序論:我々の主権はどこにあるのか?
2025/12/1(月)朝刊チェック:沖縄を見よ。
沖縄の街中で、日本の警察官がただ見守る中、米軍の憲兵隊が市民を取り押さえる――。この光景は、単なる一つの事件ではない。それは、日本の主権が根底から問われている、極めて象徴的な出来事である。自国の領土内で、外国の軍隊が警察権を公然と行使する。この異常事態に対し、なぜ多くの日本国民は「安全保障上、仕方がない」という言葉で思考を停止させ、この屈辱的な現実を受け入れてしまうのか。菅野氏は、この根深い問題の中心に横たわる「名誉白人という錯覚」という病理を解き明かし、それが日本の主権意識をいかに蝕んでいるかを論じる。
この問いの出発点となるのは、近年沖縄で発生し、SNSを通じて拡散された一つの動画だ。そこには、米軍の憲兵隊が、日本の公道上でアメリカ人観光客をID提示拒否を理由に取り押さえる様子が記録されていた。情報源によれば、これは「アメリカ軍の警察権力が日本の警察権力を凌駕し、日本国内で警察権を行使した」決定的な瞬間であり、独立国家として断じて看過できるものではない。
菅野氏は、この「名誉白人」という錯覚が、いかにして我々の安全保障観や国民としての自己認識を歪め、主権が侵害される現実への容認、ひいては隷属的な精神構造へと繋がっているのかを、段階的に解き明かしていく。
1. 「名誉白人」という巨大な勘違い
多くの日本国民がなぜ自国の主権侵害に鈍感なのか。その根源には、自らを国際社会における「強者」の一員と見なす、根拠のない自己認識が存在する。本章では、この「名誉白人」という自己認識の定義を明らかにし、その認識がいかに現実から乖離しているかを、当事者であるアメリカ人自身の視点を通じて徹底的に検証する。
菅野氏は、この問題を「日本人は自分たちのことを白人だと思っている」という痛烈な言葉で定義する。具体的には、「自分たちはアメリカ人やフランス人やイギリス人と同じような人間だ」、あるいは「アメリカ人やイギリス人やフランス人と同じ名誉白人だと思ってる」という自己認識である。しかし、この認識は「大きな勘違い」に過ぎないと断じられている。
その決定的な証拠が、前述の米軍憲兵隊による主権侵害行為に対する、アメリカ本国のSNSでの反応である。この事件がアメリカで話題になった際、あるツイートは驚くべき共感を集めた。
「アメリカの兵隊が普通によその国の街中をパトロールしてるって考え方はよう考えてみると、めっちゃ悪魔的やんけ。アメリカってテロリスト国家やんけ」
この極めて厳しい自己批判は、実に**2.3万件のリツイートと18万件の「いいね」を獲得した。情報源は、この反応こそが、西側諸国のスタンダードである「白人の感性」**であり、独立した文明国の常識だと指摘する。
この一点において、日米の認識の乖離は決定的となる。「アメリカ人のスタンダード」では「テロリスト国家」の「異常行動」と断罪される主権侵害を、「安全保障上重要だ」「仕方がない」と受け入れてしまう日本の多数派の姿勢。それは、国際的な常識からいかにかけ離れた「異常」な状態であるかを雄弁に物語っている。この乖離は、情報源が突きつける「アメリカ人のスタンダードに立つとこれが異常行動だってことを言えない自分たちがいかに異常かって分かりませんか?」という痛烈な問いによって、その本質を暴かれる。
結論として、この「名誉白人」という錯覚こそが、自国の主権が白昼堂々と侵害されている現実を直視する能力を、我々日本人から奪っている根本的な要因なのである。次の章では、この歪んだ認識が容認している主権侵害の具体的な実態を、沖縄の現実を通して詳述する。
2. 主権侵害の現実:沖縄が見せつけられる「傍若無人」
前章で明らかにした日本人の認識の歪みが、具体的にどのような現実を容認させているのか。本章では、沖縄における米軍の「傍若無人」な振る舞いと、日本が負う巨額の経済的負担という二つの側面から、主権侵害の深刻な実態を具体的に告発する。
菅野氏は米軍の振る舞いを「傍若無人」――すなわち「傍らに人なきがごとし」――と表現する。その言葉通り、日本の法秩序が存在しないかのように振る舞う米兵による犯罪は後を絶たず、過去5年間で増加傾向にあると指摘されている。その内容は、レイプ、放火、殺人、窃盗など、凶悪犯罪を含む「やりたい放題」の状況だという。
日本の法制度が及ばない現実の象徴として、ある痛ましい事件が挙げられている。ひき逃げで歩行者を死亡させた米兵が、日本の司法で裁かれることなく本国へ帰国し、数カ月後には家族との再会を喜ぶ写真をSNSに投稿したというのだ。これは、単なる一兵士の非道な行為に留まらず、日本の司法主権が事実上放棄されている動かぬ証拠に他ならない。
主権侵害は、物理的な暴力だけに留まらない。経済的な隷属ともいえる実態が、この国の異常性をさらに際立たせている。
- 広大な普天間飛行場をはじめとする米軍基地は、日本の国土にありながら一切税金を払っていない。
- それどころか、日本国民が基地の維持・運営のために「思いやり予算」などの名目で、年間4兆円もの天文学的な巨費を負担している。
多くの日本人が漠然と抱く「基地があれば地元に税金が入る」という認識は、完全な誤りである。我々は税金を受け取るどころか、自国の主権を侵害する外国軍のために、毎年莫大な国富を差し出しているのである。
この年間4兆円の国富流出と司法主権の放棄という屈辱的な現実が、なぜ国民的な抵抗に遭わずにまかり通るのか。その答えは、次の章で解き明かす、我々の精神に深く根ざした隷属の心理構造にある。
3. 隷属の心理:「弱者」が演じる「田舎臭いマニューバー」
主権侵害という明白な事実がありながら、なぜ国民的な怒りは生まれないのか。本章では、その根源にある日本人の心理構造を、情報源の厳しい批判に沿って解き明かす。そこには、自らの「弱者性」を直視できず、それを糊塗するために採用される倒錯した心理メカニズムが存在する。
菅野氏は、なぜ主権侵害という屈辱に国民的な怒りが湧き上がらないのか、その理由を「弱者、貧乏人、負け犬」であり、根本的に「惨め」だからだと断罪する。この精神的な貧困こそが、自国の主権が蹂躙される現実を見ても「何とも思わない」感性の麻痺と、「仕方がない」という思考停止を生む土壌なのである。
自らが「弱者」であり「惨め」であるという現実を直視したくないがために、より強大な支配者(アメリカ)の行動を無条件に肯定し(全任)、自らもその「強者」と一体化したかのように錯覚する。この自己欺瞞こそが、菅野氏の言う「田舎臭いマニューバー」の本質である。それは、「アメリカのやってることを全任することが強いものの証明だ」と思い込む、倒錯した精神の働きに他ならない。
この「思考停止」状態にある大多数の日本人と、沖縄の現実を理解できるとされる例外的な少数派は、鋭く対比される。
- 理解できない層:菅野氏によれば、差別や構造的暴力を知らず「拙い人生を歩んでいる」大多数の「田舎者」は、この問題を理解する能力そのものを欠いている。彼らは主権侵害という理不尽な暴力を「安全保障上仕方がない」という正常化バイアスで処理してしまう、知性と理性を欠いた存在として描かれる。
- 理解できる層:一方で、都心部(港区・千都心部(港区・千代田区)の住民、在日韓国・朝鮮人、そして被差別部落出身者は、日常的に構造的な暴力や差別を肌で知っているため、沖縄の痛みを構造的に理解できる、という論理が展開される。都心住民は、六本木のど真ん中にありながら日本の地図から消されている米軍ヘリポートや、米軍関係者しか入れないホテルの存在を日常的に目撃しており、この東京での「傍若無人」ぶりから、沖縄のより過酷な現実を類推できるのである。
米軍基地問題に対する無関心や容認は、単なる知識不足ではない。それは、自らの弱さと向き合うことを避け、強者の論理に安易に身を委ねることで精神的な安定を得ようとする、根深い心理的防衛機制に根差しているのである。そして、この隷属的な精神構造を「愛国」という美名で糊塗する欺瞞を、最終章で断罪する。
結論:錯覚から目覚め、自らの声を聞け
菅野氏が論じてきたように、「名誉白人」という錯覚は、沖縄における主権侵害の容認、そして自らの弱さから目を背けるための隷属的な心理構造を生み出す、深刻な病理である。我々はこの現実を直視し、自らの立ち位置を問い直さなければならない。
この倒錯性を、菅野氏は自らを「愛国者」であると規定した上で告発する。主権侵害を容認しながら「愛国」を語る行為の倒錯性を、公衆の面前でパンツを振り回す「変態」や「キチガイ」に喩えて痛烈に批判するのだ。真の愛国とは、自国の主権が不当に侵害されている現実に対し、民族やイデオロギーを超えて、一人の国民としてきちんと「おかしい」と声を上げることではないだろうか。
もはや、この問題は「沖縄の声を聞け」という他人事ではない。菅野氏が訴えるように、これは「諸君ら自分たちの声を聞け」という、すべての日本国民自身の問題なのである。年間4兆円もの国富が流出し、自国の司法権が及ばない治外法権が公然と存在する現実は、沖縄県民だけでなく、我々一人ひとりの尊厳と生活に直結している。
我々はいつまで、「名誉白人」という心地よい、しかし国家を蝕む錯覚の中に安住し続けるのか。隣人であるアメリカ国民自身が「悪魔的だ」と批判している自国の異常な状況を直視する時が来ている。今こそ、その錯覚から目覚め、独立国家の国民としての尊厳と主権意識を取り戻さなければならない。我々の主権は、一体どこにあるのか。その問いに答える責任は、我々自身にある。

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