兵庫県政における「正義」の解体とネット社会の深淵 ― 菅野完氏の対話に見る論理の乖離と情報の非対称性 | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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兵庫県政における「正義」の解体とネット社会の深淵 ― 菅野完氏の対話に見る論理の乖離と情報の非対称性

2026/1/15斎藤支持者との対話

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1. 序論:対話から浮き彫りになる現代社会の歪み

兵庫県知事選を巡る一連の狂騒は、単なる地方自治の混乱ではない。それは、日本の言論空間における知的なインフラストラクチャーが崩壊し、論理が「ノイズの民主化」によって転移・増幅された、民主主義の危機を象徴する事象である。ジャーナリスト・菅野完氏と斎藤元彦前知事の支持者との対話は、現代社会において「論理の不在」がいかに戦略的に放置され、代わって「法的実体を伴わない感情的シンボル」が公共の場を侵食しているかを見事に可視化させた。

とりわけ、支持者が念仏のように唱える「冤罪」という言葉の扱いは異常である。本来、法治国家における冤罪とは、具体的な訴追内容(罪状)に対して無実であることを指す。しかし、彼らが用いる「冤罪」は、事実関係や法的定義から完全に去勢された、現状への不満を正当化するための「記号」に過ぎない。この知的空洞化こそが、現代の言論空間を支配する「病理」の正体である。

2. 公益通報者保護法と「冤罪」主張の論理的検証

法を論理の盾としてではなく、単なる「攻撃の道具」や「自己正当化の装飾品」として扱う層の台頭は、法治主義の死を意味する。支持者層が「斎藤氏は冤罪だ」と叫ぶ際、彼らはその議論の土台となる「公益通報者保護法」の条文すら把握していない。

公益通報者保護法 第1条(目的) この法律は、公益通報をしたことを理由とする公益通報者の解雇の無効及び不利益な取扱いの禁止等並びに公益通報に関し事業者及び行政機関がとるべき措置等を定めることにより、公益通報者の保護を図るとともに、国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる法令の規定の遵守を図り、もって国民生活の安定及び社会経済の健全な発展に資することを目的とする。

菅野氏が提示したこの第1条の重みに対し、支持者は「パソコンに残された文章は単なる悪口であり、公益性などない」と一蹴する。しかし、その判断を下すための法的知見は皆無である。菅野氏が放った「万引きをしていないのに万引きと言われるのが窃盗罪の冤罪だ。では、斎藤氏は何の罪に対する冤罪なのか」という至極真っ当な問いに対し、支持者は具体的な「罪状」を一つも挙げることができない。

罪状を特定せずに「冤罪」を叫ぶ。この知的な不誠実さは、議論の拒絶ではなく、議論を行うための「知的能力の欠如」を露呈させている。法治主義において、法律を知らずに「法による救済」を叫ぶことの滑稽さと危うさを、我々は直視しなければならない。

3. 兵庫県政における事実関係:行政・司法・警察の客観的推移

行政運営において、恣意的な感情が事実を上書きすることは、権力による暴力そのものである。斎藤県政を巡る動静は、感情的なナラティブではなく、公的機関が下した客観的な判断の時系列によって再構築されるべきである。

事態の決定的な転換点は、2024年3月20日である。文書を検知した斎藤氏は、これを「名誉毀損」として警察に相談するよう指示した。しかし、法執行機関である兵庫県警は、この文書に「公益性がある」として名誉毀損の訴えを受理しなかった。つまり、知事という権力者が「犯罪」と断じた行為を、警察という専門機関が早い段階で「法的正当性(公益性)がある」と否定していたのだ。

百条委員会や第三者委員会が導き出した「違法性」や「不適切性」の指摘も、決して「捏造」や「政治的な決めつけ」ではない。それは証拠と証言、そして法理に基づいた厳格なプロセスの産物である。これらの事実を「おかしな人たちの工作」として拒絶する心理の裏側には、単なる無知を超えた、より深い「闇」が潜んでいる。

4. 陰謀論的言説と個人攻撃:知的誠実さの崩壊

言論が事実から乖離し、論理的な袋小路に陥った時、支持者が逃げ込む先は醜悪な陰謀論と卑劣な属性攻撃である。対話において、法的矛盾を突かれた支持者は、突如として「自分は創価学会員で、内閣府と協力してマスクやワクチンを普及させた」「人口削減計画の一翼を担った」「自分のせいで安倍元首相が死んだ」といった、常軌を逸した陰謀論を語り始める。

これらの言説は、もはや公共の議論を攪乱するノイズでさえなく、客観的現実からの完全な離脱(ディスコネクト)を意味している。こうした層が、議論で行き詰まると菅野氏の学歴(「高卒」「中卒の知代氏」など)を執拗に攻撃し始めるのは、ロジックで勝負できない者の「敗北宣言」に他ならない。属性への固執は、自らの主張に客観的な正当性が皆無であることを自白しているに等しい。これこそが、現代の知的誠実さが崩壊した現場の惨状である。

5. インターネットが可視化した「マイクを持つ異常者」

インターネットがもたらした言論の民主化は、同時に「知的基盤を持たない狂気」に巨大な増幅器(マイク)を与えてしまった。かつては社会の隅で埋もれていたはずの、論理的な整合性を欠いた声が、SNSを通じて「等身大の真実」として受容される異常事態が生じている。

菅野氏が指摘するように、斎藤氏を支持する一部の層に見られるのは、情報の量に比例しない「質の低劣さ」である。彼らは「権力者だから攻撃していいわけではない」と権力者を被害者として擁護するが、これは自由民主主義の原則に対する無理解の極みである。

自由民主主義の原則 強大な権限を持つ権力者は、その権力の行使において、市民やメディア(第四の権力)から常に批判的な検証を受ける「義務」を負う。

権力者への批判を「いじめ」と混同し、批判者を「犯罪者」と決めつける論理は、民主主義の根幹を破壊する独裁的な思考に直結している。

6. 越境する言説とメディア・リテラシーの鏡

現代の言論はデジタル空間を介して容易に国境を越え、異なる文脈で消費される。菅野氏の配信内容は中国の「Bilibili動画」等にも波及し、そこでは議論の内容よりも「レゴの小人」「じゃがいも」「ハゲスーツ」といった身体的揶揄が弾幕(コメント)として飛び交う事態となっている。

この「スペクタクルの消費」に対し、菅野氏は「162cm、72kgの体躯を62kgまで絞り、中国の連中を見返す」とユーモアで応じる。しかし、この現象の背後にある本質は、言論が「知性の闘争」ではなく、単なる「見世物(コモディティ)」へと変容している現実である。

菅野氏が用いた「キックスタート」の比喩――古い船のエンジンのように、一度他者が回し始めると(語らせ始めると)、止まることなく異常な論理が暴走し、勝手に自壊していく様子――は、現代の不毛な対話における一つの「検証技術」を示唆している。感情に流されず、相手の「セルフスタート(自律的な論理)」の欠如を浮き彫りにする冷静さこそが、今の情報社会には不可欠である。

7. 結論:理性の奪還と民主主義の防衛

兵庫県政の騒動が暴き出したのは、法的無理解と陰謀論が公共の議論をいかに容易に破壊するかという戦慄すべき現実である。専門的知見を「工作」と切り捨て、自らの物語に合致する「ノイズ」だけを真実と呼ぶ態度は、民主主義を根底から腐らせる。

我々に求められているのは、情報の奔流に身を任せることではなく、何が事実で、何が個人の妄信かを峻別する「知的誠実さ」の奪還である。どれほど対話が困難で、相手が論理を放棄していようとも、我々は法と事実に基づいた批判の手を緩めてはならない。

知的誠実さを守るための3つの指針

  • 「冤罪」や「違法」といった法的概念を用いる際は、必ず具体的な罪状と根拠となる条文を明示し、感情的なレッテル貼りを排除せよ。
  • 権力者への批判的な検証は、民主主義を機能させるための「公的な義務」であり、個人的な「いじめ」や「攻撃」とは次元が異なることを銘記せよ。
  • 陰謀論や属性攻撃(学歴・容姿への揶揄)への逃避を、相手の論理的敗北を示す指標として冷静に識別し、議論の質を維持せよ。
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