2025/12/17詐欺師出没中につき皆さんご注意ください。
1. 序論:偶然の発見と、告発への序章
これは、単なる地方行政への批判ではありません。それは、ありふれた日常に転がるささやかな幸福と、そのすぐ隣で巧妙に隠蔽され、進行する社会の歪みを浮き彫りにする、ある一つの告発の記録です。
菅野氏が神戸での仕事を終え、東京へ帰る途上の出来事から始まります。年末の首都高速は、予想を遥かに超える激しい渋滞に見舞われていました。にっちもさっちもいかなくなったタクシーの中で、菅野氏は運転手にこう告げました。「ここで降ります」。降り立ったのは、これまで一度も足を踏み入れたことのない、自分が地球上のどこにいるのかさえ定かでない東京の一角でした。
凍えるような寒さと空腹に苛まれながら、菅野氏の内に眠る「商店街センサー」が微かに反応する方角へと歩を進めると、案の定、小さな商店街が現れました。そこに灯る「居酒屋」という赤い提灯に吸い寄せられるように店に入ったのです。
和風の佇まい、壁には「刺身盛り合わせ」「厚揚げ豆腐」といった定番の品書き。しかし、空腹のあまり「何かすぐ出るものを」と頼んだ菅野氏に出てきたのは、小さな土鍋で熱々に煮込まれたビーフシチューでした。意表を突かれつつ一口含むと、思わず「ええっ」と声が漏れるほどの衝撃。空腹のせいかと疑い、付け合わせのロールパンで腹を一旦満たしてから改めて味わっても、その感動は揺るぎませんでした。濃厚なフルボディの赤ワインが、頼んでもいないのに添えられて。さらには、店主におすすめの日本酒を尋ねると、出てくるもの全てが播州の銘酒。ここは天国か、と。

この、予期せぬ偶然がもたらした、人間味あふれる温かな発見。この記憶の温もりが、後に続く兵庫県政が繰り広げる冷たく非道な策略との、あまりにも鮮烈な対比を生み出すことになります。あのビーフシチューの深い味わいを噛みしめながら、今から私は、ある悪魔的な欺瞞の構造を、徹底的に解剖します。
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2. 問題提起:兵庫県知事会見における「牡蠣応援プロジェクト」の発表
このセクションでは、一見すると地域振興と生産者支援を謳う、極めて正当なプロジェクトの発表が、いかに巧妙な言葉の綾と論理のすり替えによって、人々の善意を誤った方向へ導こうとしているのかを分析します。全ての欺瞞は、この始まりの言葉に胚胎しています。
斎藤元彦兵庫県知事は、記者会見の冒頭で一枚の資料を掲げ、こう切り出しました。「播磨灘の牡蠣応援プロジェクト」です。彼は、今年は深刻な不漁に見舞われ、壊滅的な被害を受けた牡蠣生産者の窮状を説明します。そして、文字起こしを引用すれば、こう述べました。
「是非、県民のみならず全国の皆様に、播磨灘の牡蠣の応援をしていただきたいということで、『播磨灘の牡蠣応援プロジェクト』、ふるさと兵庫寄付金の募集をスタートさせていただいてるというものです」 「兵庫県としてはもちろん、きちっとそこを(応援を)やらせていただくことになりますけども、それを是非多くの皆様に、応援していただきたい」
この言葉を、何の予備知識もなく聞けば、誰がどう解釈するでしょうか。「不漁で苦しむ牡蠣の生産者を、県も支援する。しかし、それだけでは足りないので、全国の皆さんからも寄付を募り、直接、生産者の元へ届けたい」。そう考えるのが、ごく自然な、そして人間的な反応です。話の文脈、言葉の選び方、その全てが、私たちの良心にそう囁きかける。普通に聞いたらそう思うやん。まさにその通りです。
しかし、この誠実そうに響く呼びかけの裏には、巧妙に仕掛けられた罠が隠されていました。この発表に内包された矛盾と欺瞞は、続く記者との質疑応答の中で、その醜い正体を現すことになるのです。
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3. 欺瞞の露見:寄付金の真の使途
ここが、この物語の決定的な転換点です。善意のベールに包まれていたプロジェクトが、一人の記者の鋭い質問によってその化けの皮を剥がされ、欺瞞に満ちた本質を白日の下に晒すクライマックスの場面です。
関西テレビの鈴木記者が、核心を突く質問を投げかけました。それは、東日本大震災など過去の災害支援で繰り返し指摘されてきた問題を念頭に置いた、極めて重要な問いでした。
鈴木記者:「このプロジェクトについては、何かその、困ってる人そのものに届くような仕組みというのはあるのでしょうか?」
この問いに対し、斎藤知事は淀みなく、しかし驚くべき内容の回答をします。
斎藤知事:「今回は、観光の誘客コンテンツの磨き上げっていうものに、え、充当させていただくことにしてます」 斎藤知事:「もちろん事業者さんの直接支援については、寄付額の集まり状況によっては検討するということになります」 斎藤知事:「今回は義援金ではなくて…」
直接、言葉を失う。知事は明確に認めました。全国から「牡蠣を応援したい」という一心で寄せられる寄付金は、苦しむ生産者への直接支援には使われない。それは県の「観光コンテンツの磨き上げ」という、全く別の事業に充当されるのだ、と。直接支援は「検討する」という、何ら保証のない言葉で留保され、決定的な一言として「今回は義援金ではない」と我々の顔に叩きつけたのです。
さらに彼は、「中長期的」という言葉を二度も繰り返し、このプロジェクトが県の長期的な観光戦略の一環であることを強調しました。これにより、当初掲げられた「不漁に苦しむ生産者を応援する」という大義名分と、実際の資金使途との間には、決して埋めることのできない、決定的な乖離が存在することが明らかになりました。この明白な欺瞞こそが、これから菅野氏が展開する、道徳的かつ倫理的な糾弾の揺るぎない根拠となるのです。
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4. 悪魔の論理構造:二つの事実(ファクト)が暴く非道
このセクションは、単なる政策批判や行政の不手際を指摘するものではありません。これは、人間の倫理そのものを問う核心です。兵庫県が構築したこのプロジェクトの論理構造がいかに非道であるかを、二つの動かぬ事実(ファクト)を基に証明します。
ここに、一切の誇張も解釈も含まない、「混じり気のないファクト」が二つあります。
- ファクト1: 播磨灘の牡蠣養殖業者は、育てた牡蠣の9割が死滅し、今年の冬を越せるか、来年の正月に雑煮を食べられるかさえ分からないという、深刻極まりない経済的苦境に陥っている。これは紛れもない事実です。
- ファクト2: 兵庫県は、この苦しむ牡蠣業者を救うという看板(「播磨灘の牡蠣応援プロジェクト」)を掲げて、全国から寄付金を募っている。しかし、その集めた資金の真の使途は、牡蠣生産者の直接支援ではなく、県の「観光資源の開発」である。これもまた、知事自身の口から語られた、動かぬ事実です。
さあ、この二つのファクトを並べてみましょう。そこに浮かび上がる物語は、ただ一つしかありません。
「見てください、この人たちはこんなにも不幸で、かわいそうでしょう。どうか募金をお願いします。……ああ、ありがとうございます。いただいた募金は、私の別のプロジェクトのために使わせていただきますからね」
これが、このプロジェクトの偽らざる構造です。これを「悪魔」と呼ばずして何と呼ぶのか。「下道」「腐れ外道」と断罪されて、何の反論ができるというのでしょうか。
まだ抽象的ですか?ならば、誰にでもわかるように、この話をあなたの隣人の物語に置き換えてみましょう。
【田中さんの比喩】 あなたの隣家である鈴木さんの息子さんが、難病でアメリカでの手術に2億円が必要だとします。それを見かねた向かいの田中さんが「俺が友達中に声をかけて集めてやる」と、募金活動を始めました。必死の呼びかけで2億円が集まりました。しかし、田中さんは集まったお金を手にこう言ったのです。「この募金はな、前からやりたかった、うちの網戸の張り替えに使わせてもらうわ」。
あなたなら、この田中さんをどうしますか。殴りかかっても、誰もあなたを責めないでしょう。兵庫県は、この田中さんです。そして彼らは、自分たちの嘘を信じた全ての人々の顔に、唾を吐きかけているのです。この論理的帰結に、いかなる反論の余地も存在しません。
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5. 二重の過ち:行政責任の放棄
この問題の根は、さらに深いところにあります。ここまで論じてきた「名目と実態の乖離」という第一の過ちに加え、この事案は、より根源的な「行政の在り方」そのものを問う、第二の過ちを内包しているのです。これは単なる二つ目の過ちではありません。行政が、国民と統治の原則そのものをいかに侮蔑しているかを示す、複合的な道徳的破綻です。
ここで、私たちは根本的な問いに立ち返らねばなりません。「なぜ行政が、自ら『中長期的なプロジェクト』と位置づける事業を、税金(予算)ではなく、市民からの『募金』で賄おうとするのか」。
これは前代未聞の倒錯です。中長期的に取り組むべき政策課題は、本来、安定的な財源である税金を元にした予算を編成し、計画的に実行されるべきものです。それは行政に課せられた最も基本的な責務です。しかるに兵庫県は、その責務を放棄し、緊急支援を求める人々の善意や同情心に依存して、自らの長期プロジェクトを推進しようとしている。これは行政による責任の完全なる放棄に他なりません。
名目と実態が違うという一点だけでも許しがたいのに、その上、行政が本来担うべき役割を国民からの「お恵み」で代替しようとしている。この「二重におかしい」構造は、斎藤県政が陥っている異常な状態を、より一層明確に示しているのです。この異常事態が、私たちの社会にどのような影響を及ぼすのか。次が、最後の結論です。
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6. 結論:腐敗は伝染する――社会に広がる「壊疽」
この一件は、単なる兵庫県の一過性の不祥事ではありません。これは、私たちの社会全体を静かに、しかし確実に蝕んでいく、深刻な病の兆候です。リーダーの倫理観の欠如は、社会の規範意識そのものを歪め、人間性を麻痺させます。
そのおぞましい証拠があります。

この非道な詐欺的スキームを推進する知事を支持する人々が掲げたプラカードです。そこにはこう書かれていました。「自殺したのは自分が弱い」。人の死を、その個人の弱さとして切り捨て、嘲笑する。そして、この非人間性の記念碑を、彼らはどこに掲げたか?小学校の通学路です。登校する子供たちの目に触れるように、高々と掲げたのです。これが、私が語る「腐敗」です。次世代の通り道にまで染み出す毒なのです。
かつて、日本の喜劇王と謳われたエノケンこと榎本健一は、舞台上で小道具の如意棒を足の指に落とし、骨折しました。その小さな傷が、やがて**壊疽(えそ)**となり、彼の足全体を蝕み、ついには切断に至りました。
菅野氏は、今の兵庫県が、まさにこの「壊疽」の始まりの地点にいるように思えてなりません。人々の善意を利用するという、この一つの欺瞞。この、一見小さな行政の倫理的腐敗という傷を放置すれば、その腐敗は兵庫県全体に広がり、ひいては日本全国へと転移しかねない。この腐敗は、直ちに、そして容赦なく、切除されなければならないのです。
苦しむ生産者をダシに、自らのプロジェクトへの寄付を募る行政。 この悪魔的な論理を、私たちは許容できるのか。 この腐敗の始まりを、私たちは看過してよいのか。
あの夜、東京の片隅で出会った絶品のビーフシチューと兵庫の銘酒がもたらしてくれた温かな感動は、今、この告発の冷徹な怒りへと昇華されました。この「壊疽」を食い止めることができるのか。その問いは、今、ここにいる我々一人ひとりに突きつけられているのです。
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