2026/1/26(月)朝刊チェック:これじゃぁ中道改革連合が勝てるはずがない
「中道改革連合」という虚構を暴く(全3回) 第1回:戦術・リーダーシップ編
私が菅野完でございます。1/26(月)朝刊チェックの時間がやってまいりました。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど
記事の要約と図解
【結論】 中道改革連合が掲げる「食品消費税の非課税化」は、経済の仕組みを無視した素人考えであり、逆に物価上昇を招く致命的な欠陥政策である。また、彼らが唱える「人間主義」は、沖縄・辺野古の民意を無視する実態の前では完全に破綻しており、実務能力においても倫理面においても政権担当能力は皆無と言わざるを得ない。
【ポイント3選】
- 「非課税」の罠:仕入れ税額控除ができなくなるため、コスト増分が価格に転嫁され、結果として物価が上がる。
- 実務能力の欠如:「免税(税率0%)」と「非課税」の区別すらつかない集団に、国家財政を語る資格はない。
- 「人間主義」の欺瞞:沖縄県民の尊厳を踏みにじりながら「人間中心」を叫ぶのは、論理的矛盾であり鬼畜の所業である。

「非課税」にすれば物価は上がる ― アマチュアリズムの極致と「人間主義」の嘘
「消費税を減税して生活を楽にする」。 耳触りの良いスローガンだ。物価高に喘ぐ庶民の耳には、さぞかし甘美な福音として響くだろう。 だが、断言する。彼ら中道改革連合が掲げる政策集は、国家運営を任せるにはあまりにもお粗末な、致命的な欠陥品だ。
彼らは「非課税」と「免税(税率0%)」の違いすら理解していない。 「非課税にすれば安くなる」などというのは、経済を知らない素人の妄想に過ぎない。むしろ逆だ。非課税にすれば、かえって物価は上がる。 この経済学的な真実を無視した政策は、単なる無知か、それとも有権者を欺く詐欺か。 今回は、彼らの経済政策における致命的な「算数の欠如」と、彼らが掲げる「人間主義」という看板がいかに醜悪な嘘であるかを徹底的に暴く。
第一章:小学生以下の経済感覚――「非課税」という罠
中道改革連合、とりわけ野田佳彦代表周辺から聞こえてくるのは「食料品等の非課税化」という言葉だ。一見、消費税がかからなくなるのだから、商品の値段が下がると錯覚するかもしれない。しかし、ここに巨大な落とし穴がある。
「非課税」にすれば物価は高騰する
消費税の仕組みを少しでも理解している人間ならば、「非課税」と「免税」が天と地ほど違うことを知っているはずだ。
- 免税(税率0%): 売上にかかる税金はゼロだが、仕入れにかかった消費税は還付(控除)される。
- 非課税: 売上にかかる税金はゼロだが、仕入れにかかった消費税は控除できない。
問題はここだ。「非課税」にしてしまうと、事業者は「仕入れ税額控除」ができなくなる。 例えば、スーパーマーケットが食品を販売する場合を考えてほしい。商品を並べるためには、電気代、輸送費、包装資材など、あらゆるコストがかかり、そこには消費税が含まれている。現状の課税取引であれば、事業者は「売上で預かった消費税」から「仕入れで払った消費税」を差し引いて納税する。
しかし、これを「非課税取引」にしてしまうと、どうなるか。 事業者は仕入れ段階で支払った消費税を差し引くことができなくなる。つまり、仕入れにかかった税金分が、そのまま事業者の「持ち出し(コスト)」になってしまうのだ。 コストが増えて喜ぶ経営者はいない。増えたコストをどうするか。当然、販売価格に転嫁するしかない。
つまり、「消費税を非課税にします」という政策を実行すると、レシート上の「消費税」という項目は消えるかもしれないが、商品本体の価格は、事業者が負担した税コスト分だけ確実に値上がりするのだ。
算数もできない人間に国家は担えない
これは経済学の基礎中の基礎であり、実務の常識である。 にもかかわらず、野田代表は平然と「非課税取引」と口走っている。政策担当者が慌てて「免税取引」と言い直そうとしている節もあるが、党首がこのレベルの理解度で、まともな制度設計ができるはずがない。
もし本当に生活を楽にしたいなら、「税率0%(免税)」として設計し、それに伴う膨大な還付事務やシステム改修の手当てをセットで提示しなければならない。しかし、彼らからはそうした実務的な詰めが一切聞こえてこない。「インボイス制度」導入であれほど現場が混乱したことを忘れたのか。
「税金をなくせば安くなる」という発想は、小学生の学級会レベルだ。 「非課税」と言ってしまった時点で、彼らは「消費税法」の構造すら読んでいないことが露呈した。これは「うっかりミス」ではない。国家を運営する能力そのものが欠如しているという、決定的な証拠である。
第二章:「人間主義」というグロテスクな欺瞞
経済における無知と対をなすのが、彼らの政治信条における腐臭漂う欺瞞だ。公明党や中道改革連合は、ことあるごとに「人間主義」「人間の尊厳」という美しい言葉を口にする。 だが、その舌の根も乾かぬうちに、彼らは何をしているか。
彼らは、沖縄・辺野古の海にコンクリートを流し込んでいる。
沖縄県民は「人間」ではないのか
「人間主義」とは何か。それは、個人の尊厳を守り、人々の声に耳を傾けることではないのか。 沖縄県民が選挙で何度も何度も「ノー」という意思を示し、県本部レベルでも反対の声が上がっているにもかかわらず、中央の論理でそれを握りつぶし、美しい海を埋め立てる。
「人間の尊厳を守る(人間主義)」と言いながら、沖縄の民意を無視して辺野古移設に賛成することは、論理的に不可能だ。 もし、彼らの中でこの二つが矛盾なく成立しているのだとすれば、結論は一つしかない。 **「沖縄の人々は、彼らの言う『人間』の範疇に入っていない」**ということだ。 そう考えなければ説明がつかない。彼らにとって沖縄県民は、尊厳を持って接すべき「人間」ではなく、国家の都合で使い潰していい「何か」でしかないのだ。これは明確な差別である。
ヘイトスピーチよりも醜悪な笑顔

私はかつて、街頭でヘイトスピーチのプラカードを見たことがある。そのおぞましさに寒気がした。 だが、彼らの態度はそれ以上に不潔で醜悪だ。 ヘイトスピーチを行う者は、少なくとも自らの悪意を隠そうとはしない。しかし彼らはどうだ。「人間主義」などという聖人のような仮面を被り、柔和な笑顔で「平和」や「尊厳」を説きながら、足元では沖縄の人々の尊厳を土足で踏みにじっている。
「国防のためには仕方がない」とでも言うのか。ならば最初から「国家中心主義」と名乗ればいい。 美辞麗句で粉飾しながら、実際には最も非人道的な仕打ちを行う。この「嘘」の深さこそが、私が彼らと同じ空気すら吸いたくないと感じる理由だ。
結論:国を任せてはいけない
算数(税計算)もできず、道徳(沖縄への誠意)も持たない。 経済のメカニズムを理解せず、自らの政治信条すら都合よく曲げる。
このような集団が「改革」を叫び、政権を狙うなど悪い冗談だ。彼らが作り出そうとしているのは、物価が高騰し、地方の民意が圧殺される、冷酷で無能な社会に他ならない。
「中道」とは、右と左の真ん中でフラフラすることではない。確固たる理念と、現実を処理する能力があって初めて成り立つものだ。今の彼らには、そのどちらもない。 勝てるはずがないし、断じて勝たせてはならないのである

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