2026/1/8兵庫における戦いは「アホとの戦い」でありそうである以上、この動画を見ている貴方にもやれることはある
導入
本稿の目的は、先ごろ行われた兵庫県知事選挙の結果を単に報告することではない。むしろ、その背景に横たわる現代社会の深刻な病理、すなわち「知性の欠如」という根源的な問題に対し、ジャーナリスト・菅野完氏が突きつけた鋭い分析と警鐘を読者に提示することにある。この選挙という具体的な事象をレンズとして、我々の社会が直面するより広範な課題を浮き彫りにすること。それこそが、本稿が目指すところである。一地方の選挙戦の顛末を通じて、民主主義の根幹を揺るがしかねない知性の危機について、読者諸氏と共に深く考察したい。
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1. 選挙の解剖学:虚偽の「物語」 対 陣営の「自滅」
この選挙の帰趨は、政策論争によって決まったのではない。菅野氏が喝破するように、その勝敗を分けたのは、虚偽でありながらも単純明快な「物語(ナラティブ)」を信じ込ませることに成功した情報戦と、それに対峙するはずだった対立候補陣営の致命的なまでの「運営能力の欠如」という、二つの要因であった。この結果は、現代の政治力学において、理念や政策以前に、情報という武器をどう扱うか、そして組織をどう動かすかという実務能力がいかに重要であるかを象徴している。
1.1. 斎藤元彦氏再選の原動力:流布された「虚偽の物語」
斎藤元彦氏の再選は、彼自身の政治的手腕や実績によるものではなく、巧妙に構築され、インターネットを通じて広く流布された「物語」の成功に大きく依存している。その構造は、以下の要素から成り立っていた。
- 物語の源流: 全ての始まりは、立花孝志氏が発信源となった「斎藤さんは悪くない」という極めて単純な物語だった。このナラティブは、複雑な問題を善悪二元論に落とし込み、「悪いのは他にいる」と断じることで、多くの有権者の感情に直接訴えかけた。
- 拡散のメカニズム: この虚偽の物語は、須田慎一郎氏、高橋洋一氏、香椎なつ氏、へライザー氏、中田敦彦氏といったネット上のインフルエンサーたちによって、何ら検証されることなく受け売りされ、拡散していった。菅野氏が「そいつらのネタは立花孝志」「立花孝志より先に新しいことを言った事例はゼロ」と断言するように、彼らは自ら情報を精査することなく、単なるスピーカーとしての役割を果たしたに過ぎない。結果として、一つの発信源から生まれたデマが、あたかも多くの論者によって支持された「事実」であるかのような外観をまとってしまったのである。
- 受容の土壌: 問題は、なぜ多くの有権者が、菅野氏が言うところの「子供のような嘘」を信じ込んでしまったのか、という点にある。その背景には、自ら一次情報にアクセスし、ファクトを検証する能力の欠如があった。菅野氏は、彼が挑発的に用いる「健常者」という言葉で、社会人として最低限の判断能力を持つ人間を指し、そうした人々であれば立花氏を一目見て「詐欺師」と見抜けるはずだと指摘する。しかし、兵庫県においては、その「子供のような嘘」を無批判に受け入れてしまう土壌が存在した。これが、今回の選挙結果を生んだ特異な現実である。
1.2. 対立候補の敗因:能力欠如による「自滅」
斎藤氏が勝ったというよりは、対立候補である稲村和美氏の陣営が「自滅した」というのが、菅野氏による厳しい評価である。選挙の勝敗を分けたのは、政策や理念以前の、プロフェッショナルとして当然備えているべき根本的な実務能力と社会常識の欠如であった。
- 著しい実務能力の欠如: 選挙戦の最終日まで「確認団体のビラが折れていない」、あるいは「日程管理さえできていない」といった、専門家から見れば信じがたい初歩的なミスが頻発していた。菅野氏は、もし自分がその場にいたら「俺、事務所中の机ひっくり返してますよね」「椅子が2、3脚曲がります」と断言する。この暴力的な仮定は、単なる比喩ではない。それがプロの現場ではどれほど許容しがたい業務上の過誤であるかを示す、怒りの尺度なのだ。
- 社会常識との乖離: さらに問題なのは、その運動スタイルが一般の有権者、すなわち菅野氏の言う「健常者」の感覚から著しく乖離していた点だ。例えば、阪神タイガースのユニフォームを着て笛を吹き、六甲おろしを歌いながら応援するといった「市民運動スタイル」は、熱心な支持者以外の目には奇異に映り、支持の輪を広げる上で深刻な障害となった。
- 問題の本質: これらの現象は、単なる選挙戦術の失敗ではない。菅野氏は、これらが兵庫県において「よそでは見られないほど能力の低い人が物を喋っている」という、より根深い問題の表れであると結論づける。彼はこの構造を、より直接的な言葉でこう言い放つ。「立花孝志の言うてるようなことを信じてしまう異常者が多いということと、稲村和美みたいな立派な人の選挙スタッフにそんな人間しか集まってこないというのは同じことなんです」。斎藤陣営の「虚偽の物語」と稲村陣営の「能力欠如」。これらは表裏一体の問題であり、どちらも兵庫県に蔓延する「アホ」という病理の異なる症状に他ならない。
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2. より深い病理の兆候:理性と知性の崩壊
兵庫県知事選で見られた一連の問題は、氷山の一角に過ぎない。菅野氏の分析によれば、その根底には、言語能力の低下、論理的思考の放棄、そして事実(ファクト)を軽視する現代社会全体の病理が横たわっている。これは単なる一地方選挙の特異な事例ではなく、我々全員が直面している知性の危機なのである。
2.1. 事例研究:言語能力と論理的思考の崩壊
人々の思考がいかに崩壊しているかは、具体的な言説を分析することで明らかになる。

事例1:矛盾に満ちたツイート あるSNSユーザーは、奥谷県議について「あの人の地盤を継いで参議院に」「それまで比例制度を廃止してほしい」と投稿した。菅野氏が「ミシンとコウモリぐらい違う話」と喝破したように、選挙区での支持基盤を意味する「地盤」と、全国区で政党名を書く「比例制度」は全く無関係な概念である。この二つを平然と結びつけてしまう論理性の欠如は、物事を制度や構造としてではなく、単なる「人間関係」の文脈でしか捉えられない思考の「田舎臭さ」を象徴している。
事例2:教養を欠いたプラカード 県庁前での抗議活動で見られた「W君の声は無駄ではなかった」というプラカード。この一文は、亡くなった個人の名前を、自らの政治的主張の「盾」として安易に利用する倫理的欠陥と、教養の欠如を露呈している。

対照的に、菅野氏が称賛したのは、「なて元彦は知事になりたし」というプラカードである。これは単なる気の利いた一文ではない。その元ネタは三島由紀夫の小説『英霊の聲』であり、二・二六事件で蹶起し(けっき)、処刑された将校たちの声が巫女に憑依して語るという設定の作品だ。その中で英霊たちは、戦後の人間宣言を行った天皇に対し「なてすめろぎは人間になりたし」(なぜ天皇は人間になりたかったのか)と慟哭する。この引用は、事件の背景にある死を真摯に踏まえつつ、それを個人の物語に矮小化せず、権力の本質を問う「構造的批判」へと昇華させている。両者の比較は、教養の有無が批判の質をいかに決定的に左右するかを明確に示しているのだ。
2.2. ファクトの軽視:願望が事実を歪める
第三者委員会の報告書をめぐる言説は、人々がいかに事実を無視し、自らの願望に沿ったデマを信じ込むかを如実に示している。
- 報告書の明確な記述: 菅野氏が配信中に読み上げた通り、報告書は斎藤知事の行為を「保護法及びその委任を受けた指針…に違反する行為であって違法である」と明確に断定している。報告書は、知事が主張する「誹謗中傷の拡大阻止」といった言い訳を「公益通報者保護の趣旨に反する」と一蹴しており、これは解釈の余地のない、確定した事実である。
- 流布されたデマ: しかし、ネット上では「第三者委員会は『公益通報的』という曖昧な表現を使っている」という、全くの虚偽情報が自信満々に語られていた。報告書のどこにもそのような記述は存在しない。
- 知性の怠慢: なぜ人々は、公式に公開され、容易にアクセスできる一次情報(報告書)を自ら確認せず、ネット上の不確かな情報を盲信するのか。これは、自らの目で事実を確かめるという基本的な知的営為を放棄した、「知性の怠慢」以外の何物でもない。
2.3. 実証実験:支持者との対話が可視化する「アホ」の実態
菅野氏が配信中にかかってきた斎藤支持者を名乗る人物からの電話に、「傾聴ボランティア」として応じたやり取りは、これまで論じてきた「アホとの戦い」の残酷な実態を可視化した。
- 論点のすり替え: 電話の主は、斎藤知事の問題そのものには一切触れず、「他の知事や市長の不祥事」「ラブホテルに行ってた市長」といった無関係な事例を持ち出し、論点を逸らそうと試みた。
- 思考停止の擁護: 彼の擁護論は、「民意で選ばれたのだから応援するのが大人」「一生懸命仕事をしている」といった、具体的な問題点を完全に無視した情緒的な言葉に終始した。そこには、論理も事実も存在しない。
- 結論の可視化: この対話は、まさに斎藤氏を支持する人々の知的レベルを象徴する「生きた事例」であった。菅野氏がこの電話をあえて公開したことで、なぜこの戦いが「アホとの戦い」と呼ばれるのかが、視聴者の目の前で残酷なまでに証明されたのである。
これらの事例が示す知性の崩壊は、一見すると絶望的に思える。しかし、菅野氏は単に現状を嘆くだけではない。次章では、この困難な戦いに挑むための具体的なアクションプランを提示する。

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3. 前進への道筋:勤勉さと具体的な行動計画
絶望的な状況を前にして、ただ嘆き、冷笑するだけでは何も変わらない。菅野氏は、具体的な行動指針とプロジェクトを通じて、この知性の欠如という巨大な敵に対する反撃を開始すべきだと建設的な提言を行う。その核心は、個人が実践すべき心構えと、集団で実行可能な戦略の両輪を回すことにある。
3.1. 個人の指針:「勤勉たれ」という自己改革
「アホ」との戦いに勝利するために、我々一人ひとりがまず実践すべきは、以下の3つの指針に基づく自己改革である。
- 自己愛を捨てる: 商業誌から執筆依頼の一本も来ないのに、一人前の論評家気取りで意見を述べる前に、「自分には価値ある論評能力などない」という厳しい現実を直視する必要がある。菅野氏は容赦なく言い放つ。「もしお前が面白かったら今頃執筆オファー来てるから」。これは罵倒ではない。自らの限界を認識することから、全ての戦いは始まるという冷徹な事実認識の要求である。彼我の差を認めよ、と。なぜなら「俺は雑誌の連載を断る側なの」だからだ。
- 喋る前に考える: 感情や思いつきで脊髄反射的に言葉を発するのではなく、一つひとつの発言の前に、論理と事実に基づいて深く思考する習慣を身につけなければならない。
- 勤勉さを取り戻す: ネット上で批評を繰り返すだけでなく、実際に現場に足を運ぶ、あるいは地道な作業を厭わない「勤勉さ」こそが、現状を打破する鍵となる。菅野氏が指摘するように、斎藤氏の反対派が敗北した大きな要因の一つは、まさにこの「勤勉さ」を欠いた「怠惰」にあったのだ。
3.2. 具体的なプロジェクト:「OSINT(オシント:Open-Source Intelligence)」に公開情報の徹底的なデータ化と検証
個人の意識改革に加え、菅野氏はOSINT(オシント:Open-Source Intelligence)は、極めて具体的かつ戦略的な行動計画を提唱している。
- 目的: 斎藤知事の過去の発言を網羅した、クリーンで巨大なテキストデータベースを構築すること。
- 手法: 2021年以降の知事記者会見や議会答弁の公式文字起こしデータを、有志が手分けして一つのテキストファイルに統合する。これはスクリプトで自動化できる単純作業ではない。なぜなら、インデントの統一や不要な空白の削除といったデータクリーニングには、人間の目による確認が不可欠だからだ。また、一貫したデータプールを確保するため、途中から始まった兵庫県政を正常に戻す会の文字起こしではなく、2021年まで遡れる県の公式資料を「人力」で処理する必要がある。地道で膨大な、しかし必須の作業である。
- 戦略的意義: このデータベースが完成すれば、斎藤知事の過去の発言と現在の発言との矛盾や変遷を、誰でも容易に、かつ徹底的に検証できるようになる。菅野氏が「斎藤元彦の目下最大の敵は、過去の斎藤元彦です」と語るように、このプロジェクトは、知事自身の言葉を、彼を追い詰めるための最も強力な「武器」に変えるための戦略なのである。
結論
兵庫県知事選をめぐる一連の事象は、単なる一地方の政治問題ではない。それは、事実に基づかない「物語」と、それに無批判に従う「知性の欠如」が、いかに容易に民主主義の土台を蝕んでいくかという、現代社会が直面する普遍的な課題を映し出す鏡である。
菅野完氏の分析は、この困難な「アホとの戦い」に勝利するためには、冷笑や絶望に浸ることではないと教えてくれる。必要とされているのは、まず自分自身を律する個人の「勤勉」な自己改革であり、そして「お浸透」プロジェクトのような、地道で具体的な共同作業を通じて、事実という武器を着実に研ぎ澄ましていくことなのだ。その先にしか、我々が目指すべき理性の回復はない。
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