斎藤知事のミルクボーイ論法と芳賀。菅野完が暴く近代の死 | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
PR

兵庫県知事・斎藤元彦氏に見る「対話不全」と「近代の欠如」

1/22(木)朝刊チェック:ミルクボーイ元彦

私が菅野完でございます。1/22(木)朝刊チェックの時間がやってまいりました。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど

記事の要約と図解

【結論】 兵庫県知事・斎藤元彦氏の定例会見における対応は、単なる「失言」や「説明不足」の域を超え、他者とのコミュニケーションが成立しない「対話の不能」と、法治国家としてのガバナンスが崩壊した「近代の欠如」を如実に露呈している。

【ポイント3選】

  1. 文学的なまでの「対話不全」:記者の具体的質問に対し、全く噛み合わない回答を繰り返す様は、芥川龍之介『羅生門』のような多重構造的な絶望を感じさせる。
  2. 公益通報者保護法の蹂躙:通報者探索を正当化する兵庫県独自の異常な要綱と、担当部署さえ把握していない知事の無責任な実態。
  3. 支持層の「前近代性」:TPOを無視した「白袴」に象徴される、美意識と論理を欠いた支持層の熱狂は、民主主義ではなく「好悪感情」のみで動く村社会の論理である。

■ 【徹底解説】兵庫県知事・斎藤元彦氏に見る「対話不全」と「近代の欠如」

昨今の兵庫県知事・斎藤元彦氏を巡る一連の騒動について、多くのメディアが報じているが、その本質を捉えているものは少ない。これは単なるパワハラ問題や、いち首長の資質の問題ではない。

私が定例会見での質疑応答や、彼を取り巻く支持者の熱狂から感じ取ったのは、もっと根源的な恐怖だ。それは、「言葉が通じない」という絶望であり、我々が積み上げてきた「近代社会」の前提が音を立てて崩れ去る音である。

今回は、具体的な事例をもとに、斎藤県政が抱える闇と、それが映し出す日本の「現在地」を徹底的に解剖する。

1. 記者会見における「文学的」分析:言葉のキャッチボールが成立しない恐怖

先日行われた阪神・淡路大震災追悼式典に関する記者とのやり取りは、まさに「文学」と言って差し支えないほどの、極めて示唆に富んだ場面であった。

共同通信の記者は知事に対し、極めてシンプルかつ情緒的な質問を投げかけた。
「追悼行事で読み上げられた子供たちのメッセージの中で、心に残った言葉は何ですか?」と。

これに対し、斎藤知事は何と答えたか。
「高校生の演奏があり、小学生の歌があり、3名の方から思いを伝えていただいた。大変意義深いことだった」

お分かりだろうか。
記者は「心に残った『言葉』」を聞いている。しかし、知事が返したのは「式典の『あらすじ』」である。これは、会話が成立していない。

ここには「二重の入れ子構造」とも呼ぶべき、認知の欠陥が存在する。

  1. 第一の欠陥:知事は、式典の場で子供たちの言葉を何一つ聞いていなかった、あるいは心に留めていなかった。だから具体的なフレーズが出てこない。
  2. 第二の欠陥:知事は、目の前にいる記者の「心に残った言葉は?」という質問さえも聞いていない。あるいは理解できていない。

芥川龍之介の『羅生門』が、下人の心理描写を通じて人間のエゴイズムを多層的に描いたように、この短い質疑応答は、斎藤元彦という人物の「他者への関心の欠如」「認知能力の特異性」を、残酷なまでに浮き彫りにしたのである。

「心」を問われているのに「事実経過」で返す。これは政治家の答弁以前に、人間としてのコミュニケーションの断絶を示している。

2. 公益通報者保護法違反の疑義:「法の支配」を理解しない独善

次に、より深刻な統治機構の問題について指摘する。公益通報者保護法を巡る対応だ。

私が独自の調査と質疑で明らかにしたのは、兵庫県が定めている内部通報に関する要綱の異常性である。
国の法律やガイドラインでは、通報者の探索(犯人探し)は無条件で禁止されている。しかし、兵庫県だけは「保護要件を備えていること」を通報者探索禁止の条件にしているのだ。

つまり、「お前の通報は保護要件を満たしていないから、誰が言ったか特定してやる」という運用がまかり通る仕組みになっている。これは明らかに法の趣旨に反する。

私がこの点を追及すると、知事は壊れたレコードのように繰り返した。
「法の趣旨に則って適切に対応している」

さらに驚くべきは、私が「では、その担当課はどこか?」と尋ねた際の一幕だ。
知事は「県政改革課」と言い、あるいは「人事課」と言い、結局のところどこの部署がこの要綱の責任を持っているのかさえ答えられなかった。

担当課も把握していない人間が、どうして「適切に対応している」と断言できるのか 。 この会話のループ、どこかで聞いたことがないか。そう、漫才コンビ「ミルクボーイ」だ

  • 「うちのオカンが言うにはな、兵庫県の対応は適切やって言うねん」
  • 「ほな、適切なんやな」
  • 「でもな、通報者を探してええ条件がついとるらしいねん」
  • 「ほな、適切ちゃうがな!」

笑い事ではない。一国の地方自治体の首長が、この「ミルクボーイ」以下の論理破綻を、公的な記者会見の場で延々と垂れ流しているのだ。 「適切だ」と言い張る根拠は、「俺がそう思うから」だけ。これは法治国家のリーダーではない。幼児的な全能感に支配された、ただの独裁者だ

近代官僚制とは、権限と責任の所在が明確であることを前提とする。担当課さえ不明なまま「適切」と言い張るその姿は、法治国家の首長ではなく、独裁的な村の長老のそれである。

3. 支持層とブランディングへの批判:白袴に見る「美意識と知性の敗北」

最後に、斎藤知事を熱狂的に支持する層についても触れなければならない。彼らの象徴とも言えるのが、SNS等で散見される「白袴」姿の男性である。

着物を着る者として言わせてもらえば、あの装いは見ていて不快ですらある。
白袴に、羽織も着ず、インナーにTシャツのようなものが見えている。これは『るろうに剣心』か何かのコスプレのつもりなのか。

私が問題にしているのはファッションセンスではない。TPO(時と所と場合)をわきまえるという「社会性」と、伝統に対する「敬意」の欠如だ。
公の場やメディアに出る際に、あのような「崩れた」格好で平然といられる精神性。それは、「自分さえよければいい」「目立てばいい」という、斎藤知事の政治姿勢と気味が悪いほど通底している。

支持者たちの言動を見ていると、論理や政策の整合性に基づいているとは到底思えない。
彼らを動かしているのは、「あいつは嫌い、こいつは好き」という原始的な好悪感情と、ネット上の扇動に踊らされる情動のみだ。

これは近代的な市民社会ではない。前近代的な「村社会」の復活である。
「頑張っているから偉い」「批判されているから可哀想」という浪花節で、法や論理を無効化してしまう。この知的怠惰こそが、斎藤元彦というモンスターを生み出し、延命させている土壌なのだ。

結論:我々は「近代」を守れるか

斎藤元彦氏の問題は、兵庫県だけの問題ではない。
対話が成立せず、法が恣意的に解釈され、美意識なき熱狂が政治を動かす。この光景は、日本社会全体が「近代」の坂を転げ落ちていることの証左である。

我々に必要なのは、空虚な「頑張り」や「改革」という言葉に酔うことではない。
相手の言葉を聞き、法理に基づいて思考し、恥を知る。そんな当たり前の「大人の作法」を取り戻すことである。

「この記事が少しでも役に立った、面白かったと感じていただけたら、ぜひ下のバナーをポチッとクリックして応援をお願いします! いただいた1クリックが、私のブログを続ける大きな励みになります😊                                       人気ブログランキング
人気ブログランキング ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました