【神話で解読】安倍元首相の「信羅万象」発言はなぜ“極めて日本的ではない”のか?日本人が知らない神々の“本当の姿” | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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【神話で解読】安倍元首相の「信羅万象」発言はなぜ“極めて日本的ではない”のか?日本人が知らない神々の“本当の姿”

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はじめに:ある一言が、日本の神話を揺るがした

2025/11/29 土曜日雑感:ついに安倍晋三を超えた斎藤元彦

多くの国民が、少し風変わりな政治的失言として記憶しているであろう、安倍晋三元首相の「信羅万象を担当しております」という発言。

しかし、もしこれが単なる言葉のあやではなく、日本の3000年にわたる神話と思想の構造そのものに挑戦状を叩きつけるような、革命的な一言だったとしたらどうでしょうか?

この記事では、日本の神話に隠された5つの驚くべき真実を解き明かし、なぜこの発言がそれほどまでに革命的で、「極めて日本的じゃない」と分析されるのか、その深層に迫ります。

そもそも日本の神様は「唯一絶対」を嫌う「分業制の公務員」だった

日本の神話構造の根幹をなすのは、徹底した「分業体制(担当制)」です。世界の始まりである天地開闢(てんちかいびゃく)の時から、すべてを司る唯一絶対の神は存在しませんでした。神々の世界は、むしろ高度に専門化された巨大組織や精密機械にたとえるべきもので、神々はそれぞれに明確な役割を持つ「公務員」のような存在だったのです。

このシステムを最初に確立したのは、最初に現れた三柱の神「造化三神(ぞうかさんしん)」でした。彼らは、形而上(概念的な世界)、形而下(物理的な世界)、そしてその二つのバランスを取る調整役という形で、すでに役割を分担していました。

神話学の視点から見れば、この構造は極めて重要です。それは、日本の精神が神話のレベルから「唯一絶対の責任者」という概念を本質的に受け入れない思想を内包していることを示しているからです。

最高神アマテラスですら、実は「太陽担当」なだけだった

一般的に最高神として知られる天照大御神(アマテラスオオミカミ)でさえ、全知全能の存在ではありません。神話の構造によれば、彼女の役割は限定的なものでした。

天照大御神(アマテラスオオミカミ)も、「太陽なだけ」であり、「信羅万象」を司っているわけではありません。

この分業制の思想が極まった形が「八百万の神々(やおよろずのかみがみ)」です。この世界観では、森羅万象の一つひとつに担当の神がいます。例えば、機織り機には、縦糸の神、横糸の神、そしてその間を走る杼(ひ)の神まで、それぞれが存在するのです。この緻密な役割分担こそが、古来の日本の世界観の根底にあります。この思想に立てば、「すべてを担当する」という主張は、単に珍しいだけでなく、神話の論理の中では意味をなさない、根本的に理解不能な宣言なのです。

明治時代の「廃仏毀釈」は、実は天皇中心の神話を作るための「宗教整理」だった

「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という言葉は、仏教を破壊した運動として知られています。しかし、その実態は、ある政治的目的のために日本の信仰体系全体を再構築する、より広範な「宗教整理」でした。

その目的とは、近代化する日本の「エンジン」として天皇を据えること。西洋列強が持つ「キリスト教というエンジン」の代わりとして、「天皇が天照大御神の子孫であるという概念を隅々に行き渡らせる」ための、新たな思想的基盤を強制的に作り出す必要があったのです。

その過程で、衝撃的な事実がありました。この「宗教整理」は、天照大御神を天皇の祖先とする新しい神話体系にそぐわない、数え切れないほどの地方の神社を破壊、あるいは強制的に統合(遠合)したのです。その徹底ぶりは、まさに文化的破壊行為でした。

やってることをタリバンと変わらん

この歴史的歪曲(れきしてきわいきょく)は、日本の古来の信仰の形を根本から変え、政治的に動機づけられた新たな神話を生み出したのです。

安倍氏の「信羅万象」発言は、神々をも超える「自己絶対化」宣言だった

これまでの点を踏まえると、安倍氏の「信羅万象」発言の持つ真の意味が浮かび上がります。神話学の視点から見れば、この主張は、神話の原点である「分業制」を破っただけでなく、明治政府が作り上げた「天皇中心」の歪曲された神話さえも超越するものでした。

彼の主張は、日本の神話には存在しない「唯一絶対の支配者」として自らを位置づける宣言です。これは、単に日本の神になろうとしたのではありません。イスラム教の絶対神「アラー」や、ある新宗教の創始者が自称した「宇宙絶対神」のように、完全に異質な一神教的権力概念を日本に持ち込み、その中心に自らを置こうとする試みだったのです。この自己神格化は、日本古来の権威構造そのものを塗り替える行為であり、定義上「極めて日本的ではない」と言えます。さらに、妻である安倍昭恵氏が自らを「国母」と称していた事実は、夫婦揃って既存の権威を超えた、新たな超越的権威を確立しようとしていたという解釈を補強します。

この発言は、歴史的な転換点として、こう表現されています。

天地開闢以来3000年の歴史を打ち破る人が登場したのがこの瞬間

最初の神々は「奥ゆかしく」身を隠し、次世代に世界を譲った

日本の神話における反・絶対主義の究極的な証拠は、最初に生まれた神々、造化三神の行動に見られます。彼らは「独神(ひとりがみ)」として誕生した後、「身を隠した」と記されています。

これは、彼らが自らの役割を終えた後、意識的に表舞台から退き、次に生まれてくる神々が活躍する世界を譲ったことを意味します。この態度は「とてつもなく奥ゆかしいスタンス」と評されるものです。

最も尊い最初の神々が、権力を統合するのではなく、自ら譲り渡すという先例を築いた。この事実は、たった一人の個人が永遠にすべてを担当するという思想とは、まさに対極にあると言えるでしょう。

結論:私たちが現代に問うべき神話

安倍元首相の「信羅万象」発言は、神話というレンズを通して見ると、単なる失言ではなく、日本の文化の深層に根ざす「共有責任」と「バランス」の思想に対する、ラディカルな挑戦であったことがわかります。それは、絶対的な単一の権威よりも、分散された役割分担を重んじてきた、古来の価値観からの訣別宣言でもありました。

唯一絶対のリーダーを求めがちな現代において、絶対的な責任者を置かないという思想で成り立っていた日本の神話から、私たちは何を学べるでしょうか?

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