菅野完氏の配信にみる視聴者層の変化とデジタルデバイド:「宝塚のおじいさん」が映し出すもの | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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菅野完氏の配信にみる視聴者層の変化とデジタルデバイド:「宝塚のおじいさん」が映し出すもの

2026/1/7(水)朝刊チェック:中国、ほんまめんどくさい。

私が菅野完でございます。朝刊チェックの時間がやってまいりました。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど

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はじめに:デジタル時代の配信者と視聴者の新たな関係性

本稿は、ジャーナリスト・著述家である菅野完氏のYouTubeライブ配信における一つの逸話を通じ、現代デジタルメディアが織りなす配信者と視聴者の関係性、とりわけ世代間に横たわるデジタルリテラシーの差異、いわゆる「デジタルデバイド」がもたらす特異な現象を分析する。

これは単なる面白い逸話の紹介ではない。菅野氏のファン層が、彼自身も「望んでもなかった」と語る高齢男性へと大きくシフトしている事象をケーススタディとし、その背後にあるより広い社会的・文化的な示唆を読み解く試みである。

この分析の触媒となったのが、ある高齢男性ファン――菅野氏が「宝塚のおじいさん」と呼ぶ人物――との一本の電話だ。放送時間をめぐるありふれた口論を武器に、この対話はアナログとデジタルのネイティブが持つ時間認識の根本的な断絶を暴き出す。続くセクションでは、この象徴的なエピソードを掘り下げ、そこから浮かび上がる現代日本の複雑な肖像を明らかにしていく。

1. 触媒となった一本の電話:「宝塚のおじいさん」との対話

すべての発端は、菅野氏のもとにかかってきた一本の電話だった。それは単なるクレームではなく、配信者と視聴者の間に存在する、デジタルリテラシーという名の巨大な認識の溝を浮き彫りにした、極めて象徴的な出来事であった。菅野氏の語り口に滲む、信じられないという驚きと苛立ち混じりの面白がりようが、この対話の異質さを物語っている。

1.1. オンデマンド配信への根本的誤解

電話の主、「宝塚のおじいさん」の要望は、丁寧な物腰とは裏腹に、YouTubeというプラットフォームの根本を揺るがすものだった。「菅野さんの朝刊チェック、毎朝楽しみにしてるんです」という感謝に続き、彼は切実な願いを口にした。

  • 配信時間の固定化要求: 彼は、毎朝定時に行われているライブ配信が「夜やったり 朝やっ たりする」と認識し、時間を固定してほしいと要望した。アーカイブ配信を、その都度ライブで行われている生放送だと誤認していたのだ。
  • YouTubeの仕組みへの無理解: 菅野氏が「僕 毎朝 7 時 からやってるんですけどね」と説明しても、「いやいや、そんなことないです。私 今日ね…昼の1時から始まってたんですよ」と反論。彼にとって、自身が再生ボタンを押した瞬間こそが「配信開始時間」だったのである。
  • 個人的な視聴障壁: 議論の末、配信が実際には毎朝7時からだと理解しかけた彼から飛び出したのは、技術的問題を凌駕する生活習慣の壁だった。「ほな あきませんわ。嫁さんがね、朝ドラ終わるまでテレビ貸してくれへんのです」。この訴えに対する菅野氏の反応は「知らんがな」の一言に尽きる。あまりに個人的で切実なこの事情は、テクノロジーが個人の生活といかに不可分であるかを示している。

1.2. デジタルツールへの素朴な疑問

テレビが使えないならと、菅野氏がスマートフォンでの視聴を提案した際のファンの反応は、デジタルデバイドのもう一つの側面を露呈させた。「いや、もう スマホはね、電気代がもったいないからね」。

菅野氏は、この「電気代」とはデータ通信料(パケット代)への懸念を言い換えたものであろうと推察する。この一言は、料金体系の複雑さや技術用語への不慣れといった障壁を象徴している。しかし、より深く見れば、これは単なる知識不足ではない。物理的な電力消費と、抽象的なデータ通信という異なるカテゴリーを混同してしまう、前デジタル時代の思考様式の表れなのである。

この一連の対話は、技術的無理解が引き起こした喜劇に留まらない。それは異なる世界認識を持つ世代間の断絶と、それでもなおコンテンツへの熱意を伝えようとする人間的な繋がりという、矛盾した現実を我々に突きつける。

2. 矛盾の共存:旧時代の論理性とデジタル時代の非論理性

では、自己の生理現象を企業戦略のように管理する人物が、なぜYouTubeの再生リストという基本機能を理解できないのか。その答えは知性の欠如にあるのではなく、現実を認識するための、決して相容れない二つのオペレーティングシステム(OS)の衝突にある。この「宝塚のおじいさん」という人物の中には、実生活における厳格な論理性と、デジタル世界における非論理性が驚くべき形で共存していた。

2.1. 自己管理の哲学:「汗をかくかどうかがKPI」

YouTubeの仕組みに戸惑いを見せた彼だが、自身の日常生活に話が及ぶと、その思考は驚くほど分析的かつ論理的であった。特に犬の散歩に関する彼の哲学は、その理路整然とした思考を際立たせている。

  • 毎日2回、大型犬2匹を連れて同じルートを歩くという規律。
  • 運動効果を維持するため、冬でも厚着をして運動強度を保つという工夫。
  • そして彼は、その効果測定を現代的なビジネス用語でこう語った。「汗かくかどうかが KPI」

努力が「汗」という目に見える結果に繋がる。自身の行動を客観的な指標(Key Performance Indicator)で管理する彼の論理は、物理的な因果律に根差している。一方で、ルールが不可視で抽象的なデジタル世界は、彼の認識論的枠組みの外にあった。これは非論理というより、カテゴリーエラーなのである。

2.2. 対人関係の達人:主導権を握る会話術

彼の卓越性は自己管理に留まらない。菅野氏は「昔ね、人使う偉いさんやったと思う」と直感する。その洞察を裏付けるように、電話の結末は鮮やかだった。

会話の流れの中で、いつの間にか菅野氏は自ら「奥さんによろしく」と口にさせられていた。それに対し、男性は「言うときますわ」と応じ、悠然と電話を切る。クレーム電話のはずが、配信者側が丁重な挨拶で締め括るという、完璧な主客転倒である。

このエピソードは、デジタルリテラシーとは別次元に存在する、旧来型の対人スキルがいまだ強力な影響力を持ちうることを示す。一人の人物に同居する、デジタルへの不適応と老獪な対人術。この興味深いコントラストは、菅野氏のファン層全体に広がる大きな潮流の一端を示唆している。

3. ファン層の変容:菅野完はなぜ「高齢男性のアイドル」になったのか

「宝塚のおじいさん」との逸話は、菅野氏のファン層に起きている地殻変動を象徴する出来事だった。彼自身が「目指してもなかったし 望んでもなかっ た」と語るように、視聴者層は静かに、しかし確実に変容していた。この現象は、現代のメディア環境がいかにして予期せぬカリスマを生み出すのかを物語っている。

3.1. 「99.9%が男性」という現実

菅野氏が語る事実は衝撃的だ。「不思議なことに 99.9% 男です」「99.9% 男性です」。熱心なファン、そして電話をかけてくるアンチも含め、その性別は極端に男性に偏っているという。社会・政治問題に鋭く切り込む彼のスタイルが、結果として特定の層、とりわけ高齢男性に強く響いたのである。

3.2. 新たな立ち位置:「平野のウ流」という自己規定

この奇妙な状況を、菅野氏は特有のユーモアで自己分析する。「立場的に言うと 平野雨竜 みたいな もんです」。自身を現代の、そして男性向けのアイドルとして位置づけたのだ。

この比喩には、戸惑いと冷静な自己認識が入り混じる。彼の分析によれば、この男性ファンからの支持は「純粋」だ。対照的に、彼が唯一の事例として挙げる熱心な女性ファンは「横島な目的を持った人だけ」であり、自身を宣伝するための「踏台」にしようとしたと喝破する。このシニカルな世界観において、高齢男性たちの支持は、裏のない純粋なものとして際立つのだ。

3.3. 世代を超えた共感:「若い頃の自分を見ているよう」

なぜ高齢男性たちはこれほど菅野氏に惹きつけられるのか。ファンから頻繁に寄せられる「若い頃 の自分を見てるようです」という言葉が、その核心に迫るヒントとなる。

これは単なる賞賛ではない。彼らは菅野氏の権力に臆さぬ姿に、自らが駆け抜けた時代の記憶や果たせなかった理想を投影している。だが、それだけではない。「宝塚のおじいさん」の逸話がこれほど響くのは、多くの高齢男性ファンが、彼の中に自分自身の姿を見るからだろう。かつては自らの領域で論理と規律を極めたプロフェッショナルが、今や理解不能なデジタル世界に戸惑う姿。菅野が、その戸惑いを苛立ちと温かさが入り混じった態度で受け止めることで、彼らは自らの苦闘が肯定され、理解されたと感じるのだ。

4. 結論:逸話が照らし出す現代日本の断面

「宝塚のおじいさん」との逸話と、それに象徴されるファン層の変化は、一配信者の個人的な体験談を超え、現代日本が直面する課題と可能性を映し出す社会的文脈を持つ。この一連の出来事から、私たちはいくつかの重要な断面を読み取ることができる。

  • 深刻なデジタルデバイドの実態: 高齢者層が直面する情報格差は、単なるスキルの問題ではない。それは世界の認識方法そのものの差異であり、この溝は社会の分断を加速させかねない。
  • 失われた論理性の在処: デジタル社会への適応に苦しむ一方で、旧世代が日常生活や対人関係において、今なお高度な論理性や規律を保持しているという逆説。これは、社会が効率化の名の下に、かつて重視された人間的な洞察力や生活の知恵を軽視してきたことの裏返しとも言える。
  • 新しいコミュニティの形成: デジタルプラットフォームは、世代の断絶を助長するだけの装置ではない。それは時に意図を超えて人々を結びつけ、「高齢男性のアイドル」といった予期せぬカリスマやコミュニティを生み出す触媒となる。

「宝塚のおじいさん」現象は、単なる世代間ギャップではなく、衝突である。それは、アナログ世界のKPIを極めた世代が、もはや計測不能なデジタル領域に意味を求め、最終的に、デジタルネイティブな論客のフィルターのかからない姿の中に、自らの反抗的な過去の代理人を見出す物語なのだ。菅野氏と彼の高齢ファンとの交流は、現代日本が抱える断絶と、それでもなお存在する人間的な繋がりの可能性の両方を示す、示唆に富んだケーススタディなのである。

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