リーダーシップの根幹をなすのは、論理に基づいた問題解決能力です。しかし、もし統治のロジックそのものが崩壊し、トップの決定が「なぜそうなったのか」理解不能なものばかりだとしたら、市民はどのようにその指導者の責任を問うべきでしょうか。菅野氏は、近年の兵庫県政で起きた象徴的な3つの事例を分析し、そこに通底する深刻な問題を明らかにします。
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1. 病巣を誤診する—アナログな違反にデジタルな目眩ましで対抗
アナログな情報漏洩に、なぜかデジタルで対策する不思議
兵庫県で発生した情報漏洩事件。第三者委員会の調査が明らかにしたその根本原因は、サイバー攻撃ではありませんでした。漏洩は「紙に印刷した資料を見せた」「口頭で内容を述べた」という、地方公務員法が定める守秘義務に違反する、極めて物理的・アナログな行為によって引き起こされたのです。
ところが、斎藤元彦知事が再発防止策として打ち出したのは「システムの改修(セキュリティ強化)」でした。
ここには、原因と結果の分析における完全な破綻が見られます。サーバーのセキュリティをいくら強化しても、「紙を持ち出して話す人間」を止めることはできません。原因と対策が全く噛み合っていないのです。この対応は、問題の本質を分析せず、聞こえの良いステレオタイプな解決策に飛びつく「思考停止」の典型例として厳しく批判されています。
この状況を的確に表現した比喩が、これです。
脇が破れたジャケットを直すために、八百屋に走るようなもの
この現実の問題と見せかけの「対策」との断絶は、決して孤立した事案ではありません。同様の、根本的な業務実態を把握できていないという欠陥は、県の財政運営においても露呈します。

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2. 売上を誇り利益を知らないCEO—財政リテラシーの欠如
売上は自慢するが、利益を知らない経営者
斎藤知事は、兵庫県のふるさと納税寄付額が過去最高の24億円に達したことを、自身の成果として積極的にアピールしていました。しかし、その輝かしいトップラインの数字の裏で、行政の長としての資質が問われる事態が進行していました。
記者会見で、返礼品などの経費を差し引いた実質的な収益(歩留まり)について問われた際、知事は「手元に資料がない」と回答できなかったのです。
「売上(寄付総額)」だけを把握し、「利益(実質収益)」を知らない。民間企業の経営者であれば「株主総会で解任されるレベル」の失態です。どれだけの経費をかけて寄付額を達成したのかを把握せずして、財政運営の舵取りなど不可能です。
さらに深刻だったのは、そのタイミングです。この質疑応答があったのは12月上旬、まさに来年度予算編成の最重要時期でした。しかも直前には、ふるさと納税制度の変更が全国紙で大きく報じられ、各自治体の歳入に直接的な影響を与える「ビッグニュース」として駆け巡っていたのです。県の財政を左右する最重要課題に対し、トップがこの情報感度であることは、政治的・財政的な統率能力に根本的な疑問を抱かせます。
情報漏洩問題と同様、ここでも表面的な数字に終始し、実質的なガバナンスに不可欠な細部が無視されました。そして、この運用上の複雑さを軽視するパターンは、新たな法を創設する場面で、さらに危険な形で現れることになります。
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3. 司法と行政の境界線を侵犯する—「証拠隠滅」リスクを理解できない条例案
警察の捜査証拠を消してしまうかもしれない条例案
斎藤知事は、ネット上の誹謗中傷に対し、県がプロバイダに削除要請を行う条例案を提案しました。一見すると正当な対策に見えますが、その設計には行政と司法の境界線を揺るがす、致命的な欠陥が潜んでいました。
記者から提起されたのは、「もしその投稿が刑事事件の捜査対象であった場合、県が削除要請をすれば『証拠隠滅』という違法行為になりかねないのではないか」という極めて重大な懸念です。警察が証拠として保全すべきデータを、行政が消してしまう可能性があるのです。
この法的な矛盾を突く質問に対し、知事は具体的な運用ルールを示すことなく、「適切に対応する」と繰り返すのみでした。この応答は、行政措置と司法手続きの間に生じる運用的・法的な摩擦をシミュレーションする能力が決定的に欠如していることの表れであり、司法と行政の役割分担を理解していないことの証左として批判されました。
さらに、条例を作る根拠となる「立法事実」を問われて「質問の趣旨が理解できない」と答えた一件は、事態の深刻さを物語っています。この反応が特に問題視されたのは、知事自身が2年前、元明石市長との会話が流出した個人的な経験を挙げ、それこそが条例制定の「立法事実」だと明確に語っていたからです。自身の選挙陣営に関わる不都合な事案に話題が及ぶと途端に見せたこの「記憶喪失」は、単なる無知ではなく、一貫性のないご都合主義的な姿勢を露呈させ、法案提出者としての適格性そのものを根底から揺るがしました。

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まとめ:これは個別のミスなのか、それとも…
ここまで見てきた3つの事例は、単なる個別のミスとして片付けられるものでしょうか。むしろこれらは、一つの共通したパターンを指し示しています。
そのパターンとは、**「問題の根本原因を論理的に分析せず、表面的で聞こえの良い『対策をしているふり』に終始してしまう」**という、執行部トップに求められる基礎的な職務遂行能力の決定的欠如です。
この一連の事象は、単にリーダーの資質とは何かを問うだけでなく、より根源的な問いを私たちに突きつけています。なぜ、これほど能力の欠如が明白であるにもかかわらず、それが県の最高職にまで到達することを許してしまったのか。私たちを取り巻く制度的なチェック機能は、果たして本当に機能しているのでしょうか。
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