「知事=通天閣のおっさん?」「選挙が無効に?」国会で進む“ヤバすぎる”議席削減論、3つの落とし穴 | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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「知事=通天閣のおっさん?」「選挙が無効に?」国会で進む“ヤバすぎる”議席削減論、3つの落とし穴

2025/12/3(水)朝刊チェック: 「外国人問題」に真剣に向き合うべきなのは、立憲民主党と共産党だ。

「議員の数を減らす」――。この「身を切る改革」というスローガンは、分かりやすく、多くの国民の支持を得やすいものです。しかし、その耳触りの良い言葉の裏で今、日本の統治機構そのものを根底から揺るがしかねない、驚くべき議論が国会で進行していることをご存知でしょうか。

一見すると正しい改革のように見えるこの動きには、実は3つの巨大な「落とし穴」が隠されています。本記事では、菅野氏の視点から、この“ヤバすぎる”議席削減論が、いかに法の支配、司法の独立、そして議会制民主主義そのものという、近代国家の根幹を蝕むものであるかを解き明かしていきます。

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1. なぜ大阪府知事は「通天閣のおっさん」と同じなのか?――権限なき者の“越権行為”

現在、国会議員の定数削減をめぐる議論は、日本維新の会の共同代表である大阪府の吉村洋文知事が、自民党議員らと協議する形で主導しています。しかし、この構図そのものに、法治国家の根幹を揺るがす深刻な問題が潜んでいます。

問題の核心は、地方自治体の長にすぎない吉村知事が、国会議員にしか権限のない法律(国政選挙制度)の制定プロセスに実質的に関与している点です。これは、近代国家の役割分担を定めた憲法秩序を無視した、明らかな「越権行為」に他なりません。この法的資格の欠如は、極めて痛烈なアナロジーで表現できます。

吉村氏が持つ法的な権限(資格)は、一般市民である「通天閣のおっさん」と何ら変わらない。

つまり、法律を制定する権限において、吉村知事と、大阪・新世界にいる一般市民との間に法的な差はないのです。これは単なる役割分担の問題ではなく、近代国家の根幹である「誰が、何を決定する権限を持つか」という厳格なルールの問題です。その点において、知事と一市民の間に法的な優劣は存在しないのです。「通天閣のおっさんが高市早苗議員と話し合って法律を決めたらおかしい」のと同じ理屈で、吉村知事が国政マターである選挙制度の決定に関わることは、法的に全く正当性がありません。

この問題は、法律の正当性や手続きといった「法の支配」よりも、テレビ映えや「改革をやっている感」というポピュリズム的なパフォーマンスを優先する姿勢の象徴であり、統治機構そのものへの信頼を損なう危険な兆候なのです。そして、この「法の筋道」を無視する姿勢は、地方の首長による越権行為にとどまらず、国家の三権分立の根幹である司法への挑戦という、さらに危険な領域へと向かいます。

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2. 「なめとんのか」――最高裁を激怒させ、選挙を“無効”にする改革案

この議席削減論が抱える第二の落とし穴は、司法、特に最高裁判所との深刻な対立を引き起こし、最悪の場合、国政選挙そのものが「無効」になるという、国家的な危機を招くリスクです。

これまで日本の選挙制度は、最高裁判所から「一票の格差」が憲法違反の状態にあると、何度も厳しい指摘を受けてきました。その司法判断を受け、立法府である国会は「10増10減」といった是正策を講じ、ようやく格差を縮小する努力を積み重ねてきた歴史があります。

ところが、現在議論されている削減案は、この努力を全て台無しにする「改悪」です。特に、人口が集中する東京や大阪といった大都市圏の議席を削減しようとする動きは、人口の多い地域の票の価値を下げ、これまで是正してきた「一票の格差」を再び拡大させることに直結します。

この立法府による“ちゃぶ台返し”とも言える動きに対して、最高裁が示すであろう反応は、ただ一言に尽きるでしょう。

なめとんか(司法判断を愚弄しているのか)

もし、このような欠陥を抱えた法律で衆議院選挙が実施されれば、全国で一斉に「一票の格差訴訟」が起こることは確実です。そして、選挙から2年以内に最高裁が「この選挙は無効である」という判決を下すことは「法的必然」と言わざるを得ません。これは単なる政策論争ではありません。憲法上の要請を無視し、司法に喧嘩を売る行為は、国家の法秩序を自ら破壊する「立法府の自殺行為」に等しいのです。司法との関係を断ち切ろうとするこの動きは、議会が自らの存在意義そのものを放棄する、次なる問題へとつながっていきます。

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3. 「議論をやめる」ための法律?――議会が自らを否定する“自動削減”という矛盾

第三の落とし穴は、日本維新の会が提案する「自動削減条項」というアイデアそのものが、議会制民主主義を内側から破壊しかねない、極めて危険な矛盾をはらんでいる点です。

この提案の仕組みは、「選挙制度改革の話し合いで結論が出なければ、自動的に小選挙区を25、比例代表を20削減する」というものです。一見、議論の停滞を打破する強硬策に見えますが、その本質は議会の存在意義を自ら否定する行為にほかなりません。

議会の最も重要な役割とは、対立する多様な意見を調整し、熟議を尽くして合意形成を目指す「議論」のプロセスそのものです。しかし、「議論で決まらなければ自動的に実行する」というルールは、この「議論による解決」という議会の核心的な機能を放棄するものです。これは、議会が自らの存在意義を否定する「議会の自殺」と言えるでしょう。

法的・憲法的な整合性を無視したこの提案は、もはや「子供の議論」と断じざるを得ません。事実、日経新聞をはじめとするメディアや他党からも、その非現実性について「アホすぎて言葉にならない」と、半ば冷笑的に受け止められているのが実情です。

熟議を放棄し「決まらないなら力ずくで」という発想は、複雑な法的整合性を無視した、反知性的な態度の表れです。これは民主主義のプロセスそのものを、論理ではなく情緒で動かそうとする危険な兆候に他なりません。

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結論

本記事では、国会で進む議席削減論に潜む3つの重大な問題点を明らかにしてきました。

  1. 権限なき者の越権行為: 本来、権限のない地方の首長が国政の根幹を左右しようとしている。
  2. 司法への挑戦: 「一票の格差」を拡大させ、選挙が無効になるリスクを無視している。
  3. 議会による議論の放棄: 「自動削減」という仕組みで、議会が自らの存在意義を否定しようとしている。

これらの問題は、単なる政策論ではなく、日本の法治国家としてのあり方、そして議会制民主主義の根幹に関わるものです。最後に、私たち一人ひとりが考えるべき問いを投げかけたいと思います。

「身を切る改革」という心地よいスローガンの下で、私たちが本当に“切られようとしている”のは、一体何なのだろうか?

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