケ、カス、シバくぞ」と相手を罵倒した直後に、「すんません、5000円払うから許して」と懇願しているような状態だ。論理的一貫性は皆無だが、この「何をするかわからない」という恐怖と混乱が、結果として相手を萎縮させる。
特にグリーンランドへの執着は冗談ではなく、経済的圧力と外交的恫喝をセットにして本気で領有権を狙っているフシがある。この「理性」が通じない相手が再び超大国のリーダーになる可能性に、マーケットが動揺するのは当然だ。
経済政策と税制:日本国債(JGB)の急落
トランプ氏の発言や欧州との摩擦を受け、リスク回避の動きからマーケットは不安定化している。特に日本の国債市場(JGB)では売りが先行し、長期金利が上昇、イールドカーブがスティープ化(傾きが急になる現象)している。
これを受けて日経新聞などは「トラス・ショック(英国の財政悪化懸念による市場混乱)の教訓に学べ」とし、「減税と財政再建のセット」を主張している。
この主張自体は正しい。借金まみれの日本財政において、無秩序なバラマキは通貨や国債の信認を毀損するリスクがある。財政規律(プライマリーバランスの改善など)への意志を見せつつ、経済活性化のための減税を行うという「高度な手綱さばき」が必要なのは論を俟たない。
消費税減税を「ポピュリズム」と断じる愚
しかし、ここで看過できないのが、日経新聞をはじめとする大手メディアの「消費税減税=ポピュリズム」という短絡的な決めつけである。
彼らは「減税は必要だ」と言いながら、消費税の話になった途端に「それはバラマキだ」「ポピュリズムに屈するな」と批判を始める。これは完全なダブルスタンダードだ。
国家予算(一般会計)の歳入は約67兆円規模(税収ベース)である。この総額を確保し、財政規律を守れるのであれば、その内訳が所得税であろうが、法人税であろうが、消費税であろうが構わないはずだ。
なぜ、法人税減税は「成長戦略」で、消費税減税は「ポピュリズム」なのか。
消費税減税は単なる弱者救済ではない。強制的な物価引き下げ効果を持ち、消費を喚起するマクロ経済政策の一つである。これを「算数のできない愚民の要望」として切り捨てるのは、経済紙としての分析能力を放棄した「マゾヒズム(あるいはサディズム)」に他ならない。
日本経済に必要なのは、情緒的な「借金返済論」や「増税善玉論」ではなく、どの税目をいじればGDPが最大化するかという冷徹なシミュレーションである。トランプ相場で外圧が高まる今こそ、国内の税制議論も「ポピュリズム批判」という思考停止から脱却しなければならない。
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